日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(下) 34 第33章 妙法五字の絶大なる功徳を明かす

【愚人掌を合はせ膝を折って云はく、】
愚者は、掌を合わせ、膝を折り、居ずまいを正して、このように告げたのです。

【貴命肝〔きも〕に染み、教訓意を動かせり。】
あなたの仰せは、心に染まり、御教訓は、胸を打つのです。

【然りと雖も上能兼下〔じょうのうけんげ〕の理なれば、】
そうではあるが、「上は下を能く兼ねる」の道理で、

【広きは狭きを括〔くく〕り多は少を兼ぬ。】
広は、狭を納め、多は、少を兼ねるとされています。

【然る処に五字は少なく文言は多し、】
ところが、いま五字は、少なく、経の文は、多い。

【首題は狭く八軸は広し。】
題目は、狭く、法華経の八巻は、広い。

【如何ぞ功徳斉等ならんや。】
どうして、その功徳が等しいなどと言う事があるのでしょうか。

【聖人云はく、汝愚かなり。】
それに聖人は、このように告げました。

【捨少取多の執須弥〔しゅみ〕よりも高く、】
あなたは、少を捨てて多を取る執着は、須弥山よりも高く、

【軽狭重広の情溟海〔めいかい〕よりも深し。】
狭を軽んじて広を重んずる執情は、大海よりも深いのです。

【今の文の初後は必ず多きが尊く、】
今の言葉については、必ずしも、多ければ尊く、

【少なきが卑しきにあらざる事、前に示すが如し。】
少なければ卑しいのでは、ないことは、前にも示した通りなのです。

【爰に又小が大を兼ね、一が多に勝ると云ふ事之を談ぜん。】
ここでまた、小が大を兼ね、一が多に優る例を教えることにしましょう。

【彼の尼拘類樹〔にくるじゅ〕の実は芥子〔けし〕三分が一のせい〔長〕なり、】
尼拘類樹〔にくるじゅ〕の実は、芥子の三分の一の大きさですが、

【されども五百輌の車を隠す徳あり。】
育つと葉が広がり、五百の車両を覆い隠すことが出来ます。

【是小が大を含めるにあらずや。】
これは、小が大を含んでいることを示しているのでは、ないでしょうか。

【又如意宝珠は一つあれども万宝を雨〔ふら〕して欠くる処之無し。】
また、如意宝珠は、一つで万宝を降らし、少しも欠けるところがないのです。

【是又少が多を兼ねたるにあらずや。】
これもまた、少が多を兼ねる例ではないでしょうか。

【世間のことわざにも一は万が母といへり、】
世間のことわざにも、一は、万の母と言われています。

【此等の道理を知らずや。】
これらの道理がわかりませんか。

【所詮実相の理の背契〔はいけい〕を論ぜよ。】
所詮は、実相の理に適っているか、背いているかを論じるべきです。

【強ちに多少を執する事なかれ。】
けっして多少に執着してはなりません。

【汝至って愚かなり、今一の譬へを仮らん。】
あなたが、まだ納得できないならば、今、一つの例を示しましょう。

【夫〔それ〕妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり。】
ようするに、妙法蓮華経とは、一切衆生の仏性なのです。

【仏性とは法性〔ほっしょう〕なり。法性とは菩提なり。】
仏性とは、法性であり、法性とは、菩提なのです。

【所謂〔いわゆる〕釈迦・多宝・十方の諸仏、上行・無辺行等、】
すなわち、釈迦、多宝、十方の諸仏、上行、無辺行等、

【普賢〔ふげん〕・文珠〔もんじゅ〕・舎利弗・目連等、大梵天王・】
普賢、文殊、舎利弗、目連等、大梵天王、

【釈提桓因〔しゃくだいかんにん〕・日月・明星・北斗七星・】
帝釈天、日、月、明星、北斗七星、

【二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・竜神八部・人天大会・閻魔法王、】
二十八宿、無量の諸星、天衆、地類、竜神、八部、人界、天界の衆生、閻魔法王、

【上は悲想〔ひそう〕の雲の上、下は那落〔ならく〕の炎の底まで、】
上は、非想天の雲の上から、下は地獄の炎の底までの、

【所有〔あらゆる〕一切衆生の備ふる所の仏性を妙法蓮華経とは名づくるなり。】
あらゆる一切衆生が備えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのです。

【されば一遍此の首題を唱へ奉れば、】
それゆえ、一遍、この妙法蓮華経を唱え奉るならば、

【一切衆生の仏性が皆よばれて爰〔ここ〕に集まる時、】
一切衆生の仏性が、皆、呼ばれて、ここに集まる時、

【我が身の法性の法報応〔ほっぽうおう〕の三身ともにひかれて顕はれ出づる、】
我が身の中の法報応の三身も、ともに顕れ出るのです。

【是を成仏とは申すなり。例せば籠〔かご〕の内にある鳥の鳴く時、】
これを成仏と言うのです。たとえば、籠の中にいる鳥が鳴く時、

【空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる、】
空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まるのと同じなのです。

【是を見て籠の内の鳥も出でんとするが如し。】
これを見て、籠の中の鳥も外に出ようとするようなものなのです。


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