日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(下) 36 第35章 信心の二字の肝要なるを示す

【愚人云はく、】
これを聞いて、愚者が告げました。

【聖人の言の如くば実に首題の功莫大〔ばくだい〕なり。】
聖人の言葉の通りであるならば、まことに題目の功徳は、莫大です。

【但知ると知らざるとの不同あり。】
しかし、それを知ると知らないとでは、大きな違いがあるはずです。

【我は弓箭〔きゅうせん〕に携〔たずさ〕はり、兵杖をむねとして】
わたしは、弓矢にたずさわり、武器をとる武士であって、

【末だ仏法の真味を知らず。】
未だ、仏法の真実の意味は、わかりません。

【若し然れば得る所の功徳何ぞ其れ深からんや。】
それなのに、なぜ、その功徳が、これほど大きいのでしょうか。

【聖人云はく、】
それに対して聖人が、このように告げました。

【円頓〔えんどん〕の教理は初後全く不二にして】
円頓の教理は、初めも後も、まったく不二であって

【初位に後位の徳あり。】
初心の位に、後々の位の功徳が含まれるのです。

【一行一切行にして功徳備はらざるは之無し。】
一つの行に一切の行が含まれていて、功徳のそなわらないものはないのです。

【若し汝が言の如くば、功徳を知って植ゑずんば、】
もし、あなたの言葉の通りに功徳を知らなければ、仏種がないのであれば、

【上は等覚より下は名字に至るまで】
上は、等覚の菩薩から、下は、名字の凡夫に至るまで、

【得益〔とくやく〕更にあるべからず。】
得益は、絶対に有り得ないことになってしまいます。

【今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり。譬喩品に云はく】
なぜなら法華経には「ただ仏と仏とだけが知る」と説かれ、譬喩品第三には

【「汝舎利弗〔しゃりほつ〕尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり。】
「舎利弗でさえ、この経においては、信によって入ることができた。

【況んや余の声聞をや」と。】
まして他の声聞は、なおさらである」と説かれているのです。

【文の心は大智舎利弗も法華経には】
この経文の意味は、大智者の舎利弗も法華経には、

【信を以て入る、其の智分の力にはあらず。】
信によって入ることができたのであり、その智慧によってではないのです。

【況んや自余の声聞をやとなり。】
まして、その他の声聞は、言うまでもないのです。

【されば法華経に来たって信ぜしかば、】
それゆえ、舎利弗は、法華経に来て信じたからこそ、

【永不成仏〔ようふじょうぶつ〕の名を削りて華光如来となり。】
永遠に成仏できない者の名前を消して、華光如来となったのです。

【嬰児に乳をふくむるに、其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す。】
幼児に乳をふくませれば、その味を知らなくても自然に成長し、

【医師〔くすし〕が病者に薬を与ふるに、】
医師が病人に薬を与えれば、

【病者薬の根源をしらずといへども服すれば任運〔にんぬん〕と病愈〔い〕ゆ。】
病人は、その薬の内容を知らなくても、飲めば自然に病いが治るのです。

【若し薬の源をしらずと云ひて、】
もし薬の内容を知らないからと言って、

【医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや。】
医師の与える薬を飲まなければ、その病は、治るでしょうか。

【薬を知るも知らざるも服すれば病の愈〔い〕ゆる事以て是同じ。】
薬の内容を知っても知らなくても、飲めば病いが冶るのは同じなのです。

【既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふ。】
まさに法華経で、仏を良医と名づけ、法を良薬に譬え、衆生を病人に譬えています。

【されば如来一代の教法を擣簁和合〔とうしわごう〕して】
それゆえ、釈尊一代の教法を擣〔つ〕き、篩〔ふる〕い、和合〔わごう〕し、

【妙法一粒の良薬に丸せり。豈〔あに〕知るも知らざるも】
妙法と言う一粒の良薬を作ったのです。この良薬を知っても知らなくても、

【服せん者煩悩の病ひ愈えざるべしや。】
飲む者は、煩悩の病いが冶らない者はいないのです。

【病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ。】
病人が薬の成分を知らず、病いを理解できなくても、飲めば必ず治るのです。

【行者も亦然なり。】
法華経を行ずる者も、また同じなのです。

【法理をもしらず煩悩をもしらずといへども、】
法理を知らず、煩悩の病いを知らないとしても、

【只信ずれば見思〔けんじ〕・塵沙〔じんじゃ〕・無明〔むみょう〕の】
ただ信じれば、見思、塵沙、無明の

【三惑の病を同時に断じて、実報〔じっぽう〕寂光の台〔うてな〕にのぼり、】
三惑の病いを同時に断じて、実報、寂光の浄土に到〔いた〕り、

【本有三身の膚〔はだえ〕を磨かん事疑ひあるべからず。】
本有〔ほんぬ〕の三身如来の生命を顕すことは、疑いないのです。

【されば伝教大師云はく】
それゆえ、伝教大師は、法華秀句において

【「能化所化倶に歴劫無く、】
「能化も所化も、ともに長劫にわたる修行を経ることなく、

【妙法経力即身成仏す」と。】
妙法蓮華経の力で即身成仏する」と述べられているのです。

【法華経の法理を教へん師匠も、又習はん弟子も、】
法華経の法理を教える師匠も、また学ぶ弟子も、

【久しからずして法華経の力をもて倶に仏になるべしと云ふ文なり。】
直ちに法華経の力で、共に仏になるとの文章なのです。


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