御書研鑚の集い 御書研鑽資料
聖愚問答抄(下) 29 第28章 法華経弘通の態度を教える
【聖人示して云はく、】
それに聖人が、その教えを示して、このように告げたのです。
【汝蘭室の友に交はりて麻畝〔まほ〕の性と成る。】
あなたは、最高の教えである法華経に感化されて、非常に素直になったようです。
【誠に禿樹禿〔とくじゅかぶろ〕に非ず春に遇ふて栄え華さく。】
葉の落ちた木も春になれば、必ず花が咲き、
【枯草枯るに非ず夏に入りて鮮かに注〔うるお〕ふ。】
枯草も夏になれば、鮮やかな緑に覆〔おお)われるものです。
【若し先非を悔ひて正理に入らば、湛寂〔たんじゃく〕の潭〔ふち〕に遊泳して】
もし、過ちを悔いて正しい理に入るならば、静寂な青々とした深淵を泳いで、
【無為〔むい〕の宮に優遊〔ゆうゆう〕せん事疑ひなかるべし。】
自由な心で優々と学べることは、疑いないことなのです。
【抑仏法を弘通し群生〔ぐんじょう〕を利益せんには、】
さて、仏法を弘通し、衆生を救うためには、
【先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。】
まず、教、機、時、国、教法流布の前後を理解しなければなりません。
【所以〔ゆえ〕は時に正像末あり、】
まず、その理由を示しましょう。時には、正法、像法、末法があり、
【法に大小乗あり、修行に摂折あり。】
教法には、大乗と小乗があり、修行には、摂受と折伏があります。
【摂受の時折伏を行ずるも非なり。】
摂受の時に折伏を行ずるのも誤りであり、
【折伏の時摂受を行ずるも失〔とが〕なり。】
折伏の時に摂受を行ずるのも誤りなのです。
【然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。】
それでは、今の世は、摂受の時か、折伏の時か、まずこれを知るべきです。
【摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、】
摂受の修行は、この国に法華経だけが純一に弘まって、
【邪法邪師一人もなしといはん、】
邪法邪師が一人も、いない時のことであって、
【此の時は山林に交はりて観法を修し、】
この時は、山林に交わって観法を修し、
【五種】
法華経法師品では、受持、読、誦、解説、書写の五種を説き、
【六種乃至】
大智度論巻では、受持を受と持の二つに分けているから六種となり、
【十種等を行ずべきなり。】
勝天王般若波羅蜜経では、書写・供養などの十種を行ずるのです。
【折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、】
折伏の時は、このような時ではなく、諸経、諸宗の教義が様々に入り乱れ、
【諸宗のおぎろ〔頣口〕誉れを擅〔ほしいまま〕にし、】
それぞれが、さも立派そうな法門を立てて名声を欲しいままにし、
【邪正肩を並べ大小先を争はん時は、】
邪法と正法が肩を並べ、大乗と小乗とが争う時は、
【万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。】
万事を差し置いて、謗法を責めるべきなのです。これが折伏の時なのです。
【此の旨を知らずして摂折途〔みち〕に違はゞ得道は思ひもよらず、】
このことを知らないで、摂受・折伏の方法を誤るならば、成仏できないだけでなく、
【悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、】
返って悪道に堕ちることは、法華経と涅槃経に確かに説かれており、
【天台・妙楽の解釈にも分明なり。】
天台大師と妙楽大師の解釈にも明らかなのです。
【是仏法修行の大事なるべし。】
これこそ、仏法を修行する上で、大事なことであるのです。
【譬へば文武両道を以て天下を治むるに、】
たとえば、文武両道をもって天下を治めるには、
【武を先とすべき時もあり、文を旨とすべき時もあり。】
武を第一とする時もあり、文を中心とする時もあります。
【天下無為〔むい〕にして国土静かならん時は文を先とすべし。】
天下に何事もなく、国土の静かな時には、文を第一とすべきであり、
【東夷〔とうい〕・南蛮〔なんばん〕・西戎〔せいじゅう〕・北狄〔ほくてき〕】
東夷、南蛮、西戎、北狄が野心を抱いて
【蜂起して、野心をさしはさまんには武を先とすべきなり。】
攻撃して来た時には、武を第一とすべきであるのです。
【文武のよき事計りを心えて時もしらず、】
しかし、文武の大切なことだけを知っていても、時を知らず、
【万邦安堵〔あんど〕の思ひをなして世間無為ならん時、】
すべての国が平和であって世間に何事もない時、
【甲冑〔かっちゅう〕をよろひ、兵杖をもたん事も非なり。又王敵起こらん時、】
甲冑を着て武器を持つことも誤りである。
【戦場にして武具をば閣〔さしお〕いて、】
また国を滅ぼそうとする敵が現れた時に、戦場で武具を捨てて、
【筆硯〔ひっけん〕を提〔ひっさげ〕ん事、】
筆や硯をたずさえることも、また意味がないのです。
【是も亦時に相応せず。摂受折伏の法門も亦是くの如し。】
摂受、折伏の法門もまたこれと同じでなのです。
【正法のみ弘まて邪法邪師無からん時は、深谷にも入り、閑静にも居して、】
正法だけが弘まり、邪法、邪師のいない時には、深谷に入り、閑静な所に住んで、
【読誦書写をもし、観念工夫をも凝〔こ〕らすべし。】
経典の読誦、書写をし、あるいは、観念観法に励むのも良いのですが、
【是天下の静なる時筆硯を用ゆるが如し。権宗謗法国にあらん時は、】
これらは、天下が静かな時に、筆や硯を用いるようなものなのです。
【諸事を閣いて謗法を責むべし。】
しかし、権宗、謗法が国にある時には、諸事を差し置いて謗法を責めるべきです。
【是合戦〔かっせん〕の場に兵杖を用ゆるが如し。】
これは、合戦の場で武器を用いるようなものなのです。
【然れば章安大師涅槃〔ねはん〕の疏に釈して云はく】
それ故に章安大師は、涅槃経疏巻八に
【「昔は時平かにして法弘まる、】
「昔は、時代が平和であり、法が弘まったのであるが、
【戒を持すべし杖を持すること勿〔なか〕れ。】
そのような時には、戒律を持つべきであり、武器を持ってはならない。
【今は時嶮〔さか〕しくして法翳〔かく〕る。】
今は、時代が険悪で正法が隠れている。
【杖を持すべし戒を持すること勿れ。】
このような時には、武器を持つべきであり、戒律を持ってはならない。
【今昔倶〔とも〕に嶮しくば倶に杖を持すべし、】
今も昔も、時代が険悪ならば、ともに武器を持つべきである。
【今昔倶に平かならば倶に戒を持すべし。】
今も昔も時代が平穏ならば、ともに戒律を持つべきである。
【取捨宜きを得て一向にすべからず」と】
その時に適った取捨をすべきで、一つに固定してはならない」と記しています。
【此の釈の意分明なり。】
この解釈の意味は、明白です。
【昔は世もすなをに人もたゞしくして邪法邪義無かりき。】
昔は、世の中も素直で人も正しく、邪法邪義は、ありませんでした。
【されば威儀をたゞし、穏便に行業を積みて、】
従って威儀を正し、穏やかに修行を積み、
【杖をもて人を責めず、邪法をとがむる事無かりき。】
武器で人を責めることもなく、邪法をとがめることもなかったのです。