日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(下) 18 第17章 禅宗の教義を挙げる

【聖愚問答抄・下 文永五年 四七歳】
聖愚問答抄(下) 文永5年 47歳御作

【爰〔ここ〕に愚人聊〔いささか〕和〔やわら〕いで云はく、】
そこで愚者は、少し顔色を和げて、このように告げました。

【経文は明鏡なり、疑慮〔ぎりょ〕をいたすに及ばず。】
経文は、明鏡であるから、それに疑いを挟む余地は、ないのですが、

【但し法華経は三説に秀〔ひい〕で】
ただ、法華経は、已今当の三説の中で、最も優れていると言っても、

【一代に超ゆるといへども、】
また、一代聖教の中で最も優れていると言っても、

【言説に拘〔かか〕はらず経文に留まらざる】
言説に制約されず、経文には、収まらない、

【我等が心の本分の禅の一法にはしくべからず。】
我らの心の本分を極める禅の一法には、敵〔かな〕わないのです。

【凡〔およ〕そ万法を払遣〔ほっけん〕して】
およそ万法を払い除けて、

【言語の及ばざる処を禅法とは名づけたり。】
言語の及ばない境界を禅法と名づけたのです。

【されば跋提河〔ばつだいが〕の辺〔ほと〕り沙羅〔しゃら〕林の下にして、】
それゆえ、インドの跋提河のほとりの沙羅林の下で、

【釈尊金棺〔きんかん〕より御足を出だし、】
釈尊が亡くなる前に金の棺桶〔かんおけ〕から出て、

【拈華〔ねんげ〕微笑〔みしょう〕して】
華をひねり、迦葉が、それに、微笑〔ほほえ〕んだので、

【此の法門を迦葉〔かしょう〕に付嘱ありしより】
法門を、この迦葉尊者に付属してから、

【已来、天竺二十八祖系〔けい〕も乱れず、】
これまで、インドでは、二十八祖の系譜〔けいふ〕を乱れなく継承し、

【唐土には六祖次第に弘通せり。】
中国では、六祖が次々に相伝して、この禅宗を弘通したのです。

【達磨〔だるま〕は西天にしては二十八祖の終はり、】
達磨は、インドに、おいては、この二十八祖の終わりであり、

【東土にしては六祖の始めなり。相伝をうしなはず】
中国にあっては、六祖の始めなのです。このように相伝を失わず、

【教網に滞〔とどこお〕るべからず。】
経の網によって、この禅宗の付属を途切れさせてはならないのです。

【爰を以て大梵天王〔だいぼんてんのう〕問仏決疑経〔もんぶつけつぎきょう〕に】
このゆえに大梵天王問仏決疑経には

【云はく「吾に正法〔しょうぼう〕眼蔵〔げんぞう〕・】
「私には、正法眼蔵、

【涅槃〔ねはん〕妙心〔みょうしん〕・実相〔じっそう〕無相〔むそう〕・】
涅槃妙心、実相無相、

【微妙〔みみょう〕の法門有り、教外に別に伝ふ。】
微妙の法門があり、教外に別に伝え、

【文字を立てず摩訶迦葉〔まかかしょう〕に付嘱す」とて、】
文字を立てず、摩訶迦葉に付属する」とあり、

【迦葉に此の禅の一法をば教外に伝ふと見えたり。】
迦葉に、この禅の一法を教外に伝えたと明示されています。

【都〔すべ〕て修多羅〔しゅたら〕の経教は月をさす指、】
すべての仏の経文は、月をさす指であり、

【月を見て後は指何かはせん。】
月を見た後では、指は、不用なのです。

【心の本分禅の一理を知って後は仏教に心を留むべしや。されば古人の云はく、】
心の本分である禅の一理を知った後は、仏の教えに心を留めるべきでしょうか。

【十二部経は総て是〔これ〕閑文字〔かんもんじ〕と云云。】
それ故、古人は「十二部経は、すべて無用の文字である」と言っているのです。

【仍って此の宗の六祖慧能〔えのう〕の壇経を披見するに】
したがって、この禅宗の「六祖大師法宝壇経」を開いて見ると、

【実に以て然〔しか〕なり。】
ほんとうに、その通りに書かれているのです。

【言下に契会〔けいえ〕して後は】
この言葉から考えると、心性に適〔かな〕い、真理を会得した後は、

【教は何かせん、此の理如何が弁〔わきま〕へんや。】
教文は、不用なのです。この理を、どのように考えれば、よいのでしょうか。


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