日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(下) 19 第18章 教外別伝・不立文字の邪義を破る

【聖人示して云はく、】
聖人は、この主張に対して、このように告げたのです。

【汝先づ法門を置いて道理を案ぜよ。】
あなたは、まず法門をさし置いて道理を、よく考えてみてください。

【抑〔そもそも〕我一代の大途を伺はず十宗の淵底を究めずして、】
そもそも、釈尊一代の大綱を学ばずに、十宗派の主張を理解しないで、

【国を諫〔いさ〕め人を教ふべきか。汝が談ずる所の禅は】
国を諌め、人に教えることができるでしょうか。あなたの語った禅宗については、

【我最前に習ひ極めて、】
私は、前々から、その主張を学び理解しているのですが、

【其の至極を見るに甚だ以て僻事〔ひがごと〕なり。】
その主張している道理を見てみると、はなはだしく間違っているのです。

【禅に三種あり。所謂〔いわゆる〕如来禅と教禅と祖師禅となり。】
禅には、如来禅と教禅と祖師禅の三種類があるのですが、

【汝が言ふ所の祖師禅等の一端之を示さん、聞いて其の旨を知れ。】
あなたの語った祖師禅の一端を示すから、よく聞いて、その概要を理解しなさい。

【若し教を離れて之を伝ふといはゞ、】
もし、教を離れて法門を伝えると言っても、

【教を離れて理無く、理を離れて教無し。】
教を離れて理はなく、理を離れて教はないのです。

【理全く教、教全く理と云ふ道理、】
理は、そのまま教であり、教は、そのまま理であるという道理を、

【汝之を知らざるや。】
あなたは、それが、わからないのですか。

【拈華微笑して迦葉に付嘱し給ふと云ふも是教なり。】
「拈華微笑して迦葉に付属した」と言うのも教文であり、

【不立文字〔ふりゅうもんじ〕と云ふ四字も即ち教なり文字なり。】
「不立文字」の四文字も教文であり、文字なのです。

【此の事和漢両国に事旧〔ふ〕りぬ。今いへば事新しきに似たれども、】
このことは、日本でも中国でも、言い古されていて、何を、今更と思うのですが、

【一両の文を勘〔かんが〕へて汝が迷ひを払はしめん。】
一、二の文章を示して、あなたの迷いを払うことにしましょう。

【補註〔ふちゅう〕十一に云はく「又復若〔も〕し言説に滞ると謂〔い〕はゞ、】
補註巻十一には「また、もし言葉に依るのが、いけないと言うのであれば、

【且く娑婆世界には何を将〔もっ〕て仏事と為るや。】
この娑婆世界は、何をもって仏事とするのでしょうか。

【禅徒豈〔あに〕言説をもて人に示さざらんや。】
禅を信じる人々も言葉によって、人に教えを示しているではないですか。

【文字を離れて解脱の義を談ずること無し、】
文字を離れて解脱の意義を語ることは、できないし、

【豈聞かざらんや」と。】
どうして、それを聞くことができましょうか」と述べ、

【乃至次下に云はく「豈達磨〔だるま〕西来〔さいらい〕して】
また次に「達磨がインドから来て、

【直指人心〔じきしにんしん〕・見性〔けんしょう〕成仏〔じょうぶつ〕すと。】
直指人心、見性成仏を説いたと言います。

【而るに華巌等の諸大乗経に此の事無からんや。】
しかし、華厳などの大乗経に、この事が説かれてないとでも言うのでしょうか。

【嗚呼〔ああ〕世人何ぞ其れ愚かなるや。汝等当に仏の所説を信ずべし。】
世人は、なんと愚かなのでしょうか。あなた達は、仏の説を信ずべきなのです。

【諸仏如来は言〔みこと〕虚妄無し」と。】
諸仏、如来の言葉に虚妄はないのです」とあるのです。

【此の文の意は若し教文にとゞこほり】
この文の意味は、もし教文にこだわり、

【言説にかゝはるとて、教の外に修行すといはゞ、】
言葉にとらわれると言って、教え以外の方法で修行をすると言うのであれば、

【此の娑婆世界にはさて如何がして仏事善根を作すべき。】
この娑婆世界では、どうして仏事によって善根を成すことができるでしょうか。

【さやうに云ふところの禅人も、】
このように「不立文字」を主張する禅宗の者でさえも、

【人に教ふる時は言を以て云はざるべしや。】
人に教える時は、言葉を、もちいずに教えることは、できないのです。

【其の上仏道の解了を云ふ時、文字を離れて義なし。】
さらに仏道の悟りを伝えるときに、文字を離れて、その義を説くことはできません。

【又達磨西より来たって直ちに人心を指して仏なりと云ふ。】
また達磨がインドから来て、すぐに人心を指して仏であると言ったとありますが、

【是程の理は華厳・大集・大般若等の法華已前の権大乗経にも】
これぐらいの理論は、華厳経、大集経、大般若経などの法華経以前の

【在々処々に之を談ぜり。】
権大乗経にも、いろいろなところに説かれているのです。

【是をいみじき事とせんは無下〔むげ〕に云ひがひ〔甲斐〕なき事なり。】
これを、特に優れているとするのは、言うほどのこともないのです。

【嗚呼今世の人何ぞ甚だひがめるや。】
今の世の人々は、なぜ、こうもひどく、ゆがんだ見方をするのでしょうか。

【只〔ただ〕中道実相の理に契当せる】
ただ、中道実相の理を体得した

【妙覚果満の如来の誠諦〔じょうたい〕の言を信ずべきなり。】
妙覚果満の如来の真実の言葉を信じるべきです。

【又妙楽大師の弘決〔ぐけつ〕の一に此の理を釈して云はく】
また、妙楽大師の弘決の一には、この道理を説いて

【「世人教を蔑〔ないがし〕ろにして理観を尚〔たっと〕ぶは誤れるかな、】
「世人が仏の教えを軽視して、ただ観心の理論のみを尊ぶのは、

【誤れるかな」と、此の文の意は】
誤りである」と述べられており、この文章の意味は、

【今の世の人々は観心観法を先として経教を尋ね学ばず、】
今の世の人々は、観心観法を主体として、経教を学ぼうとせずに、

【還って教をあなづり経をかろしむる、是誤れりと云ふ文なり。】
返って教をあなどり、経を軽んじているのです。


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