日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四条金吾御消息文 16 四条金吾殿御返事(八風抄)

第一章 主君の大恩

【四条金吾殿御返事 建治三年四月 五六歳】
四条金吾殿御返事 建治3年4月 56歳御作


【はるかに申しうけ給はり候はざりつれば、いぶせく候ひつるに、〇〇て候。】
しばらくの間、音沙汰がなかったので心配しておりましたが、

【又〇御つかいと申し、よろこび入って候。】
様々な御供養の品々を遣〔つか〕わされ、嬉しく思っております。

【又まぼ〔守〕りまいらせ候。所領の間の御事は、】
また、御守り御本尊を差し上げましょう。所領訴訟の間題に関しては、

【上〔かみ〕よりの御文ならびに御消息引き合はせて見候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
主君から、あなたにあてた手紙と、あなたの手紙を引き合わせて拝見しました。

【此の事は御文なきさきにすい〔推〕して候。】
この事については、御手紙を頂く前から、推察はしていました。

【上には最大事とをぼしめされて候へども、】
主君は、あなたの事を最も大事に思われているのに、

【御きんず〔近習〕の人々のざんそう〔讒奏〕にて、】
近くにいる人々が讒言〔ざんげん〕を言って、

【あまりに所領をきらい、上をかろしめたてまつり候】
あなたが与えらえた所領を不満に思うなど、主君を軽んじており、

【ぢう〔縦〕あう〔横〕の人こそをゝ〔多〕く候に、かくまで候へば、】
自分勝手な者は、多いが、これほど自分勝手であれば、

【且〔しばら〕く御恩をばおさへさせ給ふべくや候らんと申すらんと】
しばらくの間、謹慎させては、どうでしょうかと、申し上げたのではないかと

【すい〔推〕して候なり。それにつけては御心えあるべし、御用意あるべし。】
推察していますが、今後は、このように心得て、用心してください。

【我が身と申し、をや〔親〕・類親と申し、】
あなた自身と言い、親や親類と言い、

【かたがた御内に不便といはれまいらせて候大恩の主なる上、】
それぞれが世話になっている、大恩ある主君です。

【すぎにし日蓮が御かんき〔勘気〕の時、日本一同ににくむ事なれば、】
その上、日蓮が迫害を受けた時、日本一同が日蓮を憎んでいたので、

【弟子等も或は所領を、をゝかたよりめされしかば、又方々の人々も】
弟子達も所領を大部分、取りあげられ、

【或は御内の内をいだし、或は所領をを〔追〕いなんどせしに、】
あるいは、家から追い出され、あるいは、所領から追放されたのに、

【其の御内になに〔何〕事もなかりしは、】
あなたの主君の江馬氏からは、何の御咎〔とが〕めもなかったのは、

【御身にはゆゝしき大恩と見へ候。】
あなたにとっては、大変な大恩を受けた事になります。

【このうへはたとひ一分の御恩なくとも、】
このような大恩を受けたからには、たとえ、これから、なんの御恩を受けなくても、

【うらみまいらせ給ふべき主にはあらず。】
恨むべき主君ではありません。

【それにかさねたる御恩と申し、所領をきらはせ給ふ事、御とがにあらずや。】
それに、さらに御恩を期待して、領地を不足に思うのは、どう言うことでしょうか。


第二章 賢人の条件

【賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。】
賢人は、八風と言って、八種の風に犯されない者を賢人と言うのです。

【利〔うるおい〕・衰〔おとろえ〕・毀〔やぶれ〕・誉〔ほまれ〕・】
八風とは、利益、衰退、誹謗、名誉、

【称〔たたえ〕・譏〔そしり〕・苦〔くるしみ〕・楽〔たのしみ〕なり。】
称賛、訴訟、苦悩、安楽のことです。

【をゝ心〔むね〕は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。】
おおむね、世間的利益に喜ばず、衰えるのを嘆かないと言う意味です。

【此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまぼ〔守〕らせ給ふなり。】
この八風に犯されない人を、必ず諸天善神は、守られるのです。

【しかるをひり〔非理〕に主をうらみなんどし候へば、】
ところが道理に背いて、主君を恨んだりすれば、

【いかに申せども天まぼ〔守〕り給ふ事なし。】
どんなに祈っても諸天は守護しないのです。


第三章 師弟不二

【訴訟を申せど叶ひぬべき事もあり、】
訴訟と言うものは、訴えて上手くいく場合もあれば、

【申さぬに叶ふべきを申せば叶はぬ事も候。】
訴えなければ叶うものを、訴えた為に叶わなくなることもあるのです。

【夜めぐりの殿原の訴訟は、申すは叶ひぬべきよしをかんがへて候ひしに、】
夜まわりの人々の訴訟は、訴えて叶うと考えていたところ、

【あながちになげかれし上、日蓮がゆへにめされて候へば、】
あまりに強く訴えてしまい、また日蓮の為に訴訟されたのですから、

【いかでか不便に候はざるべき。】
どうして、落胆せずにいられるでしょうか。

【たゞし訴訟だにも申し給はずば、いのりてみ候はんと申せしかば、】
しかし、訴訟をしないのであれば、祈ってみようと言っていたのに、

【さうけ〔承〕給はり候ひぬと約束ありて、】
そのようにいたしますと約束しておいて、

【又を〔折〕りがみ〔紙〕をしきりにかき、】
訴えの書状をしきりに書き、

【人々訴訟、ろんなんどありと申せし時に、】
人々の間で訴訟について議論していたと知って、

【此の訴訟よも叶はじとをもひ候ひしが、】
この訴訟は、おそらく上手くいかないと思っていましたが、

【いま〔今〕までのびて候。】
やはり、今まで、聞き入れられずに、そのままになっています。

【だいがくどの〔大学殿〕ゑもん〔衛門〕のたいうどの〔大夫殿〕の事どもは】
比企大学三郎殿や、池上右衛門大夫殿のことは、

【申すまゝにて候あいだ、いのり叶ひたるやうにみえて候。】
日蓮の言った通りにされたので、祈りが叶ったように見えますが、

【はきり〔波木井〕どのの事は法門は御信用あるやうに候へども、】
波木井〔はぎり〕六郎殿は、法門の事については、信用されているようですが、

【此の訴訟は申すまゝには御用ひなかりしかば、】
この訴訟に関しては、日蓮の言う通りにされなかったので、

【いかんがと存じて候ひしほどに、】
結果は、どうであろうかと心配していたところ、

【さりとてはと申して候ひしゆへにや候ひけん、】
それでは、上手くいかないと言っていたからでしょうか、

【すこし、しるし候か。】
その忠告の効果は、少しは、あったようです。

【これにをも〔思〕うほど〔程〕なかりしゆへに】
しかし、それでも、こちらが思うほどに聞き入れられなかったので、

【又をもうほどなし。】
訴訟の効果もそれほどでは、なかったのです。

【だんな〔檀那〕と師とをも〔思〕ひあ〔合〕わぬいの〔祈〕りは、】
このように、檀那と師匠が同じ心で行わない祈りは、

【水の上に火をた〔焚〕くがごとし。】
水の上で火を焚くようなもので、叶わないのです。

【又だんなと師とをもひあひて候へども、】
また、檀那と師匠とが同じ心で祈ったとしても、

【大法を小法をもってをか〔犯〕してとしひさ〔年久〕しき人々の】
長い間、小法によって大法を犯している人々の

【御いのりは叶ひ候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。】
祈りは、叶わないばかりか、我が身も檀那も、共に滅びるのです。


第四章 真言の祈禱

【天台の座主〔ざす〕明雲〔みょううん〕と申せし人は第五十代の座主なり。】
天台宗の座主であった明雲〔みょううん〕と言う人は、第五十代の座主であり、

【去ぬる安元二年五月に院勘〔いんかん〕をかほりて伊豆国へ配流〔はいる〕、】
安元二年五月に後白河法皇の怒りにふれて処罰を受け、伊豆に流されましたが、

【山僧大津〔おおつ〕よりうばいかえす。】
比叡山の僧たちが、途中の大津で奪い返して、

【しかれども又かへりて座主となりぬ。】
比叡山に連れ帰って、再び座主としました。

【又すぎにし寿永二年十一月に義仲にからめとられし上、】
その後、寿永二年十一月に木曽義仲〔きそよしなか〕に捕えられ、その上、

【頸〔くび〕うちきられぬ。】
首を切られてしまったのですが、

【是はながされ頸きらるゝをとが〔失〕とは申さず。】
このように流罪になったり、首を斬られた事自体が問題と言うのではなく、

【賢人聖人もかゝる事の候。】
賢人や、聖人であっても、このような事に遭うのです。

【但し源氏の頼朝と平家の清盛との合戦の起こりし時、】
しかし、源氏の頼朝〔よりとも〕と平家の清盛〔きよもり〕との合戦が起こった時、

【清盛が一類二十余人起請をかき連判をして願を立て、】
平清盛〔きよもり〕の一族、二十余人が起請を書き、連判を押して願をたて、

【平家の氏寺と叡山をたのむべし。】
平家の氏寺〔うじでら〕として叡山を頼み、

【三千人は父母のごとし、】
叡山の僧三千人は、平清盛〔きよもり〕の父母と同様であり、

【山のなげきは我等がなげき、山の悦びは我等がよろこびと申して、】
叡山の嘆きは、平家の嘆きであり、叡山の悦びは、平家の悦びであると言って、

【近江国〔おうみのくに〕二十四郡を一向によせて候ひしかば、】
近江の国、二十四郡をすべて寄進したので、

【大衆と座主と一同に、内には真言の大法をつくし、】
大衆と座主が一緒になって、内においては、真言の大法をつくして祈禱し、

【外には悪僧どもをもって源氏をい〔射〕させしかども、】
外にあっては、僧兵たちを動かして源氏を討たせたのです。

【義仲が郎等ひぐち〔樋口〕と申せしをのこ〔男〕、】
しかし木曾義仲〔きそよしなか〕の家臣で樋口兼光〔かねみつ〕と言う武士が、

【義仲とたゞ五・六人計り、叡山の中堂にはせのぼり、】
木曽義仲〔きそよしなか〕とともに、わずか五、六人で叡山中堂に登って、

【調伏〔じょうぶく〕の壇の上にありしを引き出だしてなわ〔縄〕をつけ、】
調伏の壇の上にいた明雲〔みょううん〕座主を引きずり出し、縄でしばり、

【西ざか〔坂〕を大石をまろ〔転〕ばすやうに引き下〔お〕ろして】
西坂を大石を転がすように引きずり降ろして、

【頸をうち切りたりき。かゝる事あれども】
首を切ってしまったのです。このような事実があったのですが、

【日本の人々真言をうとむ事なし。】
日本中の人々は、真言の教えを遠ざけることもなく、

【又たづぬる事もなし。】
また、そのような事になった原因を明らかにしようともしなかったのです。

【去ぬる承久〔じょうきゅう〕三年辛巳〔かのとみ〕の五・六・七の三箇月が間、】
その後、承久三年、五月から七月の三か月の間、

【京夷の合戦ありき。】
京の公家と北条義時〔よしとき〕ら鎌倉の関東武者との合戦がありました。

【時に、日本国第一の秘法どもをつくして、】
その時、京の公家勢力は、再び日本第一の真言の秘法を尽くし、

【叡山・東寺・七大寺・園城寺等、天照太神・】
叡山、東寺〔とうじ〕、七大寺、園城寺〔おんじょうじ〕などでは、天照太神、

【正八幡・山王等に一々に御いのりありき。】
正八幡、山王〔さんのう〕などに対して、いちいちに調伏の祈禱をしたのです。

【其の中に日本第一の僧四十一人なり。】
その中には、日本第一と言われた僧侶が四十一人もいました。

【所謂前の座主慈円大僧正・】
いわゆる叡山の前の座主である慈円〔じえん〕大僧正、

【東寺・御室〔おむろ〕・】
東寺〔とうじ〕、仁和〔にんなじ〕寺の御室〔おむろ〕、

【三井寺〔みいでら〕の】
園城寺〔おんじょうじ〕三井寺〔みいでら〕の

【常住院の僧正等は度々義時を調伏ありし上、】
常住院の僧正たちは、何度も北条義時〔よしとき〕調伏の祈禱をしたのです。

【御室は】
その上、仁和〔にんなじ〕寺の道助法親王〔どうじょほっしんのう〕は、

【紫宸殿〔ししんでん〕にして六月八日より御調伏ありしに、】
紫宸殿〔ししんでん〕で六月八日から、調伏を祈祷したのですが、

【七日と申せしに同じく十四日にいくさにまけ、】
七日間で調伏できると言っていたのに、その七日目の十四日に戦さに負け、

【勢多迦〔せいたか〕が頸きられ、】
道助法親王〔どうじょほっしんのう〕の最愛の勢多迦〔せいたか〕が首を切られ、

【御室をも〔思〕ひ死に死しぬ。】
法親王〔ほっしんのう〕を思いながら、死んでしまったのです。

【かゝる事の候へども、】
このようなことが、あったのですが、

【真言はいかなるとがともあやしめる人候はず。】
それでも、この真言に何か問題があるのかと疑問に思う人は、いないのです。

【をよそ真言の大法をつくす事、明雲第一度、】
今まで真言の大法をつくして調伏したのは、明雲〔みょううん〕が一度目、

【慈円第二度に日本国の王法ほろび候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
慈円〔じえん〕が二度目ですが、そのたびに日本の王法は、滅んでしまいました。

【今度第三度になり候。当時の蒙古調伏此なり。】
今度で三度目になるのです。すなわち、現在の蒙古調伏がこれなのです。

【かゝる事も候ぞ。此は秘事なり、】
この例のように、これは、鎌倉幕府にとっては、都合が悪い秘密の事柄なのです。

【人にいはずして心に存知せさせ給へ。】
ですから他人には言わずに、あなたの心に留めて置いてください。

【されば此の事御訴訟なくて又うらむる事なく、】
したがって、今度の所領替えのことについては、訴訟を起こさないで、

【御内をばい〔出〕でず、我〔われ〕かまくらにう〔打〕ちい〔居〕て、】
また、主君を恨まずに、家からも出ないで、自分は、そのまま鎌倉にいて、

【さきざきよりも出仕とを〔遠〕きやうにて、】
以前よりも出仕をひかえ、

【ときどきさしいでてをはするならば叶ふ事も候ひなん。】
ときどき出仕するようにすれば、思いが叶う事もあるかも知れません。

【あながちにわるびれてみへさせ給ふべからず。】
決して悪びれた振る舞いをしてはいけません。

【よく〔欲〕と名聞・瞋〔いか〕りとの】
欲や名聞名利を求めたり、怒りの心を起こさないように


ページのトップへ戻る