日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


守護国家論 22 第21章 題目の功徳

【第二に但法華経の題目計〔ばか〕りを唱へて三悪道を離るべきことを明かさば、】
第二項に、ただ法華経の題目だけを唱えて三悪道を離れることを明確にします。

【法華経の第五に云はく「文殊師利〔もんじゅしり〕、是の法華経は】
法華経、第5巻、安楽行品に「文殊師利よ、この法華経は

【無量の国の中に於て乃至名字〔みょうじ〕をも聞くことを得べからず」と。】
計り知れないほど多くの国において(中略)名字すら聞くことができず」とあり、

【第八に云はく「汝等〔なんだち〕但能〔よ〕く法華の名〔みな〕を】
法華経、第8巻の陀羅尼品には「汝らよ、ただ、法華経の名を

【受持せん者を擁護〔おうご〕せんすら福量〔はか〕るべからず」と。】
受持する者を護る福徳は、量ることができない」とあり、

【提婆品〔だいばほん〕に云はく「妙法華経の提婆達多品を聞いて】
法華経、第5巻、提婆達多品には「妙法蓮華経の提婆達多品を聞いて、

【浄心に信敬〔しんきょう〕して疑惑を生ぜざらん者は】
清らかな心で信じ敬って、疑惑を生じない者は、

【地獄・餓鬼・畜生に堕せず」と。】
地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちない」とあります。

【大般涅槃〔だいはつねはん〕経名字功徳品に云はく】
また、大般涅槃〔だいはつねはん〕経の名字功徳品には

【「若し善男子・善女人有って是の経の名を聞いて】
「もし、善い男性と善い女性がいて、この経文の名前を聞いて

【悪趣〔あくしゅ〕に生ずといふは是の処〔ことわり〕有ること無けん」と】
悪道に生まれると言うのであれば、このような道理は、有り得ない」とあり、

【(涅槃経は法華経の流通たるが故に之を引く。)】
涅槃経は、法華経の流通分である故に、これを引用したのです。

【問うて云はく、但法華経の題目を聞くと雖も解心〔げしん〕無くば】
それでは、ただ法華経の題目を聞いても、内容を理解する心がなければ、

【如何〔いか〕にして三悪趣を脱れんや。】
どうして三悪道に堕ちることから免〔まぬが〕れられるのでしょうか。

【答へて云はく、法華経流布の国に生まれて此の経の題名を聞き、】
それは、法華経の流布する国に生れて、この経文の題名を聞いて、

【信を生ずるは宿善〔しゅくぜん〕の深厚〔じんこう〕なるに依れり。】
信じる思いが生じるのは、過去世からの善根が深く厚いことに依るのです。

【設〔たと〕ひ今生は悪人無智なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に、】
たとえ現世の生は、悪人で無智であるとしても、必ず過去世の宿善があるので、

【此の経の名を聞いて信を致す者なり。】
この経文の名前を聞いて、信じるようになったのですから、

【故に悪道に堕せず。】
悪道に堕ちる事などないのです。

【問うて云はく、過去の宿善とは如何。】
それでは、過去世の宿善とは、どう言うものでしょうか。

【答へて曰く、法華経の第二に云はく「若し此の経法を信受すること有らん者は】
それは、法華経、第2巻の譬喩品に「もし、この経法を信受する人は、

【是の人は已〔すで〕に曾〔かつ〕て過去の仏を見奉り恭敬〔くぎょう〕し供養し】
まさに、かつて過去世に仏を見たてまつり、恭敬〔くぎょう〕し、供養し、

【亦是の法を聞けるなり」と。法師品〔ほっしほん〕に云はく】
また、この法を聞けるなり」とあり、法華経、第4巻の法師品には

【「又如来滅度の後、若し人有って妙法華経の乃至】
「また、如来の滅後、もし、人があって妙法華経の(中略)

【一偈〔いちげ〕一句を聞いて一念も随喜せん者は、乃至当〔まさ〕に知るべし、】
一偈一句を聞いて一念でも、随喜する者は、(中略)当〔まさ〕に知るべし、

【是の諸人等已に曾て十万億の仏を供養せしなり」と。】
この人々は、かつて十万億の仏に供養するものなり」とあるのです。

【流通たる涅槃経に云はく「若し衆生有って】
法華経の流通分である涅槃経に「もし衆生がいて、

【煕連河沙〔きれんがしゃ〕等の諸仏に於て菩提心を発〔お〕こし、】
熈連河〔きれんが〕の砂ほどの多くの仏のもとで菩提心を起こした人のみが、

【乃〔すなわ〕ち能く是の悪世に於て是くの如き経典を受持して誹謗を生ぜず。】
この悪世において、このような経典を受持して誹謗を生じないのである。

【善男子、若し能く一恒河沙〔ごうがしゃ〕等の諸仏世尊に於て】
善男子よ、もし衆生がいて、一恒河沙〔ごうがしゃ〕の砂ほど多くの仏世尊のもとで

【菩提心を発こすこと有って、然して後に乃ち能く悪世の中に於て】
菩提心を起こした人のみが、後に悪世の中において、

【是の法を謗〔ぼう〕ぜず是の典を愛敬〔あいぎょう〕せん」(已上経文)。】
この法を謗〔そし〕らず、この経典を愛し、敬うのである」とあるのです。

【此等〔これら〕の文の如くんば、設ひ先に解心〔げしん〕無くとも】
これらの文章の通りであれば、たとえ最初から法華経の意味を理解していなくとも、

【此の法華経を聞いて謗ぜざるは】
この法華経を聞いて謗〔そし〕らないのは、

【大善の所生〔しょしょう〕なり。】
過去世の大いなる善業によるからなのです。

【夫〔それ〕三悪の生を受くること】
そもそも、地獄、餓鬼、畜生の三悪道の身に生まれることは、

【大地微塵〔みじん〕より多く、人間の生を受くること】
大地の微塵〔みじん〕よりも多く、人間の身として生まれることは、

【爪上〔そうじょう〕の土より少なし。乃至】
爪の上の土よりも少ないのです。(中略)

【四十余年の諸経に値〔あ〕ふは大地微塵より多く、】
さらに40余年の爾前の諸経に会う事は、大地の微塵〔みじん〕よりも多く、

【法華・涅槃に値ふことは爪上の土より少なし。】
法華経、涅槃経に会う事は、爪の上の土よりも少ないのです。

【上に挙ぐる所の涅槃経の三十三の文を見るべし。設ひ一字一句なりと雖も】
上述の涅槃経の第33巻の文章を見ると、たとえ一字一句であっても、

【此の経を信ずるは宿縁〔しゅくえん〕多幸〔たこう〕なり。】
この経文を信じる者は、過去世からの因縁があり、幸運なのです。

【問うて云はく、設ひ法華経を信ずと雖も悪縁に随はゞ】
それでは、たとえ、法華経を信じたとしても、悪縁に従うならば、

【何ぞ三悪道に堕せざらんや。】
どうして、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちない事があるでしょうか。

【答へて曰く、解心無き者】
それは、理解しようとする心がない者が、

【権教の悪知識に遇〔あ〕ひて実教を退せば、】
権教の悪知識にあって実教から退転するならば、

【悪師を信ずる失〔とが〕に依って必ず三悪道に堕すべきなり。】
悪師を信じた過ちによって、必ず、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちるのです。

【彼の不軽〔ふきょう〕軽毀〔きょうき〕の衆は権人〔ごんにん〕なり。】
あの不軽菩薩を軽んじ、毀〔そし〕った人々は、権教を信じる人なのです。

【大通〔だいつう〕結縁〔けちえん〕の者の】
大通智勝仏の十六王子によって、法華経との縁を結んだ者が

【三千塵点〔じんでん〕を歴〔へ〕しは】
三千塵点と言う長い期間、悪道を経たのは、

【法華経を退して権教に遷〔うつ〕りしが故なり。】
実教である法華経から退転して、権教に移ったからなのです。

【法華経を信ずるの輩法華経の信を捨てゝ権人に随はんより外〔ほか〕は、】
法華経を信じる者は、法華経の信心を捨てて、権教を信じる人に従うこと以外では、

【世間の悪業に於ては法華の功徳に及ばず。故に三悪道に堕すべからざるなり。】
世間の悪業の罪では、法華経の功徳に及ばない故に、三悪道に堕ちないのです。

【問うて云はく、日本国は法華・涅槃有縁〔うえん〕の地なりや否〔いな〕や。】
それでは、日本国は、法華経、涅槃経に有縁の地なのでしょうか。

【答へて云はく、法華経第八に云はく「如来の滅後に於て】
それは、法華経、第8巻の勧発品に「如来の滅後において、

【閻浮提〔えんぶだい〕の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」と。】
閻浮提の内に広く流布せしめて、断絶せざらしめん。」とあり、

【七の巻に云はく「広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」と。】
法華経、第7巻の薬王品には「閻浮提に広宣流布して断絶すること無けん」とあり、

【涅槃経第九に云はく「此の大乗経典大涅槃経も】
また、涅槃経、第9巻の如来性品には「この大乗経典である大涅槃経も、

【亦復〔またまた〕是くの如し。】
また、これと同じである。

【南方の諸の菩薩の為の故に当に広く流布すべし」(已上経文)。】
南方の諸々の菩薩のために、まさに広く流布すべし」とあるのです。

【三千世界広しと雖も仏自〔みずか〕ら法華・涅槃を以て南方流布の処と定む。】
三千大千世界が広いと言っても、仏、自らが法華経、涅槃経をもって

【南方の諸国の中に於ては日本国は殊〔こと〕に法華経の流布すべき処なり。】
南方の諸国の中において、日本は、とくに法華経の流布すべき所だったのです。

【問うて云はく、其の証如何。】
それでは、その証拠は、あるのでしょうか。

【答へて曰く、肇公〔じょうこう〕の法華の翻経〔ほんぎょう〕の】
それは、鳩摩羅什〔くまらじゅう〕の弟子、僧肇〔そうじょう〕の

【後記に云はく「羅什〔らじゅう〕三蔵〔さんぞう〕、】
法華翻経〔ほんぎょう〕の後記に、鳩摩羅什〔くまらじゅう〕三蔵〔さんぞう〕が

【須利耶蘇摩〔しゅりやそま〕三蔵に値ひ奉りて法華経を授かる時の語に云はく、】
須利耶蘇摩〔しゅりやそま〕三蔵に会って法華経を授けられた時の言葉として

【仏日〔ぶつにち〕西山に隠れ遺耀〔いよう〕東北を照らす。】
「太陽のような仏は、西の山に隠れ、その残光は、東北の方角を照らす。

【茲〔こ〕の典〔てん〕東北の諸国に有縁なり。】
この経典は、東北の諸国に有縁である。

【汝慎んで伝弘〔でんぐ〕せよ」(已上)。】
汝よ、慎んで、これを伝え弘めよ」と記〔しる〕されているのです。

【東北とは日本なり。西南の天竺〔てんじく〕より】
この東北とは、日本の事であり、西南のインドから、

【東北の日本を指すなり。】
東北の方角の日本を指して言った言葉なのです。

【故に慧心〔えしん〕の一乗〔いちじょう〕要決〔ようけつ〕に云はく】
それゆえに慧心〔えしん〕僧都〔そうず〕の一乗〔いちじょう〕要決〔ようけつ〕に

【「日本一州円機〔えんき〕純一にして、朝野〔ちょうや〕遠近〔おんごん〕】
「日本一州は、円教の機根で純一である。朝廷も在野も、

【同じく一乗に帰し、】
遠きも近きも同じく法華一乗に帰依し、

【緇素貴賎〔しそきせん〕悉く成仏を期す」(已上)。】
貴い人も賎しい人も、すべて成仏を期する」とあります。

【願はくは日本国の今世の道俗選択集の】
願わくは、日本の出家も在家も選択集〔せんちゃくしゅう〕を信じる

【久習〔くじゅう〕を捨てゝ、法華涅槃の現文〔げんもん〕に依り、】
長い習慣を捨てて、法華経、涅槃経に現実に説かれている文章に依って、

【肇公〔じょうこう〕・慧心〔えしん〕の日本記を恃〔たの〕みて】
肇公〔じょうこう〕、慧心〔えしん〕僧都〔そうず〕の日本記を頼りにして、

【法華修行の安心を企てよ。】
法華経を修行して、安らかな心を得るようにしてください。

【問うて云はく、法華経修行の者何〔いず〕れの浄土を期すべきや。】
それでは、法華経を修行する者は、どのような浄土を期すべきなのでしょうか。

【答へて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云はく】
それは、法華経二十八品の肝心である寿量品に

【「我常在此娑婆世界」と。亦〔また〕云はく「我常住於此」と。】
「我は、常に、この娑婆世界において」、また「我は、常に、ここに住し」とあり、

【亦云はく「我此土安穏」文。此の文の如くんば】
また「我が、この土は、安穏」とあります。この経文の通りであれば、

【本地久成〔くじょう〕の円仏〔えんぶつ〕は此の世界に在〔いま〕せり。】
本地が久遠実成の円教の仏は、この世界に存在するのです。

【此の土〔ど〕を捨てゝ何れの土を願ふべきや。】
この本国土を捨てて、いずれの浄土を願う必要があるでしょうか。

【故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思ふべし。】
それゆえに法華経を修行する者が住んでいる所を浄土と思うべきなのです。

【何ぞ煩〔わずら〕はしく他処を求めんや。】
どうして煩〔わずら〕わしく他の場所に浄土を求める必要があるでしょうか。

【故に神力品〔じんりきほん〕に云はく「若しは経巻所住の処ならば、】
それゆえに法華経、神力品に「もしは、経巻のある所であれば、

【若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下〔じゅげ〕に於ても、】
もしは、園の中であれ、もしは、林の中であれ、もしは、樹の下であれ、

【若しは僧坊に於ても、若しは白衣〔びゃくえ〕の舎〔いえ〕にても、】
もしは、僧坊であれ、もしは、檀家の家であれ、

【若しは殿堂に在っても、若しは山谷〔せんごく〕曠野〔こうや〕にても、乃至】
もしは、殿堂であっても、もしは、山や谷や広い野原であっても、(中略)

【当に知るべし、是の処は即ち是道場なり」と。】
この経を受持、読誦する所が道場である」とあります。

【涅槃経に云はく「若し善男子、是の大涅槃微妙〔みみょう〕の経典】
涅槃経の如来性品には「紳士諸君、この微妙の経典である大涅槃経が

【流布せらるゝ処は当に知るべし、其の地即ち是金剛〔こんごう〕なり。】
流布される場所は、そのまま金剛である。

【是の中の諸人も亦金剛の如し」(已上)。】
この中の諸人も、また金剛の如し」とあるのです。

【法華涅槃を信ずる行者は余処を求むべきに非ず。】
法華経、涅槃経を信ずる行者は、他の所に浄土を求めるべきではありません。

【此の経を信ずる人の所住の処は即ち浄土なり。】
この経文を信じる人のいる所が、そのまま浄土なのです。

【問うて云はく、華厳〔けごん〕・方等〔ほうどう〕・般若〔はんにゃ〕・】
それでは、華厳〔けごん〕、方等〔ほうどう〕、般若〔はんにゃ〕、

【阿含〔あごん〕・観経〔かんぎょう〕等の諸経を見るに】
阿含〔あごん〕、観経〔かんぎょう〕などの諸経の文章を見ても、

【兜卒〔とそつ〕・西方〔さいほう〕・十方の浄土を勧〔すす〕む。】
兜卒〔とそつ〕、西方浄土、十方の浄土を勧めています。

【其の上法華経の文を見るに】
さらに法華経の文章を見ても

【亦兜卒・西方・十方の浄土を勧む。】
兜卒〔とそつ〕、西方浄土、十方の浄土を勧めています。

【何ぞ此等の文に違して但此の瓦礫〔がりゃく〕荊棘〔けいきょく〕の】
どうして、これらの経文に反して、瓦、石、荊〔いばら〕、棘〔とげ〕に満ちた

【穢土〔えど〕を勧むるや。】
穢土を勧めるのでしょうか。

【答へて曰く、爾前の浄土は久遠〔くおん〕実成〔じつじょう〕の釈迦如来の】
それは、爾前権教の浄土は、久遠実成の釈迦如来が出現した浄土であって、

【所現の浄土にして実には皆穢土なり。】
ほんとうの所は、すべて穢土であるのです。

【法華経は亦方便寿量の二品なり。】
法華経は、また、方便品、寿量品の二品が肝心であり、

【寿量品に至りて実の浄土を定むる時、】
寿量品にいたって、初めて真実の浄土を定め、

【此の土は即ち浄土なりと定め了〔おわ〕んぬ。】
この国土が浄土であると定めたのです。

【但し兜卒・安養・】
ただ、法華経でも、兜率〔とそつ〕、安養〔あんよう〕、

【十方の難に至りては】
十方の浄土を勧めていると言う指摘について、その事を説明すれば、

【爾前の名目を改めずして】
爾前権教にある名前を、そのまま、

【此の土に於て兜卒・安養等の名を付く。】
この娑婆世界を兜率〔とそつ〕や安養〔あんよう〕と名付けたのです。

【例せば此の経に三乗の名有りと雖も三乗】
例えば、この法華経に声聞、縁覚、菩薩の三乗の名前があっても、

【有らざるが如し。】
実際には、一仏乗のみで三乗では、ないようなものなのです。

【「更に観経等を指すを須〔もち〕ひざるなり」の釈の意是なり。】
妙楽大師が「更に観経等を指すを用いざるなり」と述べた意味は、これなのです。

【法華経に結縁〔けちえん〕無き衆生の当世西方浄土を願ふは】
法華経に結縁のない衆生が、今の時代に西方浄土を願うのは、

【瓦礫の土を楽〔ねが〕ふとは是なり。法華経を信ぜざる衆生は】
瓦礫〔がれき〕の国土を願うような者であり、法華経を信じない衆生は、

【誠に分添〔ぶんでん〕の浄土無き者なり。】
娑婆世界を兜率〔とそつ〕や安養〔あんよう〕とした浄土もない者なのです。


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