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富木常忍御消息文 09 寺泊御書(贖命重宝抄)
【寺泊御書 文永八年一〇月二二日 五〇歳】寺泊御書 文永8年10月22日 50歳御作
【今月(十月なり)十日、相州愛京〔あいこう〕郡】
今月(10月)10日に相州〔そうしゅう〕の国、愛京〔あいこう〕郡、
【依智郷〔えちのごう〕を起〔た〕って、】
依智の郷〔えちのごう〕を出発して、
【武蔵国〔むさしのくに〕久目河〔くめがわ〕の宿〔しゅく〕に付き、】
武蔵国〔むさしのくに〕の久目河〔くめがわ〕の宿場に着き、
【十二日を経て越後国〔えちごのくに〕寺泊〔てらどまり〕の津に付きぬ。】
12日かかって越後国〔えちごのくに〕の寺泊〔てらどまり〕の港に着きました。
【此より大海を亘って佐渡国〔さどのくに〕に至らんと欲す。】
これから大海を渡って佐渡国〔さどのくに〕に渡ろうとしていますが、
【順風定まらず、其の期〔ご〕を知らず。】
風向きが順風ではない為に、出発の日がわかりません。
【道の間の事、心も及ぶこと莫〔な〕く、】
ここまでの道中の事は、想像も及ばないほどで、
【又筆にも及ばず。但暗に推し度〔はか〕るべし。】
また筆で書く事も出来ません。ただ、推察してください。
【又本より存知の上なれば、】
また、この苦難は、もとより覚悟の上なので、
【始めて歎くべきに非ざれば之を止む。】
今、始めて歎くべき事ではありませんから、書くのは、止めておきます。
【法華経第四に云はく】
法華経の第四巻の法師品には、
【「而も此の経は如来の現在すら猶〔なお〕怨嫉〔おんしつ〕多し。】
「この法華経は、如来の現在でさえ怨嫉〔おんしつ〕が多い。
【況んや滅度の後をや」と。】
ましてや滅度の後においてをや」とあり、
【第五の巻に云はく「一切世間怨〔あだ〕多くして信じ難し」と。】
第五巻の安楽行品には「一切の世間の中に怨〔あだ〕が多く信じ難い」とあります。
【涅槃〔ねはん〕経三十八に云はく】
また、涅槃経の巻三十八には、
【「爾の時一切の外道の衆咸〔ことごと〕く是の言を作〔な〕さく、】
「その時にすべての外道が阿闍世王の前へ出て、このように言った。
【大王○今者〔いま〕唯一〔ひとり〕の大悪人有り、】
大王よ、いま世の中に一人の大悪人がいる。
【瞿曇〔くどん〕沙門なり○一切世間の悪人、】
釈尊がそれである。
【利養の為の故に其の所〔もと〕に往き集まりて、】
世間のあらゆる悪人は、利欲の為に彼のもとに集まって、
【而も眷属と為って善を修すること能〔あた〕はず。】
その仲間となり、善い事をすることがない。
【呪術力の故に迦葉〔かしょう〕及び舎利弗〔しゃりほつ〕・】
また、彼は、呪術の力によって迦葉〔かしょう〕や舎利弗、
【目犍連〔もっけんれん〕等を調伏〔じょうぶく〕す」云云。】
目犍連〔もっけんれん〕などを帰伏させ、弟子としている」とあります。
【此の涅槃経の文は、一切の外道我が本師たる二天・三仙の所説の経典を、】
この涅槃経の文章は、一切の外道が自分達の本師である二天三仙の説いた経典を
【仏陀に毀〔やぶ〕られて出だす所の悪言なり。】
仏陀に破折された為に行った悪口〔あっこう〕なのです。
【法華経の文は、仏を怨〔あだ〕と為す経文には非ず。】
法華経の文章は、仏を怨〔あだ〕とする経文ではないのです。
【天台の意に云はく「一切の声聞〔しょうもん〕・縁覚〔えんがく〕並びに】
天台大師の解釈にも「一切の声聞、縁覚の二乗、ならびに
【近成〔ごんじょう〕を楽〔ねが〕ふ菩薩」等云云。】
始成正覚の仏を求めて久遠実成を信じない菩薩が怨〔あだ〕である」とあるように、
【聞かんと欲せず、信ぜんと欲せず、其の機に当たらざるは、】
法華経を聞こうともせず、信じようともしない人々は、
【言を出だして謗ること莫〔な〕きも、】
言葉に出して誹謗する事がなくても、
【皆怨嫉〔おんしつ〕の者と定め了んぬ。】
みんな、怨嫉〔おんしつ〕の者と定められているのです。
【在世を以て滅後を惟〔おも〕ふに、】
釈尊の在世から、滅後を推し量ると、
【一切諸宗の学者等は皆外道の如し。】
一切の諸宗の学者などは、みんな、仏在世の外道のようなものなのです。
【彼等が云ふ一大悪人とは日蓮に当たれり。】
彼等が言う「一大悪人」とは、日蓮の事なのです。
【一切の悪人之〔これ〕に集まるとは、日蓮が弟子等是なり。】
「一切の悪人が、そこに集まっている」とは、日蓮の弟子檀那の事なのです。
【彼の外道は先仏の説教流伝〔るでん〕の後、】
彼の外道は、過去の仏の教えを自分勝手に誤り伝えて、
【之を謬〔あやま〕って後仏を怨と為せり。】
返って現在の仏である釈尊を怨〔あだ〕としたのです。
【今諸宗の学者等も亦復〔またまた〕是くの如し。】
今の諸宗の学者なども、また同じなのです。
【所詮仏教に依って邪見を起こす。】
結局のところは、仏の残された教えによって邪見を起こしたのです。
【目の転ずる者、】
ちょうど酔って、目がまわっている者が
【大山転ずと欲〔おも〕ふ。今八宗・十宗等、】
大きな山がまわっているように見えるのと同じなのです。現在の八宗、十宗などが
【多門の故に諍論〔じょうろん〕を至す。】
多くの宗派を作って論争をしているのも、目がまわっているのと同じなのです。
【涅槃経第十八に「贖命重宝〔ぞくみょうじゅうほう〕」と申す法門あり。】
涅槃経の巻十八に「重宝をもって命をあがなう」と言う法門がありますが、
【天台大師の料簡〔りょうけん〕に云はく「命とは法華経なり。】
天台大師は、これを解釈して「命と言うのは、法華経であり、
【重宝とは涅槃経に説く所の前三経なり」と。】
重宝とは、涅槃経に説かれた蔵、通、別の三教である」と言っています。
【但し涅槃経に説く所の円教は如何。】
それでは、涅槃経に説かれる円教は、どこに属すのでしょうか。
【此の法華経に説く所の仏性常住を、重ねて之を説いて】
この円教は、法華経で説かれた仏性常住を重ねて説いて
【帰本〔きほん〕せしめ、涅槃経の円常を以て法華経に摂〔しょう〕す。】
もとの法華経に帰せしめ、涅槃経の円常を法華経に取り込んでしまうので、
【涅槃経の得分は但前三教に限る。】
涅槃経の価値は、ただ、蔵、通、別の前の三教に限られるのです。
【天台の玄義の三に云はく「涅槃は贖命〔ぞくみょう〕の重宝なり。】
天台大師の法華玄義巻三に「涅槃経は、法華経の命をあながう重宝である。
【重ねて掌〔て〕を抵〔う〕つのみ」(文)。】
両方の掌〔て〕を打つようなことである」とあり、
【籖〔せん〕の三に云はく】
妙楽大師の法華玄義釈籤〔しゃくせん〕巻三には、
【「今家の引く意は、】
「天台家で涅槃経の法華経の命をあながう重宝の譬喩を引く意味は、
【大経の部を指して以て重宝と為す」等云云。】
涅槃経を重宝とし法華経を命とするのである」と明かされています。
【天台大師の四念処〔しねんじょ〕と申す文に、】
天台大師の四念処〔しねんじょ〕と言う書物には、
【法華経の「雖示種々道〔すいじしゅじゅどう〕」の文を引いて、】
法華経方便品の「種々の道を示すと雖〔いえど〕も」の文章を引用して
【先四味〔しみ〕を又重宝と定め了んぬ。】
華厳、阿含、方等、般若の諸経を、法華経の命をあがなう重宝であると定められ、
【若し爾〔しか〕らば法華経の先後の諸経は】
そうであるならば、法華経の以前の諸経も後の涅槃経も
【法華経の為の重宝なり。世間の学者の想〔おも〕はくに云はく】
すべて法華経の為の重宝なのです。ところが世間の学者は、
【「此は天台一宗の義なり。諸宗には之を用ひず」等云云。】
「これは、天台宗だけの義であって、諸宗では、そういう義は、用いない」と述べ、
【日蓮之を案じて云はく、八宗・十宗等、】
日蓮がこれを考えるに、八宗、十宗などの諸宗は、
【皆仏滅後より之を起こし、論師・人師之〔これ〕を立つ。】
すべて釈尊の滅後に起こったもので、論師、人師が立てた宗派なのです。
【滅後の宗を以て現在の経を計るべからず。】
仏滅後にできた宗派によって、釈尊が説いた経文の意味を論じてはならないのです。
【天台の所判は、一切経に叶ふに依って】
天台大師の解釈は、一切経の意志に叶っているので、
【一宗に属して之を棄つべからず。】
これを天台宗のみの義として、棄てては、ならないのです。
【諸宗の学者等、自師の誤りを執〔しゅう〕する故に、】
諸宗の学者などは、自らの師の誤りを正しいと言って執着する為に、
【或は事を機に寄せ、】
法華経を我々の機根に合わず、
【或は前師に譲り、或は賢王を語らひ、結句〔けっく〕】
あるいは、祖師の仰せだからと言い、あるいは、賢王と口裏を合わせ、そのあげく
【最後には悪心強盛〔ごうじょう〕にして闘諍〔とうじょう〕を起こし、】
最後には、悪心が盛んとなって、論争を起こし、
【失〔とが〕無き者を之を損なふて楽しみと為す。】
罪のない者を迫害して楽しみとするのです。
【諸宗の中に真言宗殊〔こと〕に僻案〔びゃくあん〕を至す。】
諸宗の中でも、真言宗が特に偏〔かたよ〕った考えをしており、
【善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕等の想はくに云はく】
彼らの開祖の善無畏〔ぜんむい〕、金剛智〔こんごうち〕などは、
【「一念三千は天台の極理、一代の肝心なり。】
「一念三千の法門は、天台の至極の法門であり、釈尊一代の肝心である。
【顕密二道の詮たるべきの心地の三千をば、且く之を置く。】
顕密二道の究極である心地の三千は、しばらくおく。
【此の外、印と真言とは仏教の最要」等云云。】
このほかに印と真言は、仏の教えの最も重要なものである」と述べました。
【其の後真言師等、事を此の義に寄せて】
それ以後、真言師などが、祖師のこの義を理由にして
【印・真言無き経々をば之を下すこと外道の法の如し。】
印と真言のない経々を下に見る姿は、まるで外道の法を見るようであったのです。
【或〔ある〕義に云はく「大日経は釈迦如来の外の説なり」と。】
ある者は「大日経は、釈迦如来ではなく大日如来の説である」と言い、
【或義に云はく「教主釈尊第一の説なり」と。】
ある者は「大日経は、教主釈尊の第一の経である」と言い、
【或義に「釈尊と現じて顕教を説き、】
また、ある者は「ある時は、釈尊と現れて顕経を説き、
【大日と現じて密教を説く」と。】
ある時は、大日如来と現れて密経を説いたのである」と主張しているのです。
【道理を得ずして、無尽の僻見〔びゃっけん〕之を起こす。】
これらの者は、道理を知らず、とんでもない間違いを起こしているのです。
【譬へば乳の色を弁へざる者、種々の邪推を作せども、】
譬えば乳の色を知らない者が集まって、さまざまな間違った考えをめぐらしても、
【本色に当たらざるが如し。】
本当の色がわからないようなものなのです。
【又象の譬への如し。】
また、盲目の者が集まって象を論じても、象の全体の形がわからないのです。
【今汝等〔なんだち〕知るべし、】
いま、その事実を知るべきです。
【大日経等は法華経已前ならば華厳経等の如く、已後ならば】
大日経は、法華経以前ならば、華厳経のようなものであり、法華経以後なら
【涅槃経等の如し。】
涅槃経と同じく、法華経の命をあがなう重宝に過ぎない事を知るべきです。
【又天竺〔てんじく〕の法華経には印・真言有れども、】
また、インドの法華経には、印と真言もありましたが、
【訳者之を略して羅什〔らじゅう〕は妙法経と名づけ、】
中国の訳者が、これを略して、羅什〔らじゅう〕三蔵は、妙法蓮華経と名づけ、
【印・真言を加へて善無畏は大日経と名づくるか。】
善無畏は、印と真言を付け加えて、大日経と名づけたのでしょうか。
【譬へば正法華・添品〔てんぽん〕法華・法華三昧・】
たとえば、法華経にも正法華経、添品〔てんぽん〕法華経、法華三昧経、
【薩云分陀利〔さつうんふんだり〕等の如し。】
薩云分陀利〔さつうんふんだり〕経などがあるようなものです。
【仏の滅後、天竺に於て此の詮を得たるは】
釈尊の滅後に、インドにおいて法華経と諸経との関係を正しく知ったのは、
【竜樹〔りゅうじゅ〕菩薩、】
竜樹菩薩であり、
【漢土に於て始めて之を得たるは天台智者大師なり。】
中国ではじめて、これを知ったのは、天台智者大師なのです。
【真言宗の善無畏等、華厳宗の澄観〔ちょうかん〕等、】
真言宗の善無畏〔ぜんむい〕や華厳宗の澄観〔ちょうかん〕、
【三論宗の嘉祥〔かじょう〕等、法相宗の慈恩〔じおん〕等、】
三論宗の嘉祥〔かじょう〕や法相宗の慈恩〔じおん〕などは、
【名は自宗に依れども】
名は、それぞれの宗派の開祖として一宗を立てていますが、
【其の心は天台宗に落ちたり。】
内心は、天台宗に帰伏しているのです。
【其の門弟等此の事を知らず、】
その門弟などは、この事を知らないで邪義を構えていますが、
【如何ぞ謗法の失〔とが〕を免れんや。】
どうして謗法の罪を免〔まぬが〕れる事が出来るでしょうか。
【或人〔あるひと〕日蓮を難じて云はく、】
ある人が日蓮を非難して、
【機を知らずして麁義〔あらぎ〕を立て難に値〔あ〕ふと。】
末法の衆生の機根を知らないで、荒々しい折伏をするから難にあうのだと言い、
【或人云はく、勧持品の如きは深位の菩薩の義なり。】
ある者は、勧持品に説かれる折伏は、深位の菩薩の行であり、初心の行の者は、
【安楽行品に違すと。】
安楽行品の摂受によるべきであり、日蓮は、これに背いていると言い、
【或人云はく、我も此の義を存ずれども言はず云云。】
ある人は、内心では、法華第一の義を知っているが言わないでいると述べて、
【或人云はく、唯教門計りなり、理は具〔つぶさ〕に我之を存ずと。】
また、ある人は、日蓮は、教相門ばかりで観心門がないではないかと責めています。
【卞和〔べんか〕は足を切られ、】
こうした非難を日蓮は、知っていますが、中国の卞和〔べんか〕は、足を切られ、
【清丸〔きよまろ〕は穢丸〔けがれまろ〕と云ふ名を給ひて】
清丸〔きよまろ〕は、穢丸〔けがれまろ〕と言う名前をつけられた上に、
【死罪に及ばんと欲す。】
死罪にされようとしました。
【時の人之を咲〔わら〕ふ。】
その当時の人々は、その有様を笑いましたが、笑われた人は、名を残し、
【然りと雖も其の人未だ善き名を流さず。】
笑った人々は、その名を後世まで残してはいないのです。
【汝等が邪難も亦爾〔しか〕るべし。勧持品に云はく「諸の無智の人有って、】
あなた達の邪悪な非難も、また同様であり、勧持品には「諸の無智の人々が
【悪口罵詈〔あっくめり〕す」等云云。日蓮此の経文に当たれり。】
悪口罵詈をする」とあり、日蓮は、この勧持品の経文通りになっているのです。
【汝等何ぞ此の経文に入らざる。】
あなた達は、なぜ、この経文通りにしないのでしょうか。
【「及び刀杖を加ふる者」等云云。日蓮此の経文を読めり。】
また「刀杖で危害を加える者がいる」とあり、日蓮は、この経文を読めたのです。
【汝等何ぞ此の経文を読まざる。「常に大衆の中に在って、】
あなた達は、なぜ、この経文を身で読まないのでしょうか。また「常に大衆の中で、
【我等の過〔とが〕を毀〔そし〕らんと欲す」等云云。】
法華経の行者を毀〔そし〕ろうとする」とも、
【「国王・大臣・婆羅門〔ばらもん〕・居士に向かって」等云云。】
「国王、大臣、婆羅門〔ばらもん〕等に向かって法華経の行者を誹謗する」とも、
【「悪口して顰蹙〔ひんじゅく〕し、】
「悪口し、軽蔑して、そのため法華経の行者は、
【数々〔しばしば〕擯出〔ひんずい〕せられん」と。】
数々〔しばしば〕、処〔ところ〕を追われる」とあるのです。
【数々〔さくさく〕とは度々〔たびたび〕なり。】
数々〔さくさく〕とは、度々〔たびたび〕と言う意味です。
【日蓮が擯出は衆度〔たびたび〕、流罪は二度なり。】
日蓮は、処〔ところ〕を追われることは、数回、流罪は、二度なのです。
【法華経は三世説法の儀式なり。】
法華経は、三世の諸仏の説法の儀式であり、
【過去の不軽品は今の勧持品、】
過去の威音王仏の時の不軽菩薩の修行を明かした不軽品は、今の勧持品であり、
【今の勧持品は過去の不軽品なり。】
今の勧持品は、過去の不軽品なのです。
【今の勧持品は未来に不軽品たるべし。】
そうであれば、今の勧持品は、未来には、不軽品にならなけば、ならないのです。
【其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし。】
その時は、勧持品を実践した日蓮は、過去の不軽菩薩なのです。
【一部八巻・二十八品、天竺の御経は一須臾に布〔し〕くと承る。】
法華経は、一部八巻二十八品ですが、インドの原典は、書棚に隙間なく置かれており、
【定めて数品有るべし。】
もっと多くの品があったのです。
【今漢土・日本の二十八品は、略の中の要なり。】
今の中国、日本の二十八品は、略〔りゃく〕の中の要〔よう〕なのです。
【正宗は之を置く。】
この法華経は、序分、正宗分、流通分とに分かれており、その正宗分は、さておき、
【流通に至って宝塔品の三箇の勅宣は、】
流通分に至って見宝塔品の付属有在、令法久住、六難九易の三箇の勅宣をもって、
【霊山〔りょうぜん〕・虚空の大衆に被らしむ。】
霊鷲山と虚空会の大衆に滅後の弘教を仰せつけられたのです。
【勧持品の二万・八万・八十万億等の大菩薩の御誓言は、】
また勧持品で二万、八万、八十万億の大菩薩が、滅後の弘教を宣誓された事は、
【日蓮が浅智に及ばず。】
日蓮の浅い智慧では、及ばないのです。
【但し「恐怖〔くふ〕悪世中」の経文は末法の始めを指すなり。】
ただし、その宣誓に「恐ろしい悪世の中」との経文は、末法の始めを指すのです。
【此の「恐怖悪世中」の次下の安楽行品等に云はく】
この「恐ろしい悪世の中」と説かれた次の品の安楽行品には、
【「於末世」等云云。】
「末世において」とあり、
【同本異訳の正法華経に云はく「然後〔ねんご〕末世」と。】
同本異訳である正法華経には「然るに後の末世に」とあり、
【又云はく「然後来末世」と。】
また「然るに後に末世が来たりて」とあり、
【添品法華経に云はく「恐怖悪世中」等云云。】
また添品法華経には「恐ろしい悪世の中」と説かれているのです。
【当時、当世三類の敵人之〔これ〕有るに、】
この末法の時にあたる現在、三類の強敵が出現しているのに、
【但八十万億那由他〔なゆた〕の諸菩薩は一人も見へたまはざるは、】
八十万億那由他の諸菩薩が、一人も御見えにならないのは、
【乾〔ひ〕たる潮〔しお〕の満たず、月の虧〔か〕けて満ちざるが如し。】
たとえば、干上がった湖に水が満ちず、欠けた月が満ちないようなものなのです。
【水清〔す〕めば月を浮かべ、木を植ゆれば鳥棲〔す〕む。】
水が澄めば、月は影を浮かべ、木を植えれば、鳥が住むようになるのです。
【日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官として之を申す。】
日蓮は、八十万億那由他の諸菩薩の代理として、この法華経を弘通しているのです。
【彼の諸の菩薩の加被〔かび〕を請くる者なり。】
そうであれば、必ず諸々の菩薩の加護を受ける事でしょう。
【此の入道、佐渡国〔さどのくに〕へ御供為すべきの由之を承り申す。】
この入道は、あなたの命令であるから、佐渡の国まで御供をすると言われています。
【然るべけれども用途と云ひ、かたがた煩〔わずら〕ひ有るの故に之を還す。】
しかし、費用もかさみ、何かと面倒な事でもあるので、ここで返す事とします。
【御志始めて之を申すに及ばず。】
あなたの御志は、今さら言うまでもありません。
【人々に是くの如くに申させ給へ。】
人々に、よく、この事を伝えてください。
【但し囹僧〔れいそう〕等のみ心に懸かり候。】
それにつけても、土牢で苦しむ弟子達の事が心配なので、
【便宜の時早々之を聴かすべし。穴賢穴賢。】
よい機会に早く、この法門を御聞かせ願いたいものです。恐れながら申し上げます。
【十月廿二日酉時〔とりのとき〕 日蓮花押】
10月22日 午後6時 日蓮花押
【土木殿】
土木殿へ