日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 11 第10章 法然の選択集の罪

【日本国の源信〔げんしん〕僧都〔そうず〕は】
日本の慧心〔えしん〕僧都〔そうず〕源信〔げんしん〕は、

【亦叡山〔えいざん〕第十八代の座主〔ざす〕慈慧〔じえ〕大師の御弟子なり。】
比叡山第18代の座主であり、慈慧〔じえ〕大師の弟子なのです。

【多くの書を造れども皆法華を弘めんが為なり。】
多くの書を著したのは、すべて、法華経を弘めるためでした。

【而〔しか〕るに往生〔おうじょう〕要集〔ようしゅう〕を造る意は】
しかし、往生〔おうじょう〕要集〔ようしゅう〕を造った目的は、

【爾前四十余年の諸経に於て往生・成仏の二義有り。】
爾前40余年の諸経において、往生、成仏の二義があり、

【成仏の難行〔なんぎょう〕に対して往生易行〔いぎょう〕の義を存し、】
成仏の難行に対して、往生は、易行の意義があり、

【往生の業の中に於て菩提心〔ぼだいしん〕観念〔かんねん〕の念仏を以て】
往生の業において、菩提心、観念の念仏をもって

【最上と為す。故に大文第十の問答〔もんどう〕料簡〔りょうけん〕の中、第七の】
最上としたのです。それゆえに往生要集の大文第十段、問答料簡の中の第七項の、

【諸行〔しょぎょう〕勝劣門〔しょうれつもん〕に於ては念仏を以て最勝と為す。】
諸行の勝劣〔しょうれつ〕門においては、念仏をもって最上として、

【次下に爾前最勝の念仏を以て法華経の一念〔いちねん〕信解〔しんげ〕の】
その次に爾前の中で最上の念仏をもって、法華経の最下の一念信解の

【功徳に対して勝劣を判ずる時、】
功徳に対して優劣を判断する時、

【一念信解の功徳は念仏三昧より勝るゝこと百千万倍なりと定めたまへり。】
一念信解の功徳は、念仏三昧より、百千万倍も優れていると定められたのです。

【当に知るべし、往生要集の意は爾前最上の念仏を以て】
したがって往生要集の本意は、爾前の最上の念仏と

【法華最下の功徳に対して、】
法華の最下の功徳を対比することによって、

【人をして法華経に入らしめんが為に造る所の書なり。】
人々を法華経に入らせるために作り著〔あらわ〕した書物なのです。

【故に往生要集の後に一乗〔いちじょう〕要決〔ようけつ〕を造りて】
それゆえに往生要集の後に一乗要決〔ようけつ〕を作り著〔あらわ〕して

【自身の内証を述ぶる時、法華経を以て本意と為す。】
慧心〔えしん〕僧都、自身の内証を述べる時、法華経をもって本意としたのです。

【而るに源空〔げんくう〕並びに所化〔しょけ〕の衆此の義を知らざるが故に、】
しかしながら、法然房源空と、その弟子たちは、この意義を知らない故に、

【法華・真言を以て三師並びに源信の所破の】
法華、真言をも、曇鸞、道綽、善導の三師や慧心〔えしん〕僧都源信が破折した

【難聖雑〔なんしょうぞう〕並びに往生要集の序の】
難行道、聖道門、雑行、また、往生要集の序に述べられている

【顕密〔けんみつ〕の中に入れて、三師並びに源信を】
顕教、密教の中に入れて、三師ならびに慧心〔えしん〕僧都を

【法華・真言の謗法〔ほうぼう〕の人と作〔な〕す。】
法華、真言に敵対する謗法の人としてしまったのです。

【其の上日本国の一切の道俗を化〔け〕し法華・真言に於て】
そのうえ日本国の一切の出家、在家を教化して法華、真言は

【時機不相応の旨を習はしめ、】
時機不相応であると思わせて、

【在家出家の諸人に於て法華・真言の結縁〔けちえん〕を留〔とど〕む。】
在家、出家の諸人が法華、真言に縁することを止めさせたのです。

【豈〔あに〕仏の記したまふ所の「悪世中〔あくせちゅう〕比丘〔びく〕】
法然房源空は、まさに仏が記〔しる〕されたところの「悪世の中の僧侶は、

【邪智〔じゃち〕心〔しん〕諂曲〔てんごく〕」の人に非ずや。】
邪智で、道理を曲げ、媚〔こ〕び諂〔へつら〕う」、その人では、ないでしょうか。

【亦、「則断〔そくだん〕一切〔いっさい〕世間〔せけん〕仏種〔ぶっしゅ〕」の】
また「則ち一切世間の仏種を断ずる」の

【失〔とが〕を免〔まぬか〕るべきや。】
罪を免〔まぬが〕れることが、できるでしょうか。

【其の上山門〔さんもん〕・寺門〔じもん〕・東寺〔とうじ〕・天台並びに】
そのうえ、比叡山門流、三井寺門流、東寺真言宗、天台密教ならびに

【日本国中法華・真言等を習ふ諸人を群賊・悪衆・悪見の人等に】
日本国中に法華、真言を習う人々を、群賊であり、悪しき見解の人などに

【譬ふる源空〔げんくう〕が重罪、何れの劫にか】
たとえる法然房源空の重罪は、どのような時をもって、

【其の苦果〔くか〕を経尽〔きょうじん〕すべきや。】
その苦果を消し去ることができるでしょうか。

【法華経の法師品に持経者を罵〔ののし〕る罪を説いて云はく】
法華経の法師品に法華経を持〔たも〕つ者を罵〔ののし〕る罪を説いて

【「若し悪人有りて不善心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て】
「もし、悪人がいて、不善の心をもって、一劫の中で、現に仏前において

【常に仏を毀罵〔きめ〕せん。其の罪尚軽し。】
常に仏を毀〔そし〕り罵〔ののし〕る罪は、なお軽い。

【若し人一つの悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を】
もし人が一つの悪言をもって在家、出家で法華経を読誦する者を

【毀訾〔きし〕せん其の罪甚だ重し」(已上経文)。】
毀〔そし〕り罵〔ののし〕る罪は、はなはだ重い」とあります。

【一人の持者を罵る罪すら尚是くの如し。】
一人の法華経の持者を罵〔ののし〕る罪でさえ、なお、このように重いのです。

【況んや書を造り】
ましてや、選択集〔せんちゃくしゅう〕のような書物を作り著〔あらわ〕して、

【日本国の諸人に罵らしむる罪をや。】
日本国の人々に罵(ののし)らせる罪は、言うまでもありません。

【何に況んや此の経を千中無一と定め】
さらにまして、この法華経を千人の中で一人も成仏しない経文であると言って、

【法華経を行ずる人に疑ひを生ぜしむる罪をや。】
法華経を修行する人に疑いを生じさせる罪は、さらに重い事は、もちろんなのです。

【何に況んや此の経を捨てゝ観経等の権経に】
さらにましてや、この法華経を捨てて観無量寿経などの方便経に

【遷〔うつ〕らしむる謗法の罪をや。】
移らせる謗法の罪は、なおさらでしょう。

【願はくは一切の源空が所化の四衆、】
願うことは、一切の法然房源空の門下の僧侶、尼僧、男性信者、女性信者が、

【頓〔とん〕に選択集〔せんちゃくしゅう〕の邪法を捨てゝ】
即時に選択集〔せんちゃくしゅう〕の邪法を捨てて、

【忽〔たちま〕ちに法華経に遷り今度阿鼻〔あび〕の炎を脱れよ。】
速やかに法華経に移り、今度こそ無間地獄の炎を免〔まぬが)れてください。

【問うて云はく、正〔まさ〕しく源空が法華経を誹謗〔ひぼう〕する証文如何。】
それでは、法然房源空が法華経を誹謗する証文は、あるのでしょうか。

【答へて云はく、法華経の第二に云はく】
それは、法華経の第二の譬喩品に

【「若し人信ぜずして斯〔こ〕の経を毀謗〔きぼう〕せば則〔すなわ〕ち】
「もし人信ぜずして、この経を毀謗〔きぼう〕せば、すなわち

【一切世間の仏種を断ぜん」(経文)。】
一切世間の仏種を断ぜん」とあります。

【不信の相貌〔そうみょう〕は人をして法華経を捨てしむればなり。】
不信の姿、形は、人から法華経を捨てさせるからなのです。

【故に天親菩薩の仏性論の第一に此の文を釈して云はく】
それゆえに天親菩薩の仏性論の第一に、この文章を解釈して

【「若し大乗に憎背〔ぞうはい〕するは此は是一闡提〔いっせんだい〕の因なり。】
「もし、大乗を憎み背く者は、これ一闡提〔いっせんだい〕の因である。

【衆生をして此の法を捨てしむるを為〔もっ〕ての故に」(論文)。】
衆生をして、この法を捨てさせることをもっての故に」(論文)と言われています。

【謗法の相貌は此の法を捨てしむるが故なり。】
謗法の姿、形は、この法を捨てさせるからなのです。

【選択集は人をして法華経を捨てしむる書に非ずや。】
選択集〔せんちゃくしゅう〕は、人から法華経を捨てさせる書ではないでしょうか。

【「閣抛〔かくほう〕」の二字は仏性論の「憎背」の二字に非ずや。】
閣抛の二字は、仏性論でいう憎み背くの二字に当たるのではないでしょうか。

【亦法華経誹謗の相貌は四十余年の諸経の如く】
また、法華経の誹謗の姿、形は、法華経の小善成仏を爾前40余年の諸経のように

【小善〔しょうぜん〕成仏〔じょうぶつ〕を以て】
別の時に成仏するのを即時に成仏するかのように

【別時意趣と定むる等なり。】
説いたものと決めつけているのが、それなのです。

【故に天台の釈に云はく「若し小善成仏を信ぜずんば】
ゆえに天台大師の疏釈に「もし法華経の小善成仏を信じなければ、

【則ち世間の仏種を断ずるなり」と。】
則ち世間の仏種を断ずるのである」とあります。

【妙楽〔みょうらく〕重ねて此の義を宣べて云はく】
妙楽大師は、重ねて、この意義を述べて

【「此の経は遍〔あまね〕く六道の仏種を開す。若し此の経を謗ぜば】
「この経は、あまねく六道の仏種を開く。もし、この経を謗ずるならば、

【義、断〔だん〕に当たるなり」と。】
それは、仏種を断ずるものである」とあります。

【釈迦・多宝・十方の諸仏・天親・天台・妙楽の意の如くんば】
釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏や天親、天台大師、妙楽大師の本意によると、

【源空は謗法の者なり。所詮〔しょせん〕選択集の意は】
法然房源空は、謗法の者であり、結局は、選択集〔せんちゃくしゅう〕の趣意は、

【人をして法華・真言を捨てしめんと定めて書き了〔おわ〕んぬ。】
人に法華、真言を捨てさせると、はっきりと書いてあり、

【謗法の義疑ひ無き者なり。】
謗法であることは、疑いないものなのです。


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