日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 24 第23章 権人の邪難を防ぐ

【大文の第七に問ひに随って答ふとは、若し末代の愚人〔ぐにん〕、】
第7段として、問いに従って答えるとは、もし末法の愚かな人が、

【上の六門に依って万が一も法華経を信ぜば、】
上述の六つの段の教示によって、万が一にも法華経を信じるならば、

【権宗〔ごんしゅう〕の諸人、或は自ら惑へるに依り、】
権教の宗派の人々が、自らの惑いにより、

【或は偏執〔へんしゅう〕に依って法華経の行者を破せんが為に、】
あるいは、偏った執着心によって法華経の行者を論破しようとする為に、

【多く四十余年並びに涅槃等の諸経を引いて之を難ぜん。】
釈尊40余年の爾前経や涅槃経などの諸経を引用して非難することでしょう。

【而るに権教を信ずる人は之多く、或は威勢に依り、】
しかるに権教を信ずる人は、多く、威勢によって、

【或は世間の資縁〔しえん〕に依り、人の意に随って】
あるいは、世間のしがらみによって、世間の意志に従い、

【世路〔せろ〕を亘〔わた〕らんが為にし、】
世間で生きて行くために法華経の行者を非難するでしょう。

【或は権教には学者多く、実教には智者少なし。】
あるいは、権教には、学者が多く、実教には、智者は、少ないのです。

【是非に就〔つ〕いて万が一も実教を信ずる者有るべからず。】
実際の議論になると、万が一にも実教の側に立つ者は、いないのです。

【是の故に此の一段を撰〔えら〕んで】
このために最後に問答の一段を設〔もう〕けて、

【権人の邪難を防〔ふせ〕がん。】
権教の人の邪〔よこしま〕な非難を防ぐことにしたいと思います。

【問うて云はく、諸宗の学者難じて云はく】
それでは、諸宗派の学者が非難して言うのには、

【「華厳経は報身如来の所説、】
「華厳経は、報身〔ほうしん〕如来の所説であり、

【七処八会皆頓極〔とんごく〕頓証〔とんしょう〕の法門なり。】
その七ヵ所、八回の会座で説かれた教えは、すべて即座に極果を得る法門であり、

【法華経は応身如来の所説、】
法華経は、応身〔おうじん〕如来である釈尊の所説であり、

【教主既に優劣有り。】
その教主においては、優劣があり、

【法門に於て何ぞ浅深無からん。】
説かれた法門において、どうして浅深が無いのか。

【随って対告衆〔たいごうしゅ〕も法慧〔ほうえ〕・功徳林〔くどくりん〕・】
したがって華厳経の対告衆も法慧〔ほうえ〕、功徳林〔くどくりん〕、

【金剛幢〔こんごうどう〕等なり。永く二乗を雑〔まじ〕へず。】
金剛幢〔こんごうどう〕などであって、声聞、縁覚の二乗を入れず、

【法華経は舎利弗等を以て対告衆と為す」(華厳宗の難)。】
法華経は、舎利弗など二乗を対告衆と為す」としています。

【法相宗〔ほっそうしゅう〕の如きは解深密〔げじんみつ〕経等を以て】
法相宗は、解深密〔げじんみつ〕経を

【依憑〔えひょう〕と為して難を加へて云はく】
依りどころとし、華厳宗を非難して

【「解深密経は文殊〔もんじゅ〕・観音〔かんのん〕等を以て対告衆と為す。】
「解深密〔げじんみつ〕経は、文殊菩薩、観音菩薩などを対告衆としており、

【勝義生菩薩の領解〔りょうげ〕には一代を】
勝義生〔しょうぎしょう〕菩薩の領解には、釈尊一代の説法を

【有・空・中と詮す。】
有教、空教、中教の三教に分別しており、

【其の中とは華厳・法華・涅槃・深密等なり。】
その中の中教とは、華厳経、法華経、涅槃経、深密〔じんみつ〕経などである。

【法華経の信解品〔しんげほん〕の五時の領解は四大声聞なり。】
法華経の信解品第四で五時教判を領解したのは、四大声聞である。

【菩薩と声聞と勝劣天地なり」と。】
菩薩と声聞では、その優劣は、天地の違いがある」と言っています。

【浄土宗の如きは道理を立てゝ云はく】
浄土宗などは、理屈をつけて

【「我等は法華等の諸経を誹謗するに非ず。】
「我らは、法華経などの諸経を誹謗するものではない。

【彼等の諸経は正〔しょう〕には大人〔だいにん〕の為、】
しかし、法華などの諸経は、おもに優れた人の為に説かれ、

【傍〔ぼう〕には凡夫の為にす。】
ついでに凡夫の為にも説かれたものなので、

【断惑〔だんなく〕証理〔しょうり〕・理深〔りじん〕の教にして】
法華経は、惑を断じ理を証する深い法理の教えであって、

【末代の我等之を行ずるに】
末法の時代の我らは、法華経などを修行しても

【千人の中に一人も彼の機に当たらず、】
千人の中に一人も、その理解力にあっていない。

【在家の諸人多分は文字を見ず、】
在家の人々の多くは、文字が読めず、

【亦華厳・法相等の名を聞かず。】
また、華厳宗、法相宗などについては、名前を聞いたこともない。

【況んや其の義を知らんや。浄土宗の意は我等凡夫は】
まして、その教義の内容を知るはずもない。浄土宗の本意は、我ら凡夫が、

【但口に任せて六字の名号を称すれば、】
ただ、南無阿弥陀仏の六字を唱えさえすれば、

【現在には阿弥陀如来二十五の菩薩等を遣〔つか〕はして身に影の随ふが如く、】
現世に阿弥陀如来が二十五人の菩薩たちを遣〔つか〕わし、身に影の随うように、

【百重千重に行者を囲繞〔いにょう〕して之を守りたまふ。】
百重、千重に念仏の行者を取り囲んで守ってくださる。

【故に現世〔げんぜ〕には七難〔しちなん〕即滅〔そくめつ〕七福〔しちふく〕】
ゆえに現世には、七難は、即ち滅し、七福は、即ち生じ、

【即生〔そくしょう〕し、乃至臨終の時は必ず来迎〔らいごう〕有りて】
そして、死に臨んだ時は(中略)必ず阿弥陀如来が迎えに来て、

【観音の蓮台〔れんだい〕に乗じ、須臾〔しゅゆ〕の間に浄土に至り、】
観音菩薩の蓮華台〔れんげだい〕に乗って即時に極楽浄土に至り、

【業に随って蓮華開け、法華経を聞いて実相を覚る。】
その業に随って蓮華が開いて、法華経を聞いて実相の心理を悟るのである。

【何ぞ煩〔わずら〕はしく穢土〔えど〕に於て余行を行じて何の詮か有る。】
この穢土において、念仏以外の煩わしい修行を行じても、なんの意味があろうか。

【但万事を抛〔なげう〕ちて一向に名号〔みょうごう〕を称せよ」云云。】
ただ、全てを投げ捨てて、専ら念仏の名号を唱えよ」などと言っているのです。

【禅宗等の人云はく「一代聖教は月を指す指なり。】
禅宗などの人は「釈尊一代の聖教は、月を指す指である。

【天地日月等も汝等が妄心より出でたり。】
天地、日月なども、汝らの迷いの心から出たものである。

【十方の浄土も執心〔しゅうしん〕の影像なり。】
十方世界の浄土も執着の心の影像である。

【釈迦十方の仏陀は汝が覚心の所変〔しょへん〕なり。】
釈尊や十方の仏陀は、汝の覚りの変化したものである。

【文字に執する者は】
経文の文字に執着する者は、また、兎〔うさぎ〕が捕れると思って

【株〔くいぜ〕を守る愚人なり。】
切り株を守っている愚か者である。

【我が達磨〔だるま〕大師は文字を立てず、方便を仮〔か〕らず、】
我が達磨大師は、文字を立てず、方便を借りない。

【一代聖教の外に】
仏は、一代の聖教の外に

【仏迦葉に印〔いん〕して】
釈迦牟尼仏が迦葉に華を拈〔ひね〕り、迦葉は、それに微笑すると言う印によって

【此の法を伝ふ。】
心から心へ、別に、この禅法を伝えたのである。

【法華経等は未だ真実を宣べず」(已上)。】
法華経などは、未だ真実を宣べていない」と言っているのです。

【此等の諸宗の難一に非ず。】
こうした諸宗の非難は、ひとつではない。

【如何〔いかん〕ぞ法華経の信心を壊らざるべしや。】
どうして、法華経への信心を破〔やぶ〕らないでおられるでしょうか。

【答へて云はく、法華経の行者は心中に、四十余年・】
それは、法華経の行者は、無量義経、説法品の「四十余年、末顕真実」、

【已今当・】
法華経、法師品の「すでに説き、今、説き、まさに説かん」、

【皆是真実・】
法華経、見宝塔品の「皆、これ真実」

【依法不依人等の文を存して】
涅槃経、如来性品の「法に依って人に依らざれ」などの文章を心に刻み、

【而も外に語に之を出ださず。】
しかも、これらの言葉を外に出さないようにしてください。

【難に随って之を問ふべし。】
そして、相手から議論をしてくることに応じて、このように質問してください。

【抑〔そもそも〕所立の宗義何れの経に依るや。】
そもそも、汝が立てるところの宗義は、どの経文に依っているのでしょうか。

【彼〔かれ〕経を引かば引くに随って亦〔また〕之を尋ねよ。】
彼が経文を引用すれば、その引用について、また、このように尋ねてください。

【一代五十年の間の説の中に法華経より先か、】
釈尊一代五十年の間の説法の中で、その経文は、法華経より先に説かれたのか、

【後か、同時なるか、亦先後〔せんご〕不定〔ふじょう〕なるかと。】
後に説かれたのか、また、同時に説かれたのか、また、その後先が不明であるのか。

【若し先と答へば未顕〔みけん〕真実〔しんじつ〕の文を以て之を責めよ。】
もし、法華経より先と答えれば、未だ真実を顕さずの文章をもって責めてください。

【敢〔あ〕へて彼〔か〕の経の説相を尋ぬること勿〔なか〕れ。】
強いて彼の経に説かれている内容まで尋ねては、いけません。

【後と答へば当説の文を以て之を責めよ。】
法華経より後に説かれたと答えれば、当に説かんの文章をもって責めてください。

【同時なりと答へば今説の文を以て之を責めよ。】
法華経と同時に説かれたと答えれば、今説くの文章をもって責めてください。

【不定と答へば不定の経は大部の経に非ず、】
後先が不明であると答えれば、不明の経文は、重要な経典ではなく、

【一時一会〔いちえ〕の説にして亦物〔もの〕の数に非ず。】
その場、その場の説法であって、重視すべきものでは、ないのです。

【其の上不定の経と雖も三説を出でず。】
そのうえ、不明の経文と言っても、已今当の三説を出ることは、ありません。

【設〔たと〕ひ百千万の義を立つると雖も四十余年等の文を載〔の〕せて】
たとえ、百千万の教義を立てても、四十余年末顕真実の文章によって

【虚妄〔こもう〕と称せざるより外は用ふべからず。】
嘘でない経典以外は、用いては、ならないのです。

【仏の遺言に不依〔ふえ〕不了義〔ふりょうぎ〕経と云ふが故なり。】
この為、仏の遺言に、不了義〔ふりょうぎ〕経に依らざれと言うのがあるのです。

【亦智儼〔ちごん〕・嘉祥〔かじょう〕・慈恩・善導等を】
また智儼〔ちごん〕、嘉祥〔かじょう〕、慈恩〔じおん〕、善導〔ぜんどう〕らの

【引いて徳を立て難ずと雖も】
言葉を引用して、彼らの徳を立てて、こちらを非難して来たとしても、

【法華涅槃に違する人師に於ては用ふべからず。】
法華経、涅槃経に違背する人師を用いてはならないのです。

【依法不依人の金言を仰ぐが故なり。】
涅槃経の如来性品の法に依って人に依らざれの金言を守るからなのです。


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