日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 05 第04章 大乗・小乗を定める

【第三に大小乗を定むることを明かさば、】
第3項に大乗、小乗を定めることを明確にします。

【問うて云はく、大小乗の差別如何。】
それでは、大乗と小乗の違いは、どのように考えれば良いのでしょうか。

【答へて云はく、常途〔じょうず〕の説の如くんば阿含部の諸経は小乗なり。】
それは、通常の説によれば、阿含〔あごん〕部の経文は、小乗であり、

【華厳〔けごん〕・方等〔ほうどう〕・般若〔はんにゃ〕・法華・】
華厳〔けごん〕、方等〔ほうどう〕、般若〔はんにゃ〕、法華〔ほっけ〕、

【涅槃等は大乗なり。】
涅槃〔ねはん〕などは、大乗なのです。

【或は六界を明かすは小乗、十界を明かすは大乗なり。】
あるいは、六界を明かす経文は、小乗であり、十界を明かす経文は、大乗なのです。

【其の外法華経に対して実義を論ずる時、法華経より外の】
しかし、法華経に対して真実の義を論ずる時は、法華経以外の

【四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。】
他の40余年の諸大乗経は、すべて小乗であり、法華経は、大乗なのです。

【問うて云はく、諸宗に亘〔わた〕って】
それでは、各々の宗派が同様に、

【我が拠〔よ〕る所の経を実大乗と謂〔い〕ひ、余宗の拠る所の経を】
自宗の拠りどころの経文を実大乗と云い、他宗の拠りどころとする経文を

【権大乗経と云ふこと常の習ひなり。】
権大乗と主張するのは、当たり前であり、

【末学に於て是非定め難し。】
後学の身では、それを考えるのは難しいのです。

【未だ法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文を】
それなのに、いまだ法華経に対して諸大乗経を小乗と言うのは、

【聞知〔もんち〕せず、如何。】
末だ聞いた事がありません。それは、如何〔いかが〕でしょうか。

【答へて云はく、宗々の立義〔りゅうぎ〕】
それは、各宗派の立てる教義に関しては、

【互ひに是非を論ず。】
互いが是非を論じて非難し合っていますが、

【就中〔なかんずく〕末法に於て世間出世に就〔つ〕いて】
とりわけ末法においては、世間、出世間においても、

【非を先とし是〔ぜ〕を後とす。】
非難を先とし、是認を後とするのが常なのです。

【自ら是非を知らざるは愚者の歎ずべき所なり。】
しかも、その是非すら理解できず、それこそ愚者が嘆くところなのです。

【但し且〔しばら〕く我等が智を以て四十余年の現文を看〔み〕るに、】
ただし、しばらく我等が智慧を以って、40余年末顕真実の現文を見ると、

【此の文を破る文無ければ人の是非を信用すべからざるなり。】
この言葉を論破する文章がなければ、人の是非は、信用すべきではありません。

【其の上法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは】
その上、法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは

【自答を存すべきに非ず。】
自分勝手な考えで、是非を答えるべきではないのです。

【法華経の方便品に云はく「仏は自ら大乗に住し給へり。乃至】
法華経の方便品第二に「仏は、自ら大乗に住し給へり。(中略)

【自ら無上道大乗平等の法を証す。】
自ら無上道、大乗、平等の法を証得した。

【若し小乗を以て化すること乃至一人に於てもせば】
もし小乗をもって教化することを(中略)一人に対してもするならば、

【我則〔すなわ〕ち慳貪〔けんどん〕に堕〔だ〕せん。】
我は、慳貪〔けんどん〕の罪に堕ちるであろう。

【此の事は為〔さだ〕めて不可なり」と。】
この事は、疑いもなく不可なり」とあります。

【此の文の意は法華経より外の諸経を皆小乗と説けるなり。】
この文章は、法華経より他の諸経を、すべて小乗と言っているのです。

【亦寿量品に云はく「小法を楽〔ねが〕ふ」と。此等の文は】
また如来寿量品に「小法を楽〔ねが〕う」とあり、これらの文章では、

【法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説けるなり。】
法華経より他の40余年の諸経を、すべて小乗と説いているのです。

【天台〔てんだい〕・妙楽〔みょうらく〕の釈に於て四十余年の諸経を】
天台大師、妙楽大師の解釈で、40余年の諸経を

【小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず。】
小乗であると解釈されていても、他師は、これを認めないでしょうから、

【故に但経文を出だすなり。】
経文を出して説明しているのです。


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