日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


富木常忍御消息文 08 土木殿御返事

【土木殿御返事 文永八年九月一五日 五〇歳】
土木殿御返事 文永8年9月15日 50歳御作


【此の十二日酉〔とり〕の時御勘気。】
この12日の午後6時頃に処罰を受け、

【武蔵守〔むさしのかみ〕殿御あづかりにて、】
武蔵守〔むさしのかみ〕殿の御預かりとなり、

【十三日丑〔うし〕の時にかまくら〔鎌倉〕をいで〔出〕ゝ】
13日の午前2時頃に鎌倉を出て、

【佐土の国へなが〔流〕され候が、】
佐渡の国へ流される事になりました。

【たうじ〔当時〕はほんま〔本間〕のえち〔依智〕と申すところに、】
当分は、本間の領地の依智と言うところで、

【えちの六郎左衛門尉殿の代官右馬太郎〔うまたろう〕と申す者あづかりて候が、】
依智の六郎左衛門尉殿の代官で右馬太郎〔うまたろう〕と言う者に預けられており、

【いま四・五日はあるべげに候。御歎きはさる事に候へども、】
今しばらく、四、五日は、ここに留まるようです。御歎きは、もっともですが、

【これには一定〔いちじょう〕と本よりご〔期〕して候へばなげ〔歎〕かず候。】
もとより覚悟していた事ですから、いまさら嘆いては、おりません。

【いまゝで頸の切れぬこそ本意なく候へ。】
今まで頚を切られないでいる事こそ、残念に思っていたのです。

【法華経の御ゆへに過去に頸をうしな〔失〕ひたらば、】
法華経の為に過去世に、もし頚を切られていたならば、

【かゝる少身のみ〔身〕にて候べきか。】
今生に、こうした身分の低い身には、生まれなかった事でしょう。

【又「数々見擯出〔さくさくけんひんずい〕」とと〔説〕かれて、】
また、経文には「しばしば、所を追われる」と説かれており、

【度々失〔とが〕にあたりて】
法華経の為に、度々、こうした処罰を受ける事によって

【重罪をけ〔消〕してこそ仏にもなり候はんずれば、】
過去の重罪を消してこそ、仏に成れるのですから、

【我と苦行をいたす事は心ゆへなり。】
法華経の為に自ら苦行を求める事は、本心からなのです。

【九月十五日   日蓮花押】
9月15日   日蓮花押

【土木殿御返事】
土木殿御返事

【上のせめさせ給ふにこそ、法華経を信じたる色もあらわれ候へ。】
北条幕府が日蓮を責めたので、日蓮が法華経の行者である事がはっきりしました。

【月はか〔欠〕けてみ〔満〕ち、しを〔潮〕はひ〔干〕てみ〔満〕つ事疑ひなし。】
月は、欠けてから満ち、潮は、引いてから満ちる事は、疑いないのです。

【此も罰あり必ず徳あるべし。なにし〔何為〕にかなげ〔歎〕かん。】
日蓮も罰を受けたから、必ず徳を得るのです。どうして嘆く事があるでしょうか。


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