御書研鑚の集い 御書研鑽資料
富木常忍御消息文 27 常忍抄(禀権出界抄)
【常忍抄 弘安元年一〇月一日 五七歳】常忍抄 弘安元年10月1日 57歳御作
【御文〔ふみ〕粗〔ほぼ〕拝見仕り候ひ了〔おわ〕んぬ。】
御手紙を、おおよそ拝見しました。下総の国、真間〔まま〕で対論されたとの事、
【御状に云はく、】
御書状によると、天台の学僧、了性房〔りょうしょうぼう〕に対して、
【常忍の云はく、記の九に云はく「禀権出界〔ほんごんしゅっかい〕】
富木常忍殿が、法華文句記の第九巻に「権教を受けて三界を出離する、
【名為虚出〔みょういこしゅつ〕」云云。】
これを名付けて虚出〔こしゅつ〕とする」とあると言ったところ、
【了性房の云はく、全く以て其の釈無し云云。】
了性房が「まったくもって、そのような解釈はない」と言ったという事ですが、
【記の九(寿量品の処)に云はく「無有虚出〔むうこしゅつ〕より】
法華文句記の第九巻の寿量品の処には「法華文句の無有虚出〔むうこしゅつ〕から
【昔虚為実故〔しゃくこいじっこ〕に至るまでは(為の字は去声)、】
昔虚為実故〔しゃくこいじっこ〕までの文章については、(為の発音は、去声)
【権を禀〔う〕けて界を出づるを名づけて虚出〔こしゅつ〕と為す。】
権教を受けて、界を出離するのを名づけて虚出〔こしゅつ〕とするのである。
【三乗は皆三界を出でずといふこと無し。】
菩薩、縁覚、声聞の三乗は、欲界、色界、無色界を離れていないと言う事ではなく、
【人天は三途を出でんが為ならずといふこと無し。】
人界、天界は、地獄道、餓鬼道、畜生道を離れたという事ではない。
【並びに名づけて虚と為す」云云。文句の九に云はく】
これを、ともに名づけて虚出〔こしゅつ〕と為す」とあり、法華文句の第九巻には
【「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し。】
「虚から出て真実に入らない者はない。
【故に知んぬ、昔の虚は実の為(去声)の故なり」云云。】
ゆえに、昔の虚は、真実に入れる為(為の発音は、去声)である」とあります。
【寿量品に云く「諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽〔ねが〕ふ】
法華経寿量品第十六に「諸の善男子よ、如来は、諸の衆生の小法を欲する
【徳薄垢重〔とくはっくじゅう〕の者を見て、】
徳薄垢重〔とくはっくじゅう〕の者を見て、
【乃至以諸衆生〔いしょしゅじょう〕、】
中略、諸の衆生は、種々である故に、多くの因縁や譬喩をもって法を説くのである。
【乃至未曾暫廃〔みぞうざんぱい〕」云云。】
そのような仏の振る舞いは、いまだかつて瞬時も止むことがない」とあります。
【此の経の文を承けて天台・妙楽は釈せしなり。】
この経文を受けて、天台大師や妙楽大師は、それを解釈したのです。
【此の経文は、初成道の華厳〔けごん〕の別円、乃至】
この経文は、釈尊が初めて覚りを開いて、最初に説いた華厳経の別円二教から、
【法華経の迹門十四品を、或は小法と云ひ、】
法華経の迹門十四品までを、小法と言い、
【或は徳薄垢重、或は虚出等と説ける経文なり。】
徳薄垢重〔とくはっくじゅう〕、虚出〔こしゅつ〕と説いた経文なのです。
【若し然らば華厳経の華厳宗、】
もし、そうであるならば、華厳経を依り処とする華厳宗、
【深密〔じんみつ〕経の法相〔ほっそう〕宗、般若〔はんにゃ〕経の三論宗、】
深密経を依り処とする法相宗、般若経を依り処とする三論宗、
【大日経の真言宗、観経の浄土宗、】
大日経を依り処とする真言宗、観無量寿経を依り処とする浄土宗、
【楞伽〔りょうが〕経の禅宗等の諸経の諸宗は、依経の如く】
楞伽経を依り処とする禅宗などの諸経の諸宗は、依経の通りに、
【其の経を読誦すとも三界を出でず三途を出でざる者なり。】
その経文を読誦したとしても、三界を出離せず、三途を出られないのです。
【何に況んや或は彼を実と称し】
ましてや、それらの経文を真実の教えとしたり、
【或は勝る等云云。】
あるいは、法華経より優れているなどと言うに至っては、なおさらなのです。
【此の人々天に向かって唾〔つば〕を吐き】
これらの人々は、天に向かって唾〔つば〕を吐き、
【地を□〔つか〕んで忿〔いか〕りを為す者か。】
大地をつかんで怒りをなす者と同じなのです。
【此の法門に於て如来滅後月氏一千五百余年、】
この法門については、釈尊滅後、インドにおいて千五百余年の間には、
【付法蔵の二十四人、竜樹・天親等は知って】
付法蔵の24人、竜樹や天親などは、知っては、いましたが、
【未だ此を顕はさず。】
いまだ、これを説き顕していないのです。
【漢土一千余年の余人も未だ之〔これ〕を知らず。】
中国においては、千余年の間、他の人は、これを知らず、
【但天台・妙楽等粗〔ほぼ〕之を演〔の〕ぶ。】
ただ、天台大師や妙楽大師だけが、おおよそ、これを述べたのです。
【然りと雖も未だ其の実義を顕はさゞるか。】
しかしながら、いまだ、その真実の義を説き顕しては、いないのです。
【伝教大師以て是くの如し。今日蓮粗之を勘ふるに、】
伝教大師も、また同様であり、今、日蓮が、おおよそ、これを考えてみると、
【法華経の此の文を重ねて涅槃経に演べて云はく】
法華経の、この寿量品の文章を、重ねて涅槃経に説いて
【「若し三法に於て異の想を修する者は、当に知るべし、】
「もし仏法僧の三法に対して、異なる想いを持つ者は、まさに知るべきである。
【是の輩〔やから〕は清浄の三帰〔さんき〕則ち依処〔えしょ〕無く、】
このような不法の徒は、清浄な三宝に対する帰依〔きえ〕、つまり、依り処を失い、
【所有の禁戒〔きんかい〕皆具足せず。終〔つい〕に】
諸教の戒〔いまし〕めは、具〔そな〕わらず、結局のところ、
【声聞・縁覚、菩薩の果を証すること能はず」等云云。】
声聞、縁覚、菩薩の結果を顕す事もできない」などと説かれています。
【此の経文は正しく法華経の寿量品を顕説せるなり。】
この経文は、まさしく法華経の寿量品を説き顕しているのです。
【寿量品は木に譬へ、爾前迹門をば影に譬ふるの文なり。】
寿量品を木に譬え、爾前経や迹門を木の影に譬えている文章なのです。
【経文に又之有り。五時八教・当分跨節〔とうぶんかせつ〕・】
五時八教、当分跨節〔とうぶんかせつ〕、
【大小の益は影の如く、】
大乗小乗などの判別の利益は、木の影のようなものであり、
【本門の法門は木の如し云云。】
法華経本門の法門は、木のようなものなのです。
【又寿量品已前の】
また、寿量品が説かれる以前の経文による
【在世の益は闇中の木影なり。】
釈尊在世の利益は、暗闇の中の木の影のようなものであり、
【過去に寿量品を聞きし者の事なり等云云。】
それは、過去世に寿量品を聞いた事がある者のことを言っているのです。
【又不信は謗法に非ずと申す事。】
また了性房が「不信は、謗法ではない」と言った事や、
【又云はく、不信の者地獄に堕〔お〕ちず云云。】
また「不信の者であっても地獄に堕ちない」と言った事については、
【五の巻に云はく「疑ひを生じて信ぜざらん者は】
法華経の第五巻に「疑いを生じて信じない者は、
【則ち当〔まさ〕に悪道に堕つべし」云云。総じて御心へ候へ。】
必ず悪道に堕ちるであろう」とある通りです。これを、心得ておいてください。
【法華経と爾前と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、】
法華経と爾前経と相対して、勝劣浅深を判別するのに、
【当分跨節の事に三つの様有り。】
当分と跨節の立て分けに三つの方法があります。
【日蓮が法門は第三の法門なり。】
日蓮の法門は、その中の第三の法門なのです。
【世間に粗〔ほぼ〕夢の如く一・二をば申せども、】
世間においては、第一、第二について述べていましたが、夢のようにしか、
【第三をば申さず候。】
第三の法門については、述べていないのです。
【第三の法門は天台・妙楽・伝教も】
第三の法門は、天台大師や妙楽大師や伝教大師も
【粗之を示せども未だ事了〔お〕へず。】
おぼろげに説き顕しているけれども、いまだ説き終わっては、いないのです。
【所詮末法の今に譲り与へしなり。五五百歳とは是なり。】
結局、末法の今に、それを譲っているのです。五五百歳と言うのが、これです。
【但し此の法門の御論談は余は承らず候。】
ただし、この法門について議論を、ここで行ったとは、私は、承知しておりません。
【彼は広学多聞〔たもん〕の者なり。】
了性房は、天台宗の摩訶止観については、博学で知識がある者です。
【はゞか〔憚〕りはゞかりみ〔見〕たみたと候ひしかば、】
その者から、浅い知識のあなたが、どう言おうと私は、見たのだと言われて、
【此の方のま〔負〕けなんども申しつけられなばいかん〔如何〕がし候べき。】
あなたが間違っていると決めつけられたら、どうするつもりだったのでしょうか。
【但し彼の法師等が彼の釈を知り候はぬは、さてをき候ひぬ。】
ただ、その法師達が法華文句記の解釈の文章を知らなかった事は、さておいて、
【六十巻にな〔無〕しなんど申すは】
天台、妙楽の著作、六十巻の中にないなどと口走ったのは、
【天のせめなり。】
まさに諸天の加護によるものです。
【謗法の科〔とが〕の法華経の御使ひに値ひて顕はれ候なり。】
これは、彼らの謗法の罪が、富木殿など法華経の御使いに会って顕れたものです。
【又此の沙汰の事も定めてゆへありて出来せり。】
また、この議論も、きっと理由があって起こったものでしょう。
【かじま〔賀島〕の大田・次郎兵衛・大進房、】
日蓮に意を唱えている富士市加島〔かじま〕の大田次郎兵衛や大進房、
【又本院主〔ほんいんじゅ〕もいかにとや申すぞ。よくよくきかせ給ひ候へ。】
また、大寺院の住職も、どのように言っているか、よくよく御覧になってください。
【此等は経文に子細ある事なり。】
これらは、経文に詳しく説かれている事なのです。
【法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障〔さ〕ふべきにて候。】
法華経の行者を第六天の魔王が必ず妨げるのです。天台の摩訶止観の修行における
【十境の中の魔境とは此なり。】
十種の対境の中の魔事境がこれなのです。そこに書いてある
【魔の習ひは善を障へて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候。】
魔の習性とは、善事を妨げて悪事を行わせるのを悦ぶ事にあるのです。
【強ひて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ。】
どうしても、悪をなさない者には、力が及ばずに善事をさせるのです。
【又二乗の行をなす物をばあながちに怨〔あだ〕をなして善をすゝむるなり。】
また、二乗の修行をする者には、ひたすらに怨〔あだ〕をなし、善事をすすめ、
【又菩薩の行をなす物をば遮〔さえぎ〕りて二乗の行をすゝむ。】
また、菩薩の修行をする者には、それを邪魔して二乗の修行をすすめるのです。
【是後に純円の行を一向になす者をば】
この後に純円の教の修行を、一途にする者を
【兼別等に堕〔お〕とすなり、】
別教を含んだ円教などの修行に堕とすのです。
【止観の八等を御らむあるべし。】
摩訶止観の第八巻などを御覧になってください。
【又彼が云く、止観の行者は持戒等云云。】
また彼は「止観を修する者は、戒を持つ」などと言ったとの事ですが、
【文句の九には初・二・三の行者の】
法華文句の第九巻には、初めと第二、第三の位の行者が
【持戒をば此をせい〔制〕す。経文又分明〔ふんみょう〕なり。】
戒を持つ事について、これを制止しています。経文にも、また明らかです。
【止観に相違の事は】
摩訶止観に、それと相違している文章があると言う事については、
【妙楽の問答に之有り、】
妙楽大師が問答の形で、これを述べているので、
【記の九を見るべし。】
法華文句記の第九巻を見てください。
【初随喜〔しょずいき〕に二有り。利根〔りこん〕の行者は持戒を兼ねたり。】
初随喜の位の行者にも二種類あり、理解力がある行者は、持戒を兼ね合わせ、
【鈍根〔どんこん〕は持戒之を誓止す。】
理解力がない行者においては、持戒を制止するのです。
【又正像末の不同もあり。】
また、正法、像法、末法の時代による違いもあり、
【摂受〔しょうじゅ〕折伏の異〔こと〕なりあり。】
摂受、折伏の修行における異〔こと〕なりもあり、
【伝教大師の】
伝教大師が末法灯明抄で、末法に持戒の者がいるはずがないことの譬えとして
【市の虎の事思ひ合はすべし。】
「市に虎がいるようなものである」と説いていることを考え合わせてください。
【此より後は下総にては御法門候べからず。】
これより後は、下総においては、法論すべきではありません。
【了性・思念をつ〔詰〕めつる上は他人と御論候わば、】
了性房や思念房を破折した以上は、他の人と法論したならば、
【かへりてあさくなりなん。】
返って、その価値が浅くなってしまいます。
【彼の了性と思念とは年来〔としごろ〕日蓮をそし〔謗〕るとうけ給はる。】
この了性房と思念房は、数年来、日蓮を謗〔そし〕っていると聞いていますが、
【彼等程の蚊虻〔もんもう〕の者が】
彼等程度の蚊〔か〕や虻〔あぶ〕のようにつまらぬ者が、
【日蓮程の師子王を聞かず見ずして、】
日蓮ほどの師子王のごとき者を、聞きもせず、見もしないで、
【うは〔上〕のそら〔空〕にそしる程のをこじん〔烏滸人〕なり。】
好い加減な噂や話を信じて、無責任な態度で謗〔そし〕る程度の愚か者なのです。
【天台法華宗の者ならば、】
彼らが、ほんとうに天台法華宗の者であるならば、
【我は南無妙法蓮華経と唱へて、念仏なんど申す者をば、】
自分自身は、南無妙法蓮華経と唱えて、念仏などを唱える者のことを、
【あれはさ〔然〕る事なんど申すだにも】
あれは、あれで良いなどと言うだけでも
【きくわい〔奇怪〕なるべきに、】
奇怪〔きっかい〕であるはずなのに、奇怪〔きっかい〕だと思わないばかりか、
【其の義なき上偶〔たまたま〕申す人をそしるでう〔条〕、】
たまたま、念仏の邪義を指摘する人を謗〔そし〕ると言うことは、
【あらふしぎ〔不思議〕あらふしぎ。】
まったくもって、おかしなことです。
【大進房が事さきざき〔先先〕か〔書〕きつかわして候やうに、】
未だ心が定まらない大進房の事については、前に書き送ったように、
【つよづよ〔強強〕とか〔書〕き上〔あ〕げ申させ給ひ候へ。】
強い言葉で手紙を書いて、退転しないように言ってください。
【大進房には十羅刹〔らせつ〕のつかせ給ひて】
大進房については、十羅刹女〔じゅうらせつにょ〕がつかれて
【引きかへしせさせ給ふとをぼへ候ぞ。】
退転せずに引き返すようにされると思います。
【又魔王の使者なんどがつきて候ひけるが、はなれて候とをぼへ候ぞ。】
また、第六天の魔王の使者などが取り付いていたのが、離れるであろうと思います。
【悪鬼〔あっき〕入其身〔にゅうごしん〕はよもそら〔虚〕事にては候はじ。】
悪鬼が、その身に入ると言うのは、まさか嘘では、ないでしょう。
【事々〔ことごと〕重〔しげ〕く候へども】
書きたいことが、たくさんありますが、
【此の使ひいそ〔急〕ぎ候へばよる〔夜〕か〔書〕きて候ぞ。】
この使いの者が急いでいるので、いま、夜に書いております。
【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申しげます。
【十月一日 日蓮花押】
10月1日 日蓮花押