御書研鑚の集い 御書研鑽資料
守護国家論 07 第06章 人師が経論を誤る理由
【予世間を見聞〔けんもん〕するに、自宗の人師を以て三昧〔さんまい〕】私が世間を見聞きすると、自らの宗派の人師が思索を巡らせて
【発得〔ほっとく〕智慧〔ちえ〕第一〔だいいち〕と称すれども】
悟りを得たなどと述べて、自分のことを智慧第一であると称していますが、
【無徳の凡夫にして、実経に依って法門を信ぜしめず、】
ただの人徳のない者が、真実である法華経を信じさせようともせず、
【不了義の観経〔かんぎょう〕等を以て時機相応の教と称し、】
不了義経である観無量寿経などを時機相応の教えであると述べて、
【了義の法華・涅槃を閣〔さしお〕いて、譏〔そし〕りて理深〔りじん〕】
了義経である法華経、涅槃経を謗〔そし〕って、これらの経文の理は、深すぎて、
【解微〔げみ〕の失〔とが〕を付く。】
わずかの者しか理解できない欠点があるなどと言っているのです。
【如来の遺言に背いて、人に依って法に依らざれ、】
これは、如来の遺言の、まったく逆の、人に依って、法に依らず、
【語に依って義に依らざれ、識に依って智に依らざれ、不了義経に依って】
語に依って、義に依らず、識に依って、智に依らず、不了義経に依って、
【了義経に依らざれと談ずるに非ずや。】
了義経に依らずと言う事になるのでは、ないでしょうか。
【請〔こ〕ひ願はくは心有らん人は思惟〔しゆい〕を加へよ。】
請〔こ〕い願うは、心ある人は、これを真剣に思索してください。
【如来の入滅は既に二千二百余の星霜〔せいそう〕を送れり。】
如来の入滅から、既に2200余の長い年月が過ぎました。
【文殊〔もんじゅ〕・迦葉〔かしょう〕・阿難〔あなん〕、】
文殊〔もんじゅ〕、迦葉〔かしょう〕、阿難〔あなん〕などが、
【経を結集〔けつじゅう〕せし已後、四依の菩薩重ねて世に出でて】
経典を結集して以後、四依の菩薩が重ねて世に出現し、
【論を造り経の意を申〔の〕ぶ。】
論をつくり経文の意味を述べましたが、
【末の論師に至りて漸〔ようや〕く誤り出来す。】
それが後々になるにつれて、その論師に誤りが出てきたのです。
【亦訳者に於ても梵・漢未達の者有り。】
また翻訳者においても、梵語、漢語を未だ習得できていない者や、
【権教宿習〔しゅくじゅう〕の人は、】
方便の経論が自分の考えと一致するので権教に執着する人がいて、
【実の経論の義を曲げて権の経論の義を存せり。】
真実の経論の教義を曲げて、方便の経論の教義を、それに反映させているのです。
【之に就いて亦唐土の人師、過去の権教の宿習の故に権の経論心に叶ふ間、】
これらを信じて、また、中国の人師が、過去に権教の習慣が残っているので、
【実の経論を用ひず。】
真実の経文の教義を用いないのです。
【或は小〔すこ〕し自義に違〔たが〕ふ文有れば理を曲げて】
あるいは、少し自分の考えと違う文章があれば、道理を曲げて勝手に解釈し、
【会通〔えつう〕を構〔かま〕へ、以て自身の義に叶はしむ。】
自分の考えに合うようにするのです。
【設〔たと〕ひ後に道理と念〔おも〕ふと雖も、或は名利に依り、】
たとえ、後になって、やはり道理であるとわかっても、名声と利益の為に、
【或は檀那の帰依に依って、権宗を捨てゝ実宗に入らず。】
あるいは、檀那の帰依の為に、権教の宗派を捨てて実経の宗派に入ろうとはせず、
【世間の道俗亦無智の故に理非を弁〔わきま〕へず。】
世間の僧侶と在家も、また、無智である為に道理を弁〔わきま〕えないのです。
【但人に依って法に依らず。設ひ悪法たりと雖も多人の邪義に随って】
ただ、人に依って、法に依らず、悪法であっても多くの人の邪義に従って
【一人の実説に依らず。而るに衆生の機多くは】
一人の真実の説に依ろうとはしないのです。こうして、衆生の機根の多くは、
【流転〔るてん〕に随ひ、設ひ出離〔しゅつり〕を求むるにも】
六道流転に従って、たとえ、六道から、離れ出ることを求めても、
【亦多分は権経に依る。但〔ただ〕恨〔うら〕むらくは】
また、多くの人は、権教を信じてしまうのです。ただ、恨むべきは、
【悪業の身、善に付け悪に付け生死を離れ難きのみ。】
悪業の身のために、善につけ悪につけ、生死流転を離れ難いのです。
【然りと雖も今の世の一切の凡夫設ひ今生を損ずと雖も、】
しかしながら、今の世の一切の凡夫は、たとえ、今世の生を損なっても、
【上に出だす所の涅槃経第九の】
上述の涅槃経第9巻の「この経、閻浮提において当に広く流布すべし」の
【文に依って且く法華・涅槃を信ぜよ。】
文章にしたがい、法華経、涅槃経を信じるべきです。
【其の故は世間の浅事すら多く展転〔てんでん〕する時は】
その故は、世間の浅い内容ですら、次から次へと伝わる間に、
【虚〔こ〕は多く実は少なし。】
嘘が多くなり、真実は、少なくなってしまうのです。
【況んや仏法の深義に於てをや。】
まして、仏法の深い意義については、なおさらなのです。
【如来の滅後二千余年の間、仏経に邪義を副〔そ〕へ来たり、】
如来の滅後から二千余年の間、仏法に邪義が入り込んできたので、
【万に一も正義無きか。】
正義は、万に一つと言うほどに稀〔まれ〕となり、
【一代の聖教〔しょうぎょう〕多分は誤り有るか。】
釈尊一代の聖教にも、多くの訳の誤りがあるのです。
【所以〔ゆえ〕に心地観経〔しんじかんぎょう〕の】
例をあげると、大乗本生心地観経〔しんじかんぎょう〕に、一切経にない
【法爾無漏〔ほうにむろ〕の種子、】
「二乗は、法爾無漏〔ほうにむろ〕の種子に沈んで成仏しない」とあることや、
【正法華経の属累〔ぞくるい〕の経末、】
正法華経では、属累品が経の末尾に置かれていることや、
【婆沙論〔ばしゃろん〕の一十六字、】
玄奘〔げんじょう〕が、婆沙論に原典にはない16文字を勝手に付け加えたことや、
【摂論〔しょうろん〕の識を八・九に分かつ、】
摂〔しょう〕大乗論を訳した本によって、第八識と第九識との違いがあることや、
【法華論と妙法華経との相違、】
法華論と妙法蓮華経とに相違があることや、
【涅槃論の法華煩悩〔ぼんのう〕に汚〔けが〕さるゝの文、】
涅槃論の法華経は、煩悩に汚されているとの文章や、
【法相宗〔ほっそうしゅう〕の定性〔じょうしょう〕無性〔むしょう〕の不成仏、】
法相宗で立てる定性〔じょうしょう〕の二乗と無性〔むしょう〕有情の不成仏や、
【摂論宗の法華経の】
摂論〔しょうろん〕宗において、法華経にあたる
【一称〔いっしょう〕南無〔なむ〕の】
ひとたび南無仏と称えると皆すでに仏道を成じたと云う文章について、
【別時〔べつじ〕意趣〔いしゅ〕、】
別の時に成仏する事を即時に成仏した事と曲解したことなど、
【此等は皆訳者人師の誤りなり。】
これらは、すべて翻訳者である人師の誤りなのです。
【此の外に亦四十余年の経々に於て多くの誤り有るか。】
この他にも、また40余年の経々においては、多くの誤りがあるのです。
【設ひ法華・涅槃に於て誤り有るも誤り無きも、】
たとえ、法華経、涅槃経においても、誤りがあってもなくても、
【四十余年の諸経を捨てゝ法華・涅槃に随ふべし。】
40余年の諸経を捨てて法華経、涅槃経に従うべきであり、
【其の証上〔かみ〕に出だし了〔おわ〕んぬ。】
その証拠は、上述した通りなのです。
【況んや誤り有る諸経に於て信心を致す者生死を離るべきや。】
まして、誤りがある諸経を信じる者が、生死を離れる事などできるでしょうか。