日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


富木常忍御消息文 32 諸経と法華経と難易事

【諸経と法華経と難易の事 弘安三年五月二六日 五九歳】
諸経と法華経と難易の事 弘安3年5月26日 59歳御作


【問うて云はく、法華経の第四法師品〔ほっしほん〕に云はく】
それでは、法華経の第四巻、法師品に

【「難信〔なんしん〕難解〔なんげ〕」云云。いかなる事ぞや。】
「難信難解」と説かれているのは、どう言う事でしょうか。

【答へて云はく、此の経は仏説き給ひて後、二千余年にまかりなり候。】
それは、この経文は、仏が説かれてから、二千余年を経〔へ〕ており、

【月氏〔がっし〕に一千二百余年、漢土〔かんど〕に二百余年を経て後、】
インドに一千二百余年、中国に二百余年を経〔へ〕てのち、

【日本国に渡りてすでに七百余年なり。】
日本に伝来してから、すでに七百余年が経〔た〕っています。

【仏滅後に此の法華経の此の句を読みたる人但三人なり。】
仏滅後に、この法華経の難信難解の句を読んだ人は、ただ三人だけなのです。

【所謂〔いわゆる〕月氏には竜樹〔りゅうじゅ〕菩薩〔ぼさつ〕。】
インドの竜樹菩薩は、

【大論〔だいろん〕に云はく】
大智度論に

【「譬〔たと〕へば大薬師の能〔よ〕く毒を以て薬と為すが如し」等云云。】
「譬えば、大薬師がよく毒をもって薬とするが如し」と述べています。

【此は竜樹菩薩の難信難解の四字を読み給ひしなり。】
これは、竜樹菩薩が難信難解の四字を読んで言われたのです。

【漢土には天台智者大師と申せし人読んで云はく】
中国では、天台智者大師と言う人が読んで、法華玄義の中で

【「已〔い〕今〔こん〕当〔とう〕の説最も為〔こ〕れ難信難解」云云。】
「已今当〔いこんとう〕の説、最も為〔こ〕れ、難信難解」と述べられています。

【日本国には伝教大師読んで云はく】
日本では、伝教大師がそれを読んで法華秀句に

【「已説の四時の経、今説の無量義〔むりょうぎ〕経、】
「すでに説いた四時の経、今説の無量義経、

【当説の涅槃〔ねはん〕経は易信易解〔いしんいげ〕なり、】
当説の涅槃経は、易信易解〔いしんいげ〕の法門である。

【随他意〔ずいたい〕の故に。】
なぜなら、それらは、皆、随他意であるゆえに。

【此の法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に」等云云。】
この法華経は、最も難信難解なり、それは、随自意である故に」と述べています。

【問うて云はく、其の意如何。】
それでは、その意味は、どう言う事でしょうか。

【答へて云はく、易信易解は随他意の故なり。】
それは、易信易解は、随他意の教えである為であり、

【難信難解は随自意の故なり云云。】
難信難解は、仏の随自意の教えである為なのです。

【弘法大師並びに日本国東寺〔とうじ〕の門人をも〔思〕わく、】
弘法大師や日本の東寺〔とうじ〕の門人が勝手に思っているのは、

【法華経は顕教〔けんぎょう〕の内の難信難解にて、】
法華経は、顕教〔けんぎょう〕の内の難信難解で、

【密教に相対すれば易信易解なり云云。】
密教に相対すれば、易信易解であると言う主張なのです。

【慈覚〔じかく〕・智証〔ちしょう〕並びに門家の思ふやう、】
慈覚〔じかく〕、智証〔ちしょう〕、ならびに、その弟子が勝手に思っているのは、

【法華経と大日経は倶〔とも〕に難信難解なり。】
法華経と大日経は、ともに難信難解であるが、

【但し大日経と法華経と相対せば法華経は難信難解、】
大日経と法華経とを相対してみると法華経は、難信難解で、

【大日経は最も為れ難信難解なり云云。】
大日経は、さらに難信難解であると言う主張です。

【此の二義は日本一同なり。】
これらの二つの主張は、日本一同に、すでに流布して信じられています。

【日蓮読んで云はく、外道の経は易信易解、小乗経は難信難解。】
しかし、日蓮が読むと、外道の経は、易信易解で、小乗経は、難信難解であり、

【小乗経は易信易解、大日経等は難信難解。】
小乗経は、易信易解で、大日経などは、難信難解であり、

【大日経等は易信易解、般若経は難信難解なり。】
大日経などは、易信易解で、般若経は、難信難解であり、

【般若と華厳と、】
般若経は、易信易解で、華厳経は、難信難解であり、

【華厳と涅槃と、】
華厳経は、易信易解で、涅槃経は、難信難解であり、

【涅槃と法華と、】
涅槃経は、易信易解で、法華経は、難信難解であり、

【迹門と本門と、】
法華経迹門は、易信易解で、法華経本門は、難信難解であり、

【重々の難易あり。】
このように多くの重々の易信易解、難信難解があるのです。

【問うて云はく、此の義を知りて何の詮か有る。】
それでは、この法義を知って、どういう意義があるのでしょうか。

【答へて云はく、生死の長夜を照す大灯、】
それは、生死の長夜を照らす大燈明であり、

【元品〔がんぽん〕の無明〔むみょう〕を切る利剣〔りけん〕は】
衆生の元品の無明を断ち切る利剣は、

【此の法門には過ぎざるか。】
この法門をおいて他にはないのです。

【随他意とは、真言宗・華厳宗等は随他意・易信易解なり。】
随他意とは、真言宗、華厳宗などであり易信易解の経文なのです。

【仏、九界〔くかい〕の衆生の意楽〔いぎょう〕に随って説く所の経々を】
仏が、九界の衆生の心に従って、様々に工夫をして説いた経文を

【随他意という。】
随他意と言うのです。

【譬〔たと〕へば賢父〔けんぷ〕が愚子〔ぐし〕に随ふが如し。】
譬えば、賢い父が愚かな子に合わせて従うようなものです。

【仏、仏界に随って説く所の経を随自意という。】
仏が、仏界によって説いた経文を随自意と言います。

【譬へば聖父〔せいふ〕が愚子を随へたるが如し。】
譬えば、聖父〔せいふ〕が愚かな子を従わせているようなものです。

【日蓮此の義に付いて大日経・華厳経・】
いま日蓮が、この随自意、随他意の義の上から、大日経、華厳経、

【涅槃経等を勘〔かんが〕へ見候に、皆随他意の経々なり。】
涅槃経などを考えてみると、これらは、みな、随他意の経文なのです。

【問うて云はく、其の随他意の証拠如何。】
それでは、これらが随他意の経文であると言う証拠は、あるのでしょうか。

【答へて云はく、勝鬘〔しょうまん〕経に云はく】
それは、勝鬘〔しょうまん〕経に

【「非法を聞くこと無き衆生には】
「人間や天上に生まれる事を求める衆生には、

【人天〔にんでん〕の善根を以て之を成熟〔じょうじゅく〕す。】
人間や天上に生まれる善根を説き、

【声聞〔しょうもん〕を求むる者には声聞乗を授け、】
声聞を求める者には、声聞の法を説き、

【縁覚〔えんがく〕を求むる者には縁覚乗を授け、】
縁覚を求める者には、縁覚の法を説き、

【大乗を求むる者には授くるに大乗を以てす」云云。】
菩薩を求める者には、菩薩の法で教え導く」とあります。

【易信易解の心是なり。】
これは、衆生の理解力に応じて法を説く、随他意の法門であり、易信易解なのです。

【華厳・大日 般若・涅槃等又是くの如し。】
華厳経、大日経、般若経、涅槃経などもまた同様なのです。

【「爾の時に世尊、薬王菩薩に因〔よ〕せて】
また、法華経法師品第十に「爾の時に世尊が薬王菩薩によせて

【八万の大士に告げたまはく、薬王、汝〔なんじ〕】
八万の菩薩に告げられるのに、薬王、汝〔なんじ〕

【是の大乗の中の無量の諸天・竜王・夜叉〔やしゃ〕・乾闥婆〔けんだつば〕・】
この大衆の中の無量の諸天、竜王、夜叉〔やしゃ〕、乾闥婆〔けんだつば〕、

【阿修羅〔あしゅら〕・迦樓羅〔かるら〕・緊那羅〔きんなら〕・】
阿修羅〔あしゅら〕、迦樓羅〔かるら〕、緊那羅〔きんなら〕、

【摩睺羅伽〔まごらが〕・人と非人と及び比丘〔びく〕・比丘尼〔に〕・】
摩睺羅伽〔まごらが〕、人と非人、比丘〔びく〕、比丘尼〔びくに〕、

【優婆塞〔うばそく〕・優婆夷〔い〕の声聞を求むる者、】
男性信者、女性信者などの四衆、あるいは、声聞を求める者、

【辟支仏〔びゃくしぶつ〕を求むる者、仏道を求むる者を見るや。】
あるいは、縁覚を求める者、あるいは、仏道を求める者など、

【是くの如き等類〔たぐい〕咸〔ことごと〕く仏前に於て】
これら一切の者、ことごとく、仏前において

【妙法華経の一偈〔いちげ〕一句を聞いて、】
妙法蓮華経の一偈一句を聞いて、

【一念も随喜〔ずいき〕する者には我皆記〔き〕を与へ授く、】
たとえ一念であっても、随喜する者には、我、成仏の記を与え、

【当に阿〇菩提〔ぼだい〕を得べし」文。】
まさに無上菩提〔ぼだい〕を得べし」と説かれているのです。

【諸経の如くんば、人には五戒、天には十善〔じゅうぜん〕、】
諸経のように人間界には、五戒、天上界には、十善、

【梵〔ぼん〕は慈悲〔じひ〕喜捨〔きしゃ〕、】
梵王には、慈悲喜捨〔きしゃ〕、

【魔王には一無遮〔むしゃ〕、比丘には二百五十、】
魔王には、一無遮〔むしゃ〕、男性の僧侶には、二百五十戒、

【比丘尼には五百戒、声聞には四諦〔したい〕、】
女性の僧侶には、五百戒、声聞には、四諦〔したい〕、

【縁覚には十二因縁、菩薩には六度なり。】
縁覚には、十二因縁、菩薩には、六波羅蜜〔ろくはらみつ〕と言うように、

【譬へば水の器〔うつわ〕の】
その各々の理解力によって、各別の法門を説く事は、

【方円〔ほうえん〕に随ひ象の敵に随って力を出すがごとし。】
ちょうど水が器の形にしたがい、象が敵により、その力を変える事と同じなのです。

【法華経は爾〔しか〕らず。】
法華経は、まったく、そうではないのです。

【八部・四衆〔しゅ〕皆一同に法華経を演説す。】
八部、四衆、皆、それぞれに対して、同じように法華経を説くのです。

【譬へば定木〔じょうぎ〕の曲がりを削り、】
それは、たとえば、定木が曲がりを削〔けず〕り、

【師子王の剛弱を嫌はずして大力を出〔い〕だすがごとし。】
師子王が相手の強さに関わらず全力を出すのと同じなのです。

【此の明鏡を以て一切経を見聞するに、】
この法華経の明鏡をもって一切経を見聞してみると、

【大日の三部・浄土の三部等隠れ無し。】
大日の真言三部経、浄土の三部経などは、すべて随他意である事が明瞭なのです。

【而〔しか〕るをいかにやしけん、弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に、】
それなのに、どうしたわけか、弘法、慈覚、智証の主張を根本にしてしまったので、

【此の義すでに日本国に隠没〔おんもつ〕して四百余年なり。】
日本では、法華経最勝の義が隠れてしまい、すでに四百余年が経っているのです。

【珠〔たま〕をもって石にかへ、栴檀〔せんだん〕を凡木〔ぼんぼく〕にうれり。】
これは、ちょうど、珠を石に替え、栴檀を、ただの木に替えたようなものなのです。

【仏法やうやく顚倒〔てんどう〕しければ】
仏法が、このように次第に顚倒〔てんどう〕してしまったので、

【世間も又濁乱〔じょくらん〕せり。】
世間も、また、濁〔にご〕り乱れてしまったのです。

【仏法は体〔たい〕のごとし、世間はかげのごとし。】
仏法は、体であり、世間は、影のようなものなのです。

【体曲がれば影なゝめなり。幸ひなるは我が一門、】
体が曲がれば、影は、斜めになるのです。

【仏意〔ぶっち〕に随って自然に薩般若海〔さばにゃかい〕に流入す。】
幸いに我が一門は、仏の意志に随って、自然に涅槃の海に入る事が出来るのです。

【苦しきは世間の学者、随他意を信じて苦海に沈まん。】
世間の学者達は、随他意の経文を信じているので、苦海に沈む事になるのです。

【委細の旨又々申すべく候。恐々謹言。】
詳しくは、また申す事にします。恐れながら謹んで申し上げます。

【五月廿六日   日蓮花押】
5月26日   日蓮花押

【富木殿御返事】
富木殿御返事


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