日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


観心本尊抄 10 心具の三聖


第9章 心具の三聖

【問うて曰く、六道に於て分明ならずと雖も、】
それでは、質問しますが、六道については、

【粗〔ほぼ〕之を聞くに之を備〔そな〕ふるに似〔に〕たり。】
まだよくわからないけれども、今の説明で少しは理解できました。

【四聖は全〔まった〕く見えざるは如何。】
しかし、四聖があると言う事は、まったく理解できません。

【答へて曰く、前〔さき〕には人界の六道之を疑ふ、】
それに答えると、以前は六道を疑っていたので、

【然りと雖も強〔し〕ひて之を言って】
強いて一々に相似した事例を引いて、

【相似〔そうじ〕の言〔ことば〕を出〔い〕だせしなり、】
それでその概略が少しはわかったのでしょう。

【四聖も又爾〔しか〕るべきか。】
四聖もまたこれと同じなのです。

【試〔こころ〕みに道理を添加〔てんか〕して万が一之を宣べん。】
それで試みに道理によって多くの説明を加えましよう。

【所以〔いわゆる〕世間の】
ようするに世間の姿を見てみると、

【無常は眼前に有り、】
常に移り変わって行く有為転変している状態が眼の前にあります。

【豈〔あに〕】
この無常を、日夜見ている事は、

【人界に二乗界無からんや。】
人界にすべての無常を悟ったという二乗界がある証拠ではないでしょうか。

【無顧〔むこ〕の悪人も猶〔なお〕妻子を慈愛〔じあい〕す、】
まったく他を顧りみることのない悪人も自分の妻子には慈愛の念を持っているのは、

【菩薩界の一分なり。】
人界に具っている菩薩界の一分ではないでしょうか。

【但〔ただ〕仏界計り現じ難〔がた〕し、】
ただし、仏界ばかりは、現実には、現れ難いのです。

【九界を具するを以て強ひて之を信じ、】
しかし、すでに九界を具している事がわかった以上、

【疑惑〔ぎわく〕せしむること勿〔なか〕れ。】
強いて仏界がある事は信じて疑ってはならないのです。

【法華経の文に人界を説いて云はく「衆生をして仏知見〔ぶっちけん〕を】
法華経の方便品に人界を説いて「衆生をして仏の知見を

【開かしめんと欲す」と。】
開かしめようと諸仏世尊は、この世に出現し給うのである」と説かれています。

【涅槃経に云はく「大乗を学する者は肉眼〔にくげん〕有りと雖も】
涅槃経には「大乗を学する者は、物を見る時に肉眼で見ているが、

【名づけて仏眼〔ぶつげん〕と為〔な〕す」等云云。】
それを仏眼であると言うのである」と説かれています。

【末代の凡夫出生〔しゅっしょう〕して法華経を信ずるは】
このように末法の凡夫が人間と生まれてきて法華経を信ずるのは

【人界に仏界を具足〔ぐそく〕する故なり。】
人界にもともと仏界が具わっている証拠なのです。


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