日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


大田乗明等御消息文 16 秋元御書


【秋元御書 弘安三年一月二七日 五九歳】
秋元御書 弘安3年1月27日 59歳御作

【筒御器〔つつごき〕一具付三十、並びに盞〔さかずき〕付六十、】
竹筒の御器一具を三十と杯〔さかずき〕を六十、

【送り給〔た〕び候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
送って頂きました。

【御器〔ごき〕と申すはうつはものと読み候。】
御器〔ごき〕と言うものは「うつわもの」と読むのです。

【大地くぼければ水たまる、青天浄〔きよ〕ければ月澄めり、】
大地が、くぼんでいれば、そこに水が溜まり、空が浄ければ、月は、青く澄みます。

【月出でぬれば水浄し、雨降れば草木昌〔さか〕へたり。】
月が出ると水は、浄く見え、雨が降ると草木は、栄えます。

【器〔うつわ〕は大地のくぼきが如し。】
器は、大地の窪〔くぼ〕みのようなものであり、

【水たまるは池に水の入るが如し。】
そこに水が溜まるのは、池に水が入るようなものなのです。

【月の影を浮かぶるは法華経の我等が身に入らせ給ふが如し。】
その水面に月の影が浮かぶのは、法華経が私たちの身に入ったようなものなのです。

【器に四つの失〔とが〕あり。】
その器にも、四つの問題点があります。

【一には覆〔ふく〕と申してうつぶけるなり。】
一つは、覆〔ふく〕と言って、俯〔うつぶ〕せになる事であり、

【又はくつがへす、又は蓋〔ふた〕をおほふなり。】
または、覆〔くつがえ〕す事であり、または、蓋〔ふた〕をする事です。

【二には漏〔ろ〕と申して水もるなり。】
二には、漏〔ろ〕と言って水が漏れる事です。

【三には汙〔う〕と申してけがれたるなり。】
三には、汙〔う〕と言って、汚れる事です。

【水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ふる事なし。】
いくら、中に入れる水が浄らかでも、糞の入った器の水を用いる事はありません。

【四には雑〔ぞう〕なり。飯に或は糞、或は石、或は沙〔すな〕、】
四には、雑〔ぞう〕です。飯に、または、糞、または、石、または、砂、

【或は土なんど雑〔まじ〕へぬれば人食〔く〕らふ事なし。】
または、土などを雑〔まじ〕えたならば、人は、食べる事ができません。

【器は我等が身心を表はす。】
また器は、我等の身心を表しているのです。

【我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。】
我等の心は、器のようなものであり、口も器、耳も器なのです。

【法華経と申すは、仏の智慧の法水〔ほっすい〕を我等が心に入れぬれば、】
法華経と言うのは、仏の智慧の法の水ですが、それを我等の心に入れると、

【或は打ち返し、或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆〔おお〕ひ、】
または、反論し、または、左右の手で二つの耳を覆〔おお〕って聞かず、

【或は口に唱へじと吐き出だしぬ。譬〔たと〕へば器を覆するが如し。】
あるいは、口で唱えないようにするのは、器を覆〔ふく〕すようなものです。

【或は少し信ずる様なれども又悪縁に値ひて信心うすくなり、】
あるいは、少しは、信ずるようであっても、また悪縁にあって信心が薄くなり、

【或は打ち捨て、或は信ずる日はあれども捨つる月もあり。】
または、打ち捨て、または、信ずる日はあっても、捨てる月もあるように、

【是は水の漏〔も〕るが如し。或は法華経を行ずる人の、】
これは、水が漏〔も〕るようなものなのです。または、法華経を修行する人が、

【一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、】
一口は、南無妙法蓮華経、一口は、南無阿弥陀仏などと言うのは、

【飯に糞を雑〔まじ〕へ沙石〔いさご〕を入れたるが如し。】
飯に糞を雑え、砂や石を入れたようなものなのです。

【法華経の文に「但大乗経典を受持することを楽〔ねが〕って、】
法華経の文章に「ただ大乗経典を受持することを願って、

【乃至余経の一偈〔げ〕をも受けざれ」等と説くは是なり。】
(中略)余経の一偈をも受けてはならない」などと説かれるのは、この事なのです。

【世間の学匠〔がくしょう〕は法華経に余行を雑へても苦しからずと思へり。】
世間の学匠は、法華経に余行を雑えても、問題ないと思っています。

【日蓮もさこそ思ひ候へども、経文は爾〔しか〕らず。】
日蓮も一往は、そのように思うけれども、経文は、そうではありません。

【譬へば后〔きさき〕の大王の種子〔たね〕を孕〔はら〕めるが、】
たとえば、大王の皇太子を生むべき后〔きさき〕が、

【又民ととつ〔嫁〕げば王種と民種と雑りて、】
また、民衆の子供を産んだならば、王の種と民衆の種と雑〔ま〕じって、

【天の加護と氏神の守護とに捨てられ、其の国破るゝ縁となる。】
諸天の加護と氏神の守護から同時に捨てられ、その国が乱れるもととなるのです。

【父二人出で来たれば王にもあらず、民にもあらず、人非人なり。】
このように父が二人できれば、皇太子でもなく、民衆でもない人非人となります。

【法華経の大事と申すは是なり。】
法華経の大事と言うのは、この事なのです。

【種〔しゅ〕・熟〔じゅく〕・脱〔だつ〕の法門、法華経の肝心なり。】
種熟脱の法門は、法華経の肝心なのです。

【三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。】
三世十方の仏は、必ず妙法蓮華経の五字を種子として仏になったのです。

【南無阿弥陀仏は仏種にはあらず。真言〔しんごん〕五戒等も種ならず。】
南無阿弥陀仏は、仏種ではなく、真言や小乗の五戒等も仏種とはならないのです。

【能〔よ〕く能く此の事を習ひ給ふべし。是は雑〔ぞう〕なり。】
よくよく、この事を習い極めてください。これは、雑〔ぞう〕を意味しています。

【此の覆〔ふく〕・漏〔ろ〕・汀〔う〕・雑の四つの失〔とが〕を離れて候】
この覆〔ふく〕、漏〔ろ〕、汀〔う〕、雑〔ぞう〕の四つの問題点がない

【器〔うつわ〕をば完器〔かんき〕と申してまた〔完〕き器なり。】
器〔うつわ〕を完器〔かんき〕と言って、器と呼ぶにふさわしいものとなるのです。

【塹〔ほり〕・つゝみ〔堤〕漏らざれば水失せる事なし。】
塹〔ほり〕の堤が漏〔も〕れなければ、水が無くなる事はありません。

【信心のこゝろ全〔まった〕ければ】
信心の心が、間違いなければ、

【平等〔びょうどう〕大慧〔だいえ〕の智水〔ちすい〕乾く事なし。】
平等大慧の智慧の水が乾く事はないのです。

【今此の筒の御器〔ごき〕は固く厚く候上、】
今、あなたが供養された、この筒の御器〔ごき〕は、固く厚いうえに、

【漆〔うるし〕浄〔きよ〕く候へば、】
漆も浄らかなので、

【法華経の御信力の堅固なる事を顕はし給ふか。】
法華経への信力が堅固であることを顕しているのでしょう。

【毘沙門天〔びしゃもんてん〕は仏に四つの鉢を進〔まい〕らせて、】
毘沙門天は、仏に四つの鉢〔はち〕を供養して、

【四天下第一の福天と云はれ給ふ。】
四天下第一の福徳の多い天と言われました。

【浄徳〔じょうとく〕夫人は雲雷音王仏〔うんらいおんのうぶつ〕に】
浄徳夫人は、雲雷音王仏〔うんらいおんのうぶつ〕に

【八万四千の鉢を供養し進らせて妙音〔みょうおん〕菩薩と成り給ふ。】
八万四千の鉢〔はち〕を供養されて妙音〔みょうおん〕菩薩となられました。

【今法華経に筒御器〔つつごき〕三十、】
今、あなたは、法華経に筒御器〔つつごき〕三十と

【盞〔さかずき〕六十進〔まい〕らせて、】
杯〔さかずき〕六十を供養されたのですから、

【争〔いか〕でか仏に成らせ給はざるべき。】
どうして仏にならない事があるでしょうか。

【抑〔そもそも〕日本国と申すは十の名あり。】
さて、日本と言うものには、十の別の名があります。

【扶桑〔ふそう〕・野馬台〔やまと〕・水穂〔みずほ〕・】
扶桑〔ふそう〕、野馬台〔やまと〕、水穂〔みずほ〕、

【秋津洲〔あきつしま〕等なり。】
秋津洲〔あきつしま〕などです。

【別しては六十六箇国島二つ、長さ三千余里、広さは不定なり。】
別しては、六十六ヶ国と島二つで、長さは、三千余里、広さは、一定ではなく、

【或は百里、或は五百里等。】
または、百里、または、五百里などです。

【五畿〔き〕・七道、郡は五百八十六、郷は三千七百二十九、】
五畿、七道で、郡は、586、郷は、3729、

【田の代〔しろ〕は上田一万一千一百二十町乃至八十八万五千五百六十七町、】
田は、上田が1万1120町、乃至、88万5567町、

【人数は四十九億八万九千六百五十八人なり。神社は三千一百三十二社、】
人数は、498万9658人です。神社は、3132社、

【寺は一万一千三十七所、男は十九億九万四千八百二十八人、】
寺は、1万1037所で、男は、199万4828人、

【女は二十九億九万四千八百三十人なり。其の男の中に只日蓮第一の者なり。】
女は、299万4830人です。その男の中で日蓮は、第一の者です。

【何事の第一とならば、男女に悪〔にく〕まれたる第一の者なり。】
何の第一かと言えば、男女に憎まれる事が第一なのです。

【其の故は日本国に国多く人多しと云へども、】
その故は、日本に国が多く人が多いと言っても、

【其の心一同に南無阿弥陀仏を口ずさみとす。】
その心は、一様に南無阿弥陀仏を唱え、

【阿弥陀仏を本尊とし、九方を嫌〔きら〕ひて西方〔さいほう〕を願ふ。】
阿弥陀仏を本尊とし、九つの方角を嫌って西方極楽浄土だけを願っているのです。

【設〔たと〕ひ法華経を行ずる人も、真言を行なふ人も、戒を持つ者も、】
たとえ、法華経を修行する人も、真言を行じる人も、戒律を持(たも)つ者も、

【智者も愚人〔ぐにん〕も、余行を傍〔ぼう〕として念仏を正〔しょう〕とし、】
智者も、愚人も、念仏以外の修行を傍〔ぼう〕として念仏を正〔しょう〕とし、

【罪を消さん謀〔はかりごと〕は名号なり。】
罪を消す為の修行は、弥陀の名号を称えることだと思っているのです。

【故に或は六万・八万・四十八万返、或は十返・百返・】
それ故に、六万、八万、四十八万遍、あるいは、十遍、百遍、

【千返なり。而るを日蓮一人、】
千遍と唱えているのです。そのようなところに日蓮一人だけが、

【阿弥陀仏は無間〔むけん〕の業〔ごう〕、】
阿弥陀仏を称えるのは、無間地獄の業因であり、

【禅宗は天魔〔てんま〕の所為〔しょい〕、真言〔しんごん〕は亡国の悪法、】
禅宗は、天魔の所為であり、真言は、亡国の悪法であり、

【律宗持斎〔じさい〕等は国賊なりと申す故に、】
律宗や持斎等は、国賊であると言っているが故に、

【上一人より下万民に至るまで】
上は、国主から、下は、万民に至るまでが、

【父母の敵〔かたき〕・宿世の敵・謀叛〔むほん〕・】
父母の敵〔かたき〕、宿世の敵〔かたき〕、謀叛人〔むほんにん〕、

【夜討〔ようち〕・強盗よりも、或は畏〔おそ〕れ、或は瞋〔いか〕り、】
夜討〔ようち〕、強盗よりも恐れ、怒り、

【或は詈〔ののし〕り、或は打つ。】
または、罵〔ののし〕ったり、または、打ち据えたりするのです。

【是を訾〔そし〕る者には所領を与へ、】
そして、日蓮を謗〔そし〕る者には、所領を与え、

【是を讃〔ほ〕むる者をば其の内を出だし、或は過料〔かりょう〕を引かせ、】
日蓮を讃〔たた〕える者には、その場所を追放したり、または、罰金を科し、

【殺害したる者をば褒美〔ほうび〕なんどせらるゝ上、】
殺害した者には、褒美〔ほうび)を与えるなどとされたうえに、

【両度まで御勘気〔ごかんき〕を蒙〔こうむ〕れり。】
二度までも流罪にされたのです。

【当世第一の不思議の者たるのみならず、】
日蓮は、現在において、最も不思議な者と言うだけでなく、

【人王九十代、仏法渡りては七百余年なれども、】
人王九十代の間、仏法が日本に渡ってから、七百余年経つのですが、

【かゝる不思議の者なし。】
このように不思議な者は、いないのです。

【日蓮は文永の大彗星〔すいせい〕の如し、日本国に昔より無き天変なり。】
日蓮は、文永の大彗星であり、日本に過去から現在まで無かった天変であり、

【日蓮は正嘉の大地震の如し、】
日蓮は、正嘉の大地震であり、

【秋津洲〔あきつしま〕に始めての地夭〔ちよう〕なり。】
日本国、始まって以来の災いなのです。

【日本国に代〔よ〕始まりてより已〔すで〕に謀叛〔むほん〕の者二十六人。】
日本に世が始まって以来、現在まで、謀叛〔むほん〕の者は、二十六人います。

【第一は大山の王子、第二は大山の山丸、乃至、第二十五人は】
第一は、大山の王子、第二は、大石の山丸、乃至、第二十五人目は、

【頼朝〔よりとも〕、第二十六人は義時〔よしとき〕なり。】
源頼朝〔よりとも〕、第二十六人目は、北条義時〔よしとき〕です。

【二十四人は朝に責められ奉り、獄門に首を懸〔か〕けられ、】
前の二十四人は、朝廷に責められて獄門に首を懸〔か〕けられ、

【山野に骸〔かばね〕を曝〔さら〕す。】
山野に死骸〔しがい〕を曝〔さら〕しました。

【二人は王位を傾け奉り国中を手に拳〔にぎ〕る。】
後の二人は、王位を滅ぼし、国の実権を手に握ぎりました。

【王法既に尽きぬ。】
これを見れば、王法は、既〔まさ〕に尽きてしまったのです。

【此等の人々も日蓮が万人に悪〔にく〕まれたるには過ぎず。】
これらの人々も、日蓮が万人に憎まれた事には、およびません。

【其の由〔よし〕を尋ぬれば法華経には「最第一」の文あり。】
その理由を尋ねると、法華経には「最第一」と言う文章があるのです。

【然るを弘法〔こうぼう〕大師は法華最第三、】
それを弘法大師は「法華経は、第三」とし、

【慈覚〔じかく〕大師は法華最第二、智証〔ちしょう〕大師は慈覚の如し。】
慈覚大師は「法華経は、第二」としているのです。智証大師は、慈覚と同様です。

【今叡山〔えいざん〕・東寺・園城寺〔おんじょうじ〕の諸僧、】
今、比叡山や東寺や園城寺〔おんじょうじ〕の僧侶たちは、

【法華経に向かひては法華最第一と読めども、】
法華経に向っては「法華経は、最第一」と読んでいるけれども、

【其の義をば第二第三と読むなり。】
その義は「第二、第三」と読んでいるのです。

【公家と武家とは子細は知ろしめさねども、御帰依の高僧等】
公家と武家は、詳しい事は、知りませんが、自らが帰依している高僧などが、

【皆此の義なれば師檀〔しだん〕一同の義なり。】
皆、この邪義であるので、師と檀那ともに、同じ間違いを犯しているのです。

【其の外禅宗は教外〔きょうげ〕別伝〔べつでん〕云云。】
その他、禅宗は「教外に別伝」と言っています。

【法華経を蔑如〔べつじょ〕する言なり。】
これは、法華経を蔑〔ないがし〕ろにする言葉です。

【念仏宗は「千中〔せんちゅう〕無一〔むいち〕、】
念仏宗は「千中〔せんちゅう〕無一〔むいち〕、

【未有〔みう〕一人得者〔いちにんとくしゃ〕」と申す。】
未有〔みう〕一人得者〔いちにんとくしゃ〕」と言っています。

【心は法華経を念仏に対して】
その意味は、法華経を念仏に対して

【挙げて失ふ義なり。】
あまりに高い教えであり、衆生には、理解できないと言って、排撃しているのです。

【律宗は小乗なり。正法の時すら仏免〔ゆる〕し給ふ事なし、】
律宗は、小乗であり、正法の時でさえ、仏は、許される事はありませんでした。

【況〔いわん〕んや末法に是を行じて国主を誑惑〔おうわく〕し奉るをや。】
ましてや末法に、これを行じて、国主を惑わす事を、許されるはずはないのです。

【姐己〔だっき〕・】
殷の紂王(ちゅうおう)の妃、妲己〔だっき〕、

【妹喜〔まっき〕・】
夏王朝最後の王・桀〔けつ〕の妃、妹喜〔まっき〕、

【褒似〔ほうじ〕の三女が】
周王朝の幽〔ゆう〕王の妃、褒似〔ほうじ〕の三人の女性が

【三王を誑〔たぶら〕かして代〔よ〕を失ひしが如し。】
それぞれ三人の王を誑〔たぶら〕かして、世を亡ぼしたようなものなのです。

【かゝる悪法国に流布して法華経を失ふ故に、】
このような悪法が国に流布して、法華経を見失った為に、

【安徳・尊成〔たかひら〕等の大王、天照太神・正八幡に捨てられ給ひて、】
安徳天皇や後鳥羽天皇などは、天照太神と正八幡大菩薩に見捨てられて、

【或は海に沈み、或は島に放たれ給ひ、】
または、海に沈み、または、島に流されたりしたのです。

【相伝の所従〔しょじゅう〕等に傾けられ給ひしは、】
代々仕えてきた臣下などに滅ぼされたのは、

【天に捨てられさせ給ふ故ぞかし。】
諸天に捨てられたが故なのです。

【法華経の御敵を御帰依有りしかども、】
このように安徳天皇や後鳥羽天皇が法華経の敵〔かたき〕に帰依されたのですが、

【是を知る人なければ其の失を知る事もなし。】
これを知っている人がいなかったので、その過ちの深さを知る事もなかったのです。

【「智人は起〔き〕を知り蛇は自ら蛇を識〔し〕る」とは是なり。】
「智者は、物事の起こる原因を知り、蛇は、自ら蛇を識る」と言うのは、これです。

【日蓮は智人に非ざれども、蛇は竜の心を知り、】
日蓮は、智者では、ありませんが、蛇が竜の心を知り、

【烏〔からす〕の世の吉凶を計るが如し。】
烏〔からす〕が世の吉凶〔きっきょう〕を予見するように、

【此の事計りを勘〔かんが〕へ得て候なり。】
この事を予見し理解したからなのです。

【此の事を申すならば須臾〔しゅゆ〕に失〔とが〕に当たるべし。】
この事を世の中に教えるならば、たちまちのうちに非難されるでしょうし、

【申さずば又大阿鼻〔あび〕地獄に堕〔お〕つべし。】
教えなければ、大阿鼻地獄に堕ちるに違いありません。

【法華経を習ふには三の義有り。】
法華経を習学するには、謗人、謗家、謗国の三つの義を心得て置く必要があります。

【一には謗人〔ぼうにん〕、】
一には、謗人です。

【勝意〔しょうい〕比丘〔びく〕・苦岸〔くがん〕比丘・】
勝意〔しょうい〕比丘〔びく〕、苦岸〔くがん〕比丘、

【無垢〔むく〕論師・大慢〔だいまん〕婆羅門〔ばらもん〕等が如し。】
無垢〔むく〕論師、大慢〔だいまん〕婆羅門〔ばらもん〕などのような人々です。

【彼等は三衣を身に纒〔まと〕ひ、】
彼等は、袈裟〔けさ〕を身に纒〔まと〕い、

【一鉢〔いっぱち〕を眼に当てゝ、】
托鉢〔たくはつ〕の為の鉢〔はち〕のみを所有して、

【二百五十戒を堅く持ちて、而も大乗の讐敵〔しゅうてき〕と成りて】
二百五十戒を堅く持〔たも〕っていながら、しかも大乗の敵となって

【無間〔むけん〕大城〔だいじょう〕に堕〔お〕ちにき。】
無間大城に堕ちてしまったのです。

【今日本国の弘法〔こうぼう〕・慈覚・智証等は持戒は】
今、日本の弘法大師、慈覚大師、智証大師などが、戒を持〔たも〕つ姿は

【彼等が如く智慧は又彼の比丘に異ならず。】
まるで彼らのようであり、智慧は、また彼らと異なりません。

【但大日経真言第一、法華経第二第三と申す事、】
ただし「大日経、真言、第一、法華経、第二、第三」と言うのは、

【百千に一つも日蓮が申す様ならば無間大城にやおはすらん。】
千に一つでも、日蓮が言う通りであれば、無間大城に堕ちている事でしょう。

【此の事は申すも恐れあり。】
この事を言う事は、恐れ多いし、

【増して書き付くるまでは如何〔いかん〕と思ひ候へども、】
ましてや、書くのは、どうかと思いましたが、

【法華経最第一と説かれて候に、】
仏が法華経、法師品において、法華経が最第一であると説かれているのに、

【是を二・三等と読まん人を聞いて、】
これを第二、第三等と読む人を聞いていながら、

【人を恐れ国を恐れて申さずば】
人を恐れ、国を恐れて、言わなければ、

【「是〔これ〕即ち彼が怨〔あだ〕なり」と申して、】
妙楽大師の涅槃経疏、第八巻に「即ち是れ彼が怨〔あだ〕なり」と述べられており、

【一切衆生の大怨敵〔おんてき〕なるべき由、】
一切衆生の大怨敵となるであろうと言う事が、

【経と釈とにのせられて候へば申し候なり。】
経文と解釈書に説かれているので、言わざるを得ないのです。

【人を恐れず代〔よ〕を憚〔はばか〕らずと云ふ事】
人を恐れず、世をはばかることなく、この事を教えるのは、

【「我不愛〔がふあい〕身命〔しんみょう〕、】
法華経、勘持品の「我、身命を愛さず。

【但惜〔たんじゃく〕無上道〔むじょうどう〕」と申すは是なり。】
ただ、無上道を惜しむ」と言うのは、この事なのです。

【不軽〔ふきょう〕菩薩の悪口〔あっく〕】
不軽〔ふきょう〕菩薩が悪口〔あっく〕され、

【杖石〔じょうしゃく〕も他事に非ず、】
杖〔つえ〕や石で叩かれたのも、他人〔ひと〕ごとではないのです。

【世間を恐れざるに非ず。唯法華経の責めの苦〔ねんごろ〕なればなり。】
世間を恐れていないからではなく、ただ、法華経の責めが怖ろしいからなのです。

【例せば祐成〔すけなり〕・時宗〔ときむね〕が】
例えば、曾我祐成〔すけなり〕と曽我時致〔ときむね〕が、

【大将殿の陣の内を】
大将である源頼朝〔みなもとのよりとも〕のすぐ近くの富士野の狩場で、

【簡〔えら〕ばざりしは、】
場所を選ばず、仇討〔あだうち〕をしたのは、

【敵〔かたき〕の恋しく】
何としても、敵〔かたき〕を討ち取りたいと思う心が強く、敵〔かたき〕を討てずに

【恥の悲しかりし故ぞかし。此は謗人なり。】
恥を残す事が悲しかった故であり、これは、謗人なのです。

【謗家〔ぼうけ〕と申すは都〔すべ〕て一期〔いちご〕の間、法華経を謗ぜず、】
二の謗家と言うのは、一生の間、法華経を誹謗〔ひぼう〕せず、

【昼夜十二時に行ずれども、謗家〔ぼうけ〕に生れぬれば】
昼夜、修行をしても、謗法の家に生まれたならば、

【必ず無間〔むけん〕地獄〔じごく〕に堕〔お〕つ。】
必ず無間地獄に堕ちるのです。

【例せば勝意〔しょうい〕比丘〔びく〕・苦岸〔くがん〕比丘の家に生まれて、】
例えば、勝意〔しょうい〕比丘、苦岸〔くがん〕比丘の家に生まれて、

【或は弟子と成り、或は檀那〔だんな〕と成りし者共が】
弟子となったり、檀那となったりした者達が

【心ならず無間地獄に堕ちたる是なり。】
意志に反して無間地獄に堕ちたと言うのは、これなのです。

【譬〔たと〕へば義盛〔よしもり〕が方の者、】
例えば、和田義盛〔よしもり〕の一族は、

【軍〔いくさ〕をせし者はさて置きぬ、】
戦〔いくさ〕をした者は、さて置いて、

【腹の内に有りし子も産むを待たれず、】
腹の中にいた子供でさえも、生まれるのを待たずに、

【母の腹を裂かれしが如し。】
母の腹を切り裂かれて殺されたようなものです。

【今日蓮が申す弘法・慈覚・智証の三大師の】
今、日蓮が言うところの弘法大師と慈覚大師と智証大師の三大師が、

【法華経を正しく無明〔むみょう〕の辺域、虚妄〔こもう〕の法と書かれて候は、】
法華経を、無明の辺域、偽りの法などと書いていますが、

【若し法華経の文実ならば、】
もし、法華経の文章が真実であるならば、

【叡山〔えいざん〕・東寺〔とうじ〕・園城寺〔おんじょうじ〕・七大寺・】
比叡山の延暦寺、平安京の東寺、大津市園城にある三井寺、奈良の七大寺、

【日本一万一千三十七所の寺々の僧は如何が候はんずらん。】
日本の1万1037ヶ所の寺々の僧は、どうなることでしょうか。

【先例の如くならば無間大城疑ひ無し。是は謗家なり。】
先例の通りであるならば、無間大城に堕ちる事は、疑いなく、これは、謗家です。

【謗国〔ぼうこく〕と申すは、謗法の者其の国に住すれば】
三の謗国と言うのは、謗法の者が、その国に住んでいれば、

【其の一国皆無間大城になるなり。】
その国中の皆が無間大城に堕ちる事になるのです。

【大海へは一切の水集まり、其の国は一切の禍〔わざわい〕集まる。】
大海へ一切の水が集まるように、その国には、一切の災いが集まるのです。

【譬〔たと〕へば山に草木の滋〔しげ〕きが如し。】
譬えば、山に草木が繁〔しげ〕るようなものです。

【三災月々に重〔かさ〕なり、七難日々に来たる。】
三災は、月々に度重なり、七難は、日々に起こって来ます。

【飢渇〔けかち〕発〔お〕これば其の国餓鬼道〔がきどう〕と変じ、】
飢饉〔ききん〕が起これば、その国は、餓鬼道と変わり、

【疫病〔やくびょう〕重〔かさ〕なれば其の国地獄道となる。】
伝染病が度重〔たびかさ〕なれば、その国は、地獄となるのです。

【軍〔いくさ〕起これば其の国修羅道〔しゅらどう〕と変ず。】
戦争が起これば、その国は、修羅場と変わるのです。

【父母・兄弟・姉妹を簡〔えら〕ばず、妻とし、】
父母や兄弟や姉妹を妻としたり、

【夫と憑〔たの〕めば其の国畜生道となる。】
夫としていくならば、その国は、畜生道となるのです。

【死して三悪道に堕つるにはあらず。】
死んで三悪道に堕ちるのではなく、

【現身に其の国四悪道と変ずるなり。此を謗国〔ぼうこく〕と申す。】
現実の姿として、その国が四悪道と変わるのです。これを謗国と言うのです。

【例せば大荘厳仏〔だいしょうごんぶつ〕の末法、】
例えば、大荘厳仏〔だいしょうごんぶつ〕の末法や、

【師子音王仏〔ししおんのうぶつ〕の濁世〔じょくせ〕の人々の如し。】
師子音王仏〔ししおんのうぶつ〕の濁世の人々のようなものです。

【又報恩経に説かれて候が如きんば、】
また、報恩経に説かれている通りであるならば、

【過去せる父母・兄弟・姉妹一切の人死せるを食し、】
亡くなった父母や兄弟や姉妹を始め、すべて、人の死骸を食べ、

【又生きたるを食す。今日本国亦復〔またまた〕是くの如し。】
また、生きたままを食べるのです。今、日本国も、その通りになっているのです。

【真言師・禅宗・持斎〔じさい〕等人を食する者国中に充満せり。】
真言師や禅宗や持斎などで人を食べる者は、国中に充満しているのです。

【是偏〔ひとえ〕に真言の邪法より事起これり。】
これは、ひとえに真言の邪法から起こっているのです。

【竜象房が人を食らひしは万が一つ顕はれたるなり。】
竜象房が人を食べたのは、万のうちの一つが見つかっただけなのです。

【彼に習ひて人の肉を或は猪鹿に交へ、或は魚鳥に切り雑〔まじ〕へ、】
彼に見習って人の肉を、猪や鹿の肉に入れて、また、魚や鳥の肉に雑〔ま〕ぜて、

【或はたゝき加へ、或はすし〔鮨〕として売る。食する者数を知らず。】
加工し、鮨〔すし)として、売っているのです。これを食べた者は、数知れず、

【皆天に捨てられ、守護の善神に放されたるが故なり。】
皆、諸天に見捨てられ、守護の善神に見放された為なのです。

【結句は此の国他国より責〔せ〕められ、自国どし〔同志〕打ちして、】
結局は、この国は、他国から責められ、自国では、同士打ちをして、

【此の国変じて無間〔むけん〕地獄〔じごく〕と成るべし。】
この国、自体が変わって、無間地獄となってしまうでしょう。

【日蓮此の大なる失〔とが〕を兼ねて見し故に、】
日蓮は、この大なる間違いを兼ねてから、知っていた故に、

【与同罪〔よどうざい〕の失を脱れんが為、】
与同罪をのがれる為に、

【仏の呵責〔かしゃく〕を思ふ故に、知恩報恩の為国の恩を報ぜんと思ひて、】
また仏の叱責を思う故に、そして、知恩、報恩の為、国の恩を報じようと思って、

【国主並びに一切衆生に告げ知らしめしなり。】
国主と一切衆生に、この事を教え、知らせたのです。

【不殺生戒〔ふせっしょうかい〕と申すは一切の諸戒の中の第一なり。】
不殺生戒と言うのは、すべての戒の中の第一なのです。

【五戒の初めにも不殺生戒、八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・】
五戒の初めにも、不殺生戒があり、八戒、十戒、二百五十戒、五百戒、

【梵網〔ぼんもう〕の十重禁戒〔じゅうきんかい〕・華厳の十無尽戒・】
梵網〔ぼんもう〕の十重禁戒〔じゅうきんかい〕、華厳の十無尽戒、

【瓔珞経〔ようらくきょう〕の十戒等の初めには皆不殺生戒なり。】
瓔珞〔ようらく〕経の十戒などの初めには、皆、不殺生戒が置かれているのです。

【儒家〔じゅけ〕の三千の禁〔いまし〕めの中にも】
儒教で説く三千の刑罰の中にも

【大辟〔たいへき〕こそ第一にて候へ。其の故は「遍満〔へんまん〕三千界、】
斬首〔ざんしゅ〕が第一になっています。そのわけは「遍満〔へんまん〕三千界、

【無有直〔むうじき〕身命〔しんみょう〕」と申して、】
無有直〔むうじき〕身命〔しんみょう〕」と言って、

【三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし。】
三千大千世界に満ちる稀有な宝をもってしても、命にかえることは、できず、

【蟻子〔あり〕を殺す者尚地獄に堕つ、】
蟻〔あり〕を殺す者でさえ地獄に堕ちる、

【況んや魚鳥等をや。】
ましてや、魚や鳥などを殺す者は、なおさらなのです。

【青草を切る者猶〔なお〕地獄に堕〔お〕つ、】
青草を切る者でさえ、地獄に堕ちるのです。

【況〔いわ〕んや死骸〔しがい〕を切る者をや。】
ましてや、人の死骸を切る者は、なおさらなのです。

【是くの如き重戒なれども、法華経の敵〔かたき〕に成れば此を害するは】
このような重い戒では、ありますが、法華経の敵〔かたき〕に成るときは、

【第一の功徳と説き給ふなり、】
これを殺害するのは、第一の功徳であると説かれているのです。

【況んや供養を展〔の〕ぶべきをや。】
ましてや供養を行ってよいことがあるでしょうか。

【故に仙予国王は五百人の法師を殺し、】
故に涅槃経の聖行品にある仙予国王は、大乗経典を誹謗した五百人の婆羅門を殺し、

【覚徳比丘は無量の謗法者を殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺し給ひき。】
覚徳比丘は、無量の謗法の者を殺し、阿育大王は、十万八千人の外道を殺しました。

【此等の国王・比丘等は閻浮〔えんぶ〕第一の賢王、持戒第一の智者なり。】
これらの国王や比丘などは、世界第一の賢王であり、持戒、第一の智者なのです。

【仙予国王は釈迦仏、覚徳比丘は迦葉〔かしょう〕仏、】
仙予国王は、釈迦仏となり、覚徳比丘は、迦葉仏となりました。

【阿育大王は得道の仁なり。今日本国も又是くの如し。】
阿育大王は、得道の人であるのです。今、日本国も、また同様なのです。

【持戒・破戒・無戒・王臣・万民を論ぜす、】
日本は、持戒、破戒、無戒、王臣、万民を問わず、

【一同の法華経誹謗〔ひぼう〕の国なり。】
みな、同じく法華経を誹謗している国なのです。

【設〔たと〕ひ身の皮をは〔剥〕ぎて法華経を書き奉り、】
たとえ、身の皮を剥いで法華経を書写し、

【肉を積んで供養し給ふとも、】
肉を積んで供養したとしても、

【必ず国も滅び、身も地獄に堕〔お〕ち給ふべき大なる科〔とが〕あり。】
必ず、国も滅び、身も地獄に堕ちるべき、大きな科〔とが〕があるのです。

【唯真言宗・念仏宗・禅宗・持斎〔じさい〕等の身を】
ただ、真言宗、念仏宗、禅宗、持斎などを禁じて、

【禁〔いまし〕めて法華経によせよ。】
法華経に帰依すべきです。

【天台の六十巻を空〔そら〕に浮かべて国主等には智人と思はれたる人々の、】
天台の六十巻を暗記して、国主などには、智人と思われている人々が、

【或は智の及ばざるか、或は知れども世を恐るゝかの故に、】
または、智慧が及ばないのか、または、知っていながら、世間を恐れる故か、

【或は真言宗をほめ、或は念仏・禅・律等に同ずれば、】
真言宗を褒〔ほ〕めたり、または、念仏、禅、律などに同じることは、

【彼等が大科には百千超へて候。例せば成良〔しげよし〕・】
彼らの罪科よりも百千倍、超えているのです。例えば、田口成良〔しげよし〕や

【義村〔よしむら〕等が如し。】
三浦義村〔よしむら〕などの裏切りのようなものです。

【慈恩〔じおん〕大師は玄賛〔げんさん〕十巻を造りて】
慈恩大師は、法華玄賛〔げんさん〕十巻を造って、

【法華経を讃〔ほ〕めて地獄に堕つ。】
法華経を讃嘆して地獄に堕ちています。

【此の人は太宗〔たいそう〕皇帝の御師、玄奘〔げんじょう〕三蔵の上足、】
それは、この人は、太宗〔たいそう〕皇帝の師である、玄奘三蔵の高弟であり、

【十一面〔じゅういちめん〕観音〔かんのん〕の後身と申すぞかし。】
十一面観音の後身と言われた人です。

【音〔こえ〕は法華経に似たれども、心は爾前〔にぜん〕の経に同ずる故なり。】
説いている事は、法華経のようであるけれども、心は、爾前経と同じだったのです。

【嘉祥〔かじょう〕大師は法華玄十巻を造りて、】
嘉祥〔かじょう〕大師は、法華玄論十巻を造って、

【既に無間地獄に堕〔お〕つべかりしが、法華経を読む事を打ち捨てゝ、】
もう少しで無間地獄に堕ちるところでしたが、我見で法華経を読むことを止めて、

【天台大師に仕へしかば、地獄の苦を脱れ給ひき。】
天台大師に仕えたので、地獄の苦を脱れられました。

【今法華宗の人々も又是くの如し。】
今、法華宗の人々も、また同様なのです。

【比叡山〔ひえいざん〕は法華経の御住所、日本国は一乗の御所領なり。】
比叡山は、法華経の道場であり、日本は、一乗、法華経が治めるべき国土なのです。

【而るを慈覚〔じかく〕大師は法華経の座主〔ざす〕を奪ひ取りて】
それを慈覚大師は、比叡山の法華経の座主〔ざす〕を奪い取って、

【真言の座主となし、三千の大衆も又其の所従〔しょじゅう〕と成りぬ。】
真言の座主とし、三千人の大衆も、また、その従者となってしまったのです。

【弘法大師は法華宗の檀那〔だんな〕にて】
弘法大師は、法華宗の檀那〔だんな〕であった

【御坐〔おわ〕します嵯峨〔さが〕の天皇を奪〔うば〕ひ取りて、】
嵯峨天皇を奪い取って、

【内裏〔だいり〕を真言宗の寺と成せり。】
内裏〔だいり〕を真言宗の寺としてしまったのです。

【安徳天皇は明雲〔みょううん〕座主〔ざす〕を師として、】
安徳天皇は、比叡山延暦寺の明雲〔みょううん〕座主〔ざす〕を師として、

【頼朝〔よりとも〕の朝臣〔あそん〕を調伏〔じょうぶく〕せさせ給ひし程に、】
源頼朝〔みなもとのよりとも〕などの朝廷の臣下たちを調伏しようとしたところ、

【右大将殿に罰せらるゝのみならず、安徳は西海に沈み、】
逆に右大将である源頼朝に罰せられただけでなく、安徳天皇自身は、西海に沈み、

【明雲は義仲〔よしなか〕に殺され給ひき。】
延暦寺の明雲〔みょううん〕は、源義仲〔よしなか〕に殺されてしまいました。

【尊成〔たかひら〕王は天台座主慈円〔じえん〕僧正〔そうじょう〕、】
尊成〔たかひら〕王は、天台座主の慈円〔じえん〕僧正〔そうじょう〕や

【東寺御室〔おむろ〕並びに四十一人の高僧等を奉請〔ほうしょう〕し下し、】
東寺、御室〔おむろ〕の仁和寺〔にんなじ〕、また、41人の高僧などに命じて、

【内裏に大壇を立てゝ】
内裏〔だいり〕に密教修法の際の護摩〔ごま〕壇を築いて、

【義時右京権〔うきょうのごんの〕大夫殿を調伏せし程に、】
源義時〔みなもとのよしとき〕右京権〔うきょうのごんの〕大夫を調伏したところ、

【七日と申せし六月十四日に洛陽破れて王は隠岐〔おき〕国、】
七日目の六月十四日に京都は、破れて、上皇方は、または、隠岐の国、

【或は佐渡島に遷〔うつ〕さらる、座主・御室は或は責〔せ〕められ、】
または、佐渡の島に流され、天台座主や御室〔おむろ〕は、または、責められ、

【或は思ひ死に給ひき。世間の人々此の根源を知る事なし。】
または、悲観して死んだりしました。世間の人々は、この理由を知らないのです。

【此偏〔ひとえ〕に法華経・大日経の勝劣に迷へる故なり。】
これは、ひとえに法華経と大日経の優劣に迷ったことにあるのです。

【今も又日本国、大蒙古国の責めを得て、】
今も、また日本国は、大蒙古国から責められて、

【彼の不吉の法を以て御調伏を行なはると承る。】
この不吉な真言の法をもって、調伏しようとしていると聞いております。

【又日記分明なり。】
この結果は、いままでの経過から明らかなのです。

【此の事を知らん人争〔いか〕でか歎〔なげ〕かざるべき。】
この事を知る人は、どうして嘆〔なげ〕かずにいられましょうか。

【悲しいかな、我等誹謗〔ひぼう〕正法の国に生まれて大苦に値はん事よ。】
このように誹謗正法の国に生まれ、大苦にあうとは、なんと悲しい事でしょうか。

【設〔たと〕ひ謗身〔ぼうしん〕は脱ると云ふとも、】
たとえ謗身〔ぼうしん〕は、自らの行いで脱〔のが〕れても、

【謗家〔ぼうけ〕謗国〔ぼうこく〕の失〔とが〕如何〔いかん〕せん。】
謗家〔ぼうけ〕、謗国〔ぼうこく〕の罪は、どうしたら、よいのでしょうか。

【謗家の失を脱れんと思はゞ、】
謗家〔ぼうけ〕の失を脱れようと思うならば、

【父母兄弟等に此の事を語り申せ。】
まず、父母や兄弟等に、この事を話して聞かせてください。

【或は悪〔にく〕まるゝか、或は信ぜさせまいらするか。】
憎〔にく〕まれるか、または、信じさせられるかでしょう。

【諸国の失を脱れんと思はゞ、】
謗国〔ぼうこく〕の罪を脱れようと思うならば、

【国主を諌暁〔かんぎょう〕し奉りて死罪か流罪かに行なはらるべきなり。】
国主を諌〔いさ〕めて、死罪か流罪かに処せられるべきです。

【「我不愛〔がふあい〕身命〔しんみょう〕、】
法華経、勧持品に「我、身命を愛せず。

【但惜〔たんじゃく〕無上道〔むじょうどう〕」と説かれ】
ただ、無上道を惜しむ」と説かれ、

【「身軽〔しんきょう〕法重〔ほうじゅう〕、死身〔ししん〕弘法〔ぐほう〕」と】
章安大師の涅槃経疏に「身は軽く、法は重し。身を死して法を弘む」と

【釈せられしは是なり。】
解釈されているのは、この事です。

【過去遠々劫〔おんのんごう〕より今に仏に成らざりける事は、】
過去、遠々劫〔おんのんごう〕から、今に至るまで、仏に成れなかったのは、

【加様の事に恐れて云ひ出ださゞりける故なり。】
このような事が、あった時に、恐れて言い出さなかった故なのです。

【未来も亦復〔またまた〕是くの如くなるべし。】
未来も、またまた同じでしょう。

【今日蓮が身に当たりてつみ知られて候。】
そのことは、今、日蓮自身の現実をもって知ることができるのです。

【設ひ此の事を知る弟子等の中にも、当世の責めのおそろしさと申し、】
この事を知る弟子などの中にも、現在の世の責めの恐ろしさに、

【露の身の消え難きに依りて、】
露のような身でありながら、消えてしまうようには、見えない現実の生に執着して、

【或は落ち、或は心計〔ばか〕りは信じ、或はと〔左〕かう〔右〕す。】
または、退転し、または、心の中だけで信じ、または、様々な姿を示しています。

【御経の文に「難信〔なんしん〕難解〔なんげ〕」と説かれて候が】
法華経、法師品に「信じ難〔がた〕く、解〔げ〕し難し」と説かれていますが、

【身に当たって貴く覚え候ぞ。】
それが現実になって、ほんとうに法華経は、真実であると尊く思われます。

【謗ずる人は大地微塵〔みじん〕の如し。】
誹謗する人は、大地微塵のように多く、

【信ずる人は爪上〔そうじょう〕の土の如し。謗ずる人は大海、】
信ずる人は、爪の上の土のように少なく、誹謗する人は、大海の水のように多く、

【進む人は一渧〔いってい〕なり。】
その中を法華経を持〔たも〕ち、進む人は、一滴の水のように少ないのです。

【天台山に竜門と申す所あり。其の滝百丈なり。】
天台山に竜門と言う所があり、その滝の高さは、約300mです。

【春の始めに魚集まりて此の滝へ登るに、】
春の始めに魚が集まって、この滝を登ろうとしますが、

【百千に一つも登る魚は竜と成る。】
百千のうちに一匹も登れないのです。登った魚は、竜と成ると言います。

【此の滝の早き事矢にも過ぎ、電光にも過ぎたり。】
この滝の流れの速いことは、弓矢以上であり、電光以上なのです。

【登りがたき上に、春の始めに此の滝に漁父集まりて】
このように滝自体が登れないのに、春の初めには、この滝に漁師が集まって、

【魚を取る網を懸〔か〕くる事百千重、或は射〔い〕て取り、或は酌〔く〕んで取る。】
魚を採る網を数多くかけ、または、射て採り、または、すくって採るのです。

【鷲〔わし〕・鵰〔くまたか〕・鴟〔とび〕・梟〔ふくろう〕・】
また、鷲〔わし〕、くまたか、鴟〔とび〕、梟〔ふくろう〕、

【虎・狼・犬・狐集まりて昼夜に取り噉〔くら〕ふなり。】
虎、狼、犬、狐が集まって、昼夜に取って食べるのです。

【十年二十年に一つも竜となる魚なし。】
その為に十年、二十年に一匹も、竜に成る魚は、いません。

【例せば凡下の者の昇殿〔しょうでん〕を望み、】
例えば、身分の低い普通の者が、貴族となって昇殿〔しょうでん〕を望み、

【下女が后〔きさき〕と成らんとするが如し。】
下働きの女性が天皇の后〔きさき〕となろうとするようなものなのです。

【法華経を信ずる事、此にも過ぎて候と思〔おぼ〕し食〔め〕せ。】
法華経を信ずる事は、この事よりも難しいと思ってください。

【常に仏禁〔いまし〕めて言はく、何なる持戒智慧高く御坐〔おわ〕して、】
常に仏は、戒めて言われていますが、どんなに戒律を持ち、智慧が高くても、

【一切経並びに法華経を進退せる人なりとも、】
一切経や法華経の文章を自在に出し入れする人であっても、

【法華経の敵〔かたき〕を見て、責〔せ〕め罵〔の〕り国主にも申さず、】
法華経の敵〔かたき〕を見ておきながら、責め、罵〔ののし〕り、国主にも言わず、

【人を恐れて黙止〔もだ〕するならば、必ず無間大城に堕〔お〕つべし。】
人を恐れて黙っているならば、必ず無間大城に堕ちることでしょう。

【譬〔たと〕へば我は謀叛〔むほん〕を発〔お〕こさねども、】
例えば、自分は、謀叛〔むほん〕を起こさなくても、

【謀叛の者を知りて国主にも申さねば、】
謀叛〔むほん〕の者を知りながら、国主に知らせなければ、

【与同罪〔よどうざい〕は彼の謀叛の者の如し。】
与同罪〔よどうざい〕は、その謀叛〔むほん〕の者と同じなのです。

【南岳〔なんがく〕大師〔だいし〕の云はく「法華経の讐〔あだ〕を見て】
南岳大師は、「法華経の敵を見て

【呵責〔かしゃく〕せざる者は謗法の者なり、】
呵責〔かしゃく〕しない者は、謗法の者なり。

【無間地獄の上に堕ちん」と。見て申さぬ大智者は、】
無間地獄に堕ちる」と言われています。見て言わない大智者は、

【無間の底に堕ちて彼の地獄の有らん限りは出づるべからず。】
無間地獄の底に堕ちて、地獄がある限りは、出る事は、できないのです。

【日蓮此の禁めを恐るゝ故に、国中を責めて候程に、】
日蓮は、この戒めを恐れるが故に国中の謗法を責めたところ、

【一度ならず流罪死罪に及びぬ。】
一度ならず二度も流罪になり、死罪に及んだのです。

【今は罪も消え過〔とが〕も脱れなんと思ひて、】
今は、その罪も消え、科〔とが〕も脱れたであろうと思い、

【鎌倉を去りて此の山に入って七年なり。】
鎌倉を去って、この山に入って、もはや七年になります。

【此の山の為体〔ていたらく〕】
この山の様子は、次のようです。

【日本国の中には七道あり。七道の内に東海道十五箇国、】
日本国の中には、七道があります。七道の内には、東海道十五か国があります。

【其の内に甲州飯野〔いいの〕御牧〔みまき〕】
その中に甲州の飯野〔いいの〕、御牧〔みまき〕、波木井〔はぎり〕の

【三箇郷の内、波木井と申す。】
三つの郷の内、波木井〔はぎり〕と言うところです。

【此の郷の内、戌亥〔いぬい〕の方に入りて二十余里の深山あり。】
この郷の中の西北の方角に入って、20余里にわたって深い山があります。

【北は身延〔みのぶ〕山、南は鷹取〔たかとり〕山、】
北は、身延山、南は、鷹取〔たかとり〕山、

【西は七面山、東は天子山なり。板を四枚つい立てたるが如し。】
西は、七面山、東は、天子山であり、四方を板、四枚で、つい立てにしたようです。

【此の外を回りて四つの河あり。】
この外を四つの河が取り囲んでいます。

【北より南へ富士河、西より東へ早河、此は後なり。】
北から南へは、富士河、西から東へは、早河があり、これは、後ろです。

【前に西より東へ波木井河の中に一つの滝あり。】
前には、西から東へは、波木井河があり、その支流の内に、ひとつの滝があって、

【身延河と名づけたり。】
身延河と名付けられています。

【中天竺〔てんじく〕の鷲峰〔じゅほう〕山を此処に移せるか、】
その険しさは、インドの霊鷲山〔りょうじゅせん〕を、ここへ移したのでしょうか。

【将又〔はたまた〕漢土の天台山の来たれるかと覚ゆ。】
それとも、また中国の天台山が移って来たのかと思うほどです。

【此の四山四河の中に、手の広さ程の平らかなる処あり。】
この四つの山と四つの河の間に、手のひら程の平らな所があり、

【爰〔ここ〕に庵室を結んで天雨を脱れ、木の皮をはぎて四壁とし、】
ここに庵室を造って雨を避け、木の皮をはいで四方の壁とし、

【自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨〔わらび〕を折りて身を養ひ、】
自然に死んだ鹿の皮を衣とし、春は、蕨〔わらび〕を折って、身を養い、

【秋は果を拾ひて命を支〔ささ〕へ候ひつる程に、】
秋は、果実を拾って、命を支えてきましたが、

【去年十一月より雪降り積り、】
去年11月から雪が降り積もって、

【改年の正月今に絶ゆる事なし。】
年が改まった正月の今に至るまで絶えることがありません。

【庵室は七尺、雪は一丈。】
庵室の高さは、2mなのに、雪は、3mも積もり、

【四壁は氷を壁とし、軒のつらゝは道場荘厳の瓔珞〔ようらく〕の玉に似たり。】
四方の壁は、氷を壁となり、軒のつららは、道場を荘厳する瓔珞の玉のようです。

【内には雪を米と積〔つ〕む。】
室内には、雪を米の代わりとして積んでいます。

【本より人も来たらぬ上、雪深くして道塞〔ふさ〕がり、問ふ人もなき処なれば、】
もとより人も来ないうえに、雪が深く、道が塞がり、訪問する人もいない所なので、

【現在に八寒地獄の業を身につぐの〔償〕へり。】
現在には、八寒地獄の業を身で償〔つぐな〕っているのです。

【生きながら仏には成らずして、又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり。】
生きながら仏には、成らずに、むしろ、寒苦鳥〔かんくちょう〕に似ています。

【頭は剃る事なければうづら〔鶉〕の如し。】
頭は、寒さで剃る事ができないので、鶉〔うずら〕のようになっており、

【衣は氷にとぢられて鴛鴦〔おし〕の羽を氷の結べるが如し。】
衣は、氷に閉ざされて、おしどりの羽を氷が結んだようです。

【かゝる処へは古〔いにし〕へ眤〔むつ〕びし人も問〔とぶ〕らはず、】
このような所へは、昔から親しかった人も訪れず、

【弟子等にも捨てられて候ひつるに、】
弟子などにも見捨てられていたところ、

【是の御器〔ごき〕を給〔た〕びて雪を盛りて飯と観じ、】
この御器〔ごき〕を頂いて、雪を盛って飯と思い、

【水を飲んでこん〔漿〕ずと思ふ。志のゆく所思ひ遣〔や〕らせ給へ。】
水を飲んで重湯と思っています。志のゆくまま、思いやりください。

【又々申すべく候。恐々謹言。】
またまた、申し上げましょう。恐れながら謹しんで申し上げます。

【弘安三年正月二十七日    日蓮花押】
弘安3年1月27日    日蓮花押

【秋元太郎兵衛殿御返事】
秋元太郎兵衛殿御返事


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