御書研鑚の集い 御書研鑽資料
大田乗明等御消息文 19 曾谷二郎入道殿御報
【曾谷二郎入道殿御報 弘安四年閏七月一日 六〇歳】
曾谷二郎入道殿御報 弘安4年7月1日 60歳御作
【去ぬる七月十九日の消息同じく三十日に到来〔とうらい〕す。】
先月の7月19日の手紙が、同月の30日に到着いたしました。
【世間の事は且〔しばら〕く之を置く。】
世間の事は、しばらく置くとして、
【専〔もっぱ〕ら仏法に逆らふこと法華経第二に云はく】
ただ、仏法に逆らう事について言えば、法華経、第二巻の譬喩品には、
【「其の人命終〔みょうじゅう〕して阿鼻獄〔あびごく〕に入らん」等云云。】
「その人、命終して阿鼻獄に入る」などと説かれています。
【問うて云はく、其の人とは何等の人を指すや。】
それでは、この法華経に説いている人とは、どのような人を指すのでしょうか。
【答へて云はく、次上に云はく】
それは、その経文の少し前に
【「唯我一人〔いちにん〕のみ能く救護〔くご〕を為す、】
「ただ我一人のみ、よく救護をなす。
【復教詔〔きょうしょう〕すと雖も而〔しか〕も信受せず」と。】
また教詔〔きょうしょう〕すと、いえども、しかも信受せず」と説かれ、
【又云はく「若し人信ぜず」と。】
また「もし人、信ぜず」と説かれ、
【又云はく「或は復顰蹙〔ひんじゅく〕す」と。】
また「あるいは、また顰蹙〔ひんじゅく〕す」と説かれ、
【又云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て、】
また「経を読誦し書持する者を見て、
【軽賤〔きょうせん〕憎嫉〔ぞうしつ〕して結恨を懐〔いだ〕かん」と。
軽賤〔きょうせん〕憎嫉〔ぞうしつ〕して、恨みを抱く」と説かれています。
【又第五に云はく】
また、法華経、第五巻の従地湧出品には、
【「疑ひを生じて信ぜざらん者は即ち当に悪道に堕〔お〕つべし」と。】
「疑いを生じて信ぜざる者は、即ち当に悪道に堕つべし」と説かれています。
【第八に云はく】
また、法華経、第八巻の普賢菩薩勘発品には、
【「若し人有って、之を軽毀〔きょうき〕して言はん、汝は狂人ならくのみ。】
「若し人有って之を軽毀して言わん。汝は狂人ならくのみ。
【空〔むな〕しく是の行を作〔な〕して、】
むなしく、この行をなして、
【終〔つい〕に獲〔う〕る所無けん」等云云。】
ついに獲〔う〕る所なし」などと説かれています。
【其の人とは此等の人々を指すなり。】
法華経、譬喩品の、その人とは、これらの経文に説かれている人々を指すのです。
【彼の震旦〔しんだん〕国の天台大師は南北の十師等を指すなり。】
中国の天台大師は、南北の十人の学匠を指して、その人に当たるとしています。
【此の日本国の伝教大師は六宗の人々と定むるなり。】
日本国の伝教大師は、南都六宗の人々を指して、その人に当たるとしています。
【今日蓮は弘法・慈覚・智証等の三大師並びに】
いま日蓮は、弘法大師、慈覚大師、智証大師などの三大師、並びに、
【三階・道綽〔どうしゃく〕・善導等を指して其の人と云ふなり。】
中国の信行、道綽〔どうしゃく〕、善導などを指して、その人と言っているのです。
【入阿鼻獄とは涅槃の第十九に云はく】
また、入阿鼻獄と言うことについては、涅槃経、第十九に
【「仮使〔たとい〕一人〔いちにん〕独り是の獄に堕つるも其の身長大にして】
「たとえ、一人だけで、この獄に堕ちても、その身は、長大にして、
【八万由延〔ゆえん〕ならん。其の中間に遍満〔へんまん〕して空処無く、】
八万由延〔ゆえん〕なり。その中にあって充満して隙間なく、
【其の身周匝〔しゅうそう〕して種々の苦を受く。】
その身が周りに密着して種々の苦を受く。
【設ひ多人有りて身亦遍満すとも相妨碍〔ぼうげ〕せず」と。】
たとえ多人数であって、その身が充満すとも、互いに妨害せず」と説かれています。
【同じく三十六に云はく「沈没〔ちんもつ〕して阿鼻地獄に在って、】
同じく涅槃経、第三十六には「沈没〔ちんもつ〕して、阿鼻地獄に在つて、
【受くる所の身形〔しんぎょう〕は】
受くる所の身の形は、
【縦広〔じゅうこう〕八万四千由旬〔ゆじゅん〕ならん」等云云。】
縦の長さ、八万四千由旬なり」などと説かれています。
【普賢経に云はく「方等経を謗じ、】
仏説普賢菩薩行法経には「方等経を謗〔そし〕り、
【是の大悪報応〔まさ〕に悪道に堕つべきこと暴雨にも過ぎん。】
この大悪報によって、まさに悪道に堕つべきこと暴雨にも過ぎる。
【必定〔ひつじょう〕して阿鼻地獄なり」等とは入阿鼻獄是なり。】
必定にして当に阿鼻地獄に堕つ」などと説かれているのは、入阿鼻獄の事なのです。
【日蓮が云はく、夫〔それ〕日本国は道は七、国は六十八箇国、】
日蓮が言うのには、日本と言うのは、道は、七道、国は、六十八ヵ国、
【郡は六百四、郷は一万余、長さは三千五百八十七里なり。】
郡は、六百四、郷は、一万余であり、長さは、三千五百八十七里なのです。
【人数は四十五億八万九千六百五十九人、或は云はく、】
人の数は、458万9659人、あるいは、
【四十九億九万四千八百二十八人なり。】
499万4828人です。
【寺は一万一千三十七所、社〔やしろ〕は三千一百三十二社なりと。】
寺院は、1万1037所、社は、3132社です。
【今法華経の入阿鼻獄とは此等の人々を指すなり。】
いま法華経に説かれる入阿鼻獄と言うのは、これらの人々を指すのです。
【問うて云はく、衆生に於て悪人・善人の二類有り。】
それでは、衆生には、悪人と善人の二種類がいますが、
【生処〔しょうしょ〕も又善悪の二道有るべし。】
それならば、生まれる所にも、また善と悪との二道があるはずです。
【何ぞ日本国の一切衆生一同に入阿鼻獄の者と定むるや。】
どうして日本の一切衆生が一同に入阿鼻獄の者と決めつけるのでしょうか。
【答へて云はく、人数多しと雖も業を造ること是一なり。】
それは、人数は、多いけれども、造る業は、一つなのです。
【故に同じく阿鼻獄と定むるなり。】
それ故に同じく阿鼻獄と言うのです。
【疑って云はく、日本国の一切衆生の中、或は善人或は悪人あり。】
しかしながら日本の一切衆生の中には、あるいは、善人、あるいは、悪人がいます。
【善人とは五戒・十戒乃至二百五十戒等なり。】
善人とは、五戒、十戒、また二百五十戒などの戒律を持〔たも〕つ人です。
【悪人とは殺生・偸盗〔ちゅうとう〕乃至五逆・十悪等是なり。】
悪人と言うのは、殺生、窃盗、または、五逆、十悪などを犯す人です。
【何ぞ一業と言はんや。】
どうして、それを一つの業であると言うのでしょうか。
【答へて云はく、夫〔それ〕小善・小悪は異なると雖も、】
それは、小善と小悪の違いはあっても、
【法華経の誹謗に於ては善人・悪人・智者・愚者】
法華経への誹謗においては、善人、悪人、智者、愚者の
【倶〔とも〕に妨〔さまた〕げ之無し。是の故に同じく入阿鼻獄と云ふなり。】
違いはないのです。この故に、みんな一同に入阿鼻獄と言うのです。
【問うて云はく、何を以てか日本国の一切衆生一同に法華誹謗の者と言ふや。】
それでは、何をもって日本の一切衆生を一様に法華誹謗の者と言うのでしょうか。
【答へて云はく、日本国の一切衆生衆多〔しゅた〕なりと雖も】
それは、日本の一切衆生は、数が多いと言っても
【四十五億八万九千六百五十九人には過ぎず。】
458万9659人に過ぎません。
【此等の人々貴賤〔きせん〕上下の勝劣有りと雖も、】
これらの人々に貴賎上下の優劣があると言っても、
【是くの如き人々の憑〔たの〕む所は唯三大師に在り。】
この人々が、たのみとするところは、ただ三大師なのです。
【師とする所は三大師を離るゝこと無し。】
師とするところは、ただ、この三大師を離れることはないのです。
【設ひ余残の者有りと雖も信行・善導等が家を出づるべからざるなり。】
三大師以外の者がいたとしても、信行、善導などの宗派を出ることは、ありません。
【問うて云はく、三大師とは誰人〔たれびと〕なりや。】
それでは、その三大師とは、誰のことでしょうか。
【答へて云はく、弘法・慈覚・智証の三大師なり。】
それは、弘法大師、慈覚大師、智証大師の三大師のことです。
【疑って云はく、此の三大師は何の重科〔じゅうか〕有るに依って】
それでは、重ねて尋ねますが、この三大師に、どのような重大な罪があって、
【日本国の一切衆生を経文の其の人の内に入るゝや。】
日本の一切衆生を法華経、譬喩品の文章の中の、その人に入れたのでしょうか。
【答へて云はく、此の三大師は大小乗持戒の人、】
それは、この三大師は、大乗教、小乗教の戒を持〔たも〕った人であり、
【面〔おもて〕には八万の威儀〔いぎ〕を備へ或は三千等之を具す。】
表向きは、八万の威儀〔いぎ〕をそなえ、三千の威儀〔いぎ〕など持〔たも〕った
【顕密〔けんみつ〕兼学〔けんがく〕の智者なり。】
顕密〔けんみつ〕学の智者であり、
【然れば則ち日本国四百余年の間、】
そうである故に、日本の、これまでの四百余年の間、
【上一人より下万民に至るまで之を仰ぐこと】
上一人から、下万民に至るまで、この三大師を仰ぎ見ることは
【日月の如く、之を尊むこと世尊の如し。】
まるで日月のようであり、尊ぶ、その姿は、まるで世尊を見るようでした。
【猶徳の高きことは須弥〔しゅみ〕にも超え智慧の深きことは】
そのうえ、その徳の高いことは、須弥山をも超え、智慧の深いことは、
【蒼海〔そうかい〕にも過ぐるが如し。】
青い海にも過ぎるほどであったのです。
【但恨むらくは法華経を大日真言に相対して勝劣を判ずる時、】
ただ、残念なことは、法華経を大日真言経に相対して優劣を判断する時に、
【或は戯論〔けろん〕の法と云ひ、或は第二第三と云ひ、】
法華経を戯論〔けろん〕の法と言い、あるいは、第二の劣、第三の劣と言い、
【或は教主をば無明の辺域と名づけ、】
あるいは、教主を無明の辺域と名付け、
【或は行者をば盗人と名づく。】
あるいは、行者を盗人〔ぬすっと〕と名付けているのです。
【彼の大荘厳仏〔だいしょうごんぶつ〕の末の】
仏蔵経、中巻によると、大荘厳仏〔だいしょうごんぶつ〕の末の
【六百四万億那由他の四衆の如し。各々業因異なりと雖も師の】
604万億那由他の僧侶や信者の男女は、各々、業因は、異っていたのですが、
【苦岸〔くがん〕等の四人と倶に】
邪見の師、苦岸〔くがん〕などの四人と共に、
【同じく無間〔むけん〕地獄に入りぬ。】
同じく無間地獄に堕ちてしまいました。
【又師子音王仏〔ししおんのうぶつ〕の末法の】
また、諸法無行経巻下によると、師子音王〔ししおんのう〕仏の末法の世において
【無量無辺の弟子等の中に、貴賎の異なり有りと雖も】
無量無辺の弟子たちの中にも、貴賎による違いがあったのですが、
【同じく勝意が弟子たるが故に、】
同じく、諸法実相を教えていた喜根菩薩を誹謗した勝意比丘の弟子となった為に、
【一同に阿鼻大城に堕ちぬ。】
一同ともに阿鼻地獄に堕ちてしまったのです。
【今の日本国も亦復是くの如し。】
今、日本の人々も、また同じなのです。
【去ぬる延暦〔えんりゃく〕・弘仁〔こうにん〕年中に、】
去る延暦〔えんりゃく〕から弘仁〔こうにん〕年間に、
【伝教大師六宗の弟子檀那等を呵責〔かしゃく〕する語に云はく】
伝教大師が奈良の六宗の弟子や信者などを破折して言った言葉として
【「其の師の堕つる所弟子も亦堕つ。弟子の堕つる所檀越〔だんのつ〕も亦堕つ。】
守護国界章に「その師の堕ちる所、弟子もまた堕つ、弟子の堕ちる所、信者また堕つ。
【金口〔こんく〕の明説慎まざるべけんや慎まざるべけんや」等云云。】
金口〔こんく〕の明説を聞いて慎〔つつし〕むべきである」などとあります。
【疑って云はく、汝が分斉〔ぶんざい〕に何を以てか三大師を破するや。】
しかしながら、あなたのような低い身分で、何をもって三大師を非難するのか。
【答へて云はく、予敢〔あ〕へて彼の三大師を破せざるなり。】
それは、私は、あえて、この三大師を非難しているのではありません。
【問うて云はく、汝が上の義如何〔いかん〕。】
それでは、あなたが先に述べた意味は、どういう事なのですか。
【答へて云はく、月氏より漢土・本朝に渡る所の経論五千七千余巻なり。】
それは、インドより中国、日本に渡った経論は、五千七千余巻ありますが、
【予粗〔ほぼ〕之を見るに、】
日蓮が、ほぼ、これらの経論を見ると、
【弘法・慈覚・智証に於ては世間のことは且く之を置く。】
弘法大師、慈覚大師、智証大師に於いては、世間の罪は、しばらく置くとして、
【仏法に入っては謗法第一の人々と申すなり。】
仏法によって見るならば、謗法第一の人々であると言うことなのです。
【大乗を誹謗する者は箭〔や〕を射るよりも早く地獄に堕つるとは】
大乗を誹謗〔ひぼう〕する者は、矢を射るよりも早く地獄に堕ちるとは、
【如来の金言〔きんげん〕なり。】
如来の金言〔きんげん〕なのです。
【将又〔はたまた〕謗法罪の深重〔じんじゅう〕なることは】
そして、また謗法の罪が深く重いことについては、
【弘法・慈覚等も一同に定め給ひ畢んぬ。】
弘法大師、慈覚大師なども、また同じく定められているところです。
【人の語は且く之を置く。】
人の言葉は、しばらく、これを置くとしても、
【釈迦・多宝二仏の金言虚妄〔こもう〕ならずんば、】
釈迦牟尼仏、多宝如来の二仏の金言〔きんげん〕が虚妄でないならば、
【弘法・慈覚・智証に於ては定めて無間大城に入らん。】
弘法大師、慈覚大師、智証大師は、必ず無間大城に入り、
【十方分身の諸仏の舌堕落せずんば、日本国中の四十五億八万九千六百五十九人の】
十方分身の諸仏の証明の言葉が間違いないならば、日本国中の458万9659人の
【一切衆生、彼の苦岸等の弟子檀那等の如く】
一切衆生は、あの苦岸〔くがん〕比丘などの弟子や信者などのように、
【阿鼻地獄に堕ち、熱鉄〔ねってつ〕の上に於て】
阿鼻地獄に堕ちて、熱い鉄の上に、
【仰ぎ臥〔ふ〕して九百万億歳、伏臥〔ふくが〕して九百万億歳、】
九百万億歳の間、上向きに置かれて、さらに九百万億歳の間、下向きに置かれて、
【左脇に臥して九百万億歳、右脇に臥して九百万億歳、】
九百万億歳の間、左向きに置かれて、九百万億歳の間、右向きに置かれて、
【是くの如く熱鉄の上に在って三千六百万億歳にして、】
このような熱い鉄の上の状態で三千六百万億歳を送ることになるのです。
【然して後、此の阿鼻より転じて他方に生まれて大地獄に有り。】
その後、この阿鼻地獄から、別の世界に生まれては、また大地獄に堕ちて、
【無数百千万億那由他歳大苦悩を受けん。】
無数百千万億那由他歳の間、大苦悩を受けるのです。
【彼は小乗経を以て権大乗を破するに】
苦岸〔くがん〕比丘は、小乗経をもって権大乗を破っただけで、
【罪を受くること是くの如し。況んや今の三大師は】
このような罪を受けたのです。ましてや、今、この三大師は、
【未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず、】
未顕真実の経文によって、三世の仏陀の本懐の説を破るのみでなく、
【剰〔あまつさ〕へ一切衆生成仏の道を失ふ。深重〔じんじゅう〕の罪は】
さらには、一切衆生の成仏の道を閉ざしているのです。この深く重い罪は、
【過・現・未来の諸仏も争〔いか〕でか之を窮〔きわ〕むべけんや。】
過去、現在、未来の諸仏も、どうして、これを糾弾しない事があるでしょうか。
【争でか之を救ふべけんや。】
また、どうして、これを救うことができるでしょうか。
【法華経の第四に云はく】
法華経の第四巻の法師品には、
【「已〔すで〕に説き、今説き、当〔まさ〕に説かん。】
「已〔すで〕に説き、今説き、当〔まさ〕に説く。
【而も其の中に於て此の法華経、最も為〔こ〕れ難信難解なり」と。】
しかも、その中に於いて、この法華経、最も難信、難解なり」と説かれ、
【又云はく「最も其の上に在り」と、】
また、法華経、安楽行品には「最も、その上にあり」と説かれ、
【並びに薬王の十喩等云云。】
さらに、法華経、薬王菩薩本事品の十の譬喩で法華経最第一が説かれているのです。
【他経に於ては、華厳・方等・般若・深密〔じんみつ〕・大雲〔だいうん〕・】
他経においては、華厳、方等、般若、深密〔じんみつ〕、大雲〔だいうん〕の諸教、
【密厳〔みつごん〕・金光明経等の諸経の中に、経々の勝劣之を説くと雖も、】
密厳〔みつごん〕、金光明などの諸教の中に、優劣を説くとは、言っても、
【或は小乗経に対して此の経を第一と曰〔い〕ひ、】
あるいは、小乗経に対して、この経は、第一であると言い、
【或は真俗二諦に対して中道を第一と曰〔い〕ひ、】
あるいは、真俗二諦に対して、中道は、第一であると言い、
【或は印・真言等に対して第一と為〔な〕す。此等の説有りと雖も全く】
あるいは、印と真言などを説く事を第一としているのです。これらの説があっても、
【已今当の第一に非ざるなり。】
そこで言っている事は、全く、過去、現在、未来においての第一では、ないのです。
【然〔しか〕るに末〔すえ〕の論師・人師等、】
そうであるのに、末の論師、人師などは、長年にわたって
【謬執〔みょうしゅう〕の年積もり門徒又繁多なり。】
間違った教えに執着し、また多くの人々が、信徒となってしまったのです。
【爰に日蓮彼の依経に無き由を責むるの間、】
ここで、日蓮は、これらの経文では、成仏することが出来ない理由を述べたので、
【弥〔いよいよ〕瞋恚〔しんに〕を懐〔いだ〕きて是非を糾明せず。】
いよいよ、怒り狂って、その理由を考えもしないで、
【唯大妄語を構へて国主・国人等を誑惑〔おうわく〕し、日蓮を損ぜんと欲す。】
ただ、大妄語を構えて、国主、国民をだまし、日蓮に危害を加えようとしたのです。
【衆箇〔あまた〕の難を蒙〔こうむ〕らしむるのみに非ず、】
そして多くの難を与えたのみならず、
【両度の流罪剰〔あまつさ〕へ頸〔くび〕の座に及ぶ是なり。】
伊豆と佐渡の二度の流罪と、竜の口の頚〔くび〕の座に及んだのです。
【此等の大難忍び難き事、不軽の杖木〔じょうもく〕にも過ぎ】
これらの大難の忍び難いことは、不軽菩薩への杖や木による殴打にも過ぎ、
【将又〔はたまた〕勧持の刀杖〔とうじょう〕にも越えたり。】
また、法華経、勧持品の刀や杖の難にも超えています。
【又法師品の如くんば、末代に法華を弘通せん者は如来の使ひなり。】
また、法華経、法師品には、末代に法華経を弘通する者は、如来の使いである。
【此の人を軽賤〔きょうせん〕するの輩の罪は、】
この人を軽蔑する者の罪は、
【教主釈尊を一中劫に蔑如〔べつじょ〕するに過ぎたり等云云。】
教主釈尊を一中劫の間、軽蔑することよりも過ぎたりと説かれています。
【今日本国には提婆達多・大慢〔だいまん〕婆羅門〔ばらもん〕等が如く、】
今、日本には、提婆達多、大慢〔だいまん〕婆羅門〔ばらもん〕などのように、
【無間地獄に堕つべき罪人は、国中三千五百八十七里の間に満つる所の】
無間地獄に堕ちる事になっている罪人が、3587里の国中に
【四十五億八万九千六百五十九人の衆生之有り。】
458万9659人もいるのです。
【彼の提婆・大慢等の無極〔むごく〕の重罪を、】
あの提婆達多や大慢〔だいまん〕婆羅門〔ばらもん〕などの、とんでもない重罪も、
【此の日本国の四十五億八万九千六百五十九人に対せば】
この日本国の458万9659人の罪に対するならば、
【軽罪〔きょうざい〕の中の軽罪なり。其の理如何。】
軽い罪の中の軽い罪なのです。それは、どういう理由に依るのでしょうか。
【答ふ彼等は悪人たりと雖も全く法華を誹謗する者には非ざるなり。】
それは、彼等が悪人であるとしても、まったく法華を誹謗した者ではないのです。
【又提婆達多は恒河〔ごうが〕第二の人、】
また、提婆達多は、涅槃経三十六巻に説くところの信而不信の恒河第二の人であり、
【第二は一闡提〔いっせんだい〕なり。】
第二の一闡提〔いっせんだい〕なのです。
【今の日本国の四十五億八万九千六百五十九人は皆恒河第一の罪人なり。】
今、日本国の458万9659人、すべて解而不信の恒河第一の罪人なのです。
【然れば則ち提婆が三逆罪は軽毛〔けいもう〕の如く、】
したがって提婆達多の三逆罪は、軽い毛のようなものであり、
【日本国の挙ぐる所の人々の重罪は猶〔なお〕大石の如し。】
日本の上に挙げたところの人々の重い罪は、大石のようなものなのです。
【定めて梵釈日本国を捨て、】
梵天王、帝釈天などの諸天善神も日本を捨て去り、
【同生〔どうしょう〕同名〔どうめい〕も国中の人を離れ、】
同生天、同名天も国中の人々の肩から離れてしまうことは、間違いないでしょう。
【天照太神・八幡大菩薩も争〔いか〕でか此の国を守護せん。】
天照太神、八幡大菩薩も、どうして、この国を守護するでしょうか。
【去ぬる治承〔じしょう〕等の八十一・二・三・四・五代の五人の大王、】
去る治承〔じしょう〕の時代に、第81代から第85代までの天皇と、
【頼朝・義時と此の国を御諍ひ有って、天子と民との合戦なり。】
源頼朝、北条義時とが、この国を争って、それは、天皇と民衆との合戦でした。
【猶鷹駿〔ようしゅん〕と金鳥〔こんちょう〕との勝負の如くなれば、】
まるで鷹と鳳凰〔ほうおう〕との勝負のようなものであったので、
【天子の頼朝等に勝ること必定〔ひつじょう〕なり、決定なり。】
天皇が頼朝などに勝つことは、間違いないはずだったのです。
【然りと雖も五人の大王負け畢〔おわ〕んぬ。】
しかし、五人の天皇は、負けてしまったのです。
【兎〔うさぎ〕、師子王に勝ちしなり。】
まるで、これでは、兎が師子王に勝ったようなものです。
【負くるのみに非ず、】
それも、ただ負けただけではなく、
【剰へ或は蒼海〔そうかい〕に沈み或は島々に放たる。】
あるいは、深海に沈み、あるいは、島々に流されたのです。
【誹謗法華未だ年歳〔ねんさい〕を積まざる時猶以て是くの如し。】
法華経誹謗の年月が、それほどに積もらない時ですら、このようであったのです。
【今度は彼には似るべきにあらず。彼は但国中の災ひ許〔ばか〕りなり。】
今度は、その時の比ではないのです。この時は、ただ国の中だけの災いだけでした。
【其の故に粗之を見るに、蒙古の牒状〔ちょうじょう〕の已前、】
そのわけを考えると、蒙古の牒状〔ちょうじょう〕以前に、
【去ぬる正嘉・文永等の大地震・大彗星の告げに依って】
正嘉、文永などの大地震、大彗星の出現を見ることによって、
【再三之を奏すと雖も、国主敢へて信用無し。】
再三、このことを上奏しましたが、国主は、あえて、用いることをしませんでした。
【然るに日蓮が勘文〔かんもん〕粗〔ほぼ〕仏意〔ぶっち〕に叶ふかの故に】
しかし、日蓮の勘文〔かんもん〕が、ほぼ、仏意に適〔かな〕った為か、
【此の合戦既に興盛〔こうじょう〕なり。】
蒙古との合戦が、現実に起こっているのです。
【此の国の人々、今生には一同に修羅道に堕し、】
この国の人々は、今生には、一同に修羅道に堕ち、
【後生には皆阿鼻大城に入らんこと疑ひ無き者なり。】
後生には、皆、阿鼻大城に入ることは、疑いないのです。
【爰〔ここ〕に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり。然りと雖も】
仏法の上では、あなたと日蓮とは、師弟の一分なのです。しかし、そうであっても、
【有漏〔うろ〕の依身〔えしん〕は国主に随ふ故に】
煩悩によって左右される凡夫の身体は、国主に従わなければ、ならない故に、
【此の難に値わんと欲するか。】
この他国侵逼難にあおうと思っておられるのでしょうか。
【感涙〔かんるい〕押さへ難し、何〔いず〕れの代にか対面を遂げんや。】
感涙、押え難く、いずれの時代にか、対面を遂げましょう。
【唯一心に霊山浄土を期〔ご〕せらるべきか。】
ただ一心に霊山浄土を願ってください。
【設ひ身は此の難に値ふとも心は仏心に同じ。】
たとえ、身は、この他国侵逼難にあうとも、心は、仏の心と同じなのです。
【今生には修羅道に交はるとも後生は必ず仏国に居〔こ〕せん。】
今生は、修羅道にあっても、後生は、必ず仏国土に居ることでしょう。
【恐々謹言。】
恐れながら謹しんで申し上げます。
【弘安四年閏〔うるう〕七月一日 日蓮花押】
弘安4年7月1日 日蓮花押
【曾谷二郎入道殿御返事】
曾谷二郎入道殿御返事