日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


富木常忍御消息文 23 忘持経事

【忘持経事 建治二年三月三〇日 五五歳】
忘持経事 建治2年3月30日 55歳御作


【忘れ給ふ所の御持経〔ごじきょう〕追って修行者に持たせ之を遣〔つか〕はす。】
御忘れになった御持経〔ごじきょう〕を修行者に持たせ届けさせました。

【魯〔ろ〕の哀公〔あいこう〕云はく「人好く忘るゝ者有り。】
魯〔ろ〕の国の哀公〔あいこう〕が孔子に「よく物忘れをする人がいて、

【移宅〔わたまし〕に乃〔すなわ〕ち其の妻を忘れたり」云云。】
転居するときに妻を忘れてしまったそうだ」と言うと、

【孔子云はく「又好く忘るゝこと此より甚しき者あり。】
孔子は「もっと、はなはだしい物忘れがいる。

【桀紂〔けっちゅう〕の君は乃ち其の身を忘れたり」等云云。】
夏の桀〔けつ〕王や殷の紂〔ちゅう〕王は、我が身さえも忘れた」と言いました。

【夫〔それ〕槃特〔はんどく〕尊者〔そんじゃ〕は名を忘る。】
また、槃特〔はんどく〕尊者は、自分の名前さえ忘れたと言いますから、

【此閻浮〔えんぶ〕第一の好く忘るゝ者なり。】
これこそ世界第一の物忘れの人と言えます。

【今常忍〔じょうにん〕上人は持経を忘る。】
今、常忍上人は、御持経〔ごじきょう〕を御忘れになりましたから、

【日本第一の好く忘るゝの仁か。】
日本第一の、よく物忘れをされる方と言えるでしょうか。

【大通結縁〔だいつうけちえん〕の輩〔ともがら〕は衣珠〔えじゅ〕を忘れ、】
大通結縁の者は、衣の襟〔えり〕にある宝珠を忘れ、

【三千塵劫〔じんごう〕を経て貧路〔ひんろ〕に踟蹰〔ちちゅう〕し、】
三千塵点劫〔じんでんごう〕と言う長い間、貧しい路地〔ろじ〕をさまよい、

【久遠下種の人は良薬を忘れ、五百塵点〔じんでん〕を送りて】
また、久遠下種の人は、良薬を忘れて五百塵点劫〔じんでんごう〕の間、

【三途〔ず〕の嶮地〔けんじ〕に顚倒〔てんどう〕せり。】
三悪道に堕ちて苦しんだのです。

【今の真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は】
今、真言宗、念仏宗、禅宗、律宗などの学者たちが

【仏陀の本意を忘失〔もうしつ〕し、未来無数劫を経歴〔きょうりゃく〕して】
釈尊の本意を忘れ失い、未来無数劫の間、

【阿鼻〔あび〕の火坑〔かきょう〕に沈淪〔ちんりん〕せん。】
無間地獄の焔〔ほのお〕の穴に沈む事でしょう。

【此より第一の好く忘るゝ者あり。】
これらより、第一に仏意を忘れ失った人達がいます。

【所謂〔いわゆる〕今の世の天台宗の学者等と】
すなわち、今の世の天台宗の学者たちと

【持経者等との日蓮を誹謗〔ひぼう〕し】
法華経の行者である日蓮を誹謗〔ひぼう〕し、

【念仏者等を扶助〔ふじょ〕する是なり。親に背〔そむ〕きて】
念仏者たちを援助する者たちがそれです。これは、ちょうど、親に背いて、

【敵に付き刀を持ちて自らを破る。此等は且〔しばら〕く之を置く。】
敵に付き、刀で自らを斬る行為なのですが、これらの事は、しばらく置きます。

【夫〔それ〕常啼〔じょうたい〕菩薩は東に向かひて般若〔はんにゃ〕を求め、】
昔、常啼〔じょうたい〕菩薩は、東方に向かって般若〔はんにゃ〕の教えを求め、

【善財〔ぜんざい〕童子は南に向かひて華厳を得る。】
善財〔ぜんざい〕童子は、南に向かって華厳の教えを得ました。

【雪山の小児は半偈〔はんげ〕に身を投げ、】
雪山童子は、「生滅滅已、寂滅為楽」の半偈を得ようと鬼神に身を投げ、

【楽法梵志〔ぎょうぼうぼんじ〕は一偈に】
楽法梵士〔ぎょうぼうぼんじ〕は、一偈の文を書き写す為に

【皮を剥〔は〕ぐ。此等は皆上聖大人なり。】
身の皮を剥〔は〕ぎ、紙としました。しかしこれらは、皆、優れた聖人であり、

【其の迹〔あと〕を検すれば地住〔じじゅう〕に居し、】
この垂迹を考えてみると、別教の初地、円教の初住の菩薩の位に居られ、

【其の本を尋ぬれば等妙〔とうみょう〕なるのみ。】
その本地を尋ねてみれば、等覚、妙覚の位に居られるのです。

【身は八熱に入りて火坑〔かきょう〕三昧〔まい〕を得、】
身は、八熱の苦しみにあっても、火坑三昧〔かきょうざんまい〕を得られ、

【心は八寒に入りて清涼〔しょうりょう〕三昧を証し、】
心は、八寒地獄に堕ちても清凉〔しょうりょう〕三昧を悟られる人ですから、

【身心共に苦無し。譬〔たと〕へば矢を放ちて虚空〔こくう〕を射〔い〕、】
身心ともに苦しみがないのです。たとえば、矢を放って虚空を射、

【石を握りて水に投ずるが如し。】
石をつかんで水に投ずるように、何の障害もないのです。

【今常忍貴辺〔きへん〕は末代の愚者にして】
今、常忍殿、あなたは、末代の愚者で

【見思〔けんじ〕未断〔みだん〕の凡夫なり。】
見思〔けんじ〕の一惑でさえ断じていない凡夫なのです。

【身は俗に非ず道に非ず禿居士〔とくこじ〕。】
身は、俗でもなく、僧でもなく、ただの禿〔は〕げた信者であり、

【心は善に非ず悪に非ず羝羊〔ていよう〕のみ。】
心は、善でもなく、悪でもなく、欲望のまま動く雄の羊と何ら変わりがありません。

【然〔しか〕りと雖〔いえど〕も一人の悲母〔ひも〕、堂に有り。】
しかし、家に一人の悲母がおり、

【朝〔あした〕に出でて主君に詣で、夕に入りて私宅に返る。】
朝に家を出れば、主君に仕え、夕には、家に帰って、

【営む所は悲母の為、存する所は孝心のみ。】
ひたすら孝養を尽くされましたが、

【而〔しか〕るに去月下旬の比〔ころ〕、】
去る二月下旬の頃、

【生死の理〔ことわり〕を示さんが為に黄泉の道に趣〔おもむ〕く。】
母は、生死の理〔ことわり〕を示す為に黄泉〔よみ〕の旅におもむかれました。

【此に貴辺と歎いて云はく、齢〔よわい〕既に九旬に及ぶ。】
ここに、あなたは、嘆いて言うのには、すでに齢90歳を超され、

【子を留めて親の去ること次第たりと雖も、倩〔つらつら〕事の心を案ずるに、】
子を残して親が逝くことは、順序と言うものの、しかし、よく考えてみると、

【去りて後は来たるべからず、何れの月日をか期〔ご〕せん。】
母が去って後、いつの日にか再び会う事が出来るでしょうか。

【二母国に無し、今より後誰をか拝すべき。】
世に二人の母は、いません。これからは、誰を母としていくべきでしょうか。

【離別忍び難きの間、舎利〔しゃり〕を頸〔くび〕に懸〔か〕け、】
そこで別離の悲しみが忍び難いので、その御遺骨を頸〔くび〕にかけ、

【足に任せて大道に出で、下州より甲州に至る。】
足にまかせて大道に出て、下総から、この甲州まで来られたのです。

【其の中間往復千里に及ぶ。】
その間の道のりは、往復千里にも及びます。

【国々皆飢饉〔ききん〕して山野に盗賊〔とうぞく〕充満し、】
国々は、皆、飢饉で、山野には、盗賊があふれ、

【宿々〔しゅくしゅく〕粮米(ろうまい)乏少〔ぼうしょう〕なり。】
宿々では、携〔たずさ〕える米も乏しく、

【我が身羸弱〔るいじゃく〕にして】
そのうえ身体も衰弱して、

【所従亡きが若〔ごと〕く牛馬〔ごめ〕合期〔ごうご〕せず。】
従者も居ないに等しく、牛馬とて、あてにはならず、

【峨々〔がが〕たる大山重々として、漫々たる大河多々なり。】
大山は、高々として折り重なり、満々と流れる大河は、数多いのです。

【高山に登れば頭〔こうべ〕天に捽〔う〕ち、】
高山に登れば、頭は、天につくほどであり、

【幽谷〔ゆうこく〕に下れば足雲を踏む。】
奥深い谷に下れば、足下に雲を踏んで、

【鳥に非ざれば渡り難く、鹿に非ざれば越え難し。】
鳥でなければ、渡る事が難しく、鹿でなければ、越え難いのです。

【眼眩〔くるめ〕き足冷ゆ。羅什〔らじゅう〕三蔵の葱嶺〔そうれい〕、】
目は、眩〔くら〕み、足は、凍〔こご〕え、羅什三蔵がパミール高原を越え、

【役〔えん〕の優婆塞〔うばそく〕が大峰も只今なりと云云。】
役〔えん〕の行者が大峰山を、よじ登ったのも、このようであったかと思われます。

【然〔しか〕る後深洞〔しんどう〕に尋ね入りて一菴室を見るに、】
このような旅を経て、身延の深洞〔しんどう〕に尋ね入り、一つの庵室を見ると、

【法華読誦〔どくじゅ〕の音〔こえ〕青天に響き、】
そこからは、法華経読誦〔どくじゅ〕の声が青天に響き、

【一乗談義の言山中に聞こゆ。】
一乗妙法を談義する声が山中に聞こえ、

【案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、】
案内を請い部屋に入り、教主釈尊の御宝前に母御の遺骨を安置し、

【五体を地に投げ、合掌〔がっしょう〕して】
五躰を地に伏して、合掌し、

【両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、】
両眼を開き、尊容を拝すると、歓喜が身にあまり、

【心の苦しみ忽〔たちま〕ちに息〔や〕む。】
心の苦しみが、たちまちに止んだのです。

【我が頭〔こうべ〕は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、】
思うに我が頭は、父母の頭、我が足は、父母の足、我が十指は、父母の十指、

【我が口は父母の口なり。】
我が口は、父母の口なのです。

【譬へば種子〔たね〕と菓子〔このみ〕と身と影との如し。】
たとえば、種子と果実と身と影のようなものなのです。

【教主釈尊の成道は浄飯〔じょうぼん〕・摩耶〔まや〕の得道、】
教主釈尊の成道は、親の浄飯〔じょうぼん〕王、摩耶〔まや〕夫人の得道であり、

【吉占師子〔きっせんしし〕・青提女〔しょうだいにょ〕・】
親の吉占師子〔きっせんしし〕、青提女〔しょうだいにょ〕と

【目犍〔もっけん〕尊者〔そんじゃ〕は同時の成仏なり。】
目連尊者の成仏は、同時の成仏であったのです。

【是〔か〕くの如く観ずる時無始〔むし〕の業障〔ごうしょう〕忽ちに消え、】
このように観〔み〕るとき、無始以来、罪障も、たちまちに消えて、

【心性〔しんしょう〕の妙蓮忽ちに開き給ふか。】
己心の仏性を即座に開かれた事でしょう。

【然〔しか〕る後、随分に仏事を為〔な〕し、事故無く還〔かえ〕り給ふ云云。】
こうして十分に仏事を成されて、御帰りになられたのです。

【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。

【富木入道殿】
富木入道殿へ


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