日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四条金吾御消息文 07 四条金吾殿御返事(梵音声書)

第一章 国王の力

【四条金吾殿御返事 文永九年 五一歳】
四条金吾殿御返事 文永9年 51歳御作


【夫〔それ〕、斉〔せい〕の桓公〔かんこう〕と申せし王、】
斉〔せい〕の国の桓公〔かんこう〕と言う王は、

【紫をこの〔好〕みて服〔き〕給ひき。】
紫の衣を好んで着ました。

【楚〔そ〕の荘王と言ひし王は女の腰のふと〔太〕き事をにくみしかば、】
楚〔そ〕の荘王〔そうおう〕と言う王は、女の腰が太いことを憎んだので、

【一切の遊女腰をほそ〔細〕からせんがために餓死しけるものおほ〔多〕し。】
すべての遊女が自分の腰を細く見せようとして、餓死者が多く出ました。

【しかれば一人の好む事をば】
このように一人の王の好みで

【我が心にあ〔合〕はざれども万民随ひしなり。】
万民が、自分の心に添わなくても、それに随ったのです。

【たとへば大風の草木をなび〔靡〕かし、大海の衆流をひくが如し。】
たとえば大風が草木をなびかせ、大海が多くの潮流を作り出すようなものなのです。

【風にしたがはざる草木はを〔折〕れうせざるべしや。】
風に従わない草木が折れずにいられましょうか。

【小河大海におさまらずば、いづれのところ〔所〕におさ〔収〕まるべきや。】
川の水が大海に流れ込まなければ、どこに流れ込むと言うのでしょうか。

【国王と申す事は、先生〔せんじょう〕に万人にすぐれて大戒を持ち、】
国王となる事は、前の世で万人より優れ、大戒を持ったので、

【天地及び諸神ゆるし給ひぬ。】
天神、地神などの諸神が、王となることを許したのです。

【其の大戒の功徳をもちて、其の住むべき国土を定む。】
そして、その大戒の功徳によって、治めるべき国土を定めたのです。

【二人三人等を王とせず。】
ただの普通の人を王とはせず、

【地王・天王・海王・山王等悉〔ことごと〕く来たってこの人をまぼる〔守〕。】
地王、天王、海王、山王などが、すべて集まって、この人を王としたのです。

【いかにいはんや其の国中の諸民、其の大王を背くべしや。】
このような大王に国民が背くことがあるでしょうか。

【此の王はたとい悪逆を犯すとも、】
この王は、たとえ悪逆を犯したとしても、

【一二三度等には左右〔とこう〕無く此の大王を罰せず。】
一度や二度、三度ぐらいでは、諸天は、この大王を罰したりしないのです。

【但〔ただ〕諸天等の御心〔みこころ〕に叶はざる者は、】
ただ諸天の心に添わない行為に対しては、

【一往は天変〔てんぺん〕地夭〔ちよう〕等をもちてこれをいさ〔諫〕む。】
一往は、天変地夭などをもって、これを諌めるのです。

【事過分すれば諸天善神等其の国土を捨離し給ふ。】
しかし、それがひどくなれば、諸天や善神は、その国土から離れ、

【若しは此の大王の戒力つき、】
さらに、大王が前世に持った戒の功徳が尽きてしまうと、

【期〔ご〕来たりて国土のほろぶる事もあり、】
最後には、国土が滅ぶこともあります。

【又逆罪多くにかさ〔重〕なれば隣国に破らるゝ事もあり。】
また大王の犯す罪が多くなれば、隣国に滅ぼされることもあります。

【善悪に付けて国は必ず王に随ふものなるべし。】
善悪、どちらにしても、国は、必ず王に随うものなのです。


第二章 仏法流布の次第

【世間此くの如し、】
以上に述べたことは、世間の法についてですが、

【仏法も又然〔しか〕なり。仏陀すでに仏法を王法に付し給ふ。】
仏法についても、また同じなのです。仏陀は、既に仏法を王法に付嘱しました。

【しかればたとい聖人・賢人なる智者なれども、】
したがって、たとえ聖人、賢人のような智者であっても、

【王にしたがはざれば仏法流布せず。】
王に従わなければ、仏法は流布しないのです。

【或は後には流布すれども始めには必ず大難来たる。】
あるいは、後には、流布するとしても、始めには、必ず大難が起こるのです。

【迦弐志加〔かにしか〕王は仏の滅後四百余年の王なり。】
迦弐志加〔かにしか〕王は、仏の滅後四百余年に現われた王ですが、

【健陀羅〔けんだら〕国を掌〔たなごころ〕のうちににぎ〔握〕れり。】
健陀羅〔けんだら〕国を掌中に治め、

【五百の阿羅漢〔あらかん〕を帰依して】
五百の僧侶に帰依して、

【婆沙論〔ばしゃろん〕二百巻をつくらしむ。】
婆沙論〔ばしゃろん〕二百巻を作らせました。

【国中総〔すべ〕て小乗なり、其の国に大乗弘めがたかりき。】
しかし、国中は、総て小乗教で、その国に大乗教は、弘められなかったのです。

【発舎密多羅〔ほっしゃみたら〕王は五天竺を随へて】
また、発舎密多羅〔ほっしゃみたら〕王は、五天竺を随えて

【仏法を失ひ、衆僧の頸をきる。】
仏法を破壊し、多くの仏法の僧侶の首を斬ったのです。

【誰の智者も叶はず。】
どの智者も王の権勢には、敵〔かな〕いませんでした。

【太宗は賢王なり。玄奘〔げんじょう〕三蔵を師として法相宗を持ち給ひき。】
唐の太宗は、賢王であり、玄奘三蔵を師として、法相宗を持〔たも〕たれました。

【誰の臣下かそむきし。】
臣下の誰も、これに背くことは出来ませんでした。

【此の法相宗は大乗なれども】
この法相宗は、大乗教でありましたが、

【五性〔ごしょう〕各別〔かくべつ〕と申して、】
五性各別と言って、不成仏の者と成仏する者が決まっていると主張し、

【仏教中のおほ〔大〕きなるわざは〔禍〕ひと見えたり。】
これが仏教を乱す大きな禍いとなって、

【なを外道の邪法にもすぎたる悪法なり。】
外道の邪法よりも、大きな悪法となったのです。

【月支〔がっし〕・震旦〔しんだん〕・日本三国共にゆるさず。】
インド、中国、日本の三国の中で、まったく許されていない邪義であり、

【終に日本国にして伝教大師の御手にかゝりて此の邪法止め畢〔おわ〕んぬ。】
そしてついに、日本で伝教大師の手によって、この邪法は、打ち破られたのです。

【大なるわざわひなれども】
これは、大きな禍いでしたが、

【太宗これを信仰し給ひしかば、誰の人かこれをそむ〔背〕きし。】
太宗が、これを信仰されていたので、誰もこれに背く者は居なかったのです。

【真言宗と申すは大日経・金剛頂経・蘇悉地〔そしっじ〕経による。】
真言宗と言うのは、大日経、金剛頂経、蘇悉地経を依経としており、

【これを大日の三部と号す。玄宗〔げんそう〕皇帝の御時、】
これを大日の三部経と言いますが、唐の玄宗〔げんそう〕皇帝の時代に、

【善無畏〔ぜんむい〕三蔵・金剛智三蔵天竺より将〔も〕ち来たれり。】
善無畏〔ぜんむい〕三蔵、金剛智三蔵がインドから持って来ました。

【玄宗これを尊重し給ふ事、天台・華厳等にもこえたり。】
玄宗〔げんそう〕皇帝は、天台宗や華厳宗よりも、これを尊重し、

【法相・三論にも勝れて思〔おぼ〕し食〔め〕すが故に、】
また法相宗、三論宗よりも優れていると思われたので、

【漢土〔かんど〕総て大日経は法華経に勝るとおもひ、】
このため漢土では、全ての人が大日経は、法華経より優れていると思い、

【日本国当世にいたるまで天台宗は真言宗に劣るなりとおもふ。】
日本でも、現在にいたるまで、天台宗は、真言宗よりも劣るものと思っています。

【彼の宗を学する東寺天台の高僧等慢過慢をおこす。】
この真言宗を学ぶ、東寺、天台の高僧などは、大慢心を起こしており、

【但し大日経と法華経とこれをならべて偏党を捨てこれを見れば、】
ただ、大日経と法華経とを並べて、偏見を捨てて、これを見れば、

【大日経は螢火の如く、法華経は明月の如く、】
大日経は、螢火のようであり、法華経は、明月のようなものであり、

【真言宗は衆星の如く、】
また、真言宗は、衆星のようなものであり、

【天台宗は日輪の如し。】
それに対し天台宗は、太陽のようなものなのです。

【偏執の者の云はく、汝未だ真言宗の深義を習ひきは〔究〕めずして】
偏執の者は、あなたは、まだ真言宗の深義を習い極めもしないで、

【彼の無尽の科〔とが〕を申す。】
真言宗をどこまで悪く言うのかと言いますが、

【但し真言宗漢土に渡りて六百余年、日本に弘まりて四百余年、】
真言宗が漢土に渡ってから六百余年、日本に広まってから四百余年になりますが、

【此の間の人師の難答あらあらこれをしれり。】
この間の人師の論争やその返答を、自分は、だいたい知っていますが、

【伝教大師一人此の法門の根源をわきまへ給ふ。】
その中で伝教大師ただ一人が、この法門の根源をわきまえられていたのです。

【しかるに当世日本国第一の科〔とが〕是なり。】
つまりは、今の世の日本第一の謗法の罪は、真言宗にあるのです。

【勝を以て劣と思ひ劣を以て勝と思ふの故に、】
優れた法華経を劣っていると思い、劣れる真言の法を優れていると思う故に、

【大蒙古国を調伏〔じょうぶく〕する時、】
真言宗を用いて大蒙古国を調伏する時、

【還って襲はれんと欲する是なり。】
敵を調伏するどころか逆に、攻撃されて負けそうになっているです。

【華厳宗と申すは法蔵法師が所立の宗なり。】
また、華厳宗と言うのは、法蔵三蔵が立てた宗派です。

【則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗肩をなら〔並〕べがたかりき。】
則天皇后の帰依があった為に勢力を得て、諸宗は、肩を並べ難いものとなりました。

【しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり。】
こうした例をみると、王の威勢によって宗教の優劣があるのであって、

【法に依って勝劣は無き様なり。】
法に依って優劣は、ないように見えるのです。

【たとい深義を得たる論師人師なりといふとも、王法には勝ちがたきゆへに、】
たとえ仏法の深い義を悟った論師、人師であっても、王法には、勝てない故に、

【たまたま勝たんとせし仁は大難にあへり。】
たまたま王法に勝とうとした人は、大難にあったのです。

【所謂〔いわゆる〕師子尊者は檀弥羅〔だんみら〕王のために頸を刎ねらる、】
師子尊者は、檀弥羅〔だんみら〕王の為に首を刎〔はね〕ねられ、

【提婆〔だいば〕菩薩は外道のために殺害せらる。】
提婆菩薩は、外道の為に殺害されました。

【竺〔じく〕の道生は蘇山に流され、】
竺の道生は、蘇山に流され、

【法道三蔵は面〔かお〕に火印〔かなやき〕を〔捺〕されて江南に放たれたり。】
法道三蔵は、顔に火印を押されて江南に追放されたのです。


第三章 留難の所以

【而るに日蓮は法華経の行者にもあらず、僧侶の数にもいらず。】
日蓮は、法華経の行者でもなく、また僧侶の数にも入っておらず、

【然〔しか〕して世の人に随って阿弥陀の名号を持ちしほどに、】
世間の人に従って阿弥陀仏の名号を持〔たも〕っていたところが、

【阿弥陀仏の化身とひゞかせ給ふ善導〔ぜんどう〕和尚の云はく】
阿弥陀仏の化身と評判されている善導〔ぜんどう〕和尚が言うのには、

【「十即十生百即百生】
「阿弥陀仏により、十人が十人、百人が百人、極楽浄土へ往生する。

【乃至千中無一」と。】
ところが、法華経により成仏する者は、千人の中で一人もいない」とされ、

【勢至菩薩の化身とあ〔仰〕をがれ給ふ法然上人、】
勢至菩薩の化身と仰がれている法然上人が、

【此の釈を料簡〔りょうけん〕して云はく】
この解釈書として選択集に説明されるのには、

【「末代に念仏の外の法華経等を雑〔まじ〕ふる念仏においては千中無一、】
「末代で法華経なども敬う念仏においては、千人中一人も成仏しない。

【一向に念仏せば十即十生」云云。】
ただ、阿弥陀仏だけを念ずれば、十人が十人、往生する」と述べているのです。

【日本国の有智・無智仰いで】
日本国中の有智、無智の人々は、仰いでこの義を信じて、

【此の義を信じて今に五十余年、一人も疑ひを加へず。】
今に五十余年間、誰れ一人、これを疑わないのです。

【唯日蓮の諸人にかはる所は、阿弥陀仏の本願には】
ただ日蓮が、これらの人々と違うところは、阿弥陀仏の本願には、

【「唯五逆と誹謗正法とを除く」とちかひ、】
「ただ五逆を犯した者と正法を誹謗した者は除く」との誓いがあり、

【法華経には「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、】
法華経譬喩品には「もし、人が信じないで、この法華経を誹謗するならば、

【則ち一切世間の仏種を断ず、】
それは、一切世間の仏種を断ってしまうことであり、

【乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれたり。】
その人は、命終して阿鼻獄に堕ちる」と説かれているので、

【此善導・法然謗法の者なれば、】
これによれば、善導、法然は、法華誹謗の者となり、

【たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ。】
頼みにする阿弥陀仏に捨てられてしまっているのです。

【余仏余経においては我と抛〔なげう〕ちぬる上は】
その他の仏、その他の経文においては、自分から投げ捨てたのですから、

【救ひ給ふべきに及ばず。】
もちろん、それらが救おうと思っても無駄なのです。

【法華経の文の如きは無間地獄疑ひなしと云云。】
しかも、法華経譬喩品によれば、無間地獄は、疑いないと説かれており、

【而るを日本国はをしなべて彼等が弟子たるあひだ、】
日本の人は、すべて彼ら念仏宗の弟子ですから、

【此の大難まぬがれがたし。】
大難を受けることは、まぬかれ難いのです。

【無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ是なり。】
彼らが数多くの策略をめぐらせて、日蓮を怨む根本原因は、ここにあるのです。


第四章 仏の使い

【前々の諸難はさておき候ひぬ。去ぬる九月十二日御勘気をかふりて、】
先々の諸難は、さておいても、昨年9月12日に弾圧を受けて、

【其の夜のうちに頸をはね〔刎〕らるべきにて候ひしが、】
その夜のうちに首を斬られるはずでしたが、

【いかなる事にやよりけん、】
いったい、いかなることでしょうか。

【彼の夜は延〔の〕びて此の国に来たりていま〔今〕まで候に、】
その夜の処刑が延びて、この佐渡に来てから、今になりましたが、

【世間にもすてられ、仏法にも捨てられ、】
世間にも捨てられ、仏法にも捨てられ、

【天にもと〔訪〕ぶらはれず、二途にかけたるすてものなり。】
天にも見放され、世間と仏法の両方から捨てられたのです。

【而るを何〔いか〕なる御志にてこれまで】
そのように世間にも仏法にも、捨てられた身であるのに、

【御使ひをつかはし、】
いかなる志で、ここまで使いを遣〔つか〕わされ、

【御身には一期の大事たる悲母の】
あなたにとっては、一生の大事である悲母の

【御追善第三年の御供養を送りつかはされたる事、】
追善三回忌の御供養を送られたのでしょうか。

【両三日はうつゝともおぼへず。】
この二、三日は、これが現実とも思えずに過ごしていました。

【彼の法勝寺の修行が、いはを〔硫黄〕が島にて】
彼の法勝寺の僧侶、俊寛が硫黄島に流されて、

【としごろ〔年来〕つかひける童〔わらべ〕にあひたりし心地なり。】
以前からの使用人である子供にあったのと同じ気持ちなのです。

【胡国の夷〔えびす〕陽公とい〔言〕ひしもの、】
モンゴルの遊牧民である陽公と言う者が、

【漢土〔かんど〕にいけどられて北より南へ出でけるに、】
漢土に生け捕られて、北から南に行った時に、

【飛びちがひける雁〔かり〕を見てなげ〔嘆〕きけんも、】
そこに飛んでいた雁〔かり〕を見て、モンゴルから来たのであろうと思い嘆いたのも、

【これにはしかじとおぼへたり。但し法華経に云はく「若し善男子善女人、】
これには、及ばないのです。ただし、法華経法師品には「もし紳士、淑女が、

【我が滅度の後に能く竊〔ひそ〕かに一人の為にも】
我が滅度の後に、よく、ひそかに一人の為であっても、

【法華経の乃至一句を説かん。】
法華経の一句だけでも説くならば、

【当に知るべし是の人は則ち如来の使ひ如来の所遣〔しょけん〕として】
まさに知りなさい。この人は、如来の使いであり、

【如来の事を行ずるなり」等云云。】
如来と同じ事をしているのである」と説かれています。

【法華経を一字一句も唱へ、】
このように法華経を一字一句でも唱え、

【又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使ひなり。】
また、人に語る者は、教主釈尊の使いなのです。

【然れば日蓮賎〔いや〕しき身なれども】
この経文の通りであるならば、日蓮は、賎しい身であるけれども、

【教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来たれり。】
教主、釈尊の勅宣を授かって、この日本に生まれて来たのです。

【此を一言もそし〔誹〕らん人々は罪無間を開き、】
この日蓮を一言でも謗〔そし〕る人々は、罪を無間に開き、

【一字一句も供養せん人は】
一字一句でも供養した人は、

【無数の仏を供養するにもす〔過〕ぎたりと見えたり。】
無数の仏に供養することよりも優れているのです。


第五章 法華経の功徳

【教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師なり。】
教主釈尊は、一代の教主であり、一切衆生の導師なのです。

【八万法蔵は皆金言、十二部経は皆真実なり。】
釈尊の説いた八万法蔵は、すべて金言であり、十二部経は、すべて真実なのです。

【無量億劫より以来〔このかた〕、持ち給ひし不妄語戒の所詮は一切経是なり。】
無量億劫よりこのかた、不妄語戒を持〔たも〕ち続けた結果が一切経であり、

【いづれも疑ふべきにあらず。】
いずれの経文と言えども疑うべきではないのです。

【但し是は総相なり。】
ただし、これは、総じて見たときの話であり、

【別してたづぬれば、如来の金口より出来して】
別して見てみると、釈迦如来の口より出た教えにも

【小乗・大乗・顕・密・権経・実経是あり。】
小乗教、大乗教、顕密二教、権経、実経の区別があるのです。

【今この法華経は、仏「正直捨方便等】
今、この法華経は、方便品に「正直に方便を捨てて」、

【乃至世尊法久後】
また「世尊は法久しくして後、

【要当説真実」と説き給ふ事なれば、】
要〔かなら〕ず当〔まさ〕に真実を説きたもうべし」と説かれているので、

【誰の人か疑ふべきなれども、多宝如来証明〔しょうみょう〕を加へ、】
誰も疑うはずはないのですが、多宝如来は証明を加え、

【諸仏舌を梵天に付け給ふ。】
諸仏は、舌を梵天に付けて、それが正しいと言っているのです。

【されば此の御経は一部なれども三部なり、】
それゆえ、この経は、一部であっても三部なのです。

【一句なれども三句なり、一字なれども三字なり。】
また一句であっても三句なのです。たとえ一字であっても三字であるのです。

【此の法華経の一字の功徳は、】
この法華経の一字には、

【釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給ふ。】
このように釈迦、多宝、十方の諸仏の功徳を一字に納めているのです。

【たとへば如意宝珠の如し。一珠も百珠も同じき事なり。】
たとえば、如意宝珠のようなもので、一珠も百珠も同じ価値があるのです。

【一珠も無量の宝を雨〔ふ〕らす、百珠も又無尽の宝あり。】
一珠でも無量の宝を降らし、たとえ百珠であっても無尽蔵の宝珠なのです。

【たとへば百草を抹〔す〕りて一丸乃至百丸となせり。】
たとえば、百草をすって一丸とし、それが百丸となると、

【一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ。】
一丸でも百丸でも病気を治す効能は、同じなのです。

【譬へば大海の一渧も衆流を備へ、】
たとえば、大海の一滴の水にも、あらゆる川の水を含み、

【一海も万流の味をもてるが如し。】
一海も万流の成分が入っているようなものなのです。

【妙法蓮華経と申すは総名なり、二十八品と申すは別名なり。】
妙法蓮華経と言うのは、総名であり、二十八品と言うのは別名なのです。

【月支と申すは天竺〔てんじく〕の総名なり、別しては五天竺是なり。】
月支と言うのは、インドの総称であり、別しては、五天竺があるのです。

【日本と申すは総名なり、別しては六十六州これあり。】
日本と言うのは、総名であり、別しては、六十六州があるのです。

【如意宝珠と申すは釈迦仏の御舎利なり。】
如意宝珠と言うのは、釈迦牟尼仏の舎利なのです。

【竜王にこれを給ひて頂上に頂戴して、帝釈是を持ちて宝をふらす。】
竜王は、これをもらって頂上に戴き、帝釈天は、これを持って宝を降らせるのです。

【仏の身骨の如意宝珠となれるは、無量劫来持つ所の大戒、】
仏の身体の骨が如意宝珠となることは、無量劫の間、持〔たも〕つところの大戒が、

【身に薫じて骨にそ〔染〕み、一切衆生をたすくる珠となるなり。】
身に浸透して骨に染まり、一切衆生を救う珠となるのです。

【たとへば犬の牙の虎の骨にと〔溶〕く、】
たとえば、犬の牙が食べられて虎の骨となり、

【魚の骨の鸕〔う〕の気〔いき〕に消ゆるが如し。】
魚の骨が鵜〔う)の栄養に成るようなものなのです。

【乃至師子の筋〔すじ〕を琴の絃〔いと〕にかけてこれを弾〔ひ〕けば、】
また、師子の筋を琴〔こと〕の弦として弾けば、その音の素晴らしさに、

【余の一切の獣の筋の絃、】
他のすべての獣の筋の弦が切れていないにも関わらず、

【皆きらざるにやぶる。】
価値がなくなるのと同じなのです。

【仏の説法をば師子吼と申す、乃至法華経は師子吼の第一なり。】
仏の説法を師子吼と言い、その中でも法華経は、師子吼の第一なのです。


第六章 梵音声の本義

【仏には三十二相そなはり給ふ。】
このように仏には、優れた三十二の身体的特徴が備わっており、

【一々の相皆百福荘厳なり。】
その一つ一つの姿は、すべて百の幸運によって荘厳されています。

【肉髻〔にくけい〕・白毫〔びゃくごう〕なんど申すは菓〔このみ〕の如し。】
聡明な頭脳や輝くような微笑などの相貌は、果実のようなもので、

【因位の華の功徳等と成りて三十二相を備へ給ふ。】
原因となる華が功徳となって、このように三十二相が備わるのです。

【乃至無見頂相と申すは、釈迦仏の御身は丈六なり。】
また、無見頂相と言って、釈迦仏の御身は、約5メートルほどにも大きく見え、

【竹杖〔ちくじょう〕外道〔げどう〕は釈尊の御長〔みたけ〕をはからず、】
竹杖外道は、その偉大な姿から釈尊の身長を測ることができず、

【御頂を見奉らんとせしに御頂をば見たてまつらず。】
その頂きを見ようとしましたが、その威厳によって見ることが出来なかったのです。

【応持菩薩も御頂を見たてまつらず。】
応持菩薩もその頂きを見ることが出来ませんでした。

【大梵天王も御頂を見たてまつらず。】
大梵天王も、その頂きを見ることが出来ませんでした。

【これはいかなるゆへ〔故〕ぞとたづぬれば、】
これは、どう言うことであろうかと尋ねてみると、

【父母・師匠・主君を頂を地につけて恭敬〔くぎょう〕し奉りしゆへに】
母、師匠、主君に対して、頭を地に付けて敬〔うやま〕った故に、

【此の相を感得せり。】
逆にこれらの人々から敬〔うやま〕われて、この偉大な相貌を得たのです。

【乃至梵音声〔ぼんのんじょう〕と申すは仏の第一の相なり。】
また、梵音声と言うのは、仏の第一の相であり、

【小王・大王・転輪王等此の相を一分備へたるゆへに、】
小王、大王、転輪王なども、皆、この相の一分を備えているが故に、

【此の王の一言に国も破れ国も治まるなり。】
この王の一言によって、国が破れたり、あるいは、治まったりするのです。

【宣旨と申すは梵音声の一分なり。】
つまり、王が下す宣旨も梵音声の一分なのです。

【万民の万言、一王の一言に及ばず。】
このように万民の万言であっても、一王の一言には及ばないのです。

【三墳〔さんぷん〕五典〔ごてん〕なんど申すは小王の御言なり。】
すなわち三墳、五典などと言うのは、小王の言葉であり、

【此の小国を治め乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事、】
日本と言う、この小国を治め、また、大梵天王が三界の衆生を従えることも、

【仏の大梵天王帝釈等をしたがへ給ふ事もこの梵音声なり。】
仏が大梵天王、帝釈を従えることも、この梵音声によるのです。

【此等の梵音声一切経と成りて一切衆生を利益す。】
これらの梵音声が一切経となって、一切衆生を利益するのです。

【其の中に法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして】
その中でも法華経は、釈迦如来の志を書き顕わして、

【此の音声を文字と成し給ふ。】
釈迦如来の音声を文字としたものであり、

【仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とは】
仏の心は、この文字に備わっているのです。たとえば、種子と苗と草と稲とは、

【か〔変〕はれども心はたがはず。】
形は、変わっていても、その生命自体は変わらないのと同じなのです。

【釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。】
釈迦牟尼仏と法華経の文字とは、形は、変わっているけれども心は一つなのです。

【然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、】
そうであれば法華経の文字を見る時には、

【生身の釈迦如来にあひ〔相〕まい〔進〕らせたりとおぼしめすべし。】
生身の釈迦如来に会っていると思うべきなのです。

【此の志佐渡国までおくりつかはされたる事】
あなたが志〔こころざ〕しを佐渡まで送り遣〔つか〕わされたことは、

【すでに釈迦仏知〔し〕ろし食〔め〕し畢〔おわ〕んぬ。】
すでに釈迦牟尼仏も知っていらっしゃることでしょう。

【実に孝養の詮なり。恐々謹言。】
実に孝行の究極の姿であるのです。恐れながら謹んで申し上げます。

【文永九年 月 日   日蓮花押】
文永9年 月 日   日蓮花押

【四条三郎左衛門尉殿御返事】
四条三郎左衛門尉殿御返事


ページのトップへ戻る