日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


大田乗明等御消息文 17 慈覚大師事


【慈覚大師事 弘安三年一月二七日 五九歳】
慈覚大師事 弘安3年1月27日 59歳御作

【鵞眼〔ががん〕三貫・絹袈裟一帖給〔た〕び了〔おわ〕んぬ。】
銭三貫文と絹の袈裟〔けさ〕一帖を頂きました。

【法門の事は秋元太郎兵衛尉〔ひょうえのじょう〕殿御返事に】
法門の事は、秋元太郎兵衛尉〔ひょうえのじょう〕殿への手紙に

【少々注して候。御覧有るべく候。】
少々、書いておきました。御覧ください。

【なによりも受け難き人身、値〔あ〕ひ難き仏法に値ひて候に、】
何よりも受けるのが難しい人身を受け、会うのが難しい仏法にあったのです。

【五尺の身に一尺の面〔かお〕あり。其の面の中に三寸の眼〔まなこ〕二つあり。】
五尺の身に一尺の顔があり、その顔の中に三寸の眼が二つあります。

【一歳より六十に及んで多くの物を見る中に、】
一歳から六十歳に及んで、多くの物を見る中で、

【悦ばしき事は法華最第一の経文なり。】
悦ばしいことは、法華最第一の経文です。

【あさましき事は、慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云はく】
あさましいことは、慈覚大師が金剛頂経の頂の一字を解釈して言った次の言葉です。

【「言ふ所の頂とは、諸の大乗の法の中に於て】
それは、「言うところの頂とは、諸の大乗の法の中に於いて

【最勝にして過上無き故に、頂を以て之〔これ〕に名づく。乃至】
最勝にして、この上にも超えるものがない故に、頂をもってこれに名付く。(中略)

【人の身の頂〔いただき〕最も為〔こ〕れ勝るゝが如し。乃至】
人の身の中で頭が最も優れているようなものである。(中略)

【法華に云はく、是法住法位と。】
法華に、是の法は法位に住して世間の相常住なりと、

【今正しく此の秘密の理を顕説す。故に金剛頂と云ふなり」云云。】
今、正しく、この秘密の理を顕わしている。故に金剛頂と言う」と言う事です。

【又云はく「金剛は宝の中の宝なるが如く此の経も亦〔また〕爾〔しか〕なり。】
また「金剛は、宝の中の宝であるように、この経も、またそうである。

【諸〔もろもろ〕の経法の中に最も為れ第一にして】
諸々の経法の中で最第一であって、

【三世の如来の髻〔もとどり〕の中の宝なる故に」等云云。】
三世の如来の髻〔もとどり〕の束の中の宝である故に」などと述べています。

【此の釈の心は法華最第一の経文を奪ひ取りて】
この解釈の意味は、法華経が最第一であると言う経文を奪い取って

【金剛頂経に付くるのみならず】
金剛頂経に付与すると言うだけではなく、さらに金剛頂経の頂の一字は、

【「如人〔にょにん〕之身〔ししん〕頂最為勝〔ちょうさいいしょう〕」の】
「人の身の頭が最も優れているようなものである」との

【釈の心は法華経の頭〔こうべ〕を切りて真言経の頂とせり。】
解釈の意味は、法華経の頭を切って、真言経の頭にしていると言う事なのです。

【此即ち鶴の頸〔くび〕を切って蝦〔かえる〕の頸に付けゝるか。】
これは、鶴の首を切って、蝦〔かえる〕の首にすげかえているようなもので、

【真言の蟆〔かわず〕も死しぬ、】
真言経の蟆〔かえる〕も死んでしまい、

【法華経の鶴の御頸も切れぬと見へ候。】
また、法華経の鶴の首も切れてしまったと見えます。

【此こそ人身うけたる眼の不思議にては候へ。】
この慈覚大師の謗法の解釈こそ、人身うけた者の凡夫の眼には、奇妙に見えます。

【三千年に一度花開くなる優曇花〔うどんげ〕は】
三千年に一度だけ花が開くと言う優曇花〔うどんげ〕は、

【転輪聖王〔てんりんじょうおう〕此を見る。】
転輪聖王〔てんりんじょうおう〕だけが見分ることができるのです。

【究竟円満の仏にならざらんより外は】
究竟〔くきょう〕円満の仏にならない限りは、

【法華経の御敵は見しらさんなり。】
法華経の敵〔かたき〕は、見分けることはできません。

【一乗のかたき〔敵〕夢のごとく勘へ出だして候。】
しかるに日蓮は、一乗の法華経の敵〔かたき〕を、夢のように見分けたのです。

【慈覚大師の御はか〔墓〕はいづれのところに有りと】
その事について言うと慈覚大師の墓は、どこそこにあると言う事を

【申す事き〔聞〕こへず候。】
聞いた事がありません。

【世間に云ふ、御頭は出羽国立石寺〔りっしゃくじ〕に有り云云。】
世間で言うところによると、首は、出羽の国の立石寺にあるそうです。

【いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか。】
このことは、頭と身とは、別の場所に有ると言う事なのでしょうか。

【明雲〔みょううん〕座主は義仲に頭を切られたり。】
延暦寺の明雲〔みょううん〕座主は、木曽義仲に首を切られました。

【天台座主を見候へば、伝教大師はさてをきまいらせ候ひぬ。】
代々の天台座主を見ると、伝教大師は、明らかですから、置くとして、

【第一義真・第二円澄、此の両人は法華経を正とし、】
第一代座主、義真と第二代座主、円澄の、この二人は、法華経を正とし、

【真言を傍〔ぼう〕とせり。】
真言を傍〔ぼう〕としました。

【第三の座主慈覚大師は真言を正とし、法華経を傍とせり。】
第三代の座主、慈覚大師は、真言経を正とし、法華経を傍〔ぼう〕としました。

【其の已後〔いご〕の代々の座主は相論にて思ひ定むる事無し。】
それ以後、代々の座主は、両方の論議があって、どちらとも決めなかったのです。

【第五十五並びに第五十七の二代は明雲大僧正座主なり。】
延暦寺55代、57代座主の二代の座主は、明雲〔みょううん〕大僧正です。

【此の座主は安元〔あんげん〕三年五月日、】
この座主は、安元3年5月某日に、

【院勘を蒙〔こうむ〕りて伊豆国え配流、】
後白河法皇の命令によって、伊豆へ流罪になったところ、

【山僧大津〔おおつ〕にて奪ひ取る。後、】
比叡山の僧たちが大津において奪い返した後、

【治承〔じしょう〕三年十一月に座主となりて】
治承3年11月19日に再び座主になって、

【源〔みなもとの〕右将軍頼朝を調伏〔じょうぶく〕せし程に、】
源〔みなもと〕の右将軍頼朝を調伏〔じょうぶく〕した為に、

【寿永〔じゅえい〕二年十一月十九日義仲に打たれさせ給ふ。】
寿永2年11月19日、木曽義仲に打たれたのです。

【此の人生けると死ぬと二度大難に値〔あ〕へり。】
この人は、生きている時、また、死ぬ時と二度も大難にあっています。

【生の難は仏法の定例〔じょうれい〕、】
生きている時の難は、仏法では、あたりまえの例であり、

【聖賢の御繁盛の花なり。】
聖人、賢人にとっては、正しい事をしている証拠となります。

【死の後の恥辱は悪人・愚人・】
しかし、死んだ後の恥辱〔ちじょく〕は、悪人や愚者、

【誹謗正法の人の招くわざわいなり。】
また、誹謗正法の人が招いたところの災いなのです。

【所謂大慢ばら〔婆羅〕門・須利〔しゅり〕等なり。】
いわゆる、大慢婆羅門〔ばらもん〕や須利〔しゅり〕などと、よく似ています。

【粗〔ほぼ〕此を勘へたるに、明雲より一向に真言の座主となりて後、】
この事を考えると明雲〔みょううん〕から、真言の座主と成り果てた後、

【今に三十余代一百余年が間、】
今まで三十余代にわたる百余年の間、

【一向真言座主にて法華経の所領を奪へるなり。】
ずっと真言の座主であって、法華経から比叡山を奪い取ってしまったのです。

【しかれば此等の人々は釈迦・多宝・十方の諸仏の】
そうであるからこそ、これらの人々は、釈迦、多宝、十方の諸仏に対して

【大怨敵〔おんてき〕、梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の】
大怨敵であり、梵天、帝釈、日天、月天、四天王、天照太神、正八幡大菩薩などの

【御讐敵〔しゅうてき〕なりと見えて候ぞ。】
諸天善神の宿敵と思われるのです。

【我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給ふべし。】
我が弟子たちは、この意味を理解して法門を考えてください。

【恐々謹言。】
恐れながら謹しんで申し上げます。

【正月廿七日    日蓮花押】
1月27日   日蓮花押

【大田入道殿御返事】
大田入道殿御返事


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