日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


観心本尊抄 9 心具の六道


第8章 心具の六道

【問うて曰く、経文並びに】
それでは、質問しますが、法華経の文章と、

【天台・章安等の解釈〔げしゃく〕は疑網〔ぎもう〕無〔な〕し、】
また天台や章安など解釈に疑う余地がない事はわかりました。

【但し火を以〔もっ〕て水と云ひ墨を以て白しと云ふ、】
しかし、いかに火を水と言い、黒い墨をもって白と言う事は、

【設ひ仏説たりと雖〔いえど〕も信を取り難し。】
いかに仏説であってもやはり信じられない事ではないでしょうか。

【今数〔しばしば〕他面を見るに】
現に他人の姿をじっくりと観察したとしても、

【但〔ただ〕人界に限って余界を見ず、】
ただ人界ばかりであって他の九界は見られないではないですか。

【自面も亦復〔またまた〕是くの如し。】
さらに自分の姿を見ても、また人界ばかりのようですが、

【如何〔いかん〕が信心を立てんや。】
どうして十界が互具すると信じられるでしょうか。

【答ふ、数他面を見るに、或時は喜び、】
それに答えましょう。現に他人の姿を見ると、ある時は喜び、

【或時は瞋〔いか〕り、或時は平〔たい〕らかに、】
ある時はいかり、ある時は穏やかであり、

【或時は貪〔むさぼ〕り現じ、】
ある時はむさぼり、

【或時は癡〔おろ〕か現じ、或時は諂曲〔てんごく〕なり。】
ある時はおろかであり、ある時はうぬぼれるのです。

【瞋るは地獄、貧るは餓鬼、癡かは畜生、】
これは、すべて六道の姿であって、いかるは地獄、むさぼるは餓鬼、おろかは畜生、

【諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。】
うぬぼれは修羅、喜ぶは天界、穏やかなるは人界なのです。

【他面の色法に於ては六道共に之有り、】
このように他人の相には六道がすべて具わり、

【四聖は冥伏〔みょうぶく〕して現はれざれども】
四聖は隠れていて日常には現われないけれども、

【委細〔いさい〕に之を尋〔たず〕ぬれば之有るべし。】
詳しく調べて見れば必ず具わっているのです。


ページのトップへ戻る