日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


観心本尊抄 13 教論に約して問う


第12章 教論に約して問う

【此を以て之を思ふに、】
以上のように十界互具、一念三千を信じられない事から考えてみると、

【爾前の諸経は実事なり実語なり。】
法華経は、間違いであって爾前経が真実であり仏の正しい教えと言えます。

【華厳経に云はく「究竟〔くきょう〕して】
それ故に華厳経に「初住の悟りの姿は、究極であり、

【虚妄〔こもう〕を離れ染〔ぜん〕無〔な〕きこと虚空〔こくう〕の如し」と。】
煩悩の虚妄を離れて清らかであることは大空のようだ」と説かれているのです。

【仁王経に云はく「源を窮〔きわ〕め性〔しょう〕を尽くして】
また仁王経には「大いなる悟りを得て涅槃に至れば、無明の本源を究めて

【妙智存せり」と。金剛般若経に云はく】
無明の本性をすべて除き妙智のみがある」と説かれています。また金剛般若経には

【「清浄〔しょうじょう〕の善のみ有り」と。】
「悟りに至れば清浄〔しょうじょう〕の善のみがある」と説かれています。

【馬鳴〔めみょう〕菩薩の起信〔きしん〕論に云はく】
また仏滅後においても馬鳴菩薩の起信論には

【「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」と。】
「如来蔵の中には、清浄の功徳のみがある」と説かれています。

【天親菩薩の唯識〔ゆいしき〕論に云はく】
天親菩薩の唯識論には

【「謂はく、余の有漏〔うろ〕と劣の無漏〔むろ〕と種は、】
「煩悩障と所知障を捨て去った衆生の生命と劣応身の生命の阿頼耶識には、

【金剛喩定〔こんごうゆじょう〕が現在前〔げんざいぜん〕する時、】
菩薩の最高位である金剛のように固く心を静める修行によって、

【極円明〔ごくえんみょう〕の純浄〔じゅんじょう〕の本識を引く。】
まったく何も欠ける事がない明浄なる本識が具わっているのである。

【彼の依〔え〕に非〔あら〕ざるが故に】
衆生や劣応身の生命の阿頼耶識を拠り所とはせず、この修行を拠り所とするから、

【皆永く棄捨〔きしゃ〕す」等云云。】
煩悩生死を永く捨て去る事が出来る」と説かれています。

【爾前の経々と法華経と之を校量〔きょうりょう〕するに彼の経々は無数なり】
爾前の経々と法華経と比較してみると爾前経は無数であり、

【時説既〔すで〕に長し、】
説く期間も四十余年にわたり、法華経はただ一経であり、八年である。

【一仏の二言ならば彼に付くべし。】
そうであるならば爾前と法華の説に相違があるならば、爾前経につくべきである。

【馬鳴菩薩は付法蔵の第十一、】
また、馬鳴菩薩は、付法蔵の第十一において、

【仏記に之有り。】
仏から未来に出現すると書かれた方であり、

【天親は千部の論師、】
天親菩薩は、千部を現した論師で仏法者が模範とするべき大菩薩なのです。

【四依〔しえ〕の大士なり。】
どうしてその馬鳴や天親の説くところに間違いがあるでしょうか。

【天台大師は辺鄙〔へんぴ〕の】
それに比較して天台大師は、仏教発祥のインドからはるかに離れた辺境の

【小僧にして一論をも宣べず、】
中国に生まれた小僧であっていまだ一論さえ述べていないのです。

【誰か之を信ぜん。】
どうして天台を信ずる事が出来ましょうか。

【其の上多を捨て小に付くとも法華経の文分明ならば】
その上にまたあるいは、多くの爾前経を捨てて法華経の文章の中に

【少し恃怙〔じこ〕有らんも、】
少しでも一念三千を説いた明らかな文章があれば理解も出来るのですが、

【法華経の文に何〔いず〕れの所にか十界互具・百界千如・一念三千の】
法華経の文章のどこに十界互具、百界千如、一念三千の

【分明なる証文之〔これ〕有りや。】
明らかな証文があるのでしょうか。そんなものはないのです。

【随って経文を開拓するに】
さらに法華経を開いて見ると方便品では

【「諸法の中の悪を断じたまへり」等】
「諸法の中の悪を断じ給えり」と説かれていて、

【云云。】
仏界には九界の悪が具わっていない事が説かれています。

【天親〔てんじん〕菩薩の法華論にも、】
ゆえに天親菩薩の法華論にも、

【堅慧〔けんね〕菩薩の宝性〔ほうしょう〕論にも十界互具之無く、】
堅慧菩薩の宝性論にも十界互具は説かれていないのです。

【漢土南北の諸大人師・】
さらに中国においても、天台以前の南三北七の十派におよぶ諸人師も、

【日本七寺の末師の中にも此の義無し。】
日本における七宗の末師の中にも、十界互具を述べたものはありません。

【但天台一人の僻見〔びゃっけん〕なり、伝教一人の謬伝〔みょうでん〕なり。】
ただ天台一人の間違った見解であり、伝教一人の誤り伝えたものなのです。

【故に清涼〔しょうりょう〕国師の云はく】
ゆえに清涼国師は

【「天台の謬〔あやま〕りなり」と。】
「華厳経を下して法華経を尊重するのは、天台の誤りである」と言われて、

【慧苑〔えおん〕法師の云はく「然るに天台は小乗を呼んで三蔵教と為〔な〕し】
慧苑法師は「天台が小乗経を三蔵教と名づけているが、

【其の名謬濫〔みょうらん〕するを以て」等】
三蔵は小乗教に限らず、大乗経にも経、律、論があるから、

【云云。了洪〔りょうこう〕が云はく「天台独〔ひと〕り】
天台は大小相対を理解していない」と指摘し了洪は「天台の判教は優れているが

【未〔いま〕だ華厳の意を尽くさず」等云云。】
未だに華厳の深意を理解してはいない」と言い、

【得一〔とくいち〕が云はく「咄〔つたな〕いかな智公、】
得一は「愚かな天台よ、

【汝は是〔これ〕誰が弟子ぞ。】
あなたは、いったい誰の弟子なのか、

【三寸に足らざる舌根〔ぜっこん〕を以て】
三寸にも足らない舌をもって仏が説法した時をもてあそび、

【覆面舌〔ふめんぜつ〕の所説の教時を謗ず」等云云。弘法大師の云はく】
自己流の五時八教などを立てている」と言い、日本の弘法大師は

【「震旦〔しんだん〕の人師等諍〔あらそ〕って醍醐〔だいご〕を盗んで】
「中国の人師は、六波羅蜜経の陀羅尼蔵を醍醐味として盗んで

【各〔おのおの〕自宗に名づく」等云云。】
自宗に取り入れており、天台もまたこれと同じである」と言っています。

【夫〔それ〕一念三千の法門は一代の権実に名目〔みょうもく〕を削〔けず〕り、】
このように一念三千の法門は、釈尊一代の権教にも実教にも説かれておらず、

【四依の諸論師其の義を載〔の〕せず、】
釈迦滅後の四依の論師も、その意義をのせていない。

【漢土日域〔にちいき〕の人師も之を用ひず。】
また、中国、日本の人師も誰一人、これを正しいとは思っていない。

【如何〔いかん〕が之を信ぜん。】
どうしてこれを信ずる事が出来るでしょうか。


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