日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 03 第02章 五時の説法の順序

【大文〔だいもん〕の第一に、如来の経教に於て】
第1段に如来の経文の教えにおいて

【権実二教を定むることを明かさば、此に於て四有り。】
権実の二教があることを明確にすると、これに、また4つがあります。

【一には大部の経の次第を出だして流類〔るるい〕を摂することを明かし、】
第1項には、この段の経文の順序を示し、これに同類の経文を含むことを明確にし、

【二には諸経の浅深〔せんじん〕を明かし、】
第2項には、諸経の浅深を明確にし、

【三には大小乗を定むることを明かし、】
第3項には、大乗、小乗を定めることを明確にし、

【四には且〔しばら〕く権を捨てゝ実に就〔つ〕くべきことを明かす。】
第4項には、権教を捨てて、実教に就くべきことを明確にします。

【第一に大部の経の次第を出だして】
第1項に、この段の経文の順序を示して、

【流類を摂することを明かさば、】
これに同類する経文を包含〔ほうがん〕することを明確にします。

【問うて云はく、仏最初に何〔いか〕なる経を説きたまふや。】
それでは、仏は、最初に、どのような経文を説かれたのでしょうか。

【答へて云はく、華厳〔けごん〕経なり。問うて云はく、其の証如何〔いかん〕。】
それは、華厳〔けごん〕経なのです。それでは、その証拠は、あるのでしょうか。

【答へて云はく、六十華厳経の】
それは、華厳経、第60巻の

【離世間〔りせけん〕浄眼〔じょうげん〕品〔ぼん〕に云はく、】
離世間〔りせけん〕浄眼〔じょうげん〕品〔ぼん〕に

【「是くの如く我聞く、一時仏〔ほとけ〕摩竭提国〔まかだこく〕】
「如是我聞。一時、仏は、摩竭提〔まかだ〕国の

【寂滅〔じゃくめつ〕道場に在って】
釈迦牟尼仏が悟りを開いた菩提樹の下である寂滅道場にあって

【始めて正覚〔しょうがく〕を成ず」と。】
始めて正覚を成ず」とあり、この寂滅道場は、華厳経を説かれた場所なのです。

【法華経の序品に】
また、法華経の序品において、

【放光端〔ほうこうずい〕の時、】
眉間〔みけん〕より光を放った放光瑞〔ほうこうずい〕の時、

【弥勒〔みろく〕菩薩十方世界の諸仏の五時の次第を見る時、】
弥勒菩薩が十方世界の諸仏の華厳時から法華涅槃時までの五時の順序を見て、

【文殊師利〔もんじゅしり〕菩薩に問うて云はく】
文殊師利〔もんじゅしり〕菩薩に質問して言った言葉に

【「又諸仏聖主師子を睹〔み〕たてまつるに】
「また、華厳経の教主、毘盧遮那〔びるしゃな〕仏である聖主師子にして、

【経典の微妙〔みみょう〕第一なるを演説したまふ。】
演説したもう経典は、微妙第一なり。

【其の声〔みこえ〕清浄〔しょうじょう〕に】
その声は、清浄にして

【柔軟〔じゅうなん〕の音〔みこえ〕を出だして諸の菩薩を教へたまふこと】
柔軟な声で諸々の菩薩の教えられたこと

【無数〔むしゅ〕億万なり」と。】
無数億万である」とあり、経典の微妙第一とは、華厳経のことなのです。

【亦方便品に仏自ら初成道の時を説いて云はく】
また法華経方便品に、仏が自〔みずか〕らが初成道の時を説いて

【「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行して、乃至爾〔そ〕の時に】
「我、始めて道場に座し菩提樹を観て(中略)その時に

【諸の梵王及び諸の天帝釈〔てんたいしゃく〕・護世〔ごせ〕四天王及び】
諸の梵王および諸の帝釈天、護世の四天王および

【大自在天〔だいじざいてん〕並びに余の諸の天衆眷属〔けんぞく〕百千万、】
大自在天ならびに他の諸の天衆、眷属〔けんぞく〕百千万が、

【恭敬〔くぎょう〕合掌し礼して我に転法輪〔てんぽうりん〕を】
恭敬〔くぎょう〕合掌して礼して我に転法輪を

【請〔しょう〕ず」と。】
請〔しょう〕ず」とあり、天界の衆生が求めた転法輪とは、華厳経なのです。

【此等の説は法華経に華厳経の時を指す文なり。】
これらは、法華経で華厳経の時を指して述べた文章なのです。

【故に華厳経の第一に云はく「毘沙門〔びしゃもん〕天王〔てんのう〕略】
それゆえに華厳経の第1巻に「毘沙門天王(略)

【月天子略日天子略釈提〔しゃくだい〕桓因〔かんにん〕略大梵〔だいぼん〕略】
月天子(略)日天子(略)釈提〔しゃくだい〕桓因〔かんにん〕(略)大梵(略)

【摩醯首羅〔まけいしゅら〕等略」(已上)。】
摩醯首羅〔まけいしゅら〕(略)」などと天界の衆生が華厳経を求めたとあり、

【涅槃経に華厳経の時を説いて云はく】
涅槃経の第27巻の獅子吼菩薩品に華厳経の時を次のように説いています。

【「既に成道し已〔お〕はって梵天勧請〔かんじょう〕すらく、】
「既に成道しおわって、梵天が勧〔すす〕め請〔こ〕うて、

【唯〔ただ〕願はくは如来当〔まさ〕に衆生の為に】
ただ、願わくば、如来、まさに衆生の為に

【広く甘露〔かんろ〕の門を開きたまふべし。乃至】
広く甘露〔かんろ〕の門を開き給ふべし。(中略)

【梵王復〔また〕言はく、世尊一切衆生に凡〔およ〕そ三種有り、】
梵王が、また、このように言はく、世尊、一切衆生におよそ三種あり、

【所謂利根〔りこん〕・中根〔ちゅうこん〕・鈍根〔どんこん〕なり。】
いわゆる、利根、中根、鈍根である。

【利根は能〔よ〕く受く、唯願はくは為に説きたまへ。】
利根は、よく受けることができ、どうか、この利根の為に説き給え。

【仏言〔のたま〕はく、梵王諦〔あきら〕かに聴〔き〕け諦かに聴け。】
仏が言わく、梵王よ、あきらかに聴け。

【我今当〔まさ〕に一切衆生の為に甘露〔かんろ〕の門を】
我、今、まさに一切衆生のために甘露〔かんろ〕の門を

【開くべし」と。】
開くであろう」とあり、成道後すぐに梵天が華厳経を説く事を願っているのです。

【亦三十三に華厳経の時を説いて云はく】
また涅槃経の第33巻の迦葉菩薩品に華厳経の時を説いて

【「十二部経修多羅〔しゅたら〕の中の微細〔みさい〕の義を我先に已〔すで〕に】
「十二部経、修多羅の中の微細〔みさい〕の義を前に既に諸々の

【諸の菩薩の為に説くが如し」と。】
菩薩のために説くが如し」とあり、微細〔みさい〕の義とは、華厳経の事なのです。

【此くの如き等の文は皆諸仏世に出でたまひて】
これらの文章は、すべて諸仏は、世に出られて

【一切経の初めには必ず華厳経を説きたまひし証文なり。】
一切経の初めには、必ず華厳経を説かれたと云う証明の文章なのです。

【問うて云はく、無量義経に云はく】
それでは、無量義経に

【「初めに四諦〔したい〕を説き乃至次に方等〔ほうどう〕十二部経・】
「初めに四諦を説き(中略)次に方等十二部経、

【摩訶般若〔まかはんにゃ〕・華厳海空〔けごんかいくう〕を説く」と。】
摩訶般若〔まかはんにゃ〕、華厳海空〔けごんかいくう〕を説く」とあります。

【此の文の如くんば般若経の後に華厳経を説けり。】
この文章では、般若経の後に華厳経を説くとあります。

【相違如何。答へて云はく、浅深の次第なるか、】
この相違は、どうしてでしょうか。それは、経文の浅深の順序なのです。

【或は後分の華厳経なるか。】
または、後に説いた華厳経に何か特別な意味があるのでしょう。

【法華経の方便品に一代の次第浅深を列〔つら〕ねて云はく】
法華経の方便品に、一代の説教の順番と浅深について、

【「余乗(華厳経なり)若しは二(般若経なり)】
「余乗(華厳経である)、もしは、二(般若経である)、

【若しは三(方等経なり)有ること無し」と、此の意なり。】
もしは、三(方等経である)有ること無し」と言うのは、この意味なのです。

【問うて云はく、華厳経の次に何〔いず〕れの経を説きたまふや。】
それでは、華厳経の次に何経を説かれたのでしょうか。

【答へて曰く、阿含経を説きたまふなり。】
それは、阿含〔あごん〕経を説かれたのです。

【問うて云はく、何を以て之を知るや。】
それでは、何を根拠にそれがわかるのでしょうか。

【答へて云はく、法華経の序品〔じょほん〕に華厳経の次の経を説いて云はく】
それは、法華経の序品に華厳経の次の経文について

【「若し人苦に遭〔あ〕ひて老病死を厭〔いと〕ふには為に】
「もし人が苦に遭〔あ〕い老病死を嫌う者の為に

【涅槃を説く」と。】
涅槃を説く」とあり、四苦を解脱して涅槃を目指すものは、阿含経なのです。

【方便品に云はく「即ち波羅奈〔はらな〕に趣〔おもむ〕き乃至】
また、法華経方便品には「直ちに波羅奈〔はらな〕国に赴〔おもむ〕き、(中略)

【五比丘〔びく〕の為に説く」と。】
五比丘の為に説いた」とあり、波羅奈〔はらな〕国の

【涅槃経に華厳経の次の経を定めて云はく】
鹿野苑で説かれたのは、阿含経なのです。涅槃経に華厳経の次の経文を定めて

【「即ち波羅奈国に於て】
「直〔ただ〕ちに波羅奈〔はらな〕国において

【正法輪を転じて中道を宣説す」と。】
正法輪を転じて中道を宣説〔せんせつ〕す」と説かれています。

【此等の経文は華厳経より後に阿含経を説くなり。】
これらの経文は、華厳経の後に阿含経を説いたことを示しています。

【問うて云はく、阿含経の後に何れの経を説き給ふや。】
それでは、阿含経の後に何経を説かれたのでしょうか。

【答へて曰く、方等経なり。問うて云はく、何を以て之を知るや。】
それは、方等〔ほうどう〕経です。それでは、どうして、そう言えるのでしょうか。

【答へて云はく、無量義経に云はく】
それは、無量義経に

【「初めに四諦を説き乃至次に方等十二部経を説く」と。】
「初めに四諦を説き(中略)次に方等十二部経を説いた」とあり、

【涅槃経に云はく「修多羅〔しゅたら〕より方等を出だす」と。】
涅槃経に「修多羅〔しゅたら〕より方等経を出す」と説かれているのです。

【問うて云はく、方等とは天竺〔てんじく〕の語、此には大乗と云ふなり。】
それでは、方等とは、インドの言語であり、中国では、大乗と言うのです。

【華厳・般若・法華・涅槃等皆大乗方等なり。】
華厳、般若、法華、涅槃などは、すべて大乗経であり、方等なのです。

【何ぞ独〔ひと〕り方等部に限りて方等の名を立つるや。】
どうして、方等部に限って方等と名付けているのでしょうか。

【答へて曰く、実には華厳・般若・法華等皆方等なり。然りと雖〔いえど〕も】
それは、実は、華厳、般若、法華などは、すべて方等なのです。しかしながら、

【今方等部に於て別して方等の名を立つることは私の義に非ず。】
現在、方等部だけを特別に方等と名付けたのは、私の意見では、ありません。

【無量義経・涅槃経の文に顕然〔けんねん〕たり。】
それは、無量義経、涅槃経の文章に明白なのです。

【阿含の証果は一向小乗なり。】
阿含において得られた結果は、偏〔ひとえ〕に小乗であり、

【次に大乗を説く。方等より已後〔いご〕皆大乗と云ふと雖も、】
その次に大乗を説いたのです。方等より以後の経文をすべて大乗と言うのですが、

【大乗の始めなるが故に初めに従って方等部を方等と云ふなり。】
大乗の初めであるので、初めに従って方等部を方等と言うのです。

【例せば十八界の十半は色〔しき〕なりと雖も】
例えば、六識、六根、六境の十八界の、その内の十と半分が色法であり、

【初めに従って色境の名を立つるが如し。】
初めの色〔しき〕に従って、その後も色境と名付けるのと同じなのです。

【問うて曰く、方等部の諸経の後には何れの経を説きたまふや。】
それでは、方等部の諸経の後に何経を説かれたのでしょうか。

【答へて曰く、般若経なり。問うて曰く、何を以て之を知るや。】
それは、般若〔はんにゃ〕経です。それでは、どうして、そう言えるのでしょうか。

【答へて曰く、涅槃経に云はく「方等より般若を出だす」と。】
それは、涅槃経に「方等より般若を出す」と説かれているからです。

【問うて曰く、般若経の後には何れの経を説き給ふや。】
それでは、般若経の後には、何経が説かれたのでしょうか。

【答へて曰く、無量義〔むりょうぎ〕経なり。】
それは、無量義経です。

【問うて曰く、何を以て之を知るや。】
それでは、どうして、そのように言えるのでしょうか。

【答へて曰く、仁王〔にんのう〕経に云はく】
それは、仁王〔にんのう〕経に

【「二十九年中」と。】
「如来成道して29年、すでに我がために摩訶般若経を説かれた」とあり、

【無量義経に云はく「四十余年」と。】
無量義経に「40余年には末だ真実を顕わさない」と説かれているからです。

【問うて曰く、無量義経には般若経の後に】
それでは、無量義経で未顕真実とされた般若経より優れた

【華厳経を列〔つら〕ね、】
華厳経も未顕真実として同列に扱い、

【涅槃経には般若経の後に】
涅槃経では、未顕真実の般若経の後に説かれた

【涅槃経を列ぬ。】
無量義経で真実とされている涅槃経を同列に扱っています。

【今の所立〔しょりゅう〕の次第は般若経の後に】
今の所立の次第では、未顕真実の般若経の後に

【無量義経を列ぬ、】
未顕真実を説いている無量義経の後の涅槃経を真実としています。

【相違如何。答へて曰く、涅槃経第十四の文を見るに、】
その相違は、なぜでしょうか。それは、涅槃経の第十四の文章を見てみると、

【涅槃経已前の諸経を列ねて涅槃経に対して】
涅槃経以前の諸経を並べて涅槃経に対して

【勝劣を論じて法華経を挙げず。】
優劣を論じていますが、法華経については、挙げていないのです。

【第九の巻に於て法華経は涅槃経より已前なりと之を定めたまふ。】
第9巻においては、法華経は、涅槃経より以前であると定められていますが、

【法華経の序品を見るに無量義経は法華経の序分なり。】
法華経の序品を見ると、無量義経は、法華経の序分であり、

【無量義経には般若の次に華厳経を列ぬれども、】
無量義経には、般若経の次に華厳経を並べていますが、

【華厳経を初時に遣〔おく〕れば般若経の後は無量義経なればなり。】
華厳経を最初に位置づけると般若経の後は、無量義経となるのです。

【問うて曰く、無量義経の後に何れの経を説きたまふや。】
それでは、無量義経の後に何経を説かれたのでしょうか。

【答へて曰く、法華経を説きたまふなり。】
それは、法華経を説かれたのです。

【問うて曰く、何を以て之を知るや。答へて曰く、法華経の序品に云はく】
それでは、どうして、それがわかるのでしょうか。それは、法華経の序品に

【「諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法〔きょうぼさっぽう〕・】
「諸の菩薩のために無量義、教菩薩法、

【仏所護念〔ぶっしょごねん〕と名づくるを説きたまふ。】
仏所護念と名づける大乗経典を説かれた。

【仏此の経を説き已〔お〕はって結跏趺坐〔けっかふざ〕し】
仏は、この経を説きおわって結跏趺坐〔けっかふざ〕し

【無量義処三昧〔しょざんまい〕に入りたまふ」と。】
無量義処三昧〔しょざんまい〕に入った」とあるからです。

【問うて曰く、法華経の後に何れの経を説きたまふや。】
それでは、法華経の後に何経を説かれたのでしょうか。

【答へて曰く、普賢〔ふげん〕経を説きたまふなり。】
それは、普賢〔ふげん〕経を説かれたのです。

【問うて曰く、何を以て之を知るや。答へて曰く、普賢経に云はく】
それは、どうして、そう言えるのでしょうか。それは、普賢経に

【「却〔さ〕って後三月〔みつき〕我当〔まさ〕に般涅槃〔はつねはん〕すべし、】
「この後、三月たって我は、まさに涅槃にはいるであろう。

【乃至如来昔耆闍崛山〔ぎしゃくつせん〕及び余の住処に於て】
(中略)如来は、昔、耆闍崛山〔ぎしゃくつせん〕および他の住所で、

【已〔すで〕に広く一実の道を分別す。今も此処〔ここ〕に於てす」と。】
すでに広く一乗真実の道を分別し、今もここに於てす」とあるからです。

【問うて曰く、普賢経の後に何れの経を説きたまふや。】
それでは、普賢経の後に何経を説かれたのでしょうか。

【答へて曰く、涅槃経を説きたまふなり。問うて曰く、何を以て之を知るや。】
それは、涅槃経を説かれたのです。それでは、どうして、そう言えるのでしょうか。

【答へて曰く、普賢経に云はく「却って後三月我当に般涅槃すべし」と。】
それは、普賢経に「三月後に、我は、まさに涅槃すべし」とあり、

【涅槃経三十に云はく「如来何が故ぞ二月に涅槃したまふや」と。】
涅槃経の第30巻に「如来は、どうして二月に涅槃されるのか」とあり、

【亦云はく、「如来の初生〔しょしょう〕・出家・成道・】
また「如来は誕生、出家、成道、

【転妙〔てんみょう〕法輪〔ほうりん〕皆八日〔ようか〕を以てす。】
転法輪は、すべて8日であったのに、

【何ぞ仏の涅槃独〔ひと〕り十五日なるや」と。】
どうして、涅槃だけは、15日なのか」とあるからなのです。

【大部の経大概〔おおむね〕是くの如し。】
この段の概略は、このようなものであるのです。

【此より已外諸の大小乗経は次第不定なり。】
これより、他の諸々の大乗経、小乗経は、順序が不定で、

【或は阿含経より已後に華厳経を説き】
あるいは、阿含経より以後に華厳経を説いたり、

【法華経より已後に方等般若を説く。】
法華経より以後に方等経、般若経を説いたりしていますが、

【皆義類を以て】
それらは、すべて、その共通性を鑑〔かんが〕みて、

【之を収めて一処に置くべし。】
以上の五時の経を集めて、五時の中のどこか一箇所に置くべきだからなのです。


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