日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 18 第17章 善知識に値い難き事

【大文の第五に善知識並びに真実の法に値ひ難きことを明かさば、】
第5段に、善知識、真実の法に会い難い事を明かして、

【之に付いて三有り。】
これについて、3項目を設けます。

【一には受け難き人身値ひ難き仏法なることを明かし、】
第1項では、受け難い人身と、会い難い仏法である事を明確にします。

【二には受け難き人身を受け値ひ難き仏法に値ふと雖も】
第2項では、受け難い人身を受け、会い難い仏法に会うと言っても

【悪知識に値ふが故に三悪道に堕することを明かし、】
悪知識に会うと三悪道に堕ちることを明確にします。

【三には正〔まさ〕しく末代の凡夫の為の善知識を明かす。】
第3項では、まさしく末法の凡夫の為の善知識を明確にします。

【第一に受け難き人身値ひ難き仏法なることを明かさば、】
第1項に、受け難い人身と会い難い仏法であることを明確にするならば、

【涅槃経三十三に云はく「爾の時に世尊地〔じ〕の少土〔しょうど〕を取りて】
涅槃経、第33巻に「その時に世尊が大地の少しの土を取って、

【之を爪上〔そうじょう〕に置き迦葉に告げて言〔のたま〕はく、】
これを爪の上に置いて、迦葉〔かしょう〕に告げて

【是の土多きやと、十方世界の地の土多きやと。】
この爪の上の土が多いか、十方世界の大地の土が多いかと尋ねた。

【迦葉菩薩仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、世尊、】
迦葉〔かしょう〕菩薩は、仏に、

【爪上の土は十方所有の土に比せざるなりと。】
爪上の土の少なさは、十方にある大地の土の多さに比べられませんと答えた。

【善男子、人有りて身を捨てゝ還〔かえ〕って人身を得〔え〕、】
善男子、人が死んだ後、再び人身を得て、

【三悪の身を捨てゝ人身を受くることを得〔う〕。】
または、地獄、餓鬼、畜生の三悪道の身で死んだ後、人身を受けることを得て、

【諸根完〔まった〕く具して中国に生じ、正信を具足して能く道〔どう〕を】
諸々の人間としての感覚がそなわり、仏法の中心地に生まれ、正しい信仰心を持って、

【修習〔しゅじゅう〕し、道を修習し已〔お〕はって能く正道を修し、】
仏法を学び、その仏道を学び終わって、その中でも正しい道を修行し、

【正道を修し已はって能く解脱〔げだつ〕を得〔え〕、】
正しい道を修行し終わって、解脱を得て、

【解脱を得已はって能く涅槃に入るは爪上の土の如く、】
解脱を得〔え〕終わって、涅槃に入ることは、爪上の土のように少ない。

【人身を捨て已はって三悪の身を得、】
人が死んだ後、三悪道の地獄、餓鬼、畜生の身を得て、

【三悪の身を捨てゝ三悪の身を得、】
あるいは、三悪道の地獄、餓鬼、畜生の身で死んだ後、再び三悪道の身を得て、

【諸根具せずして辺地〔へんじ〕に生じ、】
諸々の人間としての感覚が備わる事なく、仏法の中心地から遠い僻地に生まれ、

【邪倒〔じゃとう〕の見を信じて邪道を修習し、】
邪教の顛倒〔てんどう〕の思想を信じ、邪道を修行し、

【解脱〔げだつ〕常楽〔じょうらく〕の涅槃を得ざるは】
解脱を得ず、常楽の涅槃を得ないことは、

【十方界所有の地の土の如し」(已上経文)。】
十方世界の大地の土のように多いのである」とあります。

【此の文は多く法門を集めて一具と為せり。】
この経文は、多くの法門を集めて、ひとまとめにしているのです。

【人身を捨てゝ還って人身を受くるは】
少し説明を加えると、人身を捨てて死に、再び人身を受けて生まれることは、

【爪上の土の如く、人身を捨てゝ】
爪の上の土のように少ないのです。人身を捨てて死に、

【三悪道に堕つるは十方の土の如し。】
三悪道の地獄、餓鬼、畜生に堕ちる事は、十方世界の大地の土のように多いのです。

【三悪の身を捨てゝ人身を受くるは】
三悪道の地獄、餓鬼、畜生の身を捨てて死に、人身を受けて生まれることは、

【爪上の土の如く、】
爪の上の土のように少ないのです。

【三悪の身を捨てゝ還って】
三悪道の地獄、餓鬼、畜生の身を捨てて死に、

【三悪の身を得るは十方の土の如し。】
三悪道の身を得て生まれてくる事は、十方世界の大地の土のように多いのです。

【人身を受くるは十方の土の如く、】
また、人身を受けて生まれてくる事は、十方世界の大地の土のように多く、

【人身を受けて六根欠けざるは】
人身を受けて生まれ、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根が欠けていないことは、

【爪上の土の如し。人身を受けて六根欠けざれども】
爪の上の土のように少ないのです。人身を受けて生まれ、六根を欠いていなくても

【辺地に生ずるは十方の土の如く、】
僻地に生まれることは、十方世界の大地の土のように多く、

【中国に生ずるは爪上の土の如し。】
仏法の中心地に生まれることは、爪の上の土のように少ないのです。

【中国に生ずるは十方の土の如く、】
さらに仏法の中心地に生まれることは、十方世界の大地の土のように多く、

【仏法に値ふは爪上〔そうじょう〕の土の如し。】
仏法に会う事は、爪の上の土のように少ないのです。

【又云はく「一闡提〔いっせんだい〕と作〔な〕らず、善根を断ぜず、】
また「一闡提とならず、善根を断ぜず、

【是くの如き等の涅槃経典を信ずるは爪上の土の如く、乃至】
このような涅槃の経典を信ずる者は、爪の上の土のように少ない(中略)

【一闡提と作り、諸の善根を断じ、是の経を信ぜざるは】
一闡提となって、諸々の善根を断じ、この経典を信じない者は

【十方界所有の地の土の如し」(已上経文)。】
十方世界にある大地の土のように多い」とあるのです。

【此の文の如くんば法華・涅槃を信ぜずして】
この経文の通りであるならば、法華経、涅槃経を信じないで

【一闡提と作るは十方の土の如く、】
一闡提となる者は、十方世界の大地の土のように多く、

【法華・涅槃を信ずるは爪上の土の如し。】
法華経、涅槃経を信ずる者は、爪の上の土のように少ないのです。

【此の経文を見て弥〔いよいよ〕感涙押さへ難し。】
この経文を見て、いよいよ感涙は、押え難いのです。

【今日本国の諸人を見聞〔けんもん〕するに多分は権教を行ず。】
今、日本国の諸々の人を見聞きすると、多くは、権教を修行し、

【設〔たと〕ひ身口には実教を行ずと雖も】
たとえ身と口では、実教を修行していても、

【心には亦権教を存す。】
心では、なおも、権教に執着しています。

【故に天台大師摩訶止観〔まかしかん〕の五に云はく】
それゆえに天台大師は、摩訶止観〔まかしかん〕、第5巻に

【「其の癡鈍〔ちどん〕なる者は毒気深く入って本心を失ふが故に、】
「その愚鈍な者は、毒気が深く入って、本心を失っているので、

【既に其れ信ぜざるは則〔すなわ〕ち手に入らず、乃至】
正法を信じる事ができず、その為に正法を手にする事ができず、(中略)

【大罪聚〔だいざいじゅ〕の人なり。乃至】
正法誹謗〔ひぼう〕の大罪が集まった人である。(中略)

【設ひ世を厭〔いと〕ふ者も下劣の乗を翫〔もてあそ〕び】
たとえ、世間を嫌い、出家した者も、低く劣った教えをもてあそび、

【枝葉に攀附〔はんぷ〕し、狗〔いぬ〕の作務〔さむ〕に狎〔な〕れ、】
枝や葉によじ登り、犬が主人を忘れ使用人になつき、

【獼猴〔みこう〕を敬ふて帝釈と為し、】
また、猿を帝釈と思って敬い、

【瓦礫〔がりゃく〕を崇〔たっと〕んで是明珠〔みょうじゅ〕なりとす。】
瓦や石を明珠と思って、尊んでいるようなものである。

【此の黒闇の人豈〔あに〕道を論ずべけんや」(已上)。】
このような道理に暗い人が、どうして仏道を論ずる事ができるか」と述べています。

【源空並びに所化の衆深く】
法然房源空と、その弟子たちは、深く貪欲〔とんよく〕、瞋恚〔しんに〕、愚癡の

【三毒の酒に酔ふて大通〔だいつう〕結縁〔けちえん〕の】
三毒の酒に酔って、大通智勝仏の十六王子から受けた法華経結縁〔けちえん〕の

【本心を失ふ。法華・涅槃に於て不信の思ひを作〔な〕し一闡提と作〔な〕り、】
本心を失っているのです。法華、涅槃において不信の思いをなし、一闡提となり、

【観経等の下劣の乗に依って方便称名〔しょうみょう〕等の】
観無量寿経などの下劣の乗によって、方便称名〔しょうみょう〕などの

【瓦礫を翫〔もてあそ〕び、法然房の獼猴〔みこう〕を敬ふて】
瓦や石をもてあそび、法然房源空のような猿を敬って

【智慧第一の帝釈と思ひ、法華・涅槃の如意珠〔にょいじゅ〕を捨てゝ、】
智慧第一の帝釈と思いこみ、このため、法華経、涅槃経の如意宝珠を捨てて、

【如来の聖教を褊〔さみ〕するは権実二教を弁へざるが故なり。】
如来の聖教を軽んじるのは、権教と実教の違いが理解できないからなのです。

【故に弘決〔ぐけつ〕の第一に云はく】
それゆえに止観輔行伝弘決〔しかんぶぎょうでんぐけつ〕第1巻に

【「此の円頓〔えんどん〕を聞いて宗重〔そうじゅう〕せざる者は】
「この円頓〔えんどん〕の教を聞いて尊重〔そんちょう〕しない者は、

【良〔まこと〕に近代大乗を習ふ者の雑濫〔ぞうらん〕に由るが故なり」と。】
まことに近来の大乗教を習う者の雑乱による故なり」と述べられています。

【大乗に於て権実二教を弁へざるを雑濫と云ふなり。】
大乗教において、権教、実教の二経の見分けができないことを雑乱と言うのです。

【故に末代に於て法華経を信ずる者は爪上の土の如く、】
それゆえに末法において法華経を信ずる者は、爪の上の土のように少なく、

【法華経を信ぜずして権教に堕落する者は十方の微塵〔みじん〕の如し。】
法華経を信じないで権教に堕ちる者は、十方世界の微細な塵のように多いのです。

【故に妙楽歎いて云はく】
それゆえに妙楽大師は、それを歎〔なげ〕いて

【「像末は情〔こころ〕澆〔うす〕く信心寡薄〔かはく〕にして】
「像法、末法の時代は、人情が薄く、信心が弱くなり、

【円頓の教法蔵〔くら〕に溢〔あふ〕れ函〔はこ〕に盈〔み〕つれども】
円頓〔えんどん〕の教法が蔵に溢れ、箱に満ちているけれども、

【暫〔しばら〕くも思惟〔しゆい〕せず。】
少しの間も思索しようとせず、一生を終え

【便〔すなわ〕ち目を瞑〔ふさ〕ぐに至る。徒〔いたずら〕に生じ徒に死す。】
目を閉じる事になり、そうやって、いたずらに生まれて、いたずらに死ぬのである。

【一に何ぞ痛ましきかな」(已上)。】
まったく、何と痛ましいことであることか」と述べています。

【此の釈は偏に妙楽大師権者〔ごんじゃ〕たるの間、】
この解釈は、ひとえに妙楽大師は、菩薩の化身であるので、

【遠く日本国の当代を鑑〔かんが〕みて記し置く所の未来記なり。】
遠く今の日本を鑑〔かんが〕みて、記〔しる〕し置かれた未来記であるのです。

【問うて云はく、法然上人の門弟の内にも一切経蔵を安置し】
それでは、法然上人の門弟の内にも一切経を安置し、

【法華経を行ずる者有り。何ぞ皆謗法の者と称せんや。】
法華経を行ずる者がいるのに、どうして、すべて謗法の者と呼ぶのでしょうか。

【答へて曰く、一切経を開き見て法華経を読むは、難行道の由を称し】
それは、一切経を開き見て、法華経を読んでも、難行道であると理屈を並べて、

【選択集の悪義を扶〔たす〕けんが為なり。】
選択集〔せんちゃくしゅう〕の誤った教義を助けるからなのです。

【経論を開くに付いて弥〔いよいよ〕謗法を増すこと例せば】
経論を開いて、いよいよ謗法を増すのは、例えば、

【善星〔ぜんしょう〕の十二部経、提婆達多〔だいばだった〕の六万蔵の如し。】
善星〔ぜんしょう〕比丘が十二部経、提婆達多が六万蔵を読んだようなものです。

【智者の由を称するは自身を重んじ悪法を扶けんが為なり。】
自ら智者と名乗る者は、自身を重んじ、それは、悪法を助けるためなのです。


ページのトップへ戻る