日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 10 第09章 権実雑乱の罪

【倩〔つらつら〕文の次第を按〔あん〕ずるに、「我が滅度の後」の】
この文章の由来を考えると「我が滅度の後」の

【次の後の字は、四十余年の諸経滅尽の後の後の字なり。】
次の後の字は、40余年の諸経が滅し尽くした後の後という文字なのです。

【故に法華経の流通たる涅槃〔ねはん〕経に云はく】
それゆえに法華経の流通分である涅槃経に

【「応〔まさ〕に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし。】
「まさに無上の仏法をもって諸の菩薩に付嘱する。

【諸の菩薩は善能〔よく〕問答するを以てなり。】
諸の菩薩は、よく問答するからである。

【是くの如き法宝は即ち久住することを得。】
このようにして、法宝は、久しく住することができ、

【無量千世にも増益〔ぞうやく〕熾盛〔しじょう〕にして】
無量の世においても利益を増し、盛んであって

【衆生を利安〔りあん〕すべし」(已上)。此くの如き等の文は】
衆生に利益し、安んずべし」とあります。これらの文章によると、

【法華・涅槃は無量百歳にも絶ゆべからざる経なり。】
法華経、涅槃経は、無量百歳にも絶える事がない経文であるのです。

【此の義を知らざる世間の学者、大集権門〔ごんもん〕の五五百歳の文を以て】
この事を知らない世間の学者は、権教の大集経の「五の五百歳」の文章をもって、

【此の経に同じ、浄土の三部経より已前に滅尽すべしと存する】
法華経、涅槃経も同じく、浄土の三部経より以前に滅すと思っているのですが、

【立義〔りゅうぎ〕は一経先後の起尽〔きじん〕を忘れたるなり。】
こうした主張は、法華経一経の先後、起滅を忘れているからなのです。

【問うて云はく、上に挙ぐる所の曇鸞〔どんらん〕・】
それでは、いままで述べてきたところの中国の念仏宗の曇鸞〔どんらん〕、

【道綽〔どうしゃく〕・善導〔ぜんどう〕・】
唐の浄土宗の道綽〔どうしゃく〕、善導〔ぜんどう〕、

【慧心〔えしん〕等の諸師、】
日本の天台宗の慧心〔えしん〕僧都〔そうず〕源信〔げんしん〕などの諸師は、

【皆法華・真言等の諸経に於て末代不相応の釈を作る。】
すべて、法華、真言などの諸経を、末法にふさわしくないとの解釈を作って、

【之に依って源空〔げんくう〕並びに所化〔しょけ〕の弟子、法華・真言等を以て】
これによって法然房源空〔げんくう〕と、その弟子たちは、法華、真言などは、

【雑行〔ぞうぎょう〕と立て難行道〔なんぎょうどう〕と疎〔うと〕み、】
雑行〔ぞうぎょう〕であり、難行道〔なんぎょうどう〕であるとして、

【行者をば群賊〔ぐんぞく〕・悪衆・悪見の人等と罵〔ののし〕り、】
その行者を、群賊〔ぐんぞく〕であり、悪しき見解の人と罵〔ののし〕り、

【或は祖父の履〔くつ〕に類し(聖光房の語)、】
あるいは、祖父の履物は、幼い孫には合わないと念仏宗善導寺の聖光房が語り、

【或は絃歌〔げんか〕等にも劣ると云ふ(南無房の語)、】
あるいは、戯〔ざ〕れ歌にも劣ると念仏宗長楽寺の南無房は、言ったのです。

【其の意趣を尋〔たず〕ぬれば偏に時機不相応の義を存するが故なり。】
その趣旨を尋ねると、すべて時と機根が相応しくないとの考えから来ているのです。

【此等の人師の釈を如何に之を会〔え〕すべきや。】
これらの人師の解釈を、どのように理解すれば、よいのでしょうか。

【答へて云はく、釈迦如来一代五十年の説教、】
それは、釈迦如来一代50年の教えは、

【一仏の金言に於て権実二教を分け、】
すべて釈迦牟尼仏ひとりの金言ですが、それを権教と実教に立て分けて、

【権経を捨てゝ実経に入らしむる仏語顕然〔けんねん〕たり。】
権経を捨て実経に入るべきであるとの仏の言葉は、明白なのです。

【此に於て「若〔も〕し但〔ただ〕仏乗を讃めば】
ここにおいて「もし、ただ、仏乗のみを讃めるならば、

【衆生苦に没在〔もつざい〕せん」の道理を恐れ、】
衆生は、苦に没する」との道理を恐れ、

【且く四十二年の権経を説くと雖も、】
しばらく42年の権経を説いたのですが、

【「若し小乗を以て化すること乃至一人に於てもせば、】
「もし、小乗によって(中略)一人にでも修行をさせようとするならば、

【我則〔すなわ〕ち慳貪〔けんどん〕に堕せん」の失〔とが〕を脱れんが為に】
私は、すぐに出し惜しみの罪に堕ちる」と述べて、その罪を脱れる為に

【「大乗に入るを本と為す」の義を存し、本意を遂げて法華経を説きたまふ。】
「大乗に入れるを本となす」との意義から、本意である法華経を説かれたのです。

【然るに涅槃経に至りて「我滅度せば必ず四依〔しえ〕を出だして】
そう言う事で涅槃経に至って「私が滅した後に、必ず、四依の導師を出して、

【権実二教を弘通せしめん」と約束し了〔おわ〕んぬ。】
権教、実経の二教を弘通せしめる」と約束されているのです。

【故に竜樹〔りゅうじゅ〕菩薩は如来の滅後八百年に出世して】
それゆえに竜樹菩薩は、如来の滅後の八百年に、この世に出現して

【十住〔じゅうじゅう〕毘婆沙〔びばしゃ〕等の権論〔ごんろん〕を造りて】
十住〔じゅうじゅう〕毘婆沙〔びばしゃ〕などの方便の論書を作って著し

【華厳・方等・般若等の意を宣べ、】
華厳、方等、般若などの意義を述べ、

【大論〔だいろん〕を造りて般若・法華の差別を分かち、】
次に大智度論〔だいちどろん〕を作り著して般若経、法華経の相違を立て分け、

【天親〔てんじん〕菩薩は如来の滅後九百年に出世して】
天親〔てんじん〕菩薩は、如来滅後九百年にこの世に出現して

【倶舎〔くしゃ〕論を造りて小乗の意を宣べ、】
倶舎〔くしゃ〕論をつくって小乗の意義を述べ、

【唯識〔ゆいしき〕論を造りて方等部の意を宣べ、】
唯識論を作り著して方等部の意義を述べ、

【最後に仏性論を造りて法華・涅槃の意を宣べ、】
最後に仏性論を作り著して法華経、涅槃経の意義を述べ、

【了教・不了教を分かちて敢〔あ〕へて仏の遺言に違〔たが〕はず。】
了義経と不了義経を立て分けたのです。これらは、仏の遺言通りでしたが、

【末の論師並びに訳者の時に至りては一向権経に執するが故に、】
後代の論師ならびに翻訳者の時代になると、偏〔ひとえ〕に権経に執着する故に、

【実経を会〔え〕して権経に入れ】
実経を曲げて解釈して権経に、その内容を故意に入れて、

【権実〔ごんじつ〕雑乱〔ぞうらん〕の失〔とが〕出来せり。】
権実雑乱〔ぞうらん〕の罪が顕著になって来たのです。

【亦人師の時に至りては各依憑の経を以て】
また、人師の時代になってからは、各々の依りどころとする経文を

【本と為すが故に余経を以て権経と為す。】
根本とした為に、他経を方便の経文としたのです。

【是より弥〔いよいよ〕仏意に背く。】
こうやって、いよいよ仏意に背いていったのです。

【而るに浄土の三師に於ては鸞〔らん〕・綽〔しゃく〕の二師は】
それなのに浄土宗の三師の中の曇鸞〔どんらん〕、道綽〔どうしゃく〕の二師は、

【十住〔じゅうじゅう〕毘婆沙論〔びばしゃろん〕に依って】
十住〔じゅうじゅう〕毘婆沙論〔びばしゃろん〕に依って、

【難易〔なんい〕聖浄〔しょうじょう〕の二道を立つ。】
難行道、易行道と聖道門、浄土門の二道を立てたのです。

【若し本論に違して】
もし、十住〔じゅうじゅう〕毘婆沙論〔びばしゃろん〕に相違して

【法華・真言等を以て難易の内に入れば信用に及ばず。】
法華、真言などを難行道の中に入れるならば、それを信用する事はできないのです。

【随って浄土〔じょうど〕論註〔ろんちゅう〕】
そこで曇鸞〔どんらん〕の浄土論註〔ろんちゅう〕ならびに

【並びに安楽集〔あんらくしゅう〕を見るに多分は本論の意に違せず。】
安楽集を見ると、大体は、この論の趣旨に相違していないのです。

【善導〔ぜんどう〕和尚は亦浄土の三部経に依って】
善導〔ぜんどう〕和尚〔わじょう〕が、浄土の三部経に依って

【弥陀〔みだ〕称名〔しょうみょう〕等の一行〔いちぎょう〕】
阿弥陀仏の名を唱える一行で

【一願〔いちがん〕の往生を立つる時、】
一願である往生が叶〔かな〕うと立てた時に

【梁〔りょう〕・陳〔ちん〕・隋〔ずい〕・唐〔とう〕の四代の】
梁〔りょう〕、陳〔ちん〕、隋〔ずい〕、唐〔とう〕の四つの時代の

【摂論師〔しょうろんし〕、総じて一代聖教を以て別時〔べつじ〕】
摂論〔しょうろん〕宗の法師が、総じて一代聖教によって未来に往生する事を、

【意趣〔いしゅ〕と定む。】
すぐに往生するかのように説いた、念仏を勧める為の方便であると定めたのです。

【善導和尚の存念に違せるが故に】
これは、善導〔ぜんどう〕和尚〔わじょう〕自身の考えに相違するので

【摂論師を破する時、彼の人を群賊等に譬ふ。】
摂論師〔しょうろんし〕を破折して、彼等を群賊にたとえたのです。

【順次〔じゅんじ〕往生〔おうじょう〕の功徳を賊するが故なり。】
彼らを群賊〔ぐんぞく〕としたのは、順次に往生する功徳を害する為であり、

【其の所行を雑行〔ぞうぎょう〕と称することは、】
摂論師〔しょうろんし〕の所行を難行〔ぞうぎょう〕と呼んだのは、

【必ず万行を以て往生の素懐〔そかい〕を遂ぐる故をば】
必ず、万行をもって往生の願いが叶うとしたからであって、

【此の人初むる故に千中無一と嫌へり。】
この人を責めて千人の中に往生する者は、一人もいないと嫌ったのです。

【是の故に善導和尚も雑行の言の中に敢へて】
このゆえに善導〔ぜんどう〕和尚も雑行〔ぞうぎょう〕の言葉の中に決して

【法華・真言等を入れず。】
法華、真言などを入れては、いなかったのです。


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