御書研鑚の集い 御書研鑽資料
富木常忍御消息文 16 聖人知三世事(富木殿御返事)
【聖人知三世事 文永一一年一一月 五三歳】聖人知三世事 文永11年11月 53歳御作
【聖人と申すは委細〔いさい〕に三世を知るを聖人と云ふ。】
聖人と言うのは、詳しく過去、現在、未来の三世を知る人を言うのです。
【儒家〔じゅけ〕の三皇〔さんこう〕・五帝〔ごてい〕並びに三聖は】
儒家の三皇、五帝や三聖と言われる孔子、老子、孔子の弟子である顔回などは、
【但現在を知りて過〔か〕・未〔み〕を知らず。】
ただ現在のみを知って、過去と未来を知りません。
【外道は過去八万・未来八万を知る。一分〔ぶん〕の聖人なり。】
外道は、過去八万劫、未来八万劫を知っているので、一分の聖人とは言えます。
【小乗の二乗は過去未来の因果を知る。】
小乗教の二乗である声聞、縁覚は、過去と未来の因果を知っているので
【外道に勝れたる聖人なり。】
外道より優れた聖人と言えるでしょう。
【小乗の菩薩は過去三僧祇〔さんそうぎ〕の菩薩、】
さらに小乗の菩薩は、三阿僧祇〔さんそうぎ〕の過去を知り、
【通教の菩薩は過去に動踰塵劫〔どうゆじんこう〕を経歴〔きょうりゃく〕せり。】
権大乗の通教の菩薩は、過去に動踰塵劫〔どうゆじんこう〕を経験し、
【別教の菩薩は一々の位の中に】
同じく別教の菩薩は、一つ一つの位の中においてさえ、
【多倶低劫〔たぐていこう〕の過去を知る。】
多倶低劫〔たぐていこう〕の過去を知っているのです。
【法華経の迹門は過去の三千塵点劫〔じんでんごう〕を】
また法華経の迹門では、釈尊が三千塵点劫〔じんでんごう〕と言う
【演説す。一代超過〔ちょうか〕是なり。】
遠い過去を説かれており、これは、一代超過の法門であるのです。
【本門は五百塵点劫・過去遠々劫〔おんのんごう〕をも之を演説し、】
さらに法華経本門では、五百塵点劫と言う過去、遠々劫〔おんのんごう〕を明かし、
【又未来無数劫〔むしゅこう〕の事をも宣伝す。】
また、未来、無数劫〔むしゅこう〕の事までも宣べられているのです。
【之に依って之を案ずるに、】
これらの例証によって考えてみると、
【委しく過・未を知るは聖人の本〔もと〕なり。】
過去と未来を具〔とも〕に知る事こそ、聖人の本〔もと〕なのです。
【教主釈尊は既に近くは去って後三月の涅槃之を知る。】
教主釈尊は、すでに近くは、三ケ月後の入滅を知り、
【遠くは後五百歳広宣流布】
遠くは、滅後、末法の始めの五百年の法華経の広宣流布を明言されましたが、
【疑ひ無き者か。】
必ず現実となるでしょう。
【若し爾〔しか〕れば近きを以て遠きを惟〔おも〕ひ、】
もし、そうであれば、近きをもって遠きを推し量り、
【現を以て当を知る。】
現在をもって未来を知る事が出来るのです。
【如是相乃至本末究竟等是なり。】
法華経方便品の「如是相、乃至、本末究竟等」とは、この事なのです。
【後五百歳には誰人を以て法華経の行者と之を知るべきや。】
後の五百歳の末法には、誰人を法華経の行者と知るべきでしょうか。
【予は未だ我が智慧を信ぜず。】
日蓮は、未だ自身の智慧を信じていないのですが、
【然りと雖も自他の返逆〔ほんぎゃく〕・侵逼〔しんぴつ〕、】
自界叛逆難と他国侵逼難が現実となって、
【之を以て我が智を信ず。】
自らの智慧を信じないわけにはいかないのです。
【敢へて他人の為にするに非ず。】
これは、他人にそう思われる為ではなく、
【又我が弟子等之を存知せよ。】
また、我が弟子たちにも、この事をよく理解して欲しいのです。
【日蓮は是〔これ〕法華経の行者なり。】
日蓮こそ、まさしく、この末法にあって法華経の行者であるのです。
【不軽〔ふきょう〕の跡〔あと〕を紹継〔しょうけい〕するの故に。】
不軽菩薩の跡を承継する法華経の行者であるゆえに、
【軽毀〔きょうき〕する人は頭〔こうべ〕七分に破〔わ〕れ、】
軽〔かろ〕しめたり、毀〔そし〕ったりする人は、頭が七分に破〔やぶ〕れ、
【信ずる者は福を安明〔あんみょう〕に積まん。】
信ずる者は、福徳を安明〔あんみょう〕に積むのです。
【問うて云はく、何ぞ汝を毀〔そし〕る人】
それでは、なぜ、日蓮を毀〔そし〕る人が、
【頭破七分〔ずはしちぶん〕無きや。】
頭が七つに破〔やぶ〕れていないのでしょうか。
【答へて云はく、古昔〔こしゃく〕の聖人は仏を除きたてまつりて已外〔いげ〕、】
それは、仏を除いて、昔の聖人を毀〔そし〕って
【之を毀る人頭破〔ずは〕但一人二人なり。】
頭が破〔やぶ〕れたのは、ただ一人、二人なのです。
【今日蓮を毀呰〔きし〕する事の非は一人二人に限るべからず。】
今、日蓮を毀〔そし〕る事は、その罪が一人二人に限らないのです。
【日本一国一同に同じく破るゝなり。】
日本国の人々が一同に頭が破〔やぶ〕れるのです。
【所謂〔いわゆる〕正嘉〔しょうか〕の大地震】
ようするに、正嘉〔しょうか〕の大地震や、
【文永の長星は誰が故ぞ。】
文永の大彗星は、誰の為に起きたのでしょうか。
【日蓮は一閻浮提〔いちえんぶだい〕第一の聖人なり。】
日蓮は、一閻浮提、第一の聖人なのです。
【上一人より下万民に至るまで之を軽毀〔きょうき〕して】
日本国の上下万民が一同に、この日蓮を軽〔かろ〕んじ、毀〔そし〕り、
【刀杖〔とうじょう〕を加へ流罪〔るざい〕に処するが故に、】
刀杖を加え流罪にしている為に、
【梵と釈と日月四天と隣国に仰せ付けて】
梵天、帝釈を始め、日月、四天などが、怒りをなし、隣国に仰せつけて、
【之を逼責〔ひっせき〕するなり。】
これらの謗法を責めているのです。
【大集経に云はく、仁王〔にんのう〕経に云はく、】
大集経〔だいじっきょう〕、仁王経〔にんのうきょう〕、
【涅槃経〔ねはんぎょう〕に云はく、法華経に云はく。】
涅槃経〔ねはんぎょう〕、法華経に、この事が説かれています。
【設〔たと〕ひ万祈を作〔な〕すとも日蓮を用ひざれば】
たとえ、どのような祈祷を行っても、日蓮を用いないならば、
【必ず此の国今の壱岐〔いき〕・対馬〔つしま〕の如くならん。】
日本国は、必ず今の壱岐や対馬のようになる事でしょう。
【我が弟子仰いで之を見よ。】
我が弟子たちは、この言葉を信じて、その時を見なさい。
【此偏〔ひとえ〕に日蓮が尊貴〔そんき〕なるに非ず、】
この事は、日蓮が尊貴であるからではないのです。
【法華経の御力の殊勝〔しゅしょう〕なるに依るなり。】
法華経の御力が、殊〔こと〕に優れているからなのです。
【身を挙〔あ〕ぐれば慢〔まん〕ずと想ひ、】
我が身をあげれば、慢心していると思い、
【身を下せば経を蔑〔あなず〕る。】
身を下せば、法華経を侮〔あなど〕る事になるのです。
【松高ければ藤長く、源深ければ流れ遠し。】
松が高ければ、松にかかる藤は長く、源が遠ければ、流れも長いのです。
【幸いなるかな楽しいかな、】
なんと幸せな事でしょうか。楽しい事でしょうか。
【穢土〔えど〕に於て喜楽〔きらく〕を受くるは但日蓮一人なるのみ。】
穢土〔えど〕にあって、このような喜びを受けるのは、ただ日蓮一人なのです。