日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四条金吾御消息文 24 日眼女釈迦仏供養事

【日眼女釈迦仏供養事 弘安二年二月二日 五八歳】
日眼女釈迦仏供養事 弘安2年2月2日 58歳御作


【御守り書きてまいらせ候。】
御守り御本尊を書いて差し上げます。

【三界の主〔あるじ〕教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那】
三界の主、教主釈尊一体三寸の木像を造立した檀那、

【日眼女〔にちげんにょ〕。御供養の御布施、】
日眼女の供養の布施として、

【前〔さき〕に二貫今一貫云云。】
前に銭二貫文、この度、銭一貫文を確かに受け取りました。

【法華経の寿量品に云はく「或は己身を説き或は他身を説く」等云云。】
法華経の寿量品に「或は己身を説き、或は他身を説く」等と説かれています。

【東方の善徳仏・中央の大日如来・】
この経文は、東方、無憂〔むゆう〕世界の善徳仏 、中央の大日如来、

【十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、】
十方世界の諸仏、過去の七仏、三世の諸仏、

【上行菩薩等、文殊師利・舎利弗等、大梵天王・第六天の魔王・】
上行菩薩等、文殊師利、舎利弗等、大梵天王、第六天の魔王、

【釈提桓因〔しゃくだいかんにん〕王・日天・月天・明星天・北斗七星・】
帝釈、日天、月天、明星天、北斗七星、

【二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅〔あしゅら〕王・】
二十八宿、五星、七星、八万四千の無量の諸星、阿修羅王、

【天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国々の主とある人】
天神、地神、山神、海神、宅神、里神、その他一切世間の国々の主となる人は、

【何れか教主釈尊ならざる。】
いずれも教主釈尊の姿であると言う意味なのです。

【天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり。】
天照太神、八幡大菩薩も、その本地は、教主釈尊なのです。

【例せば釈尊は天の一月、諸仏菩薩等は万水に浮ぶる影なり。】
たとえば、釈尊を天の月とすれば、諸仏、菩薩等は、万水に浮かべた月なのです。

【釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり。】
それゆえ釈尊一体を造立する人は、十方世界の諸仏を作った事になるのです。

【譬へば頭をふ〔振〕ればかみ〔髪〕ゆるぐ、心はたら〔働〕けば身うごく、】
たとえば、頭をふれば、髪が揺れ、心が働けば、身体もそれに従い、

【大風吹けば草木しづ〔静〕かならず、大地うごけば大海さは〔騒〕がし。】
大風が吹けば、草木がざわつき、大地が動けば、大海も荒れるように、

【教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。】
教主釈尊を動かせば、揺れぬ草木があるでしょうか、騒がぬ水があるでしょうか。

【今の日眼女は三十七のやく〔厄〕と云云。】
日眼女は、今年37歳の厄年と言うことですが、

【やくと申すは譬へばさい〔賽〕にはかど、ます〔升〕にはすみ〔角〕、】
厄年と言うのは、譬えて言えば、サイの角〔かど〕、升〔ます〕の隅、

【人にはつぎふし〔関節〕、方には四維〔よすみ〕の如し。】
人の関節、方位の四方のようなものなのです。

【風は方よりふけばよは〔弱〕く、】
風は、東西南北の方向から吹けば、弱いのですが、

【角より吹けばつよし。】
東北、南西、北西、東南といった方角から吹けば、強いのです。

【病は肉より起これば治しやすし、】
人の病気も筋肉から起きたものは、治療しやすいのですが、

【節〔ふし〕より起これば治しがたし。】
関節から起きたものは、治療しがたいのです。

【家にはかき〔垣〕なければ盗人い〔入〕る、】
また家に垣根がなければ盗人が入り、

【人にはとが〔失〕あれば敵〔かたき〕便〔たよ〕りをう〔受〕く。】
人に科〔とが〕があれば、敵がつけ込むものです。

【やく〔厄〕と申すはふしぶしの如し。】
人の一生の中で厄年と言うのは、身体にたとえれば、関節のようなものなのです。

【家にかきなく、人に科〔とが〕あるがごとし。】
家に垣根がなく人に科があるようなものですから、油断は出来ませんが、

【よきひやうじ〔兵士〕を以てまぼ〔守〕らすれば盗人をからめとる。】
強い兵士に守護させれば、返って盗人を捕まえる事も出来るのです。

【ふしの病をかねて治すれば命ながし。】
関節の病も早く治療すれば、かえって寿命は、延びるものです。

【今教主釈尊を造立〔ぞうりゅう〕し奉れば】
この度、日眼女が教主釈尊を造立されたのは、

【下女が太子をうめるが如し。国王尚此の女を敬ひ給ふ。】
下女が皇子を産んだようなものであり、国王さえ皇子を産んだ女性を敬います。

【何に況んや大臣已下をや。】
大臣以下が敬うことは、もちろんであるのです。

【大梵天王・釈提桓因〔しゃくだいかんにん〕王・日月等此の女人を守り給ふ。】
大梵天王、帝釈、日月等の諸天は、釈尊を造立した女性を守護されるのです。

【況んや大小の神祇をや。】
いわんや、その他の大小の神々が守護される事は、言うまでもありません。

【昔優填〔うでん〕大王、釈迦仏を造立し奉りしかば、】
昔、優填〔うでん〕大王が釈迦牟尼仏を造立したところ、

【大梵天王・日月等、木像を礼しに参り給ひしかば、】
大梵天王をはじめ、日月等の諸天が、その木像を礼拝しに来られたのです。

【木像説いて云はく】
すると木像は、それらの諸天に対して

【「我を供養せんよりは優填大王を供養すべし」等云云。】
「私を供養するよりも優填〔うでん〕大王を供養すべし」と言われたのです。

【影堅王の画像の釈尊を書き奉りしも又々是くの如し。】
また、影堅〔ようげん〕王が、画像の釈尊を書いたときも、同じであったのです。

【法華経に云はく「若し人仏の為の故に諸の形像〔ぎょうぞう〕を建立す。】
法華経に「若し人が仏を信敬して画像や木像を造立すれは、

【是〔か〕くの如き諸人等皆已〔すで〕に仏道を成じき」云云。】
それらの人は、みな仏道を成就した」と説かれています。

【文の心は一切の女人釈迦仏を造り奉れば、】
この経文は、釈尊を造立し奉れば、すべての女性は、

【現在には日々月々の大小の難を払ひ、】
現在には、月々日々の大小の災難を払い、

【後生には必ず仏になるべしと申す文なり。】
後生には、必ず仏になると言う意味なのです。

【抑〔そもそも〕女人は一代五千七千余巻の経々に、】
釈尊が一代に説かれた五千七千の経々では、

【仏にならずときら〔嫌〕はれまします。】
いずれも女性は、仏にならないとされていますが、

【但〔ただ〕法華経ばかりに、女人は仏になると説かれて候。】
ただ法華経だけは、女人成仏が説かれているのです。

【天台智者大師の釈に云はく】
天台大師は、法華文句の中に「法華経以外の諸経には、男の成仏を説く経はあっても

【「女に記せず」等云云。】
女性の成仏は説かれていない」と言われています。

【釈の心は一切経には】
その意味は、法華経以外の一切経には、

【女人は仏にならずと云云。】
女性は、仏に成らないと説かれていると言う意味なのです。

【次下に云はく「今の経は皆記す」と云云。】
その続きには「法華経では、男も女も皆、成仏する」とあるのです。

【今の法華経にこそ竜女は仏になれりと云云。】
つまり法華経によってこそ、女性である竜女が成仏できたのです。

【天台智者大師と申せし人は、仏滅度の後一千五百年に、】
天台大師と言う人は、釈尊滅度の後、千五百年に、

【漢土と申す国に出でさせ給ひて、】
漢と言う国に出現して、

【一切経を十五返まで御覧あそばして候ひしが、】
すべての経文を15回も読んだのですが、

【法華経より外の経には女人は仏にならずと云云。】
法華経より外の経では、女性は、成仏できないと言われています。

【妙楽大師と申せし人の釈に云はく】
その流れを汲んだ妙楽大師は、文句記の中に「女人が仏になると言う事は

【「一代に絶えたる所なり」等云云。】
釈尊一代の説法の中で法華経以外にはない」と言われています。

【釈の心は一切経にた〔絶〕えたる法門なり。】
つまり他の諸経には、有り得ない法門であると言う意味なのです。

【法華経と申すは星の中の月ぞかし、人の中の王ぞかし。】
法華経は、星の中の月、人の中の王、

【山の中の須弥山、水の中の大海の如し。】
山の中の須弥山、水の中の大海のように、諸経の中の王なのです。

【是〔これ〕程いみじき御経に、女人は仏になると説かれぬれば、】
それほど尊い経に、女性が成仏すると説かれているのですから、

【一切経に嫌はれたるになに〔何〕かくる〔苦〕しかるべき。】
他の経々で成仏できないと書かれていても、なにも悲しむ必要などないのです。

【譬へば盗人・夜打〔ようち〕・強盗・乞食・渇体〔かったい〕に】
たとえば、盗人、盗賊、強盗、乞食、病人に

【きらはれたらんと、】
嫌われても、

【国の大王に讃〔ほ〕められたらんと、何れかうれ〔嬉〕しかるべき。】
一国の王から讃められれば、何と嬉しいことでしょうか。

【日本国と申すは女人の国と申す国なり。】
日本国と言うのは、女性の国とも言えるのです。

【天照太神と申せし女神〔めがみ〕のつき〔築〕い〔出〕だし給へる島なり。】
天照太神と言う女神が作られた島なのです。

【此の日本には男十九億九万四千八百二十八人、】
この日本国には、男性1994828人、

【女は二十九億九万四千八百三十人なり。此の男女は皆念仏者にて候ぞ。】
女性は、2994830人です。ところが、この男女は、すべて念仏者なのです。

【皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす。】
皆、念仏者であるから阿弥陀仏を本尊として、未来の極楽往生を念ずるだけでなく、

【現世の祈りも又是〔か〕くの如し。】
現世の祈りも、また阿弥陀仏にかけているのです。

【設〔たと〕ひ釈迦仏をつく〔造〕りかけ〔画〕ども、】
たとえ釈迦牟尼仏を造り描いたとしても、

【阿弥陀仏の浄土へゆ〔往〕かんと思ひて、】
いずれも弥陀の西方浄土へ往生する為であって、

【本意の様には思ひ候はぬぞ。】
釈尊を本尊とは、していないのです。

【中々つくりかゝぬにはをと〔劣〕り候なり。】
それ故に釈迦牟尼仏を造り描いたとしても、返って何もしないよりも悪いのです。

【今日眼女〔にちげんにょ〕は今生の祈りのやう〔様〕なれども、】
今、日眼女は、現世安穏を祈っておられるようであるけれども、

【教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし。】
教主釈尊を信仰して造立されたのですから、未来の成仏も疑いありません。

【二十九億九万四千八百三十人の女人の中の】
したがって日眼女は日本国2994830人の女性の中の

【第一なりとをぼ〔思〕しめすべし。】
第一であると思ってください。

【委〔くわ〕しくは又々申すべく候。恐々謹言。】
詳しくは、また申し上げましょう。恐れながら謹んで申し上げます。

【二月二日   日蓮花押】
2月2日   日蓮花押

【日眼女御返事】
日眼女御返事


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