御書研鑚の集い 御書研鑽資料
観心本尊抄 28 本門正宗の文を引く
第27章 本門正宗の文を引く
【又弥勒菩薩疑請〔ぎしょう〕して云はく、経に云はく】
本門涌出品で弥勒菩薩が多くの疑いに対して
【「我等は復仏の随宜〔ずいぎ〕の所説、】
「私達は、釈迦牟尼仏が衆生の歓ぶような色々な法を説き、
【仏所出〔しょすい〕の言〔みこと〕、】
また釈迦牟尼仏が衆生に合わせて色々な法を説き、
【未だ曾〔かつ〕て虚妄〔こもう〕ならず、】
しかもその説法にはいまだ間違いがなく、
【仏の所知〔しょち〕は皆悉〔ことごと〕く】
仏の智慧は、すべての法とまったく
【通達〔つうだつ〕したまへりと信ずと雖も、】
矛盾がないと信じているけれども、
【然〔しか〕も諸の新発意〔しんぼっち〕の菩薩、仏の滅後に於て】
多くの新しい菩薩達が釈迦牟尼仏の滅後において、
【若〔も〕し是の語〔みこと〕を聞かば、】
地涌の菩薩が釈迦牟尼仏の久遠以来の弟子であるとの涌出品の説法を聞いて、
【或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん。】
理解出来ず疑いを持ち、仏法破壊の罪を作る原因となるかも知れません。
【唯〔ただ〕然〔しか〕なり世尊、願はくは為〔ため〕に解説〔げせつ〕して、】
どうか世尊よ、私達の為に更に詳しくこれを解説して、
【我等が疑ひを除〔のぞ〕きたまへ。及び未来世〔みらいせ〕の諸の善男子】
私達の疑いを除いてください。そうすれば未来世の多くの仏弟子達も、
【此の事を聞き已〔お〕はりなば、亦〔また〕疑ひを生ぜじ」等云云。】
この事を聞いて疑いを持たないでしょう」と説かれています。
【文の意は寿量の法門は】
この経文の意義は、涌出品の次に説かれた寿量品を
【滅後の為に之を請〔しょう〕ずるなり。】
滅後の衆生が疑う事がないようにする為なのです。
【寿量品に云はく】
寿量品には、久遠の下種を忘れた者について
【「或は本心を失へる、或は失はざる者あり。】
「誤って毒薬を飲んだ者は、ある者は本心を失い、ある者は、本心を失わなかった。
【乃至心を失はざる者は、此の良薬〔ろうやく〕の】
そして本心を失っていない者は、医師である父が
【色香〔しきこう〕倶〔とも〕に好〔よ〕きを見て、】
色も香りも素晴らしい薬を与えたところ、
【即便〔すなわち〕之を服するに】
これを服する事によって、
【病尽〔ことごと〕く除〔のぞ〕こり癒〔い〕えぬ」等云云。】
すぐに病は、回復する事が出来た」と説かれています。
【久遠下種・大通結縁、】
この経文の意味は、久遠に下種され、大通仏の十六王子、
【乃至前四味・迹門等の】
華厳経、阿含経、方等経、般若経、法華経迹門を経て
【一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する是なり。】
すべての菩薩や二乗、人天などが法華経本門で成仏する事を譬えているのです。
【経に云はく「余の心を失へる者は、】
また、この寿量品に「毒薬を飲んで本心を失っている者は、
【其の父の来たれるを見て、亦〔また〕歓喜し、】
自分たちの父が帰って来たのを見て喜び、
【問訊〔もんじん〕して病を治〔じ〕せんことを求索〔もと〕むと雖も、】
医師である父に病を治して欲しいと訴えながらも、
【然〔しか〕も其の薬を与ふるに、而〔しか〕も肯〔あ〕へて服せず。】
その父が薬を与えても、なお服さなかったのです。
【所以〔ゆえん〕は何〔いかん〕。】
それは、なぜかと言うと
【毒気〔どっけ〕深く入〔い〕って、本心を失へるが故に、】
毒が身体の奥深くに入って本心を失っている為に
【此の好〔よ〕き色香ある薬に於て、美〔うま〕からずと謂〔おも〕へり。】
美味しい薬を不味いと感じてしまっていたからなのです。
【乃至我〔われ〕今当〔まさ〕に方便を設〔もう〕けて、此の薬を服せしむべし。】
そこでこの父親は、方便を用いてこの薬を服せしめようと考えたのです。
【乃至是の好き良薬〔ろうやく〕を今留〔とど〕めて此に在〔お〕く、】
ここに素晴らしい薬を置いておくから飲みなさい。
【汝取って服すべし。差〔い〕えじと憂〔うれ〕ふること勿〔なか〕れと。】
必ず病は、良くなりますよと言って
【是の教へを作〔な〕し已〔お〕はって復〔また〕他国に至り、】
他国へ旅立ってしまったのです。
【使ひを遣〔つか〕はして】
そして使い者をやって父が死んだと嘘を告げると、やっと本心を失った子供達は
【還って告ぐ」等云云。】
父の言葉を信じて薬を服し病を治す事が出来た」と説かれています。
【分別功徳品に云はく「悪世末法の時」等】
また分別功徳品には「悪世末法の時」と説かれていますが、
【云云。問うて曰く、】
これもまた寿量品が末法の為に説かれている証拠なのです。それでは質問しますが、
【此の経文の「遣使還告」は】
寿量品に「使い者をやって父が死んだと嘘を告げる」とありますが、
【如何。】
これはどういう意味なのですか。
【答へて曰く、四依〔しえ〕なり。】
それに答えると、仏の使いというのは、四依の菩薩、人師のことです。
【四依に四類有り。】
四依には、四種類あります。
【小乗の四依は多分は】
第一に小乗の四依は、迦葉、阿難を初めとして、その多くは
【正法の前の五百年に出現〔しゅつげん〕す。】
正法時代の前五百年に出現しました。
【大乗の四依は多分は】
第二に大乗の四依は、竜樹、天親を初めとして、多くは
【正法の後の五百年に出現す。】
正法時代の後五百年に出現しました。
【三に迹門の四依は多分は像法一千年、】
第三に迹門の四依は、南岳大師、天台大師などで、多くは像法時代に出現し、
【少分は末法の初めなり。】
少しだけ末法の初めに出現しました。
【四に本門の四依は地涌千界、末法の始めに必ず出現すべし。】
第四に本門の四依は、地涌千界の大菩薩であり、必ず末法に出現するのです。
【今の「遣使還告」は地涌なり。】
この「使い者」とは、地涌の菩薩の事です。
【「是好良薬」とは寿量品の肝要たる】
「この素晴らしい良薬」とは寿量品の肝心である
【名体宗用教〔みょうたいしゅうゆうきょう〕の南無妙法蓮華経是〔これ〕なり。】
名体宗用教の南無妙法蓮華経、つまり三大秘法の大御本尊の事なのです。
【此の良薬をば仏猶〔なお〕迹化に授与したまはず。】
この良薬を釈迦牟尼仏は、自分の直弟子である迹化の菩薩に授与しなかったのです。
【何に況んや他方をや。】
まして他方の国土から来た菩薩に付嘱するわけがないのです。