日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


富木常忍御消息文 22 富木尼御前御書(富木尼御前御返事)

【富木尼御前御書 建治二年三月二七日 五五歳】
富木尼御前御書 建治2年3月27日 55歳御作


【鵞目〔がもく〕一貫並びにつゝ〔筒〕ひとつ給〔た〕び候ひ了〔おわ〕んぬ。】
銭一貫文ならびに筒一つを頂きました。

【や〔箭〕のはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう〔竜〕のちから、】
矢が飛ぶのは、弓の力によってであり、雲が湧くのは、竜の力であり、

【をとこ〔夫〕のしわざはめ〔女〕のちからなり。】
男の仕事は、女の力によるのです。

【いまときどの〔富木殿〕のこれへ御わたりある事、】
今、富木殿が、この身延の山へ来られたのは、

【尼ごぜんの御力なり。】
尼御前の御力に依〔よ〕るのです。

【けぶり〔煙〕をみれば火をみる、あめ〔雨〕をみればりう〔竜〕をみる。】
煙を見れば、火を知り、雨を見れば、竜を知り、

【をとこ〔夫〕を見ればめ〔女〕をみる。】
夫を見れば、妻の信心を知るのです。

【今ときどの〔富木殿〕にげざん〔見参〕つかまつれば、】
今、富木殿に御会いしていると、

【尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。ときどの〔富木殿〕の御物がたり候は、】
尼御前を見ているように思われるのです。富木殿が話をされている事は、

【こ〔此〕のはわ〔母〕のなげきのなかに、りんずう〔臨終〕のよくをはせしと、】
このたび、母御が逝かれた嘆きの中にも、御臨終の御姿が良かった事と、

【尼がよくあたり、かんびょう〔看病〕せし事のうれしさ、】
尼御前が手厚く看病された事について、その嬉しさは、

【いつのよ〔世〕にわするべしともをぼへずと、よろこばれ候なり。】
いつの世までも忘れられないと喜んでおられました。

【なによりもをぼつか〔覚束〕なき事は御所労なり。】
しかし、何よりも、心にかかることは、尼御前の御病気の事です。

【かまへてさもと三年、はじめのごとくに、きうじ〔灸治〕せさせ給へ。】
必ず治ると思って、三年の間、終始怠らずに灸治〔きゅうじ〕をされてください。

【病なき人も無常まぬかれがたし。】
病気でない人でも、無常は、まぬがれ難いものです。

【但しとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。】
ただし、あなたは、まだ年老いたわけでもなく、

【非業の死にはあるべからず。】
しかも法華経の行者ですから、非業の死などあるわけがありません。

【よも業病〔ごうびょう〕にては候はじ。】
よもや業病であるはずがないのです。

【設〔たと〕ひ業病なりとも、法華経の御力たのもし。】
たとえ業病であっても、法華経の御力は頼もしく、治癒しないはずがありません。

【阿闍世〔あじゃせ〕王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、】
阿闍世王は、法華経を受持して、四十年も寿命を延ばし、

【陳臣〔ちんしん〕は十五年の命をのべたり。】
天台大師の兄の陳臣〔ちんしん〕も十五年の寿命を延ばしたと言われています。

【尼ごぜん又法華経の行者なり。】
尼御前も、また、法華経の行者で、

【御信心は月のまさるがごとく、しを〔潮〕のみつがごとし。】
御信心は、月が満ち、潮が満ちるように強盛であるので、

【いかでか病も失〔う〕せ、寿ものびざるべきと】
どうして病〔やまい〕が癒〔い〕えず、寿命の延びない事があるだろうかと

【強盛〔ごうじょう〕にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。、】
強く信じて、御身を大切にし、心の中であれこれ嘆かない事です。

【なげき出で来〔く〕る時は、ゆき〔壱岐〕・つしま〔対馬〕の事、】
もし、嘆きや悲しみが起きたときには、壱岐や対馬の事、

【だざひふ〔太宰府〕の事、】
太宰府の事を思い起こされてください。

【かまくら〔鎌倉〕の人々の天の楽のごと〔如〕にありしが、】
また、天人のように楽しんでいた鎌倉の人々が、

【当時つくし〔筑紫〕へむ〔向〕かへば、とゞ〔留〕まるめこ〔女子〕、】
九州へ向かうにあたって、とどまる妻子、

【ゆ〔往〕くをとこ〔夫〕、】
行く夫、

【はな〔離〕るゝときはかわ〔皮〕をは〔剥〕ぐがごとく、】
愛しい者同士が離れる時は、生木を裂かれるような思いで、別れを惜しみ、

【かを〔顔〕とかをとをと〔取〕りあ〔合〕わせ、】
顔と顔をすり合わせ、

【目と目とをあわせてなげきしが、】
目と目を交わして嘆き、

【次第にはなれて、ゆい〔由比〕のはま、いなぶら〔稲村〕、こしごへ〔腰越〕、】
次第に離れて、由比〔ゆい〕の浜、稲村〔いなむら〕、腰越〔こしごえ〕、

【さかわ〔酒匂〕、はこねざか〔箱根坂〕。】
酒勾〔さかわ〕、箱根坂〔はこねざか〕と、

【一日二日すぐるほどに、あゆ〔歩〕みあゆみとを〔遠〕ざかるあゆみも、】
一日、二日と過ぎていくほどに、一歩一歩と遠くなって、

【かわ〔川〕も山もへだ〔隔〕て、雲もへだつれば、】
川も山も隔〔へだ〕て、雲も隔〔へだ〕ててしまうので、

【うちそ〔添〕うものはなみだ〔涙〕なり、】
身に添〔そ〕うものは、ただ涙、

【ともなうものはなげ〔嘆〕きなり、いかにかなしかるらん。】
ともなうものは、ただ嘆きばかりで、その心中の悲しみは、いかばかりでしょうか。

【かくなげかんほどに、もうこ〔蒙古〕のつわものせ〔攻〕めきたらば、】
こうした嘆きの中に蒙古の兵が攻めて来たならば、

【山か海もい〔生〕けど〔捕〕りか、】
山や海で生け捕りになるか、

【ふね〔舟〕の内か、かうらい〔高麗〕かにてうきめ〔憂目〕にあはん。】
船の中か、はたまた高麗〔こうらい〕で、ひどい目にあう事でしょう。

【これひとへに、失〔とが〕もなくて日本国の一切衆生の父母となる】
この事は、まったく、何の罪もないのに日本国一切衆生の父母とも言える

【法華経の行者日蓮をゆへもなく、或はの〔罵〕り、或は打ち、】
法華経の行者、日蓮を、理由もなく、罵〔ののし〕り、打ち、

【或はこうぢ〔巷路〕をわたし、ものにくる〔狂〕いしが、】
あるいは、市中を引き回して、狂っていたのが、

【十羅刹のせめをかほ〔被〕りてなれる事なり。】
十羅刹の責めを被って、このような目にあっているのです。

【又々これより百千万億倍たへがたき事どもいで来たるべし。】
彼らの身の上には、まだまだ、これより百千万億倍の大難が出来する事でしょう。

【かゝる不思議を目の前に御らんあるぞかし。】
こうした不思議を、よく御覧になってください。

【我等は仏に疑ひなしとをぼせば、なにのなげ〔歎〕きかあるべき。】
私たちは、間違いなく仏になると思えば、何の嘆きがあるでしょうか。

【きさき〔后〕になりてもなにかせん、天に生まれてもようしなし。】
皇妃〔きさき〕に生まれても、また、天上界に生まれても、何になるでしょうか。

【竜女があとをつぎ、】
竜女の跡を継ぎ、

【摩訶波舎波提〔まかはじゃはだい〕比丘尼〔びくに〕のれち〔列〕に】
摩訶波闍波提〔まかはじゃはだい〕比丘尼の列に

【つらなるべし。あらうれしあらうれし。】
並ぶ事が出来るのです。なんと嬉しい事でしょうか。

【南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ。】
ただ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えてください。

【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。

【三月廿七日   日蓮花押】
3月27日   日蓮花押

【尼ごぜん〔御前〕へ】
尼ごぜんへ


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