日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四条金吾御消息文 06 四条金吾殿御返事(煩悩即菩提書)

第一章 文底下種仏法

【四条金吾殿御返事 文永九年五月二日 五一歳】
四条金吾殿御返事 文永9年5月2日 51歳御作


【日蓮が諸難について御とぶら〔訪〕ひ、】
日蓮があった数々の難について御見舞い下さり、

【今にはじめざる志ありがたく候。】
以前より変わらない、あなたの志を実に有難く思います。

【法華経の行者としてかゝる大難にあひ候は、くやしくおもひ候はず。】
法華経の行者として、このような大難に、あったことを後悔は、しておりません。

【いかほど生をうけ死にあひ候とも、】
どれほど多く、この世に生を受け、死に遭遇したとしても、

【是ほどの果報の生死は候はじ。】
これほど悔いがない意義がある生死は、ないでしょう。

【又三悪四趣にこそ候ひつらめ。】
また、三悪道、四悪趣に堕ちたであろう、この身が、

【今は生死切断し仏果をうべき身となればよろこばしく候。】
今は、生死の苦縛を切り、仏果を得る身となったのは大変悦ばしいことです。

【天台・伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給ふすら、】
天台、伝教が法華経迹門の理の一念三千の法門を弘められたことですら、

【なを怨嫉〔おんしつ〕の難にあひ給ひぬ。日本にして】
なお、怨嫉の難に遭〔あわ〕れたのです。日本においては、

【伝教より義真・円澄・慈覚等相伝して弘め給ふ。】
伝教より、義真、円澄、慈覚などが、法を相伝して弘められましたが、

【第十八代の座主〔ざす〕は慈慧〔じえ〕大師なり、御弟子あまたあり。】
第十八代の座主は、慈慧〔じえ〕大師であり、数多くの弟子がいました。

【其の中に檀那〔だんな〕・慧心〔えしん〕・僧賀・禅瑜〔ぜんゆ〕等と申して】
その中に檀那〔だんな〕、慧心〔えしん〕、僧賀、禅瑜〔ぜんゆ〕と言う

【四人まします。法門又二に分かれたり。】
四人の高弟がいましたが、その法門も、また二つに分かれていました。

【檀那僧正〔そうじょう〕は教を伝ふ。】
檀那僧正〔だんなそうじょう〕は、教相の法門を伝え、

【慧心僧都〔そうず〕は観をまなぶ。】
慧心僧都〔えしんそうず〕は、観心の法門を学びました。

【されば教と観とは】
そういう事で、これらの法門を比べると、教相と観心の法門では、

【日月のごとし。教はあさく、観はふかし。】
太陽と月のようなもので、教相は、浅い法門であり、観心の法門は、深いのです。

【されば檀那の法門はひろくしてあさし、】
それゆえ、檀那僧正の教相法門は、広くて浅く、

【慧心の法門はせば〔狭〕くしてふか〔深〕し。】
恵心僧都の観心法門は、狭くて深いのです。

【今日蓮が弘通する法門はせば〔狭〕きやう〔樣〕なれども】
今、日蓮が弘通する法門は、狭いようですが、

【はなはだふか〔深〕し。】
実は、非常に深いのです。

【其の故は彼の天台伝教等の所弘〔しょぐ〕の法よりは】
その理由は、あの天台、伝教などが弘められた法門よりは、

【一重立ち入りたる故なり。】
さらに一重立ち入っているからなのです。

【本門寿量品の三大事とは是なり。】
法華経の本門寿量品の三大事とは、このことなのです。

【南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。】
南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行するのであるから、狭いように思われますが、

【されども三世の諸仏の師範、】
しかしながら、南無妙法蓮華経は、三世の諸仏の師範であり、

【十方薩□〔さった〕の導師、】
すべての衆生の導師であり、

【一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。】
一切衆生がすべて仏道を成ずるための指南であるから、実は、最も深いのです。


第二章 諸仏の智慧の当体

【経に云はく「諸仏智慧〔しょぶつちえ〕甚深無量〔じんじんむりょう〕」云云。】
法華経方便品には「諸仏の智慧は、甚深無量なり」と説かれており、

【此の経文に諸仏とは十方三世の一切の諸仏、】
この経文にある諸仏とは、三世十方の一切の仏のことであり、

【真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀、】
真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀仏、

【乃至諸宗諸経の仏菩薩、過去未来現在の総諸仏、】
ならびに諸宗および諸経の仏、菩薩、過去、現在、未来の総ての仏、

【現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて、】
現在の釈迦如来などを、その諸仏の一言で顕しているのです。

【次に智慧といへり。】
そして次に、智慧と述べられています。

【此の智慧とはなにものぞ、諸法実相十如果成の法体なり。】
この智慧とは、何でしょうか。それは、諸法実相、十如果成の法体のことなのです。

【其の法体とは又なにものぞ、南無妙法蓮華経是なり。】
では、その法体とは、また何でしょうか。それは、南無妙法蓮華経なのです。

【釈に云はく「実相の深理本有〔ほんぬ〕の妙法蓮華経」と云へり。】
天台の解釈には、これを指して「実相の深理、本有の妙法蓮華経」と言っています。

【其の諸法実相と云ふも、釈迦多宝の二仏となら〔習〕うなり。】
その諸法実相と言うのも、釈迦、多宝の二仏であると相伝しているのです。

【諸法をば多宝に約し、実相をば釈迦に約す。是又境智の二法なり。】
諸法を多宝仏に約し、実相を釈迦仏に約します。これは、また境智の二法なのです。

【多宝は境なり、釈迦は智なり。】
多宝仏は、境であり、釈迦仏は、智なのです。

【境智而二〔にに〕にしてしかも境智不二〔ふに〕の内証なり。】
境と智とは、二であって、しかも不二であると言うのが仏の内証なのです。

【此等はゆゝしき大事の法門なり。】
これらは、非常に大事な法門なのです。

【煩脳即菩提〔ぼんのうそくぼだい〕・生死即涅槃と云ふもこれなり。】
煩悩即菩提、生死即涅槃と言うのも、このことなのです。

【まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経ととなふるところを、】
まさしく男女交会のときに南無妙法蓮華経と唱えるところを、

【煩脳即菩提・生死即涅槃と云ふなり。】
煩悩即菩提、生死即涅槃と言うのです。

【生死の当体不生不滅とさとるより外〔ほか〕に生死即涅槃はなきなり。】
生死の当体は、不生不滅であると悟ること以外に、生死即涅槃はないのです。

【普賢〔ふげん〕経に云はく「煩脳を断ぜず五欲を離れず、】
普賢菩薩行法経に「煩悩を断ぜず、五欲を離れず、

【諸根を浄〔きよ〕むることを得て諸罪を滅除〔めつじょ〕す」と。】
諸根を浄めることを得て諸罪を滅除する」とあり、

【止観に云はく「無明塵労〔じんろう〕は即ち是菩提、】
摩訶止観の第一には「無明の塵労は、即ち菩提であり、

【生死は即ち涅槃なり」と。寿量品に云はく】
生死は、即涅槃である」と説かれています。法華経の如来寿量品には

【「毎〔つね〕に自ら是の念を作〔な〕す、何を以てか衆生をして無上道に入り、】
「常におのずから、この念を起こす。何をもって一切衆生を無上道に入らしめ、

【速〔すみ〕やかに仏身を成就することを得せしめん」と。】
速かに仏身を成就させる事を得させることが出来るかと」と説き、

【方便品に云はく「世間の相常住なり」等は此の意なるべし。】
同じく方便品に説かれる「世間の相は、常住である」などは、この意味なのです。

【此〔か〕くの如く法体と云ふも全く余には非ず、】
このように法体と言っても、全く他のものではなく、

【ただ南無妙法蓮華経の事なり。】
ただ南無妙法蓮華経のことなのです。


第三章 法華誹謗の業因

【かゝるいみじくた〔尊〕うとき法華経を、】
このような非常に尊い法華経を、

【過去にてひざ〔膝〕のしたにお〔置〕きたてまつり、】
過去において膝の下に置いたり、

【或はあな〔蔑〕づりくち〔嚬〕ひそみ、或は信じ奉らず、】
あるいは、侮〔あなど〕り、陰口を言い、信じることがなかったのです。

【或は法華経の法門をなら〔習〕うて一人をも教化し、法命をつぐ人を、】
またあるいは、法華経の法門を習い、一人でも教化して法命を継ごうとする人を、

【悪心をも〔以〕てとによせかくによせおこづき〔謔弄〕わらひ、】
悪心をもって、何かにつけて愚弄し嘲笑したりしたのです。

【或は後生のつとめなれども、先〔ま〕づ今生かなひ〔叶〕がた〔難〕ければ】
あるいは、後生の大事な勤めではあるけれども、まず今生は、難しいので、

【しばらくさしをけなんどと、】
しばらく差し置くなどと言い続けて、

【無量にい〔言〕ひうと〔疎〕め謗ぜしによ〔依〕て、】
無量に疎〔うと〕んじ、謗じることによって、

【今生に日蓮種々の大難にあうなり。】
今生において日蓮は、種々の大難に遭っているのです。

【諸経の頂上たる御経をひき〔低〕くをき奉る故によりて、】
諸経の頂点である法華経を、低く置いた罪で、

【現世に又人にさ〔下〕げられ用ひられざるなり。】
現世において、人に卑しめられ、重く用〔もち〕いられないのです。

【譬喩〔ひゆ〕品に「人にしたしみつくとも、】
法華経譬喩品に「人に親しみ近づいても、

【人心〔こころ〕にいれて不便〔ふびん〕とおもふべからず」と説きたり。】
その人は、心にかけてくれず、何とも思ってくれない」と説かれています。


第四章 夫妻の信心を激励

【然〔しか〕るに貴辺法華経の行者となり、】
ところが、あなたは、法華経の行者となり、

【結句〔けっく〕大難にもあひ、日蓮をもたすけ給ふ事、】
ついには、大難にも遭い、日蓮を助けてくれました。

【法師品の文に「遣化〔けんげ〕四衆・比丘・比丘尼・】
法華経法師品の文章に「化の四衆、すなわち僧、尼僧、

【優婆塞〔うばそく〕・優婆夷〔うばい〕」と説き給ふ。】
男性信者、女性信者を遣〔つか〕わして」と説かれていますが、

【此の中の優婆塞とは貴辺の事にあらずんばたれ〔誰〕をかさ〔指〕ゝむ。】
この中の男性信者とは、あなたの事でなければ、誰の事をさすのでしょうか。

【すでに法を聞いて信受して】
なぜなら、あなたは、すでに法華経を聞いて信受し、

【逆〔さか〕らはざればなり。不思議なり、不思議なり。】
違背するところがないからです。実に不思議なことです。

【若〔も〕し然らば】
もし、あなたが法師品の男性信者であるならば、

【日蓮法華経の法師なる事疑ひなきか。】
日蓮が法華経の法師である事は、疑いないのです。

【「則如来使」にもにた〔似〕るらん】
経文に説かれる「則〔すなわ〕ち如来の使〔つかい〕」にも似ており、

【「行如来事」をも行ずるになりなん。】
その行動は「如来の事〔じ〕を行〔ぎょう〕ず」を行なう事になるでしょう。

【多宝塔中にして二仏並坐〔びょうざ〕の時、】
多宝塔の中で、釈迦、多宝の二仏が並んで座った時に、

【上行菩薩に譲り給ひし題目の五字を日蓮粗〔ほぼ〕ひろめ申すなり。】
上行菩薩に譲られた題目の五字を、日蓮は、ほぼほぼ、弘めたのです。

【此即ち上行菩薩の御使ひか。】
このことは、日蓮が上行菩薩の使いと言えるのではないでしょうか。

【貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。】
あなたもまた、日蓮に従い法華経の行者として諸人に、この法を話されており、

【是豈〔あに〕流通にあらずや。法華経の信心をとをし給へ。】
これこそ法華経流通ではありませんか。法華経の信心を貫き通すべきです。

【火をきるにやす〔休〕みぬれば火をえず。】
火打ち石で火をつけるのに途中で休んでしまえば、火は得られません。

【強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人、】
強盛な大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人、

【乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。】
および日本の一切衆生の口に歌われるべきです。

【あしき名さえ流す、況んやよき名をや。】
人の世は、悪名でさえ流れやすく、ましてや善き名が流れるのは当然なのです。

【何に況んや法華経ゆへの名をや。】
ましてや法華経ゆえの名前においては、言うまでもありません。

【女房にも此の由〔よし〕を云ひふくめて、】
夫人にも、このことを言いふくめて、

【日月両眼さう〔双〕のつばさ〔翼〕と調〔ととの〕ひ給へ。】
日月、両眼、鳥の左右の翼のように、二人でしっかり力を合わせてください。

【日月あらば冥途〔めいど〕あるべきや、】
日月が共にあるならば、冥途〔めいど〕の闇があるはずはないのです。

【両眼あらば三仏の顔貎〔げんみょう〕拝見疑ひなし。】
両眼があれば、釈迦、多宝、十方分身の三仏の顔を見ることは疑いないのです。

【さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ばん事須臾〔しゅゆ〕刹那なるべし。】
左右の翼があれば、寂光の宝刹へ飛ぶことも、ほんの一瞬なのです。

【委〔くわ〕しくは又々申すべく候。恐惶謹言】
詳しくは、またまた申し上げます。恐れながら謹んで申し上げます。

【五月二日   日蓮花押】
5月2日   日蓮花押

【四条金吾殿御返事】
四条金吾殿御返事


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