日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 09 第08章 浄土教滅・法華久住

【第二に、法華・涅槃と浄土の三部経との久住・不久住を明かさば、】
第二項に法華経、涅槃経と浄土の三部経との久住、不久住を明確にします。

【問うて云はく、法華・涅槃と浄土の三部経と何〔いず〕れか先に滅すべきや。】
それでは、法華経、涅槃教と浄土の三部経と、いずれが先に滅するのでしょうか。

【答へて云はく、法華・涅槃より已前に浄土の三部経は滅すべきなり。】
それは、法華経、涅槃教より以前に浄土の三部経が滅するのです。

【問うて云はく、何を以て之を知るや。】
それでは、何を根拠に、これを知るのでしょうか。

【答へて云はく、無量義経に四十余年の大部の諸経を挙げ了〔おわ〕って】
それは、無量義経に40余年の諸経を挙げ

【未顕真実と云ふ。故に双観経〔そうかんぎょう〕等の】
未だ真実を顕〔あらわ〕さずと言っているので、双巻無量寿経などの

【「特〔ひと〕り此の経を留む」の言、皆方便なり、虚妄〔こもう〕なり。】
「特にこの経だけを留める」の言葉は、すべて方便であり、虚妄なのです。

【華厳・方等・般若・観経等の】
華厳経、方等経、般若経、観無量寿経で説く

【速疾〔そくしつ〕・歴劫〔りゃっこう〕の往生・成仏は、】
速疾〔そくしつ〕、歴劫〔りゃっこう〕の往生、成仏は、

【無量義経の実義を以て之を検〔かんが〕ふるに】
無量義経の真実の教義をもって、これを考えると

【「無量無辺不可思議阿僧祇劫〔あそうぎこう〕を過ぐれども】
「無量無辺不可思議阿僧祇劫〔あそうぎこう〕を過ぎても、

【終〔つい〕に無上〔むじょう〕菩提〔ぼだい〕を成ずることを得ず。乃至】
ついに無上の菩提を成ずることはできない。(中略)

【険〔けわ〕しき径〔みち〕を行くに留難〔るなん〕多きが故に」といふ経なり。】
険しい道を行くのに留難が多いゆえに」と言う教えなのです。

【往生・成仏倶〔とも〕に】
それらの経文に云う往生、成仏は、ともに

【別時〔べつじ〕意趣〔いしゅ〕なり。】
別の時に得道するのに、即座に成仏するように言っているに過ぎないのです。

【大集・双観経等の住滅〔じゅうめつ〕の先後は】
大集経、無量寿経などに説く経文の生住異滅〔しょうじゅういめつ〕の先後は、

【皆随宜〔ずいぎ〕の一説なり。】
すべて衆生の理解力によった、ひとつの説に過ぎないのです。

【法華経に来たらざる已前は彼の外道の説に同じ。】
法華経に至らない間は、仏教以外の外道の説と同じなのです。

【譬へば江河〔こうが〕の大海に趣かず、】
たとえば、大きな川が大海に向かって流れず、

【民臣〔みんしん〕の大王に随はざるが如し。身を苦しめ行を作〔な〕すとも】
民衆や家来が大王に従わないようなものなのです。身体を苦しめて修行しても、

【法華・涅槃に至らずんば一分の利益〔りやく〕無く、】
法華経、涅槃経に至らなければ、ほんの少しの利益もなく、

【有因〔ういん〕無果〔むか〕の外道なり。在世滅後倶〔とも〕に】
因有れども果無しの外道と同じなのです。法華経でなければ釈尊の在世でも滅後でも

【教有りて人無く、行有りて証無きなり。】
教法は、あっても証得する人はなく、修行は、有っても証果はないのです。

【諸木は枯るゝと雖も松柏〔しょうはく〕は萎〔しぼ〕まず。】
冬に多くの木は、葉が落ちても、松柏〔しょうはく〕は、緑葉をつけています。

【衆草は散ると雖も鞠竹〔きくちく〕は変ぜず。】
多くの草々は、枯れても、唐竹は、色が変わらないのです。

【法華経も亦復是くの如し。】
法華経も、また、このようなものなのです。

【釈尊の三説・多宝の証明〔しょうみょう〕・諸仏の舌相〔ぜっそう〕】
釈尊の已今当〔いこんとう〕の三説、多宝如来の証明、諸仏の舌相は、

【偏に令法〔りょうぼう〕久住〔くじゅう〕に在るが故なり。】
ひとえに法をして久しく住せしめる為であるのです。

【問うて云はく、諸経滅尽の後特〔ひと〕り法華経留まるべき証文如何。】
それでは、諸教が滅した後、法華経のみが残ると云う証文は、あるでしょうか。

【答へて云はく、法華経の法師品に釈尊自ら流通せしめて云はく】
それは、法華経法師品に、釈尊自らが、この経を流通させるために

【「我が所説の経典無量千万億にして已〔すで〕に説き今説き】
「我が所説の経典は、無量千万億あって、すでに説き、今、説き、

【当〔まさ〕に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も】
まさに説く、その中において、この法華経は、最第一であり、

【為〔こ〕れ難信〔なんしん〕難解〔なんげ〕なり」云云。文の意は】
これ、難信難解なり」とあります。この文章の意味は、

【一代五十年の已〔い〕今〔こん〕当〔とう〕の三説に於て最第一の経なり。】
一代五十年の已今当〔いこんとう〕の三説において、最も優れた経であり、

【八万聖教の中に殊〔こと〕に未来に留めんと欲して説きたまひしなり。】
八万聖教の中に法華経を特に未来に留めようと思って説かれたのです。

【故に次の品に多宝如来は地より涌出し、】
ゆえに次の見宝塔品に、多宝如来は、地より涌出〔ゆじゅつ)し、

【分身の諸仏は十方より一処に来集〔らいじゅう〕し、】
分身の諸仏は、十方より一箇所に集まって、

【釈迦如来は諸仏を御使ひとして、八方四百万億那由他〔なゆた〕の世界に】
釈迦如来は、諸仏を御使いとして、八方の四百万億那由佗〔なゆた〕の世界に

【充満せる菩薩・二乗・人・天・八部等を責めて云はく、】
満ちた菩薩、二乗、人天、八部衆などを責めて、

【多宝如来並びに十方の諸仏、涌出来集の意趣〔いしゅ〕は】
多宝如来ならびに十方の諸仏が涌出〔ゆじゅつ)し集まった意味は、

【偏〔ひとえ〕に令法久住の為なり、】
ひとえに法を久しく住せしめようとする為なのです。

【各〔おのおの〕三説の諸経滅尽の後慥〔たし〕かに未来五濁難信の世界に於て】
各々の三説の諸経が滅した後、たしかに未来の五濁悪世、難信難解の世界において、

【此の経を弘めんと誓言〔せいごん〕を立てよと。】
この経文を弘めるという誓いを立てなさいと言われたのです。

【時に二万の菩薩、八十万億那由佗の菩薩、各誓状を立てゝ云はく】
その時に、二万の菩薩、八十万億那由佗〔なゆた〕の菩薩が各々に誓いを立てて

【「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」と。】
「我、身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ」と言い、

【千世界の微塵〔みじん〕の菩薩文殊〔もんじゅ〕等皆誓って云はく】
千世界の微塵の数ほど多い地涌の菩薩や文殊菩薩などが誓って

【「我等仏の滅後に於て乃至当に広く此の経を説くべし」云云。】
「我等、仏の滅後において(中略)当に広く、この経を説くべし」と言いました。

【其の後仏十喩〔じゅうゆ〕を挙げたまふ。】
その後、仏は、十の譬喩を挙げられました。

【其の第一の喩〔たと〕へは川流〔せんる〕江河〔こうが〕を以て】
その第一の譬えでは、川の流れや江河を

【四十余年の諸経に譬へ、法華経を以て大海に譬ふ。】
40余年の爾前経に譬え、法華経を大海に譬えたのです。

【末代濁悪の無漸〔むざん〕無愧〔むき〕の大旱魃〔かんばつ〕の時、】
末法の濁悪の恥知らずな衆生の為に、世が荒廃して、あたかも大旱魃の時、

【四味の川流江河は竭〔つ〕くると雖も】
四味の川の流れや江河は、枯れ果てますが、

【法華経の大海は減少せず等と説き了〔おわ〕って、】
法華経の大海は、減少しないと説いて、

【次下〔つぎしも〕に正〔まさ〕しく説いて云はく】
その次に正しく

【「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布し閻浮提〔えんぶだい〕に於て】
「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提において

【断絶せしむること無けん」と定め了んぬ。】
断絶せしむること無けん」と定められたのです。


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