御書研鑚の集い 御書研鑽資料
守護国家論 02 第01章 御述作の由来
【守護国家論 正元元年 三八歳】守護国家論 正元元年 38歳御作
【夫〔それ〕以〔おもんみ〕れば偶〔たまたま〕十方微塵〔みじん〕】
考えてみると、たまたま、十方に微塵〔みじん〕のように多く存在する
【三悪の身を脱れて】
地獄、餓鬼、畜生の三悪道の身を免〔まぬが〕れて、
【希〔まれ〕に閻浮〔えんぶ〕日本爪上〔そうじょう〕の生を受く。】
奇跡的に世界の中の日本に爪の上の砂のような生を受けても、
【亦閻浮日域〔にちいき〕爪上の生を捨てゝ】
また、世界の中の日本の近くで爪の上の生を捨てて、
【十方微塵】
十方に微塵〔みじん〕のように多く存在する
【三悪の身を受けんこと疑ひ無きものなり。】
地獄、餓鬼、畜生の三悪道の身を受けることは、疑いないのです。
【然るに生を捨てゝ悪趣〔あくしゅ〕に堕〔だ〕する縁一〔いち〕に非ず。】
しかるに、生を捨てて地獄、餓鬼、畜生に堕ちる縁は、ひとつではないのです。
【或は妻子眷属〔けんぞく〕の哀憐〔あいれん〕に依り、】
あるいは、妻子や仲間を悲しませ、その嘆きによって、
【或は殺生悪逆の重業〔じゅうごう〕に依り、】
あるいは、殺生や悪逆の重罪によって、
【或は国主と成りて民衆の歎きを知らざるに依り、】
あるいは、国主と成って民衆の嘆きを無視する事によって、
【或は法の邪正を知らざるに依り、】
あるいは、仏法の邪正を知らない事によって、
【或は悪師を信ずるに依る。】
あるいは、悪師を信ずる事に依ってなのです。
【此の中に於ても世間の善悪〔ぜんなく〕は眼前〔げんぜん〕に在れば】
この中でも、世間の善悪は、誰の目にも明らかであり、
【愚人も之を弁〔わきま〕ふべし。】
愚かな人も、これを理解する事が出来るのですが、
【仏法の邪正、師の善悪に於ては証果〔しょうか〕の聖人すら】
仏法の正邪と師の善悪は、欲望から離れた聖人でも、
【尚之を知らず。況〔いわ〕んや末代の凡夫に於てをや。】
これを知る事ができないのです。まして末法の凡夫においては、なおさらなのです。
【加之〔しかのみならず〕仏〔ぶつ〕日〔にち〕西山に隠れ】
それだけではなく、インドに生まれた釈迦牟尼仏である太陽は、西山に隠れ、
【余光〔よこう〕東域〔とういき〕を照らしてより已来、四依〔しえ〕の】
残光が東域を照らして以来、竜樹、天親、天台、伝教の四人の論師の
【慧灯〔えとう〕は日に減じ三蔵の法流は月に濁る、】
智慧の灯〔あかり〕は、日々に減じ、三蔵の仏法の流れは、月々に濁って、
【実経に迷へる論師は真理の月に雲を副〔そ〕へ、】
実教に迷っている論師は、真理の月を雲で隠し、
【権経に執する訳者は実経の珠を砕きて権経の石と成す。】
権教に執着する翻訳者は、実教の珠を砕いて権教の石としてしまいました。
【何〔いか〕に況んや震旦〔しんだん〕の人師の宗義〔しゅうぎ〕】
まして中国の人師の宗派の教義に
【其の悞〔あやま〕り無からんや。何に況んや日本辺土の】
間違いがないはずは、ありません。さらに日本のような辺境な国の
【末学誤りは多く実は少なき者か。】
未熟な者には、間違いが多く、正しい事は、少ないのです。
【随って其の教を学する人数は竜鱗〔りゅうりん〕より多けれども】
したがって、仏教を学ぶ者は、竜の鱗〔うろこ〕よりも多くいるにも関わらず、
【得道の者は麟角〔りんかく〕より希〔まれ〕なり。】
得道する者は、麒麟〔きりん〕の角〔つの〕よりも少ないのです。
【或は権教に依るが故に、】
それは、あるいは、権教の為であり、
【或は時機不相応の教に依るが故に、】
あるいは、時機不相応の教えによる為であり、
【或は凡聖〔ぼんしょう〕の教を弁へざるが故に、】
あるいは、人師と聖人の教えの違いを弁〔わきま〕えない為であり、
【或は権実二教を弁へざるが故に、】
あるいは、権教と実教の二教を弁〔わきま〕えない為であり、
【或は権教を実教と謂〔おも〕ふに依るが故に、】
あるいは、権教を実教と思っている為であり、
【或は位の高下を知らざるが故なり。】
あるいは、その教法が救える衆生の位の高下を知らない為であるのです。
【凡夫の習ひ仏法に就いて】
凡夫の習いとして、仏法について修学し、そこで誤って
【生死の業を増すこと其の縁一に非ず。】
生死の業を増やしてしまう縁は、ひとつでは、ないのです。
【中〔なか〕昔〔むかし〕邪智の上人有りて】
それほど昔ではない前に、邪智の上人、法然が現れ、
【末代の愚人の為に一切の宗義を破して】
末法の愚人の為に、すべての宗派の教義を破壊して
【選択集〔せんちゃくしゅう〕一巻を造る。】
選択集〔せんちゃくしゅう〕一巻を作ったのです。
【名を鸞〔らん〕・綽〔しゃく〕・導〔どう〕の】
この書は、曇鸞〔どんらん〕、道綽〔どうしゃく〕、善導〔ぜんどう〕の
【三師に仮りて一代を二門に分かち、実経を録して権経に入れ、】
三師によって、釈尊の一代聖教を二門に分け、実経を権経に入れ、
【法華真言の直道〔じきどう〕を閉ぢて浄土三部の隘路〔あいろ〕を開く。】
法華、真言の正しい道を閉ざして、浄土三部の誤った道を開いたのです。
【亦浄土三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し、】
しかしまた、浄土三部経の本義にも従わないで、権経、実教にも背く謗法をなし、
【永く四聖〔ししょう〕の種を断じて阿鼻〔あび〕の底に沈むべき】
永く、仏、菩薩、縁覚、声聞への四聖の種を断じて、阿鼻地獄の底に沈む
【僻見〔びゃっけん〕なり。而るに世人〔せにん〕之に順〔したが〕ふこと】
間違った考えなのです。ところが、世の中の愚かな人々が、これに従う姿は、
【譬へば大風の小樹の枝を吹くが如く、門弟此の人を重んずること】
たとえば、大風が小枝を鳴らすようであり、門弟たちが、この人を重んずる姿は、
【天衆〔てんしゅ〕の帝釈〔たいしゃく〕を敬ふに似たり。】
多くの天人が帝釈天を敬うのに似ているのです。
【此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り。】
それで、この法然の間違いを破折する為に多くの書物が著〔しる〕されたのです。
【所謂〔いわゆる〕浄土〔じょうど〕決義抄〔けつぎしょう〕・】
いわゆる、浄土決義鈔〔けつぎしょう〕や
【弾選択〔だんせんちゃく〕・摧邪輪〔さいじゃりん〕等なり。】
弾選択〔だんせんちゃく〕、摧邪輪〔さいじゃりん〕などです。
【此の書を造る人、皆碩徳〔せきとく〕の名一天に弥〔はびこ〕ると雖も、】
この書を著した人は、みんな、徳の高い天下に知られた人々でしたが、
【恐〔おそ〕らくは未だ選択集謗法の根源を顕はさず、】
おそらく、いまだ選択集〔せんちゃくしゅう〕の謗法の根源を顕わしていない為に、
【故に還って悪法の流布を増す。】
返って、この間違った悪法が世の中に流布する事を許してしまったのです。
【譬へば盛んなる旱魃〔かんばつ〕の時に小雨を降らせば】
たとえば、ひどい旱魃の時に、小雨を降らすと、
【草木弥〔いよいよ〕枯れ、兵者〔つわもの〕を打つ刻みに弱き兵を先んずれば】
草木は、いよいよ枯れ、強敵を打つ時に、弱い兵を先にやれば
【強敵倍〔ますます〕力を得るが如し。】
強敵が、ますます、力を得るようなものなのです。
【予此の事を歎く間、一巻の書を造りて】
私は、この事を歎〔なげ〕くゆえに、一巻の書を作って
【選択集の謗法の縁起〔えんぎ〕を顕はし、】
選択集〔せんちゃくしゅう〕の謗法の由来を明らかにし、
【名づけて守護国家論と号す。】
それを名付けて守護国家論とします。
【願はくは一切の道俗〔どうぞく〕、一時の世事を止めて】
願わくは、僧侶、在家を問わず、すべての人々は、一時、世間の風評を止めて、
【永劫〔ようごう〕の善苗〔ぜんみょう〕を種〔う〕ゑよ。】
永遠の善い苗を心の田に種えてください。
【今経論を以て邪正を直〔ただ〕す、信謗は】
今、経文と論書によって邪正を糾〔ただ〕すので、信ずるかどうかは、
【仏説に任〔まか〕せ敢〔あ〕へて自義を存すること無し。】
仏説によって判断すべきであり、自分勝手な考えに、とらわれてはなりません。
【分かちて七門と為〔な〕す。一には如来の経教に於て】
この一書を7つに分けて段とします。第1段には、如来自身が経文の教えにおいて
【権実二教を定むることを明かし、】
権実二教を定められている事を明確にし、
【二には正〔しょう〕像〔ぞう〕末〔まつ〕の興廃〔こうはい〕を明かし、】
第2段には、正法、像法、末法の三時における教法の興廃を明確にし、
【三には選択集〔せんちゃくしゅう〕の謗法の縁起を明かし、】
第3段には、選択集〔せんちゃくしゅう〕の謗法の理由を明確にし、
【四には謗法の者を対治すべき証文を出〔い〕だすことを明かし、】
第4段には、謗法の者は、対治すべき証文を出すことを明確にし、
【五には善知識並びに真実の法には値ひ難きことを明かし、】
第5段には、善知識ならびに真実の法には、会い難いことを明確にし、
【六には法華涅槃に依る行者の用心を明かし、】
第6段には、法華経、涅槃教によって行者の心すべきことを明確にし、
【七には問ひに随って答へを明かす。】
第7段には、質問によって答えを明確にします。