日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


大田乗明等御消息文 13 太田左衛門尉御返事


【太田左衛門尉御返事 弘安元年四月二三日 五七歳】
太田左衛門尉御返事 弘安1年4月23日 57歳御作

【当月十八日の御状、同じき廿三日の午〔うま〕の刻〔こく〕計〔ばか〕りに】
今月18日の御手紙が23日の正午頃に

【到来、軈〔やが〕て拝見仕〔つかまつ〕り候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
届きました。すぐに拝見しましたが、

【御状の如く、御布施〔ふせ〕鳥目〔ちょうもく〕十貫文・太刀一・】
御手紙にあるように布施として銭十貫文と太刀一振り、

【五明〔おうぎ〕一本・焼香二十両給び候。】
および扇〔おおぎ〕一本、焼香二十両を頂きました。

【抑〔そもそも〕専ら御状に云はく、】
概ね、御手紙に述べられているのには、

【某〔それがし〕今年は五十七に罷〔まか〕り成〔な〕り候へば】
私は、今年は、五十七歳になりましたから、

【大厄の年かと覚へ候。】
大厄の年かと思います。

【なにやらんして正月の下旬の比〔ころ〕より】
その為かどうか知りませんが、正月の下旬より

【卯月の此〔こ〕の比〔ごろ〕に至り候まで身心に苦労多く出来候。】
四月の今頃まで、身心ともに苦しく悩む事が多く出て来ました。

【本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して】
もとより人の身を受ける者は、必ず身心に数々の病いが続いて

【五体に苦労あるべしと申しながら、更〔ことさら〕に云云。】
五体に苦労があると言いますが、それにしても、非常に状態が悪いとのことです。

【此の事最第一の歎き事なり。】
この人生に苦しみが、つきまとう事は、最第一の嘆〔なげ〕くべきことです。

【十二因縁と申す法門あり。】
仏法に十二因縁と言う法門がありますが、

【意は我等が身は諸苦を以て体と為す。】
その意味は、我らの身は、数々の苦悩をもって本体としていると言う事です。

【されば先世に業を造る故に諸苦を受け、】
それと言うのも、過去世に業を作る故に数々の苦悩を受け、

【先世の集〔じゅう〕煩悩〔ぼんのう〕が諸苦を招き集め候。】
過去世の業が現在の一箇所に集まり、煩悩が数々の苦悩を招き集めるのです。

【過去の二因現在の五果、現在の三因未来の両果とて、】
過去の二因、現在の五果、現在の三因、未来の二果といって、過去、現在、未来の

【三世次第して一切の苦果を感ずるなり。】
三世にわたって、順番に一切の苦悩を結果として感じるのです。

【在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて、】
釈尊、在世、当時の声聞、縁覚の二乗は、これらの数々の苦悩を滅しようとして、

【空理に沈み、灰身〔けしん〕滅智〔めっち〕して菩薩の勤行精進の志を忘れ、】
空理に沈み、身を灰にし、智を滅して、菩薩の修行を勤め行い、精進する志を忘れ、

【空理を証得せん事を真極〔しんごく〕と思ふなり。】
空理を悟ることを真理の究極と思い込んだのです。

【仏方等の時、此等の心地を弾呵〔だんか〕し給ひしなり。】
そこで仏は、方等を説いた時に、これらの二乗の心を糾弾されたのです。

【然るに生を此の三界に受けたる者】
そもそも生を、この欲界、色界、無色界の三界に受けた者で

【苦を離るゝ者あらんや。】
苦悩を離れている者がいるのでしょうか。

【羅漢〔らかん〕の応供〔おうぐ〕すら猶〔なお〕此くの如し。】
供養を受ける資格を得た阿羅漢でさえ、苦悩を免〔まぬが〕れなかったのです。

【況〔いわ〕んや底下〔ていげ〕の凡夫をや。】
ましてや、賤〔いや〕しく、劣っている凡夫においては、なおさらでしょう。

【さてこそいそぎ生死を離るべしと勧〔すす〕め申し候へ。】
そうであるからこそ、急いで生死の苦悩を離れなさいと勧めるのです。

【此等〔これら〕体〔てい〕の法門はさて置きぬ。】
このような十二因縁などの法門は、さて置くことにしましょう。

【御辺〔ごへん〕は今年は大厄と云云。】
あなたは、今年は、大厄であると言われています。

【昔伏羲〔ふっき〕の御〔ぎょ〕宇〔う〕に、黄河と申す河より】
昔、伏羲〔ふっき〕の時代に、黄河と言う大河から、

【亀と申す魚、八卦〔はっけ〕と申す文を甲に負ひて浮き出でたり。】
亀が、八卦〔はっけ〕と言う文字を甲羅に背負って浮き上がって来ました。

【時の人此の文を取り挙げて見れば、】
その時代の人が、この文字を取り上げて読んでみれば、

【人の生年より老年の終はりまで厄の様を明かしたり。】
人の生まれる年から、老年の死の終わりまでの、厄の有様を明かしていました。

【厄年の人の危ふき事は、少水に住む魚を】
厄年の人の危うい事は、水が減った川や池の魚を、

【鴟〔とび〕・鵲〔かささぎ〕なんどが伺〔うかが〕ひ、】
鴟〔とび〕や鵲〔かささぎ〕などが狙い、

【灯の辺〔ほとり〕に住める夏の虫の火中に入らんとするが如くあやうし。】
また、火の辺りにいる夏の虫が、火の中に入ろうとするように危ういのです。

【鬼神やゝもすれば此の人の神〔たましい〕を伺ひなや〔悩〕まさんとす。】
鬼神は、どうかすると、この人の精神を狙い悩まそうとするのです。

【神内〔しんない〕と申す時は諸の神、身に在りて万事心に叶ふ。】
神内と言う時は、諸神が、その身の内にあるから、どんな事でも思うようになり、

【神外〔しんがい〕と申す時は諸の神、識の家を出でて万事を見聞するなり。】
逆に神外と言う時は、諸神が識の家を出て、外の、あらゆる事を見聞きしています。

【当年は、御辺は神外と申して、諸神他国へ遊行すれば】
今年は、あなたは、神外と言って、諸神が他国へ巡り歩いているので、

【慎んで除災得楽を祈り給ふべし。】
慎んで災〔わざわい〕を除き、楽を得るようにしてください。
 
【又木性の人にて渡らせ給へば、】
また、あなたは、陰陽五行説で言う木性の人ですから、

【今年は大厄なりとも春夏の程は何事か渡らせ給ふべき。】
今年は、大厄であっても、春と夏の頃は、何事もないでしょう。

【至門性〔しもんしょう〕経に云はく「木は金に遇ふて抑揚〔よくよう〕し、】
至門性〔しもんしょう〕経に「木は、金に出あって、抑揚〔よくよう〕し、

【火は水を得て光り滅し、土は木に値ひて時に痩〔や〕せ、】
火は、水を得て、光が滅し、土は、木によって、時には、痩せ、

【金は火に入りて消え失せ、水は土に遇ふて行かず」等云云。】
金は、火に入って、消え失せ、水は、土に妨げられて流れない」などとあります。

【指して引き申すべき経文にはあらざれども、】
これは、特別に引いて言うほどの経文では、ありませんが、

【予が法門は四悉檀〔しつだん〕を心に懸けて申すなれば、】
私の法門は四悉檀を心掛けて説くならば、

【強〔あなが〕ちに成仏の理に違はざれば、】
とりたてて成仏の道理に違わない限りは、

【且〔しばら〕く世間普通の義を用ゆべきか。】
とりあえず世間の普通の道理を用いることができるのです。

【然るに法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり。】
しかしながら、法華経と言う経文は、身心の諸病の良薬なのです。

【されば経に云はく「此の経は則ち為〔こ〕れ閻浮提の人の病の良薬なり。】
ですから法華経、薬王品には「この経は、すなわち閻浮提の人の病の良薬なり。

【若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば】
もし、人が病であっても、この経を聞くことを得れば

【病即消滅して不老不死ならん」等云云。】
病、即消滅して不老不死になる」などとあります。

【又云はく「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云。】
また、薬草喩品には「現世は、安穏にして、後生には善処となる」などとあります。

【又云はく「諸余の怨敵皆悉く摧滅〔さいめつ〕せん」等云云。】
また薬王品には「諸余の怨敵、ことごとく摧滅〔さいめつ〕す」などとあります。

【取〔と〕り分〔わ〕け奉る御守りの方便品・寿量品、】
法華経の中から選りすぐり、御守りとして方便品、寿量品を書いて差し上げます。

【同じくは一部書きて進〔まい〕らせ度〔た〕く候へども、】
同じ事であるなら、法華経一部を、すべて書いて差し上げたいと思ったのですが、

【当時は去り難き隙〔ひま〕ども入る事候へば】
今は、どうしても時間の必要な用事があるので、

【略して二品奉り候。】
略して方便品、寿量品の二品を差し上げる事としました。

【相構〔あいかま〕へ相構へて御身を離さず】
よくよく用心して、たえず身体から離さず、

【重ねつゝみ〔包〕て御所持有るべき者なり。】
重ね包んで、御所持してください。

【此の方便品と申すは迹門の肝心なり。】
この方便品と言うのは、法華経迹門の肝心なのです。

【此の品には仏、十如実相の法門を説きて十界の衆生の成仏を明かし給へば、】
この品には、仏が十如、実相の法門を説いて、十界の衆生の成仏を明かされたので、

【舎利弗等は此を聞きて無明の惑を断じ真因の位に叶ふのみならず、】
舎利弗は、この法門を聞いて無明の惑を断じ、

【未来華光〔けこう〕如来〔にょらい〕と成りて、】
成仏すべき真実の因の位を得ただけでなく、未来に華光如来となって

【成仏の覚月〔かくげつ〕を離垢〔りく〕世界の暁の空に詠〔えい〕ぜり。】
成仏の月を、離垢〔くり〕世界の暁の空に、眺〔なが〕める事ができたのです。
 
【十界の衆生の成仏の始めは是なり。当時の念仏者・真言師の人々、】
十界の衆生の成仏の最初が、これなのです。今の時代の念仏者や真言師の人々が

【成仏は我が依経に限れりと深く執するは、】
成仏は、自宗の依りどころとする経に限られると深く執着しているのは、

【此等の法門を習学せずして、】
法華経、方便品の、これらの法門を学び習わないで、

【未顕真実の経に説く所の】
未だ真実を顕わしていない経文に説かれているところの

【名字計りなる授記を執する故なり。】
名目だけの未来、成仏の保証に執着しているからなのです。

【貴辺は日来〔ひごろ〕は此等の法門に迷ひ給ひしかども、】
あなたは、今まで、いつも、これらの法門に迷われていましたが、

【日蓮が法門を聞きて、賢者なれば本執を】
日蓮の法門を聞いて、賢者なので、執着の心を、

【忽〔たちま〕ちに翻〔ひるがえ〕し給ひて、】
ただちに翻〔ひるがえ〕されて、

【法華経を持ち給ふのみならず、結句〔けっく〕は身命よりも此の経を大事と】
法華経を持たれただけでなく、結局は、身命よりもこの法華経を大事と

【思〔おぼ〕し食〔め〕す事、不思議が中の不思議なり。】
思われるようになったことは、実に不思議の中の不思議な事なのです。

【是は偏〔ひとえ〕に今の事に非ず。過去の宿縁開発せるにこそ、】
これは、ひとえに今生の事だけではなく、過去世の宿縁が開き顕された為に、

【かくは思し食すらめ。有り難し有り難し。】
このように思われたのでしょう。まことに有り難いことです。

【次に寿量品と申すは本門の肝心なり。】
次に寿量品と言うのは、法華経本門の肝心なのです。

【又此の品は一部の肝心、一代の聖教〔しょうぎょう〕の肝心のみならず、】
また、この品は、法華経一部の肝心、さらに一代聖教の肝心だけでなく、

【三世の諸仏の説法の儀式の大要なり。教主釈尊、】
過去、現在、未来の三世の諸仏の説法の儀式の重大な肝要なのです。教主釈尊が

【寿量品の一念三千の法門を証得し給ふ事は三世の諸仏と内証等しきが故なり。】
寿量品の一念三千の法門を悟られたのは、三世の諸仏と内証が等しい故なのです。

【但し此の法門は釈尊一仏の已証のみに非ず、】
ただし、この法門は、釈尊一仏の自らの悟りではなく、

【諸仏も亦然〔しか〕なり。】
諸仏の悟りもまたそうであるのです。

【我等衆生の無始已来六道生死の浪に沈没せしが、】
無始の過去から、我ら六道の衆生が、生死の苦しみの波に沈んでいる、

【今教主釈尊の所説の法華経に値ひ奉る事は、】
今、この時に教主釈尊が説かれた法華経に遇えたのは、

【乃往〔むかし〕過去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり。】
その昔、過去に、この寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞したからなのです。

【有り難き法門なり。】
実に有り難い素晴らしい法門なのです。

【華厳・真言の元祖、法蔵〔ほうぞう〕・澄観〔ちょうかん〕・】
華厳宗の元祖である法蔵〔ほうぞう〕、澄観〔ちょうかん〕や、真言宗の元祖である

【善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕・不空〔ふくう〕等が、】
善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵たちは、

【釈尊一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗み取りて、】
釈尊の一代聖教の肝心である寿量品の一念三千の法門を盗み取って、

【本より自らの依経に説かざる】
もともと一念三千など説いていない自宗の依経の

【華厳経・大日経に一念三千有りと云ひて】
華厳経や大日経にも一念三千の法門が説いてあると言い張って

【取り入るゝ程の盜人にばかされて、】
それを取り入れたのであり、このような盗人〔ぬすっと〕に騙〔だま〕されて、

【末学深く此の見〔けん〕を執す。墓無〔はかな〕し墓無し。】
後代の学者が深く、この見解に執着しているのは、まことに愚かなことなのです。

【結句は真言の人師云はく】
挙句の果てには、真言宗の人師は、言うに及んで、まったく真実とは、真逆の

【「争ひて醍醐を盜み各〔おのおの〕自宗に名づく」云云。】
「争って真言の醍醐を盗んで、それぞれ自分の宗旨に取り入れた」と言い、

【又云はく「法華経の二乗作仏・久遠実成は無明の辺域〔へんいき〕、】
また「法華経に説かれる二乗作仏と釈尊の久遠実成は、迷いの辺域であり、

【大日経に説く所の法門は明〔みょう〕の分位」等云云。】
大日経に説かれる法門こそ、悟りの領域である」などと言っているのです。

【華厳の人師云はく「法華経に説く所の一念三千の法門は枝葉、】
また、華厳宗の人師は「法華経に説かれる一念三千の法門は、枝葉であり、

【華厳経の法門は根本の一念三千なり」云云。】
華厳経の法門が根本の一念三千である」と言っています。

【是跡形〔あとかた〕も無き僻見〔びゃっけん〕なり。】
これらは、全く根拠のない間違った見解なのです。

【真言・華厳経に一念三千を説きたらばこそ、】
真言、華厳経に一念三千を説いているのならば、

【一念三千と云ふ名目をばつかはめ。おかしおかし。】
一念三千と言う名称を使えるでしょうが、まことに笑止千万の話なのです。

【亀毛〔きもう〕兎角〔とかく〕の法門なり。】
それは、亀に毛が生じ、兎に角が生えていると言っているようなものなのです。

【正しく久遠実成の一念三千の法門は、】
まさしく久遠実成の事の一念三千の法門は、

【前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘めさせ給ひて有りしが、】
爾前経ならびに法華経の迹門十四品までは、秘しておられましたが、

【本門正宗に至りて】
法華経の本門の正宗分である一品二半に至って、

【寿量品に説き顕はし給へり。此の一念三千の宝珠をば】
寿量品に初めて説き明かされたのです。この一念三千の宝珠を

【妙法五字の金剛〔こんごう〕不壊〔ふえ〕の袋に入れて、】
金剛不壊の妙法蓮華経の五字の袋に入れて、

【末代貧窮〔びんぐ〕の我等衆生の為に残し置かせ給ひしなり。】
末法の貧しく苦しんでいる我ら衆生の為に残し置かれたのです。

【正法・像法に出でさせ給ひし論師・人師の中に此の大事を知らず。】
正法、像法に出現された論師や人師の中で、この大事を知る人は、いませんでした。

【唯竜樹・天親こそ心の底に知らせ給ひしかども色にも出ださせ給はず。】
ただ竜樹と天親だけが、心の底では、知っていましたが、表に著わしませんでした。

【天台大師は玄・文・止観に秘せんと思〔おぼ〕し召〔め〕ししかども、】
天台大師は、法華玄義、法華文句、摩訶止観でも、秘そうと思われましたが、

【末代の為にや止観十章第七正観の章に至りて】
末法の為に摩訶止観の十章のうち、第七正観の章に限って、

【粗〔ほぼ〕書かせ給ひたりしかども、】
ほぼ、書き著わされましたが、

【薄葉〔うすよう〕に釈を設けてさて止み給ひぬ。】
上辺だけの解釈で、それで止めてしまったのです。

【但理観の一分を示して】
このように、ただ、理の一念三千の観法の少しだけを示して、

【事の三千をば斟酌〔しんしゃく〕し給ふ。】
事の一念三千については、書き表すのを遠慮されたのです。

【彼の天台大師は迹化の衆なり。】
中国の天台大師は、迹化の人々なのです。

【此の日蓮は本化の一分なれば】
この日蓮は、本化の地涌の菩薩のひとりであるので、

【盛んに本門の事の分を弘むべし。】
このように本門の事の一念三千の法門を広める事ができるのです。

【然るに是〔か〕くの如き大事の義理の籠〔こも〕らせ給ふ御経を書きて】
そうであるので、このように大事な意義、理論を含んでいる御経を書いて、

【進〔まい〕らせ候へば、弥〔いよいよ〕信を取らせ給ふべし。】
差し上げているのですから、いよいよ信心を深めてください。

【勧発品に云はく「当に起ちて遠く迎へて当に仏を敬ふが如くすべし」等云云。】
法華経勧発品に「まさに立って、遠く迎え、まさに仏を敬うが如くすべし」とあり、

【安楽行品に云はく「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す。乃至】
安楽行品に「諸天善神が昼夜に常に法の為に法華経の行者を守護す。(中略)

【天の諸の童子以て給使を為さん」等云云。譬喩品に云はく】
天の諸の童子が給仕を為す」とあり、法華経、譬喩品に

【「其の中の衆生は悉く是吾が子なり」等云云。法華経の持者は】
「三界の中の衆生は、ことごとく我が子なり」とあり、法華経を受持する者は、

【教主釈尊の御子なれば、争〔いか〕でか梵天・帝釈・日月・衆星も】
教主釈尊の子であるので、どうして梵天、帝釈、日月、衆星も、

【昼夜朝暮に守らせ給はざるべきや。】
昼も夜も、朝も暮れも、守らない事があるでしょうか。

【厄の年災難を払はん秘法には法華経には過ぎず。】
厄の年の災難を払う秘法としては、法華経に過ぎるものはありません。

【たのもしきかな、たのもしきかな。】
まことに頼もしいことです。

【さては鎌倉に候ひし時は細々〔こまごま〕申し承はり候ひしかども、】
それは、ともかく、鎌倉にいた時は、細々とした話を承〔うけたま〕わりましたが、

【今は遠国に居住候に依りて面謁〔めんえつ〕を期する事更になし。】
今は、遠国の身延に住んでいるので御会いすることも、かないません。

【されば心中に含みたる事も】
そうであるから、心の中に思っている事も、

【使者玉章〔たまずさ〕にあらざれば申すに及ばず。歎かし歎かし。】
使者や手紙でなければ、伝える事さえできません。実に嘆かわしいことです。

【当年の大厄をば日蓮に任させ給へ。】
今年の大厄の事については、日蓮に任せてください。

【釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は】
釈迦、多宝、十方の分身の諸仏の法華経における約束が、真実かもしくは、不実かは、

【是にて量〔はか〕るべきなり。】
厄年の災難を払えるかどうかによって推し量〔はか〕られるのです。

【又々申すべく候。】
詳しくは、またまた、別の機会に述べる事にします。

【四月廿三日    日蓮花押】
4月23日    日蓮花押

【太田左衞門尉殿御返事】
太田左衛門尉殿御返事


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