日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四条金吾御消息文 14 四条金吾釈迦仏供養事

第一章 五眼を具す

【四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日 五五歳】
四条金吾釈迦仏供養事 建治2年7月15日 55歳御作


【御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云。】
御手紙の中に、釈迦牟尼仏の木像を一体造立したとありました。

【開眼〔かいげん〕の事、普賢経〔ふげんぎょう〕に云はく】
仏の開眼のことは、普賢経に

【「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり】
「この大乗経典は、諸仏の宝蔵である。

【十方三世の諸仏の眼目〔げんもく〕なり」等云云。】
十方三世の諸仏の眼目である」と説かれており、

【又云はく「此の方等経は是諸仏の眼なり】
また同じく普賢経に「この方等経は、是れ諸仏の眼目である。

【諸仏是に因〔よ〕って五眼〔げん〕を具することを得たまへり」云云。】
諸仏は、この経によって、五眼を備えることを得る」とあります。

【此の経の中に得具五眼とは】
この経文の中に、五眼を備えることを得たとありますが、

【一には肉眼、二には天眼、三には慧〔え〕眼、四には法眼、五には仏眼なり。】
その五眼とは、一は肉眼、二は天眼、三は慧眼、四は法眼、五は仏眼を言うのです。

【此の五眼をば法華経を持〔たも〕つ者は】
法華経を持〔たも〕つ者には、

【自然〔じねん〕に相〔あい〕具〔ぐ〕し候。】
この五眼が自然に備わるのです。

【譬へば王位につく人は自然に国のしたがうごとし。】
たとえば、王位につく者には、自然に国民が従うように、

【大海の主となる者の自然に魚を得るに似たり。】
また、大海の主は、自然と魚を得ることが出来るようなものなのです。

【華厳・阿含・方等〔ほうどう〕・般若・大日経等には】
華厳経、阿含経、方等〔ほうどう〕経、般若経、大日経などには、

【五眼の名はありといへども其の義なし。】
五眼と言う名は、あっても、その実義、実体はありません。

【今の法華経には名もあり、義も備はりて候。】
今の法華経には、五眼と言う名もあり、その実義も備わっています。

【設〔たと〕ひ名はなけれども必ず其の義あり。】
たとえ、名前がないとしても、必ず、その実義は備わっているのです。


第二章 真実の開眼供養

【三身の事、普賢経に云はく「仏三種の身は方等より生ず。】
三身の事について、普賢経には「仏の三種の身は、大乗経から生ずる。

【是の大法印は涅槃海を印す。】
この大法印は、涅槃海を記すのである。

【此くの如き海中より能く三種の仏の清浄〔しょうじょう〕の身を生ず。】
このような涅槃海の中から、よく三身の仏の清浄の身を生じるのである。

【此の三種の身は人天の福田にして】
この三種の身は、人天の衆生の福田であり、

【応供〔おうぐ〕の中の最なり」云云。】
供養される者の中で最高のものである」と説かれています。

【三身とは一には法身如来、】
三身と言うのは、一は、法身如来であり、

【二には報身如来、三には応身如来なり、】
二は、報身如来、三は、応身如来なのです。

【此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひ〔相〕ぐ〔具〕す。】
この三身如来を一切の諸仏は、必ず備えているのです。

【譬へば月の体は法身〔ほっしん〕、】
たとえば、月の体は、法身にあたり、

【月の光は報身、月の影は応身〔おうじん〕にたとう。】
月の光は、報身であり、月の影は、応身にたとえられます。

【一の月に三のことわりあり、】
一つの月にも、三つの側面があるように、

【一仏に三身の徳まします。】
一仏には、三身如来の徳が備わっているのです。

【この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず。】
この五眼、三身の法門は、法華経以外には、全く説かれていません。

【故に天台大師の云はく】
それ故に天台大師は、法華文句巻第九に

【「仏三世に於て等しく三身有り】
「仏は三世にわたって、等しく三身を備えている。

【諸教の中に於て之を秘して伝へず」云云。】
しかし、諸経の中には、これを秘して伝えていない」と述べています。

【此の釈の中に於諸教中とか〔書〕ゝれて候は、】
この解釈の中で「諸教の中に於いて」と書かれているのは、

【華厳・方等・般若のみならず、法華経より外の一切経なり。】
華厳、方等、般若の経文だけではなく、法華経以外のすべての経文のことなのです。

【秘之不伝〔ひしふでん〕とかゝれて候は、法華経の寿量品より外の一切経には】
秘之不伝〔ひしふでん〕と書かれている意味は、法華経の寿量品より外の経文には、

【教主釈尊秘して説き給はずとなり。】
教主、釈尊があえて、これを秘して説かれなかったとの意味なのです。


第三章 仏像の真義

【されば画像〔えぞう〕・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。】
であるから、画像、木像の仏を開眼供養することは、法華経、天台宗に限るのです。

【其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。】
そのうえ、一念三千の法門と言うのは、三種の世間から起こっているのです。

【三種の世間と申すは一には衆生世間、】
三種の世間と言うのは、一は衆生世間、

【二には五陰〔ごおん〕世間、三には国土世間なり。】
二は五陰世間、三は国土世間です。

【前の二は且〔しばら〕く之を置く、】
衆生世間、五陰世間の二つは、しばらく置くとして、

【第三の国土世間と申すは草木世間なり。】
第三の国土世間と言うのは、草木世間のことです。

【草木世間と申すは五色のゑのぐ〔絵具〕は草木なり。】
草木世間と言うのは、五色の絵の具が草木から出来ており、

【画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。】
画像は、この絵の具によって作られるように、木像は、木によってでき、

【此の画木〔えもく〕に魂魄〔こんぱく〕と申す】
この画像、木像に魂魄〔こんぱく〕すなわち

【神〔たましい〕を入〔い〕るゝ事は】
神〔たましい〕を入れることは、

【法華経の力なり。天台大師のさとりなり。】
法華経の力によるのです。また、これは、天台大師の悟りなのです。

【此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、】
この法門は、衆生の立ち場から言えば、即身成仏と言われ、

【画木にて申せば草木成仏と申すなり。】
画像、木像からは、草木成仏と言うのです。

【止観の明静〔みょうじょう〕なる】
章安大師が「天台大師の止観の法門は、まことに明瞭に説かれており、

【前代にいまだきかずとかゝれて候と、】
これほどのものは、前代にも聞いたことがない」と讃嘆し、

【無情仏性】
また、妙楽大師が「無情界にも仏性があると明かしたことは、

【惑耳驚心〔わくにきょうしん〕等とのべられて候は是なり。】
まさに、耳を惑わし、心を驚かす」と述べたのは、この事なのです。

【此の法門は前代になき上、】
この一念三千の法門は、前代になかったのみならず、

【後代にも又あるべからず。】
後代にも、あるはずがないのです。

【設〔たと〕ひ出来せば此の法門を偸盗〔ちゅうとう〕せるなるべし。】
もし、あったとすれば、それは、この天台の法門を盗みとったものなのです。

【然〔しか〕るに天台以後二百余年の後、】
ところが、天台大師から二百余年の後、

【善無畏〔ぜんむい〕・金剛智・不空等、大日経に真言宗と申す宗をかまへて、】
善無畏、金剛智、不空などは、大日経によって真言宗と言う宗派を作って、

【仏説の大日経等にはなかりしを、】
そして本来の大日経などには、一念三千の法門など説かれていないのに、

【法華経・天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、】
法華経の義や天台の解釈を盗み入れて、真言宗の肝心としたのです。

【しかも事を天竺によせて】
しかも、その事をインドから伝わったかのように言いふらし、

【漢土・日本の末学を誑惑〔おうわく〕せしかば、皆人此の事を知らず、】
中国、日本の後世の人たちを惑わしたのです。こうした事情を人々は、誰も知らず、

【一同に信伏〔しんぷく〕して今に五百余年なり。】
みんな一同に信じきって、今に至るまで、五百余年間を経ているのです。

【然る間真言宗已前の木画の像は霊験殊勝なり。】
それ故、真言宗以前の木像、画像は、霊験もあったのですが、

【真言已後の寺塔は】
真言宗が開眼するようになって以後の寺塔には、

【利生〔りしょう〕うすし。】
利益など、まったくなくなってしまったのです。

【事多き故に委〔くわ〕しく注〔しる〕せず。】
このような事例は、数多くあり、詳しくは、書きませんが、

【此の仏こそ生身〔しょうじん〕の仏にておはしまし候へ。】
この造立された仏像こそ、生身の仏なのです。

【優塡〔うでん〕大王の木像と影顕〔ようけん〕王の木像と】
優塡〔うでん〕大王の作られた木像、また影顕〔ようけん〕王の作られた木像とも、

【一分もたがうべからず。】
少しも異なる事は、ありません。

【梵帝・日月・四天等必定〔ひつじょう〕して影の身に随ふが如く】
梵天、帝釈、日天、月天、四天などは、必ず影が身に従うように、

【貴辺をばまぼらせ給ふべし(是一)。】
あなたを守られることでしょう。是れ第一です。


第四章 日天子の利生

【御日記に云はく、毎年四月八日より七月十五日まで九旬が間、】
御手紙によると、毎年、四月八日から七月十五日までの約九十日間、

【大日天子に仕ヘさせ給ふ事、大日天子と申すは宮殿七宝〔しっぽう〕なり。】
大日天子を祭られると言う事ですが、大日天子の宮殿は、七宝で出来ており、

【其の大〔おお〕きさは八百十六里五十一由旬〔ゆじゅん〕なり。】
その大きさは、八百十六里、五十一由旬なのです。

【其の中に大日天子居し給ふ。勝・無勝と申して二人の后〔きさき〕あり。】
その中に大日天子がおり、勝、無勝と言う二人の妃〔きさき〕がいて、

【左右には七曜・九曜つらなり、前には摩利支〔まりし〕天女まします。】
また左右には、七曜、九曜の星が連なり、前には、摩利支天女がいます。

【七宝の車を八匹の駿馬〔しゅんめ〕にかけて、】
また車を八匹の駿馬に引かせ、

【四天下を一日一夜にめぐり、四州の衆の眼目〔げんもく〕と成り給ふ。】
四天下を一日一夜で駆け巡り、四州の衆生の眼目となられるのです。

【他の仏・菩薩・天子等は利生のいみじくまします事、】
日天子以外の他の仏、菩薩、天子などの利益が莫大である事は、

【耳にこれをきくとも愚眼〔ぐげん〕に未だ見えず。】
耳には、聞きますが、未だ凡夫の眼では、見ることが出来ません。

【是は疑ふべきにあらず、眼前の利生なり。】
それなのに日天子に利益がある事は、疑うことが出来ない眼前の事実なのです。

【教主釈尊にましまさずば争〔いか〕でか是くの如く】
本来、教主、釈尊でなければ、どうして、このように日天子に利益がある事を

【あらたなる事候べき。一乗の妙経の力にあらずんば】
知る事が出来るのでしょうか。また法華経の力でなければ、

【争でか眼前の奇異をば現ずべき。】
どうして眼前の違いを、現わす事ができるでしょうか。

【不思議に思ひ候。】
それなのに日天子だけは、わかるのです。不思議に思うばかりです。

【争でか此の天の御恩をば報ずべきともとめ候に、】
では、いかに日天子の御恩を報ずる事が出来るか考えると、

【仏法以前の人々も心ある人は、皆或は礼拝〔らいはい〕をまいらせ、】
仏法以前の人々も、心ある人は、みな、あるいは礼拝を行ない、

【或は供養を申し、皆しるしあり。】
あるいは供養をして、皆、利益を受けていたのです。

【又逆をなす人は皆ばつ〔罰〕あり。】
また、これに逆らった人は、みな罰を受けたのです。

【今内典〔ないでん〕を以てかんがへて候に、】
今、仏教の教典をもって考えてみると、

【金光明経に云はく「日天子及以〔および〕月天子〔がってんし〕】
金光明経には「日天子ならびに月天子は、

【是の経を聞くが故に精気〔しょうけ〕充実す」等云云。】
是の経を聞き、精気が充実するのである」と説かれ、

【最勝王経に云はく「此の経王の力に由って】
最勝王経には「この経王の力によって、

【流暉〔るき〕四天下を遶〔めぐ〕る」等云云。】
日天子、月天子は、世界を巡るのである」と説かれています。

【当に知るべし、日月天の四天下〔してんげ〕をめぐり給ふは仏法の力なり。】
これによって、わかるように、日月天子が四天を巡るのは、仏法の力に依るのです。

【彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり。】
この金光明経と最勝王経は、法華経の方便なのです。

【勝劣を論ずれば乳と醍醐〔だいご〕と、金と宝珠との如し。】
法華経との勝劣を論ずるならば、乳と醍醐、金と宝珠と同じですが、

【劣なる経を食〔め〕しましまして尚四天下をめぐり給ふ。】
このように劣った経文の力でさえ、なお、四天下を巡るには十分なのです。

【何に況んや法華経の醍醐の甘味〔かんみ〕を】
まして、法華経による最高の力をもってすれば、

【嘗〔な〕めさせ給はんをや。】
どれほどの利益があるかわかりません。

【故に法華経の序品には普香天子〔ふこうてんし〕とつらなりまします。】
ゆえに法華経の序品では、日天子、月天子は、普香〔ふこう〕天子とともに列なり、

【法師品〔ほっしほん〕には阿耨多羅三藐三菩提と記せられさせ給ふ、】
法師品では、日天子は、阿耨多羅三藐三菩提と成仏の記別を与えられているのです。

【火持〔かじ〕如来是なり。】
「火持如来」と言うのが、それであるのです。

【其の上慈父よりあひつたはりて二代、】
その上、あなたは、父君の代から日天子を祭って二代目であり、

【我が身となりてとしひさし。】
御自身の代になってからも長く経っています。

【争でかすてさせたまひ候べき。】
どうして日天子が見捨てられるような事があるでしょうか。

【其の上日蓮も又此の天を恃〔たの〕みたてまつり、】
そのうえ、日蓮も、また、この日天子を頼んで、

【日本国にたてあひて数年なり。既に日蓮かちぬべき心地〔ここち〕す。】
国にたてをついて数年になりますが、すでに日蓮が勝っていると思っています。

【利生のあらたなる事外にもとむべきにあらず。】
このように利生がはっきりしている事は、他には求められないのです。


第五章 孝養の志を讃嘆

【是〔これ〕より外に御日記たうと〔貴〕さ申す計りなけれども】
これより他に、御手紙に尊い事が数多く書かれていますが、

【紙上に尽〔つ〕くし難〔がた〕し。】
紙上には、書き尽くし難く省略いたします。

【なによりも日蓮が心にたっと〔貴〕き事候。】
なによりも、日蓮の心に尊く感じた事があります。

【父母御孝養の事、度々〔たびたび〕の御文に候上に、】
それは、父母への孝行の事であり、度々の御手紙で、それを拝見して来ましたが、

【今日の御文なんだ〔涙〕更にとゞ〔留〕まらず。】
今日の御手紙では、涙が一向に止まりませんでした。

【我が父母地獄にやをは〔御坐〕すらんと】
我が父母は、もしかしたら地獄にいるのではないだろうかと

【なげ〔嘆〕かせ給ふ事のあわ〔哀〕れさよ。】
嘆かれている心の尊さに感動したのです。

【仏の弟子の御中に目犍〔もっけん〕尊者〔そんじゃ〕と申しけるは、】
仏の弟子の目犍連と言う者は、

【父をばきっせん〔吉占〕師子と申し、】
父を吉占師子〔きっせんしし〕と言い、

【母をば青提女〔しょうだいにょ〕と申しけるが、】
母を青提女〔しょうだいにょ〕と言いました。

【餓鬼道にを〔堕〕ちさせ給ひけるを、】
その母が死後、餓鬼道に堕ちたことを、目犍連は、

【凡夫にてをはしける時はしらせ給はざりければ、】
凡夫であった時は、知らなかったので、

【なげきもなかりける程に、仏の御弟子とならせ給ひて後、】
取り立てて嘆〔なげ〕きもしませんでしたが、仏の御弟子となられて、

【阿羅漢となりて天眼〔てんげん〕をも〔以〕て御らんありければ、】
阿羅漢と成り、天眼をもって見てみると、

【餓鬼道におはしけり。是を御らんありて飲食〔おんじき〕をまいらせしかば、】
母は餓鬼道にいたのです。これを見て目犍連が食物や飲み物を差し上げたところ、

【炎となりていよいよ苦をましさせまいらせ給ひしかば、】
それが炎となって、ますます、苦しみを与えてしまったので、

【いそぎはしりかへり、仏に此の由を申させ給ひしぞかし。】
急いで走り帰り、仏に、この事を話したのです。

【爾の時の御心〔みこころ〕をおもひやらせ給へ。今貴辺は凡夫なり。】
その時の目犍連の心中を思いやってください。今、あなたは、凡夫です。

【肉眼〔にくげん〕なれば御らんなけれども、】
肉眼であるから、父母の事は、わからないかも知れませんが、

【もしもさもあらばとなげ〔嘆〕かせ給ふ。こ〔是〕は孝養の一分なり。】
もしも、そのような事があったならばと嘆かれています。これは、孝行の一分です。

【梵天・帝釈〔たいしゃく〕・日月・四天も定めてあはれとをぼさんか。】
梵天、帝釈、日月、四天も、きっと感動されておられる事でしょう。

【華厳経に云はく「恩を知らざる者は多く横死〔おうし〕に遭〔あ〕ふ」等云云。】
華厳経には「恩を知らない者は、多く横死に遭う」と説かれています。

【観仏相海経に云はく「是阿鼻の因なり」等云云。】
また観仏相海経には「不知恩は、阿鼻地獄に堕ちる因となる」と説かれています。

【今既に孝養の志あつし。】
今、あなたは、すでに孝行の志が、このように厚いのです。

【定めて天も納受〔のうじゅ〕あらんか(是一)。】
必ず諸天も聞き入れて下さるに違いありません。是れが第一です。


第六章 難の必然性

【御消息〔ごしょうそく〕の中に申しあはさせ給ふ事、】
手紙の中に付け加えられていた主人への引退願いの提出については、

【くはしく事の心を案ずるに、あるべからぬ事なり。】
詳しく物事の道理を考えてみれば、あっては、ならないことです。

【日蓮をば日本国の人あだむ。】
日蓮を、日本の人々がみんな憎んでいます。

【是はひとへにさがみどの〔相模殿〕ゝあだ〔怨〕ませ給ふにて候。】
これは、ひとえに北条時宗殿が日蓮を憎まれていたからなのです。

【ゆへ〔故〕なき御政〔まつ〕りごとなれども、】
道理のない政道では、ありますが、

【いまだ此の事にあはざりし時より、】
これについては、まだ、この事が起こる前から、

【かゝる事あるべしと知りしかば、今更いかなる事ありとも、】
こんな事もあるだろうと思っていたので、今更、どんな事が起ころうとも、

【人をあだむ心あるべからずとをもひ候へば、】
人を恨むつもりなどないのですが、

【此の心のいの〔祈〕りとなりて候やらん。】
このような思いが天への祈りとなったのでしょうか、

【そこばく〔若干〕のなん〔難〕をのがれて候。】
数々の難を逃れて、

【いまは事なきやうになりて候。】
そして今は、何事もなかったようになりました。

【日蓮がさどの国にてもかつ〔餓〕えし〔死〕なず、】
日蓮が佐渡でも餓え死にせず、

【又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候は、】
また、これまで身延の山の中で法華経を読誦できて来たのは、

【たれがたすけぞ。ひとへにとのゝ御たすけなり。】
誰の助けに依るかと言うと、ただ、ひとえに四条金吾殿の助けに依るのです。

【又殿の御たすけはなにゆへぞとたづぬれば、】
また、殿の助けは、何によるかと尋ねれば、

【入道殿の御故ぞかし。】
あなたの主君である、江馬入道殿の御陰であるのです。

【あら〔顕〕わにはし〔知〕ろしめ〔食〕さねども、】
入道殿は、自分では、このように日蓮を助けているとは思わなくても、

【定めて御いのりともなるらん。】
必ず、それは祈りともなり、天に通じているのです。

【かうあるならば、かへりて又とのゝ御いのりとなるべし。】
そうであるならば、主君の祈りは、また、あなたの祈りとなるのです。

【父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし。】
また、あなたが父母に孝行できるのも、主君の御陰なのです。

【かゝる人の御内〔みうち〕を如何〔いか〕なる事有ればとて、】
このように恩がある主君を、如何なる事があったとしても、

【すてさせ給ふべきや。】
捨て去るべきでは、ありません。

【かれより度々すてられんずらんはいかゞすべき。】
もし、主君より何度も捨てられるのであれば、やむを得ない事ですが、

【又いかなる命になる事なりとも、】
どんなに命が関わるような事があっても、

【すてまいらせ給ふべからず。】
自ら主君を捨てるような事をしてはなりません。

【上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有〔あ〕りと見えぬ。】
先に引用した華厳経の中には、不知恩は横死と説かれているではありませんか。

【孝養の者は又横死有るべからず。】
孝行の者は、また横死するような事はないのです。

【鵜〔う〕と申す鳥の食する鉄〔くろがね〕はと〔鎔〕くれども、】
鵜〔う〕と言う鳥は、鉄を食べますが、鉄は、溶けても、

【腹の中の子はとけず。石を食する魚あり、又腹の中の子はしなず。】
腹の中の子は、溶けません。石を食べる魚がいますが、腹の子は、死にません。

【栴檀〔せんだん〕の木は火に焼けず、】
栴檀〔せんだん〕の木は、火に焼ける事はなく、

【浄居〔じょうご〕の火は水に消へず。】
また、浄居〔じょうご〕天の火は、水に消えません。

【仏の御身をば三十二人の力士火をつけしかども】
仏の御身は、葬儀の時に三十二人の力士が火を点けましたが、

【やけず。】
焼く事が出来ませんでした。

【仏の御身よりいでし火は、三界の竜神〔りゅうじん〕】
また仏の御身から出た火は、三界の竜神が

【雨をふらして消しゝかどもきえず。】
雨を降らして、消したけれども消えませんでした。

【殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり。】
あなたは、日蓮が妙法を流布する功徳を助けた人ですから、

【悪人にやぶらるゝ事かたし。】
悪人に害されるような事は、まずないでしょう。

【もしやの事あらば、先生〔せんじょう〕に法華経の行者をあだみたりけるが】
もしもの事があれば、それは、過去世に法華経の行者を憎んだ罪が、

【今生〔こんじょう〕にむく〔報〕ふなるべし。】
今生に報いとして出ているのです。

【此の事は如何なる山中海上にてものがれがたし。】
この事は、どんな山の中、海の上へ逃れても、逃れる事は出来ないでしょう。

【不軽菩薩の杖木〔じょうもく〕の責〔せ〕めも、】
不軽菩薩が杖木瓦石の責めにあったのも、

【目犍〔もっけん〕尊者の竹杖〔ちくじょう〕に殺されしも是なり、】
目犍連が竹杖外道に殺されたのも、これに依るのです。

【なにしにか歎かせ給ふべき。】
どうして嘆く事があるでしょうか。


第七章 細心の用心を説く

【但し横難〔おうなん〕をば忍ぶにはしかじと見へて候。】
しかし、不慮の災難は、避けるに越した事はありません。

【此の文御覧ありて後は、けっして百日が間をぼろげならでは、】
この手紙を御覧になった後から、決して百日間は、

【どう〔同〕れひ〔隷〕ならびに他人と我〔わ〕が宅ならで】
むやみに同僚や他の人と、自分の家以外で、

【夜中の御さかも〔酒盛〕りあるべからず。】
夜、酒盛りをしては、いけません。

【主のめ〔召〕さん時はひるならばいそぎまいらせ給ふべし。】
主君から召されたときは、昼ならば、急いで出仕し、

【夜ならば三度までは頓病の由申させ給ひて、】
夜ならば、三度までは、病気であると理由を申し上げて、

【三度にすぎば下人又他人をかたらひて、】
もし、三度を過ぎた場合は、下人や他人と相談して、

【つじ〔辻〕をみせなんどして御出仕あるべし。】
通りを見させるなどして出仕しなさい。

【かうつゝ〔慎〕ませ給はんほどに、むこ〔蒙古〕人もよせなんどし候わば、】
このように身を慎んでいるうちに、蒙古の人が攻めて来るような事があれば、

【人の心又さきにひ〔引〕きかへ候べし。】
人々の心も、また前と変わって来ることでしょう。

【かたきを打つ心とゞまるべし。】
そうなれば、敵〔かたき〕として討とうとする心も、止まる事でしょう。

【申させ給ふ事は御あやま〔過〕ちありとも、】
あなたが申されていた件ですが、たとえ、あなた自身に過ちがあったとしても、

【左右〔さう〕なく御内〔みうち〕を出でさせ給ふべからず。】
そうたやすく主人を捨てて、江間家を出るような事をしてはなりません。

【まして、な〔無〕からんにはなにとも人申せ、くるしからず、】
まして、過ちがないのであれば、人がなんと言おうと気にする事はありません。

【をもひのまゝに入道にもなりてをはせば、さきざきならばくるしからず。】
心のままに入道になる事は、もっと先の事で良いのではありませんか。

【又身にも心にもあ〔合〕はぬ事あまた出来せば、】
また、入道になっても、身にも心にも合わない事が多くあって、

【なかなか悪縁度々来るべし。】
なかなか思い通りに成らず、数々の悪縁で信仰を誤ってしまうのです。

【このごろは女は尼になりて人をはか〔謀〕り、】
近ごろは、女は、尼になって人を騙し、

【男は入道になりて大悪をつくるなり。】
男は、入道になって大悪を犯しています。

【ゆめゆめあるべからぬ事なり。】
決して、そのような事になっては、なりません。

【身に病なくともやいと〔灸〕を一二箇所やいて病の由あるべし。】
たとえ病気でなくても、灸を一、二箇所して、病気を口実にしていきなさい。

【さわぐ事ありとも、しばらく人をもって見せをほせさせ給へ。】
騒動があっても、しばらくは、人を観にやりなさい。

【事々くはしくはかきつくしがたし。此の故に法門もかき候はず。】
事細かくは、書き尽くし難いので、ここでは、法門のことも書きません。

【御経の事はすゞ〔涼〕しくなり候ひて、】
御経は、涼しくなってから、

【か〔書〕いてまいらせ候はん。恐々謹言。】
書いて差し上げます。恐れながら謹んで申し上げます。

【建治二年(丙子)七月十五日   日蓮花押】
建治2年7月15日   日蓮花押

【四条金吾殿御返事】
四条金吾殿御返事


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