御書研鑚の集い 御書研鑽資料
四条金吾御消息文 22 四条金吾殿御返事(所領書)
【四条金吾殿御返事 弘安元年一〇月 五七歳】四条金吾殿御返事 弘安元年10月 57歳御作
【鵞目一貫文給び候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
銭、一貫文を頂きました。
【御所領上〔かみ〕より給〔た〕ばらせ給ひて候なる事、】
主君から、新たに所領を頂いたと聞いて、
【まことゝも覚へず候。夢かとあまりに不思議に覚へ候。】
現実とも思えず、夢ではないかと本当に不思議に思いました。
【御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚へず候。】
この事に、どのように御返事、申し上げようかと思ったほどなのです。
【其の故はとの〔殿〕ゝ御身は日蓮が法門の御ゆへに】
それは、あなた自身が日蓮の法門を信じた為に、
【日本国並びにかまくら〔鎌倉〕中、御内の人々、きうだち〔公達〕までうけず、】
日本中の人々、鎌倉の人々、江間氏の人々や、その跡継ぎにまで不快に思われていたので、
【ふしぎ〔不思議〕にをもはれて候へば、其の御内にをは〔御座〕せむだにも】
有り得ない事と思ったのです。いままで、その江間家の中で無事で居られる事でさえも
【不思議に候に御恩をかうほらせ給へば、】
不可思議であるのに、その上、今までは、主君から、所領を頂いても、左遷同様で、
【うちかへし又うちかへしせさせ給へば、】
その都度、返上して来たのですから、
【いかばかり同れい〔僚〕どもゝふしぎとをもひ、】
どれほど同僚たちからも不興を買い、
【上〔かみ〕もあまりなりとをぼすらむ。】
主君からも、あまりに無礼であると不愉快に思われていたでしょう。
【さればこ〔此〕のたび〔度〕はいかんが有るべかるらんと】
それ故に、この度は、どうなる事であろうかと
【うたが〔疑〕ひ思ひ候ひつる上〔うえ〕、】
案じていたところ、
【御内の数十人の人々うった〔訴〕へて候へば、さればこそいか〔如何〕にも】
案の定、江間家の人々数十人が訴えて来たので、まず無事には、済むまい、
【かな〔叶〕ひがた〔難〕かるべし。】
とても、願いが叶う事は、難しいと思っていたのです。
【あまりなる事なりと疑ひ候ひつる上、】
このように不利な状況で、どうなるかと疑っていたところ、
【兄弟にもす〔捨〕てられてをは〔御座〕するに、】
さらには、味方であるはずの、兄弟にも捨てられてしまっているのに、
【かゝる御をん〔恩〕面目申すばかりなし。】
このような御恩に浴するとは、面目、この上ない事です。
【かの処はとのをか〔殿岡〕の三倍とあそばして候上、】
新しい領地は、これまでの殿岡の三倍もあると言われている上に、
【さど〔佐渡〕の国のもの〔者〕ゝこれに候が、】
佐渡の者で、この身延に来ている者が、
【よくよく其の処をし〔知〕りて候が申し候は、】
よく、その土地の事を知っており、その人の話によると、
【三箇郷の内にいかだと申すは第一の処なり。】
三箇郷のうち、いかだと言う所は、一番のところで、
【田畠はすく〔少〕なく候へども、とく〔得〕ははか〔量〕りなしと申し候ぞ。】
田畑は、少ないけれども、その分、取れ高は、多いと言うことでした。
【二所はみねんぐ〔御年貢〕千貫、一所は三百貫と云云。】
二番目は、年貢が千貫、三番目は、三百貫と、
【かゝる処なりと承はる。】
このような場所であると聞いています。
【なにとなくとも、どうれい〔同僚〕とい〔云〕ひした〔親〕しき人々と申し、】
ともかく、今までは、同僚にも親しい人々にも、
【す〔捨〕てはてられてわら〔嗤〕ひよろこびつるに、】
捨てられ、嘲笑されていたのですから、
【とのをか〔殿岡〕にをと〔劣〕りて候処なりとも、】
たとえ、殿岡に劣っているような事があっても、
【御下し文〔ぶみ〕は給〔た〕びたく候ひつるぞかし。まして三倍の処なりと候。】
主君より御恩を頂きたい時であり、ましてや三倍の土地と言うのですから、
【いかにわろ〔悪〕くとも】
たとえ、どんなに悪くても、
【わろ〔悪〕きよし人にも又上〔かみ〕へも申させ給ふべからず候。】
その事を強調して他人に言ったり、また、主君に言っては、なりません。
【よ〔良〕きところ〔処〕よきところと申し給はゞ、】
良い所、良い所と言っていれば、
【又かさねて給ばらせ給ふべし。わろき処徳分なしなんど〔抔〕候はゞ】
また、重ねて御恩を給わることもあり、それを悪い所で良い所がないなどと言えば、
【天にも人にもすてられ給ひ候はむずるに候ぞ。御心へあるべし。】
天にも人にも、見捨てられてしまうでしょう。そのように深く心得るべきです。
【阿闍世〔あじゃせ〕王は賢人なりしが、】
阿闍世王は、賢人でしたが、
【父をころ〔殺〕せしかば、即時に天にもす〔捨〕てられ、】
父を殺したので、五逆罪によって即座に天に捨てられ、
【大地もやぶ〔破〕れて入りぬべかりしかども、】
大地が割れて、地獄に堕ちるべきところでしたが、
【殺されし父の王一日に五百りゃう〔輌〕、】
殺された父が、生前に一日に五百輌ずつ、
【五百りゃう数年が間〔あいだ〕仏を供養しまいらせたりし功徳と、】
数年間にわたって、仏に供養した功徳と、
【後に法華経の檀那となるべき功徳によりて、】
阿闍世王自身が、後に法華経外護の信者となる功徳によって、
【天もすてがたし、地もわれず、ついに地獄にを〔堕〕ちずして仏になり給ひき。】
天にも捨てられず、地も割れず、ついに地獄にも堕ちずに仏になったのです。
【との〔殿〕も又かくのごとし。】
あなたも、またその通りであって、
【兄弟にもすてられ、同れい〔僚〕にもあだ〔仇〕まれ、】
兄弟にも捨てられ、同僚にも憎まれ、
【きうだち〔公達〕にもそば〔窄〕められ、】
江間家の跡継ぎにも迫害され、
【日本国の人にもにく〔憎〕まれ給ひつれども、】
日本中の人々からも憎まれたけれども、
【去ぬる文永八年の九月十二日の子丑〔ねうし〕の時、】
文永八年九月十二日の深夜、
【日蓮が御勘気〔かんき〕をかほ〔被〕りし時、】
日蓮が大弾圧を受けた際に、
【馬の口にとりつきて鎌倉を出でて、】
馬の口に取り付いて鎌倉を出て、
【さがみ〔相模〕のえち〔依智〕に御とも〔供〕ありしが、】
相模〔さがみ〕の国の依知〔えち〕まで供をされた事は、
【一閻浮提〔えんぶだい〕第一の法華経の御かたうど〔方人〕にて有りしかば、】
一閻浮提第一の法華経の味方であるので、
【梵天・帝釈もすてかねさせ給へるか。仏にならせ給はん事もかくのごとし。】
梵天、帝釈も捨てられなかったのでしょう。仏になる事も、これと同じなのです。
【いかなる大科ありとも、】
どのような大罪があったとしても、
【法華経をそむ〔背〕かせ給はず候ひし御ともの御ほうこう〔奉公〕にて】
法華経に対して背〔そむ〕かれずに、御供の御奉公をされたのですから、
【仏にならせ給ふべし。】
仏になる事は、疑いないのです。
【例せば有徳国王の覚徳比丘の命〔いのち〕にか〔代〕はりて】
例えば、涅槃経に説かれているように有徳王が正法護持の覚徳比丘を命を捨てて
【釈迦仏とならせ給ひしがごとし。】
護った功徳によって、釈迦牟尼仏となったのと同じなのです。
【法華経はいの〔祈〕りとはなり候ひけるぞ。あなかしこあなかしこ。】
法華経を信ずる事は、成仏の祈りとなるのです。まことに怖れ多い事です。
【いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ。】
いよいよ、信心を強盛にして、今生において成仏してください。
【御一門の御房たち又俗人等にもかゝるうれ〔嬉〕しき事候はず。】
御一門の出家された人々や在家の人々の中でも、これほどに嬉しい事は、ありません。
【かう申せば今生のよく〔欲〕とをぼすか。】
このように所領の事を言えば、現世利益だと思われるかも知れませんが、
【それも凡夫にて候へばさも候べき上、】
凡夫であるので、それは、当然でもあるし、
【欲をもはな〔離〕れずして仏になり候ひける道の候ひけるぞ。】
その欲を離れずして仏になる道があるのです。
【普賢〔ふげん〕経に法華経の肝心を説きて候】
普賢経に法華経の肝心を説いて
【「煩悩を断ぜず五欲を離れず」等云云。】
「煩悩を断ぜず五欲を離れず」とあり、
【天台大師の摩訶止観〔まかしかん〕に云はく】
また、天台大師の摩訶止観には
【「煩悩即菩提〔ぼんのうそくぼだい〕、】
「煩悩がそのまま菩提となり、
【生死即涅槃〔しょうじそくねはん〕」等云云。】
生死がそのまま涅槃の境界となる」とあります。
【竜樹菩薩の大論に法華経の一代にすぐれていみじきやうを釈して云はく】
また、竜樹菩薩の大論には、法華経が一代諸経に勝れている事を解釈して、
【「譬へば大薬師の能〔よ〕く毒を変じて薬と為すが如し」等云云。】
「たとえば大薬師がよく毒を変じて薬とするごとし」と言われています。
【「小薬師は薬を以て病を治す、】
それは、普通の薬師は、薬を以って病を治しますが、
【大医は大毒をもって大重病を治す」等云云。】
優れた医者は、大毒を以って大重病を治すと言う意味なのです。
【日蓮花押】
日蓮花押
【四条金吾殿御返事】
四条金吾殿御返事