日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 04 第03章 無量義経と爾前経の浅深

【第二に諸経の浅深〔せんじん〕を明かさば、無量義経に云はく】
第2項で諸経の浅深を明確にするならば、無量義経に

【「初めに四諦〔したい〕を説き(阿含)、次に方等十二部経・】
「初めに四諦を説き(阿含)、次に方等十二部経、

【摩訶般若〔まかはんにゃ〕・華厳海空〔けごんかいくう〕を説き、】
摩訶般若、華厳海空を説き、

【菩薩の歴劫〔りゃっこう〕修行〔しゅぎょう〕を宣説す」と。】
菩薩の歴劫修行を宣説す」とあり、

【亦云はく「四十余年には未だ真実を顕はさず」と。】
また「40余年には、未だ真実を顕さない」とあり、

【又云はく「無量義経は尊にして過上無し」と。】
また「無量義経は、その尊き事、この上に過ぎるものはない」とあります。

【此等の文の如くんば四十余年の諸経は】
これらの文章によれば、40余年の諸経は、

【無量義経に劣ること疑ひ無き者なり。】
無量義経に劣ることは、間違いないのです。

【問うて曰く、密厳〔みつごん〕経に云はく「一切の経中に勝れたり」と。】
それでは、密厳〔みつごん〕経に「一切の経中に優れている」とあり、

【大雲〔だいうん〕経に云はく】
大雲経に、

【「諸経の転輪聖王〔てんりんじょうおう〕なり」と。】
「諸経の転輪聖王〔てんりんじょうおう〕なり」とあり、

【金光明〔こんこうみょう〕経に云はく「諸経中の王なり」と。】
金光明経に「諸経の中の王である」とありますが、

【此等の文を見るに諸大乗経の常の習ひなり、】
これらの文章を見ると、これは、諸大乗経では、普通の事ではないでしょうか。

【何ぞ一文を瞻〔み〕て無量義経は】
どうして、その、ひとつの文章で、無量義経は、

【四十余年の諸経に勝ると云ふや。】
40余年の諸経に優れていると言えるのでしょうか。

【答へて云はく、教主釈尊若〔も〕し諸経に於て互ひに勝劣を説かば、】
それは、教主釈尊が、もし諸経において互いに優劣を説かなければ、

【大小乗の差別〔しゃべつ〕・権実の不同有るべからず。】
大乗、小乗の差別や、権経、実教の違いは、あるはずがないからなのです。

【若し実に差別無きに互ひに差別浅深等を説かば】
もし実際に差別が無いのに互いに差別、浅深などを説くのであれば、

【諍論〔じょうろん〕の根源、悪業〔あくごう〕起罪〔きざい〕の因縁なり。】
言い争いの元であり、それによって悪業をつくり、罪を起こす原因となります。

【爾前〔にぜん〕の諸経の第一とは縁に随って不定なり。】
爾前の諸経で言う第一とは、何に対してであるかによって一定ではないのです。

【或は小乗の諸経に対して第一と、】
小乗の諸経に対して第一と言い、

【或は報身の寿を説いて諸経の第一と、】
あるいは、報身如来の寿命を説くことでは、諸経の第一と言い、

【或は俗諦〔ぞくたい〕真諦〔しんたい〕】
あるいは、俗諦〔ぞくたい〕真諦〔しんたい〕、

【中諦〔ちゅうたい〕等を説いて第一なりと。】
中諦などを説くことでは、第一であると言う意味であって、

【一切の第一に非ず。】
すべての経文の中の第一では、ないのです。

【今の無量義経の如きは四十余年の諸経に対して第一なり。】
つまり、今の無量義経は、40余年の諸経に対して第一なのです。

【問うて云はく、法華経と無量義経と何れか勝れたるや。】
それでは、法華経と無量義経とでは、どちらが優れているのでしょうか。

【答へて云はく、法華経勝れたり。】
それは、法華経が優れているのです。

【問うて云はく、何を以て之を知るや。】
それでは、何をもって、そのように言えるのでしょうか。

【答へて云はく、無量義経には未だ二乗〔にじょう〕作仏〔さぶつ〕と】
それは、無量義経では、未だ二乗作仏と

【久遠〔くおん〕実成〔じつじょう〕とを明かさず。故に法華経に嫌はれて】
久遠実成を明かしていないからなのです。ゆえに無量義経は、法華経に退けられて、

【今説〔こんせつ〕の中に入るなり。】
已、今、当の三説のうち、今説の中に入れられているのです。

【問うて云はく、法華経と涅槃経と何れか勝れたるや。】
それでは、法華経と涅槃経とでは、どちらが優れているのでしょうか。

【答へて云はく、法華経勝るゝなり。】
それは、法華経が優れているのです。

【問うて曰く、何を以て之を知るや。答へて曰く、涅槃経に自ら】
それでは、どうして、そう言えるのでしょうか。それは、涅槃経に自ら

【如法華中〔にょほっけちゅう〕等と説いて】
法華の中の八千声聞の如きは、記別を受くることを得て大果実を成ずと説かれ、

【更無〔きょうむ〕所作〔しょさ〕と云ふ。法華経に当説を指して】
更に所作無きが如しとあるからなのです。法華経の難信難解に対して

【難信難解と云はざるが故なり。】
当〔まさ〕に説く涅槃経を指して難信難解とは、していないからなのです。

【問うて云はく、涅槃経の文を見るに】
それでは、涅槃経の文章を見ると、

【涅槃経已前をば皆邪見なりと云ふ、如何。】
涅槃経以前を皆、邪見であると言っていますが、これは、どう言う事でしょうか。

【答へて云はく、法華経は如来出世の本懐なる故に】
それは、法華経は、如来出世の本懐である故に

【「今者〔こんじゃ〕已満足〔いまんぞく〕」】
「今は、すでに満足した」、

【「今正〔こんしょう〕是其時〔ぜごじ〕」「然善〔ねんぜん〕男子〔なんし〕、】
「今、正しく、これ、その時である」、「しかるに善男子、

【我実成仏〔がじつじょうぶつ〕已来〔いらい〕」等と説く。】
我は、実に成仏して已来、無量無辺百千万億那由佗劫である」と説かれています。

【但し諸経の勝劣に於ては仏自ら】
ただし諸教の優劣については、仏が自〔みずか〕ら

【「我所説経典、無量千万億」なりと挙げ了〔おわ〕って】
「我が説くところの経典は、無量千万億」である、さらに

【「已説〔いせつ〕・今説〔こんせつ〕・当説〔とうせつ〕」等と説く時、】
「已〔すで〕に説き、今〔いま〕説き、当〔まさ〕に説く」と述べられている時に、

【多宝仏、地より涌現〔ゆげん〕して皆是真実と定め、】
多宝仏が地より、湧き現れて、妙法華経は、すべて、これ真実であると定められ、

【分身の諸仏は舌相〔ぜっそう〕を梵天に付けたまふ。】
分身の諸仏は、舌相を梵天に付けられ、これを真実であると証明されました。

【是くの如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ。】
このように諸教と法華経との優劣は、はっきりとしているのです。

【此の外〔ほか〕釈迦如来一仏の所説なれば、】
このほか、諸経の場合は、釈尊一仏の所説ですから、

【先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ず。】
前後の諸教に対して法華経との優劣を論じるべきではなく、

【故に涅槃経に諸経を嫌ふ中に法華経を入れず、】
したがって、涅槃経で諸教を退ける中には、法華経は、入っていないのです。

【法華経は諸経に勝るゝ由、之を顕はす故なり。】
これは、法華経が諸教よりも優れていることを顕わすためなのです。

【但し邪見の文に至りては、法華経を覚知せざる一類の人、】
ただし、この邪見であるとした文章は、法華経を理解できない一部の人が、

【涅槃経を聞いて悟りを得る故に、迦葉〔かしょう〕童子〔どうじ〕、】
涅槃経を聞いて、始めて悟りを得た為に、そのような迦葉〔かしょう〕童子などが

【自身並びに所引を指して涅槃経より已前を】
自分自身と自分が引率する者を指して、涅槃経を聞くより以前は、

【邪見等と云ふなり。経の勝劣を論ずるには非ず。】
邪見であったと言っているのであり、経文の勝劣を論じたものではないのです。


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