日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


富木常忍御消息文 28 四菩薩造立抄

【四菩薩造立抄 弘安二年五月一七日 五八歳】
四菩薩造立抄 弘安2年5月17日 58歳御作


【白小袖〔こそで〕一・薄墨〔うすずみ〕の染め衣一・】
白小袖〔こそで〕一枚、薄墨〔うすずみ〕染の衣一枚、

【同色の袈裟〔けさ〕一帖〔いちじょう〕・鵞目〔がもく〕一貫文給び候。】
同色の袈裟一帖〔いちじょう〕、銭一貫文を頂戴しました。

【今に始めざる御志、言〔ことば〕を以て宣〔の〕べがたし。】
今に始まった事ではない御志、言葉をもって述べ難く思います。

【何れの日を期してか対面を遂げ、】
いずれの日か対面して、

【心中の朦朧〔もうろう〕を申し披〔ひら〕かんや。】
日蓮の心中の思いを申し上げたいと思います。

【一、御状に云はく、本門久成〔くじょう〕の教主釈尊を造り奉り、】
ひとつ、御手紙には、本門久遠実成〔くおんじつじょう〕の教主釈尊を造り、

【脇士〔きょうじ〕には久成地涌の四菩薩を造立〔ぞうりゅう〕し奉るべしと】
脇士には、久遠実成〔くおんじつじょう〕の地涌の四菩薩を造立すべしと、

【兼ねて聴聞仕り候ひき。】
かねがね、話をうかがっていますが、

【然れば聴聞の如くんば何れの時かと云云。】
その通りであるならば、それは、いつかと御尋ねになっておられます。

【夫〔それ〕仏、世を去らせ給ひて二千余年に成りぬ。】
それに答えるならば、仏が世を去られて、二千余年になります。

【其の間月氏・漢土・日本国・一閻浮提〔えんぶだい〕の内に仏法の流布する事、】
その間にインド、中国、日本、さらに一閻浮提の内に、仏法が広く流布し、

【僧は稲麻〔とうま〕のごとく法は竹葦〔ちくい〕の如し。】
僧侶は、稲や麻のように、法門は、竹や葦〔あし〕のように多く存在します。

【然るにいまだ本門の教主釈尊】
しかし、いまだに本門の教主釈尊と

【並びに本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し。】
本化の菩薩を造って本尊とした寺は、一箇所もないのです。

【三朝の間に未だ聞かず。】
インド、中国、日本の三国で、いまだに聞いた事がありません。

【日本国に数万の寺々を建立せし人々も、】
日本国に数万の寺々を建立した人々も、

【本門の教主・脇士を造るべき事を知らず。】
本門の教主と脇士を造るべき事を知らないのです。

【上宮太子は仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども、】
上宮太子は、日本における仏法最初の寺院と号して四天王寺を造立されましたが、

【阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等の四天王を造り副〔そ〕へたり。】
阿弥陀仏を本尊として脇士には、観音などを立て、四天王を添〔そ〕えられました。

【伝教大師延暦寺〔えんりゃくじ〕を立て給ふに、】
伝教大師は、延暦寺を建てられましたが、

【中堂には東方の鵞王〔がおう〕の相貌〔そうみょう〕を造りて本尊として、】
根本中堂には、東方の鵞王〔がおう〕の相貌〔そうみょう〕を造って本尊とされ、

【久成の教主・脇士をば建立し給はず。】
久成実成〔くおんじつじょう〕の教主と脇士は、建立されませんでした。

【南京〔なら〕七大寺の中にも此の事を未だ聞かず。】
奈良の七大寺の中にも、この事は、いまだ聞いた事がありません。

【田舎の寺々以て爾〔しか〕なり。かたがた不審なりし間、】
田舎の寺々も、また同様であり、疑問に思ったので、

【法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨〔むね〕顕然なり。】
法華経の文章を拝見すると、その事が明らかに書いてあるのです。

【末法闘諍〔とうじょう〕堅固〔けんご〕の時にいたらずんば】
ようするに末法の闘諍堅固の時でなければ

【造るべからざる旨分明〔ふんみょう〕なり。】
造立しては、ならない事が明瞭に書いてあるのです。

【正像に出世せし論師人師の造らざりしは、】
正法、像法二千年間に出世した論師、人師が造立しなかったのは、

【仏の禁〔いまし〕めを重んずる故なり。】
仏の禁〔いまし〕めを重んずる故なのです。

【若し正法・像法の中に久成の教主釈尊並びに脇士を造るならば、】
もし正法、像法の中に久遠実成の教主釈尊と脇士を造るならば、

【夜中に日輪出で日中に月輪の出でたるが如くなるべし。】
夜中に日輪が出て、日中に月輪が出現したようなものなのです。

【末法に入って始めの五百年に、上行菩薩の出でさせ給ひて造り給ふべき故に、】
末法に入って始めの五百年に、上行菩薩が出現されて、造立されるべきなので、

【正法・像法の四依の論師人師は言にも出ださせ給はず。】
正法、像法年間の四依の論師、人師は、言葉にも出されなかったのです。

【竜樹・天親こそ知らせ給ひたりしかども、】
竜樹、天親は、心の中では、知っていましたが、

【口より外へ出ださせ給はず。】
口に出して外に説く事はなかったのです。

【天台智者大師も知らせ給ひたりしかども、】
天台智者大師も心では、知っていましたが、

【迹化〔しゃっけ〕の菩薩の一分なれば一端は仰せ出ださせ給ひたりしかども、】
迹化の菩薩の一分ですら、その一端は、漏〔も〕らされましたが、

【其の実義をば宣〔の〕べ出ださせ給はず。】
その実義は、述べられなかったのです。

【但ねざめの枕に時鳥〔ほととぎす〕の一音〔ひとこえ〕を聞きしが如くにして、】
ちょうど寝ざめの間際に、時鳥〔ほととぎす〕の一声を聞いたように、おぼろげに、

【夢のさめて止〔や〕みぬるやうに弘め給ひ候ひぬ、】
また、目が覚めた時に、夢の途中を説明するように述べられただけだったのです。

【夫〔それ〕より己外の人師はまして一言をも仰せ出だし給ふ事なし。】
まして、それ以外の人師は、一言も仰せられていないのです。

【此等の論師人師は霊山にして、】
それは、これらの論師、人師は、霊鷲山で、

【迹化の衆は末法に入らざらんに、正像二千年の論師人師は】
正像二千年間に出現する迹化の衆生に、末法になるまでは

【本門久成の教主釈尊】
本門久遠実成〔くおんじつじょう〕の教主釈尊、

【並びに久成の脇士地涌上行等の四菩薩を】
並びに久遠実成の脇士〔きょうじ〕、地涌上行などの四菩薩のことを、

【影ほども申し出だすべからずと御禁〔いまし〕めありし故ぞかし。】
露ほども申し出しては、ならないと、厳しく禁じられたからなのです。

【今末法に入ぬれば尤〔もっと〕も仏の金言の如きんば、】
今、末法に入って、仏の金言の通りであれば、

【造るべき時なれば本仏本脇士造り奉るべき時なり。】
本仏並びに本脇士〔きょうじ〕を造立すべき時なのです。

【当時は其の時に相当たれば、】
今は、まさに、その時に当たっているので、

【地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん。】
本化地涌の菩薩も、やがて出現される事でしょう。

【先づ其の程に四菩薩を建立し奉るべし。尤も今は然るべき時なりと云云。】
まず、その時こそ、四菩薩を建立するべきであり、もっとも、今がその時なのです。

【されば天台大師は】
それゆえに天台大師は、法華文句巻一で

【「後五百歳遠く妙道に沾〔うるお〕はん」とした〔慕〕ひ、】
「後の五百歳遠く妙道に沾〔うるお〕うであろう」と末法を慕い、

【伝教大師は「正像稍〔やや〕過ぎ已〔お〕はって】
伝教大師は、守護国界章巻上の下に「正像やや過ぎおわって

【末法太〔はなは〕だ近きに有り。法華一乗の機、】
末法は、はなはだ近きに有り。法華一乗が弘まる時期は、

【今正〔まさ〕しく是其の時なり」と恋ひさせ給ふ。】
今、まさに是れ其の時である」と恋〔こ〕われているのです。

【日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、】
日蓮は、世間的にみれば、日本第一の貧しい者ですが、

【仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり。】
仏法の上から論ずるならば、一閻浮提第一の富める者なのです。

【是〔これ〕時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり、】
これは、時が来たと思えば、喜びは、身にあまり、

【感涙押さへ難く、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。】
感涙は、押え難く、教主釈尊の御恩は、報じ難いのです。

【恐らくは付法蔵の人々も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。】
おそらくは、付法蔵の人々も、日蓮より果報は、劣っており、

【天台智者大師・伝教大師等も及び給ふべからず。】
天台智者大師、伝教大師なども及ばないでしょう。

【最も四菩薩を建立すべき時なり云云。】
今こそ、四菩薩を建立すべき時なのです。

【問うて云はく、四菩薩を造立すべき証文之〔これ〕有りや。】
それでは、四菩薩を造立すべき証文は、どこにあるのでしょうか。

【答へて云はく、涌出品に云はく】
それは、法華経従地涌出品に

【「四導師有り。一をば上行と名づけ、二をば無辺行と名づけ、】
「四人の導師が有って一をば上行と名付け、二をば無辺行と名付け、

【三をば浄行と名づけ、四をば安立行と名づく」等云云。】
三をば浄行と名付け、四をば安立行と名付く」とあります。

【問うて云はく、後五百歳に限るといへる経文之〔これ〕有りや。】
それでは、後五百歳に限ると言う経文は、あるのでしょうか。

【答へて云はく、薬王品に云はく「我が滅度の後、後五百歳の中に】
それは、同じく薬王菩薩本事品に「我が滅度の後、後五百歳の中に

【閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。】
閻浮提に広宣流布して断絶することが無い」とあります。

【一、御状に云はく、太田方の人々、】
ひとつ、御手紙によれば、太田家の人々が、

【一向に迹門に得道あるべからずと申され候由、】
末法では、本門のみに得道があって、

【其の聞こえ候と。】
迹門には、得道がないと言われているようですが、

【是は以ての外の謬〔あやま〕りなり。御得意〔こころえ〕候へ。】
これは、もっての他の誤〔あやま〕りであり、よく心得ておいてください。

【本迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし。】
本門と迹門の浅深、勝劣、与奪、傍正は、仏法流布の時と機根とによるのです。

【一代聖教を弘むべき時に三つあり。】
仏の一代聖教を弘める時に、正、像、末の三時があります。

【機もて爾〔しか〕なり。】
機根も、また、これらの三時によって異なるのです。

【仏滅後正法の始めの五百年は一向小乗、】
仏の滅後、正法の始め五百年間は、小乗教のみが弘まるべき時であり、

【後の五百年は権大乗、】
正法の後半五百年は、権大乗教、

【像法一千年は法華経の迹門等なり。】
像法一千年は、法華経迹門などが流布する時なのです。

【末法の始めには一向に本門なり。】
末法の始めには、一向に法華経の本門が弘まる時なのです

【一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず。】
ただし、本門のみの時であるからと言って、迹門を捨てるべきではないのです。

【法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文】
いったい、法華経一部のどこに前の十四品を捨てて良いと言う経文が、

【之〔これ〕無し。本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時、】
あるのでしょうか。本門、迹門の判別は、一代聖教を三重に配当する時、

【爾前迹門は正法像法、】
爾前と迹門とは、正法と像法の時に弘まり、

【末法は本門の弘まらせ給ふべき時なり。】
末法の時は、本門の弘まるべき時である。

【今の時は正には本門、傍には迹門なり。】
今の時は、正には、本門であり、傍には、迹門であるのです。

【迹門無得道と云ひて、迹門を捨てゝ一向本門に心を入れさせ給ふ人々は、】
それゆえに迹門無得道と言って迹門を捨てて、本門ばかりを信ずる人々は、

【いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ、】
いまだ日蓮の本意の法門を知らないのであって、

【以ての外の僻見〔びゃっけん〕なり。私ならざる法門を僻案せん人は、】
もっての他の僻見なのです。大事な法門を曲げて考える人は、

【偏〔ひとえ〕に天魔波旬〔はじゅん〕の其の身に入り替はりて、】
ひとえに天魔波旬が、その身に入り替わって、

【人をして自身ともに無間〔むけん〕大城に墜つべきにて候。】
他人と自身と一緒に無間大城に堕としてしまうのです。

【つたなしつたなし。此の法門は年来〔としごろ〕貴辺に申し含めたる様に】
実に愚かな事です。この法門は、長年、あなたに申しているように、

【人々にも披露あるべき者なり。】
人々にも、披露してください。

【総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。】
総じて日蓮の弟子と言って、法華経を修行する人々は、日蓮のようにしてください。

【さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・】
そうするならば、釈迦牟尼仏、多宝仏、十方分身の諸仏、

【十羅刹も御守り候べし。】
十羅刹も必ず守護される事でしょう。

【其れさへ尚人々の御心中は量りがたし。】
そうであるのに太田家の人々は、どうした事でしょうか。

【一、日行房死去の事不便〔ふびん〕に候。】
ひとつ、日行房が死去されたとの事ですが、実に哀れに思います。

【是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ、】
この身延の山で法華経を読み、南無妙法蓮華経と唱えて、

【願はくは日行を釈迦・多宝・十方の諸仏、】
願わくは、日行房を釈迦、多宝、十方の諸仏が、

【霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候ひぬ。】
霊山浄土へ迎え入れられて欲しいと御願い申し上げました。

【身の所労いまだきらきら〔快然〕しからず候間省略せしめ候。】
我が身の病気も、未だ良くならないので、他の事は、省略させて頂きます。

【又々申すべく候。恐々謹言。】
また、後日申し上げる事にします。恐れながら謹んで申し上げます。

【弘安二年五月十七日   日蓮花押】
弘安2年5月17日   日蓮花押

【富木殿御返事】
富木殿御返事


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