御書研鑚の集い 御書研鑽資料
守護国家論 12 第11章 選択集謗法の縁起
【大文の第三に選択集〔せんちゃくしゅう〕謗法の縁起を出ださば、】第3段に選択集〔せんちゃくしゅう〕が謗法である理由を明確にします。
【問うて云はく、何れの証拠を以て源空を謗法の者と称するや。】
それでは、どのような証拠で法然房源空を謗法の者と言うのでしょうか。
【答へて云はく、選択集の現文〔げんもん〕を見るに】
それは、選択集〔せんちゃくしゅう〕の現にある文章を読むと、
【一代聖教を以て二に分かつ。一には聖道〔しょうどう〕・】
釈尊一代の聖教を二つに分けて、一つには、聖道〔しょうどう〕門の、
【難行〔なんぎょう〕・雑行〔ぞうぎょう〕、二には浄土〔じょうど〕・】
難行〔なんぎょう〕道、雑行〔ぞうぎょう〕、二つには、浄土〔じょうど〕門の、
【易行〔いぎょう〕・正行〔しょうぎょう〕なり。】
易行〔いぎょう〕道、正行〔しょうぎょう〕であるとし、
【其の中に聖・難・雑と云ふは、】
その中の聖道門の難行道、雑行と言うのは、
【華厳〔けごん〕・阿含〔あごん〕・方等〔ほうどう〕・般若〔はんにゃ〕・】
華厳、阿含、方等、般若、
【法華〔ほっけ〕・涅槃〔ねはん〕・大日〔だいにち〕経等なり(取意)。】
法華、涅槃、大日経などであるというのです。
【浄・易・正と云ふは、浄土の三部経の称名〔しょうみょう〕念仏等なり(取意)。】
浄土門の易行道、正行とは、浄土の三部経の称名〔しょうみょう〕念仏などであり、
【聖・難・雑の失〔しつ〕を判ずるには、】
聖道門の難行道、雑行の問題点を批判して、
【末代の凡夫之を行ぜば百の時に希〔まれ〕に一・二を得、】
「末法の凡夫が、これを修行すれば、百人の時には、まれに一、二人が得道し、
【千の時に希に三・五を得ん、】
千人の時には、まれに三、五人が得道するであろう。
【或は千が中に一も無し、】
あるいは、千人の中に一人も成仏しない」と批判しているのです。
【或は群賊・悪衆・】
そして聖道門の人を群賊、悪人であり、
【邪見・悪見・邪雑〔じゃぞう〕の人等と定むるなり。】
邪見、悪見、邪雑〔じゃぞう〕の人であると決めつけているのです。
【浄・易・正の得〔とく〕を判ずるには、】
反対に浄土門、易行道、正行の得益を論じて、
【末代の凡夫之を行ぜば十は即ち十生じ、】
「末法の凡夫が、これを修行すれば、十人は、十人とも往生し、
【百は即ち百生ぜん等なり。】
百人は、百人とも往生する」などとしているのです。
【謗法の邪義是なり。】
謗法の邪義と言うのは、このことなのです。
【問うて云はく、一代聖教を聖道浄土・難行易行・正行雑行と分かつ。】
それでは、釈尊一代聖教を聖道門、浄土門、難行道、易行道、正行、雑行に分けて、
【其の中に難・聖・雑を以て時機不相応と称すること】
その中に難行道、聖道門、雑行をもって、末法の時と機根に合わないとするのは、
【但源空一人の新義に非ず、】
法然房源空一人が新しく立てた教義ではなく、そもそも中国念仏宗の
【曇鸞〔どんらん〕・道綽〔どうしゃく〕・善導〔ぜんどう〕の三師の義なり。】
曇鸞〔どんらん〕、道綽〔どうしゃく〕、善導〔ぜんどう〕の三師の教義なのです。
【此〔これ〕亦〔また〕此等〔これら〕の人師の私の按〔あん〕に非ず、】
しかもまた、これら人師の勝手な思案でもありません。
【其の源〔みなもと〕は竜樹〔りゅうじゅ〕菩薩の】
その源〔みなもと〕は、竜樹菩薩の
【十住〔じゅうじゅう〕毘婆沙〔びばしゃ〕論〔ろん〕より出でたり。】
十住〔じゅうじゅう〕毘婆沙〔びばしゃ〕論〔ろん〕より出たものなのであり、
【若し源空を謗法の者と称せば竜樹菩薩並びに】
もし、法然房源空を謗法の者と呼ぶなら、竜樹菩薩と
【三師を】
曇鸞〔どんらん〕、道綽〔どうしゃく〕、善導〔ぜんどう〕の三師を
【謗法の者と称するに非ずや。】
謗法の者と呼ぶことになるのでは、ないでしょうか。
【答へて云はく、竜樹菩薩並びに三師の意は法華已前の】
それは、竜樹菩薩と三師の本意は、法華経以前の
【四十余年の経々に於て難易等の義を存す。】
40余年の経文の中において、難行道、易行道などの義を立てたのです。
【而るを源空より已来、竜樹並びに三師の難行等の語を借りて】
ところが法然房源空以来、竜樹菩薩と三師の難行道などの言葉を借りて、
【法華・真言等を以て難・雑等の内に入れぬ。】
法華、真言をもって難行道、雑行などの中に入れたのであり、
【所化の弟子、師の失〔とが〕を知らず、】
法然の教えを受けた弟子たちが、師の誤りを知らずに、
【此の邪義を以て正義なりと存じ此の国に流布せしむるが故に、】
この邪義を正義と思って、この国に流布させたのです。
【国中の万民悉く法華・真言等に於て】
このため、国中の万民は、ことごとく法華、真言を
【時機不相応の想ひを作〔な〕す。其の上世間を貪〔むさぼ〕る】
時と機根に相応しないと思うようになったのです。そのうえ、世間の利益を貪る
【天台・真言の学者、世情に随はんが為に法華・真言等に於て】
天台宗、真言宗の学者は、世間の心情に合わせようとして法華、真言は、
【時機不相応の悪言を吐いて選択集の邪義を扶〔たす〕け、】
時と機根に合わないとの悪言を吐いて、選択集〔せんちゃくしゅう〕の邪義を助け、
【一旦〔いったん〕の欲心に依って釈迦・多宝並びに十方の諸仏の】
一時の欲望に従って釈迦仏、多宝如来と十方の諸仏が
【御評定〔ごひょうじょう〕の令法〔りょうぼう〕久住〔くじゅう〕於〔お〕】
評議して定められた「法をして久しく住せしめる」
【閻浮提〔えんぶだい〕広宣流布の誠言〔じょうごん〕を壊〔やぶ〕り、】
「閻浮提において広宣流布させる」との真実の言葉を破〔やぶ〕り、
【一切衆生に於て一切三世十方の諸仏の舌を切る罪を得せしむ。】
一切衆生に、三世十方の諸仏が証言された、その舌を切る罪を犯させているのです。
【偏〔ひとえ〕に是「悪世の中の比丘は】
ひとえに、これは、法華経、勧持品の「悪世の中の僧侶は、
【邪智にして心諂曲〔てんごく〕に】
邪智で、道理を曲げ、媚〔こ〕び諂〔へつら〕い、
【未だ得ざるを為〔こ〕れ得たりと謂〔おも〕ひ、乃至悪鬼其の身に入り】
未だ証得していないのに、証得したと思い(中略)悪鬼がその身に入り、
【仏の方便随宜〔ずいぎ〕所説の法を知らざる」が故なり。】
仏の方便を、真実を教える手段として説いた法である事を知らない」からなのです。
【問うて云はく、竜樹菩薩並びに三師、法華・真言等を以て】
それでは、竜樹菩薩と三師は、法華、真言などを
【難・聖・雑の内に入れざるを源空私〔ひそ〕かに】
難行道、聖道門、雑行の中に入れなかったのに、法然房源空が勝手に、
【之を入るとは何を以て之を知るや。】
これを入れたことを、何をもって、そう主張するのでしょうか。
【答へて云はく、遠く余処に証拠を尋ぬべきに非ず。】
それは、どこか遠く、他の所に証拠を求めることは、ないのです。
【即ち選択集に之見えたり。】
すなわち選択集〔せんちゃくしゅう〕の中に、この証拠が明白なのです。
【問うて云はく、其の証文如何。】
それでは、その証文は、どれでしょうか。
【答へて云はく、選択集の第一篇に云はく】
それは、選択集〔せんちゃくしゅう〕の第一篇に
【「道綽〔どうしゃく〕禅師、聖道・浄土の二門を立て、】
「道綽〔どうしゃく〕禅師、聖道、浄土の二門を立てて、
【而も聖道を捨てゝ正〔まさ〕しく浄土に帰するの文」と約束し了〔おわ〕って、】
しかして聖道門を捨てて、正しく浄土に帰するの文」と本篇の総意を表示して、
【次下に安楽集を引き私の料簡〔りょうけん〕の段に云はく】
その次に安楽集の文章を引用して、さらに、私の料簡〔りょうけん〕の段に
【「初めに聖道門とは之に就いて二有り。】
「初めに聖道門とは、これについて二つある。
【一には大乗、二には小乗なり。】
一には、大乗教、二には、小乗教である。
【大乗の中に就いて顕密〔けんみつ〕・権実等の不同有りと雖も、今此の集の意は】
大乗教の中に顕教、密教、権教、実教などの不同はあるが、安楽集の本意は、
【唯顕大〔けんだい〕及以〔および〕権大〔ごんだい〕を存す。】
聖道門とは、ただ顕大乗および権大乗である。
【故に歴劫〔りゃっこう〕迂回〔うえ〕の行に当たる。】
それゆえに、これらは、歴劫迂回〔うえ〕の修行に当たるとしているのです。
【之に準じて之を思ふに、応に密大〔みつだい〕及以】
これに準じ、これを思うに、まさに密大乗および
【実大〔じつだい〕をも存すべし」(已上)】
実大乗をも、聖道門に入れてよい」と述べており、
【選択集の文なり。】
これは、選択集〔せんちゃくしゅう〕の文章なのです。
【此の文の意は、道綽禅師の安楽集の意は】
この文章の意味は、道綽〔どうしゃく〕禅師の安楽集の本意は、
【法華已前の大小乗経に於て、聖道・浄土の二門を分かつと雖も、】
法華経以前の大乗経、小乗経を、聖道門と浄土門の二門に分ける事なのですが、
【我私〔ひそ〕かに法華・真言等の実大・密大を以て】
法然房源空は、自分の考えで、ひそかに法華、真言などの実大乗、密大乗を
【四十余年の権大乗に同じて聖道門と称す。】
40余年の権大乗と同じであるとして、聖道門に入れたのです。
【準之〔じゅんし〕思之〔しし〕の四字是なり。】
「之〔これ〕に準じて之〔これ〕を思うに」の四字は、それを表わしているのです。
【此の意に依るが故に亦曇鸞〔どんらん〕の難・易の二道を引く時、】
この本意によるゆえに曇鸞〔どんらん〕の難行道、易行道の二道を引く時も、
【私かに法華・真言を以て難行道の中に入れ、】
勝手に法華、真言を難行道の中に入れ、
【善道和尚の正・雑二行を分かつ時も亦私かに】
善導〔ぜんどう〕和尚の正行、雑行の二行を立て分ける時も、また勝手に
【法華・真言を以て雑行の内に入る。】
法華、真言を雑行の内に入れたのです。
【総じて選択集の十六段に亘りて無量の謗法を作〔な〕す根源は、】
総じて選択集〔せんちゃくしゅう〕の十六段にわたって無量の謗法をなす根源は、
【偏〔ひとえ〕に此の四字より起こる。】
ひとえに、この四字から起こっているのです。
【誤れるかな、畏〔おそろ〕しきかな。】
これこそ、おそるべき間違いなのです。