日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四条金吾御消息文 27 四条金吾殿御返事(怨嫉大陣既破事)

【四条金吾殿御返事 弘安二年九月一五日 五八歳】
四条金吾殿御返事 弘安2年9月15日 58歳御作


【銭〔ぜに〕一貫文給びて、頼基〔よりもと〕がまいらせ候とて、】
銭を一貫文頂きましたが、これは、四条金吾殿からの御供養であると、

【法華経の御宝前に申し上げて候。】
法華経の御宝前に申し上げました。

【定めて遠くは教主釈尊並びに多宝・十方の諸仏、】
遠くは、教主釈尊ならびに多宝、十方の諸仏、

【近くは日月の宮殿にわたらせ給ふも御照覧候ひぬらん。】
近くは、日天、月天の宮殿からも、きっと御照覧あることでしょう。

【さては人のよにすぐれんとするをば、】
人の世では、人より優れている事があれば、

【賢人・聖人とをぼしき人々も皆そね〔嫉〕みねた〔妬〕む事に候。】
賢人、聖人と思われるような人々からでさえも、ねたまれるものです。

【いわ〔況〕うや常の人をや。】
まして普通の人から、ねたまれる事は、言うまでもないことです。

【漢皇の王昭君〔おうしょうくん〕をば三千のきさき〔妃〕是をそねみ、】
漢の元帝〔げんてい〕の后、王昭君〔おうしょうくん〕を三千人の女官がねたみ、

【帝釈の九十九億那由他のきさきは憍尸迦〔きょうしか〕をねたむ。】
帝釈天の九十九億那由他の妃〔きさき〕は、憍尸迦〔きょうしか〕をねたみました。

【前〔さき〕の中書王〔ちゅうしょおう〕をば】
日本では、醍醐天皇の皇子である兼明〔かねあきら〕親王を

【をの〔小野〕の宮の大臣〔おとど〕是をねたむ。】
小野の宮の大臣、藤原実頼〔ふじわらのさねより〕がねたみ、

【北野の天神をば】
現在、北野天神で祀〔まつ〕られている菅原道真〔すがわらのみちざね〕を

【時平のをとど〔大臣〕】
左大臣である藤原時平〔ふじわらのときひら〕がねたんで

【是をざんそう〔讒奏〕して流し奉る。】
天皇に讒言〔ざんげん〕をして、筑紫の国に流したのです。

【此等をも〔以〕てをぼしめせ。】
これらの事を以って理解してください。

【入道殿の御内は広かりし内なれどもせば〔狭〕くならせ給ひ、】
主君の江馬入道殿の領土は、最初は、広かったのですが、今は、狭くなっています。

【きうだち〔公達〕は多くわたらせ給ふ。】
しかも一族の子息は、多くいます。

【内のとしごろ〔年来〕の人々あまたわたらせ給へば、】
昔からの家来も大勢いるので、

【池の水すくなくなれば魚さわがしく、】
ちょうど池の水が少なくなれば魚が騒ぎ、

【秋風立てば鳥こずえ〔梢〕をあらそ〔争〕う様に候事に候へば、】
秋風が立つと小鳥が梢〔こずえ〕を争うのと同じで、

【いくそばくぞ御内の人々そねみ候らんに、】
どんなに江間家の人々が、あなたを恨んでいる事でしょうか。

【度々の仰せをかへし、】
さらにあなたは、たびたびの主君の仰せに背き、

【よりよりの御心にたが〔違〕はせ給へば、】
時々、その心に従わなかったのですから、

【いくそばくのざんげん〔讒言〕こそ候らんに、】
どれほど多くの讒言〔ざんげん〕があったでしょうか。

【度々の御所領をかへして、】
さらには、主君から、たびたび頂いた所領を返上して、

【今又所領給はらせ給ふと云云。此程の不思議は候はず。】
今また所領を頂いたと言う事は、これ程、不思議なことはないのです。

【此偏〔ひとえ〕に陰徳あれば陽報ありとは此なり。】
まったく、陰徳あれば陽報ありとは、この事なのです。

【我が主に法華経を信じさせまいらせんとをぼしめす御心のふかき故か。】
主君に法華経を信じさせようとされた真心の深い事に依るのでしょうか。

【阿闍世王は仏の御怨なりしが、耆婆〔ぎば〕大臣の御すゝめによ〔因〕て、】
阿闍世王は、仏に敵対していましたが、耆婆〔ぎば〕大臣の勧めによって、

【法華経を御信じありて代〔よ〕を持ち給ふ。】
法華経を信ずるようになり、寿命を延ばして国を保つ事が出来ました。

【妙荘厳王〔みょうしょうごんのう〕は二子〔ふたりのみこ〕の御すゝめによて】
妙荘厳王〔みょうしょうごんのう〕は、二人の皇子の勧めによって

【邪見をひるが〔翻〕へし給ふ。此又しかるべし。】
邪見をひるがえされました。あなたの場合も同じです。

【貴辺の御すゝめによて今は御心もやわ〔和〕らがせ給ひてや候らん。】
あなたの勧めによって主君の江馬氏も今は、心を和らげられたのでしょう。

【此偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり。】
これも偏〔ひとえ〕に、あなたの法華経への信心が深いからです。

【根ふかければ枝さかへ、源〔みなもと〕遠ければ流れ長しと申して、】
木は、根が深ければ、枝が盛んとなり、川は、源が遠ければ、流れは長いのです。

【一切の経は根あさく流れちか〔近〕く、】
この譬えのように法華経以外のすべての経文は、根が浅く流れが近いのです。

【法華経は根ふかく源〔みなもと〕とをし、】
それに対し、法華経は、根は深く源は遠いのです。

【末代悪世までもつ〔尽〕きずさかう〔栄〕べしと天台大師あそばし給へり。】
それ故に末法悪世までも栄え、流布していくと天台大師は言われています。

【此の法門につきし人あまた候ひしかども、】
この法門を信仰した人は、数多くいますが、

【をほや〔公〕けわたく〔私〕しの大難度々重〔かさ〕なり候ひしかば、】
公私ともに大難が、たびたび、重なって起こったので、

【一年二年こそつき候ひしが、後々には皆或はをち、】
一年、二年は、付いて来ましたが、その後には、みな、ある人は、退転し、

【或はかへり矢をいる。】
ある人は、反逆して法華経に敵対してしまいました。

【或は身はを〔堕〕ちねども心をち、】
また、ある人は、まだ身は、退転していませんが、心の中では、すでに疑いを抱き、

【或は心はをちねども身はをちぬ。】
あるいは、信仰の心だけはあっても、身は退転してしまっているのです。

【釈迦仏は浄飯〔じょうぼん〕王の嫡子〔ちゃくし〕、一閻浮提を知行する事、】
釈迦牟尼仏は、浄飯〔じょうぼん〕王の嫡子で、一閻浮提を支配すること、

【八万四千二百一十の大王なり。】
八万四千二百十の国の大王でありました。

【一閻浮提の諸王頭をかた〔傾〕ぶけん上、】
したがって一閻浮提の諸王が頭を下げて敬意を示し、

【御内に召しつか〔使〕いし人十万億人なりしかども、】
使用人の数は、十万億人であったのです。

【十九の御年浄飯王宮を出でさせ給ひて、】
そのような御身でありながら、御年十九のとき父、浄飯王の宮殿を出られて、

【檀特山に入りて十二年、】
檀特山〔だんとくせん〕に入って十二年修行したのです。

【其の間御とも〔伴〕の人五人なり。】
その間の伴の者は、僅か五人でした。

【所謂拘隣〔くりん〕と頞鞞〔あび〕と跋提〔ばつだい〕と】
それは、拘鄰〔くりん〕と頞鞞〔あび〕と跋提〔ばつだい〕と

【十力迦葉〔かしょう〕と拘利〔くり〕太子となり。】
十力迦葉〔じゅうりきかしょう〕と拘利〔くり〕太子です。

【此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ。】
この五人も六年目には、二人が去り、

【残りの三人も後の六年にす〔捨〕て奉りて去りぬ。】
残りの三人も後の六年には、釈尊を捨てて去ってしまいました。

【但一人残り給ひてこそ仏にはならせ給ひしか。】
釈尊は、ただ一人残り修行されて、後に仏に成られたのです。

【法華経は又此にもす〔過〕ぎて人信じがたかるべし。】
法華経は、また、これにも過ぎて信じ難い経文なのです。

【難信難解とは此なり。】
経文に難信難解とあるのは、この事です。

【又仏の在世よりも末法は大難かさ〔重〕なるべし。】
また仏の在世よりも、今、末法は、大難が重なって起きるのです。

【此をこら〔堪〕へん行者は、我が功徳にはすぐれたる事、】
これを耐えて実践する者は、

【一劫とこそ説かれて候へ。】
一劫の間、仏を供養する功徳よりも優れていると法師品に説かれているのです。

【仏滅度後二千二百三十余年になり候に、】
今は、仏滅度後2230余年になります。

【月氏一千余年が間〔あいだ〕仏法を弘通せる人、】
インドで一千余年の間、仏法を弘めた人は、

【伝記にの〔載〕せてかくれなし。】
伝記に残っています。

【漢土一千年、日本七百年、又目録にのせて候ひしかども、】
漢土の一千年、日本の七百年間の目録に載っているのですが、

【仏のごとく大難に値へる人々少なし。】
釈迦牟尼仏のように大難にあった人は少ないのです。

【我も聖人、我も賢人とは申せども、】
自分も聖人、自分も賢人と、みんなが言うのですが、

【況滅度後の記文に値へる人一人も候はず。】
「況滅度後」の経文通りに大難にあった人は、一人もいません。

【竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値へる人々にては候へども、】
竜樹菩薩、天台、伝教こそ、仏法の為に大難にあった人々ではありますが

【此等も仏説には及ぶ事なし。此即ち代〔よ〕のあが〔上〕り、】
それでも仏が経文に説いている大難には及ばず、それは、時代が早過ぎて、

【法華経の時に生まれ値はせ給はざる故なり。】
法華経の弘まるべき時に生まれ合わせなかったからなのです。

【今は時すでに後五百歳・末法の始めなり。】
今は、時がまさに釈迦が予言した後五百歳にあたり、末法の始めなのです。

【日には五月十五日、】
たとえば、日で言えば、五月十五日の夏至、

【月には八月十五夜に似たり。】
月では、八月十五日の中秋の夜のような大切な節目の時なのです。

【天台・伝教は先〔さき〕に生まれ給へり。】
天台大師、伝教大師は、この末法の時代よりも先に生まれました。

【今より後は又のちぐへ〔後悔〕なり。】
また、今より後に生まれて来る人も、その時を失った事を後悔するでしょう。

【大陣すでに破れぬ、余党〔よとう〕は物のかず〔数〕ならず。】
日蓮が出現して魔軍の大陣は、すでに破れて、その他の余党は、物の数ではなく、

【今こそ仏の記しをき給ひし後五百歳、末法の初め、】
今こそ、釈迦牟尼仏が予言した、後五百歳の末法の初め、

【況滅度後の時に当たりて候へば、仏語むな〔虚〕しからずば、】
况滅度後の時にあたるのですから、仏の言葉が虚妄でないならば、

【一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん。】
一閻浮提のうちに、必ずや聖人が出現している事でしょう。

【聖人の出づるしるしには、】
聖人が出現する前兆としては、

【一閻浮提第一の合戦を〔起〕こるべしと説かれて候に、】
一閻浮提第一の戦争が起こると経文に説かれていますが、

【すでに合戦も起こりて候に、】
すでに蒙古との戦争が始まっているのですから、

【すでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給ひて候らん。】
聖人は、すでに一閻浮提の内に出現されている事でしょう。

【きりん〔麒麟〕出でしかば孔子を聖人とし〔知〕る。】
孔子の時代の人々は、麒麟が出現したので、孔子が聖人である事がわかったのです。

【鯉社〔りしゃ〕な〔鳴〕って】
また、その時に神を祀〔まつ〕る祠〔ほこら〕が鳴ったので、

【聖人出で給ふ事疑ひなし。】
孔子という聖人が出現した事は、疑いようがないのです。

【仏には栴檀〔せんだん〕の木を〔生〕ひて】
仏が出現した時には、栴檀〔せんだん〕の木が茂って、

【聖人としる。】
それによって仏が聖人である事を知ることが出来ました。

【老子は二五の文を蹈〔ふ〕んで】
また、史記老子伝によると聖人である証拠のひとつに、足の裏に二と五の文字が

【聖人としる。】
書いてあるので聖人と知る事が出来るとあります。

【末代の法華経の聖人をば何を用ってかしるべき。】
今、末法の法華経の聖人については、何をもって知る事が出来るのでしょうか。

【経に云はく、能説此経・】
法華経法師品に、よくこの法華経を説き、

【能持此経の人、則ち如来の使ひなり。】
よく、この法華経を受持する人は、仏の使であると説かれています。

【八巻・一巻・一品・一偈の人、乃至題目を唱ふる人、】
すなわち、法華経八巻、一巻、一品、一偈、または、題目を唱える人は、

【如来の使ひなり。】
如来の使であると説かれているのです。

【始中終す〔捨〕てずして大難をとをす人、】
また、最初から最後まで、生涯、妙法を捨てずに大難を受けても受持し続ける人は、

【如来の使ひなり。日蓮が心は全く如来の使ひにはあら〔非〕ず、】
如来の使いなのです。日蓮の心は、とても如来の使いとは言えないのですが、

【凡夫なる故なり。】
それは、凡夫である故であり、

【但し三類の大怨敵にあだ〔仇〕まれて、】
法華経に予言されているように、三類の大怨敵に憎まれ、

【二度の流難に値へば】
伊豆と佐渡の二度も流罪の難にあったのですから、

【如来の御使ひに似たり。】
経文に説かれた如来の使いに似ているとは言えます。

【心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども、】
心は、貪、瞋、癡の三毒が深く、また、一身は、凡夫ではありますが、

【口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使ひに似たり。】
口では、南無妙法蓮華経と唱えているのですから、仏の使いに似ているのです。

【過去を尋ぬれば】
過去にその例を尋ねてみれば、威音王〔いおんのう〕仏の像法の末に出現したと言う

【不軽菩薩に似たり。現在をとぶらうに】
不軽菩薩に似ています。また現在を尋ねれば、

【加刀杖瓦石〔かとうじょうがしゃく〕にたが〔違〕う事なし。】
経文に説かれた、刀杖瓦石の難と少しも違っていません。

【未来は】
したがって、この事から未来を考えてみれば、

【当詣〔とうけい〕道場疑ひなからんか。】
経文のように、当〔まさ〕に道場に詣〔いた〕る事は、疑いないのです。

【これをやしな〔養〕はせ給ふ人々は】
このような日蓮を養〔やしな〕っている人々は、

【豈〔あに〕同居浄土の人にあらずや。】
霊山浄土に共に住む人である事は、疑いありません。

【事多しと申せどもとゞめ候。】
申し上げたい事は、たくさんありますが、ここでは、やめておきます。

【心をも〔以〕て計らせ給ふべし。】
後は、心を以って推量して下さい。

【ちご〔稚児〕のそらう〔所労〕よくなりたり、悦び候ぞ。】
あなたの治療で幼い子の病気もよくなり、たいへん喜んでおります。

【又大進阿闍梨〔だいしんあじゃり〕の死去の事、】
また大進阿闍梨の死去の件ですが、

【末代のぎば〔耆婆〕いかでか此にすぐべきと、】
末代の名医、耆婆〔ぎば〕も、あなたには、及ぶまいと、

【皆人舌をふり候なり、さにて候ひけるやらん。】
皆、口々に語っており、私も、その通りだと思っております。

【三位〔さんみ〕房が事、さう四郎が事、此の事は】
三位房の事や、さう四郎の事も、あなたの見立て通りである事は、

【宛〔あたか〕も符契〔ふけい〕符契と申しあひて候。】
まるで、割符〔わりふ〕を合わせたようだと、語り合っております。

【日蓮が死生をばまか〔任〕せまいらせて候。】
日蓮の死生は、名医である、あなたに御任せします。

【全く他のくすし〔薬師〕をば用ゐまじく候なり。】
まったく他の医者に頼むつもりは、ありません。

【九月十五日   日蓮花押】
9月15日   日蓮花 押

【四条金吾殿】
四条金吾殿


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