御書研鑚の集い 御書研鑽資料
観心本尊抄 30 本化出現の時
第29章 本化出現の時
【疑って云はく、正像二千年の間に】
それでは、疑って尋ねますが、ほんとうに正像二千年の間に
【地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや。】
地涌千界の大菩薩がこの世界に出現してこの経を流通するのでしょうか。
【答へて曰く、爾らず。驚いて云はく、法華経並びに本門は】
それは、違います。いやいや、法華経も、また法華経本門も、
【仏の滅後を以て本と為〔な〕して先〔ま〕づ地涌千界に之を授与す、】
仏滅後を本として地涌の菩薩にこれを授与しているのではないのですか。
【何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや。】
どうして地涌の菩薩は、正像に出現してこの経を弘めないのでしょうか。
【答へて云はく、宣〔の〕べず。重ねて問うて云はく、如何〔いかん〕。】
それは、答えられません。ふたたび質問します。それは、どういう事でしょうか。
【答ふ、之を宣べず。又重ねて問ふ、如何。】
それは、答えられません。ふたたび質問します。それは、どういう事でしょうか。
【答へて曰く、之を宣ぶれば一切世間の諸人、】
これに答えるとすると、すべての人々が
【威音王仏〔いおんのうぶつ〕の末法の如く、】
威音王仏の末法のように、正法誹謗の罪によって地獄に堕ち、
【又我が弟子の中にも粗〔ほぼ〕之を説かば皆誹謗〔ひぼう〕を為すべし、】
また、弟子の中にも、これに疑いを持ち誹謗する事でしょう。
【黙止〔もくし〕せんのみ。】
ですから黙っているしかないのです。
【求めて云はく、説かずんば】
いやいや、そのように重大な事を言わないのであれば、かえって、
【汝慳貪〔けんどん〕に堕〔だ〕せん。】
あなたは、独占罪に堕ちるのではないのですか。
【答へて曰く、進退惟谷〔これきわ〕まれり。】
これは困りました。説く事も出来ず、説かない事も出来ない。
【試みに粗之〔これ〕を説かん。】
進退、きわまってしまいました。それでは、試しに少しだけ説いてみましょう。
【法師品に云はく】
法華経法師品には
【「況んや滅度の後をや」と。】
「いわんや滅度の後をや」と法華経が在世よりも滅後を正とする事が説かれており、
【寿量品に云はく「今留〔とど〕めて此〔ここ〕に在〔お〕く」と。】
法華経寿量品には「このよき良薬を、今、留めてここにおく」とあり、
【分別功徳品に云はく「悪世末法の時」と。薬王品に云はく】
法華経分別功徳品には「悪世末法の時」と説かれています。 法華経薬王品には
【「後五百歳閻浮提に於て】
「後の五百歳に全世界に
【広宣流布せん」と。】
広宣流布するであろう」と明らかに末法の広宣流布を予言しているのです。
【涅槃経に云はく「譬〔たと〕へば七子〔しちし〕あり。】
また涅槃経には「たとえば七人の子供がいるとして
【父母平等ならざるに非〔あら〕ざれども、然〔しか〕も病者に於て】
父母は平等に子供を愛しているが、病気の子供には、
【心則〔すなわ〕ち偏〔ひとえ〕に重きが如し」等云云。】
父母は、特別に心配をするものである」とあります。
【已前〔いぜん〕の明鏡を以て仏意〔ぶっち〕を推知〔すいち〕するに、】
以上の経文で明らかなように仏の真意を考えて見ると釈迦牟尼仏の出世は、
【仏の出世は霊山〔りょうぜん〕八年の諸人の為〔ため〕に非ず、】
釈迦牟尼仏の出世は、霊鷲山で八年にわたり法華経を聞いた人々の為ではなく、
【正像末の人の為なり。】
釈迦滅後の正像末の人々の為に出世したものであり、
【又正像二千年の人の為に非ず、】
また、正像二千年の人々の為ではなく、
【末法の始め予が如〔ごと〕き者の為なり。】
末法の初めに出現する日蓮の為であるのです。
【「然於病者」と云ふは、滅後法華経誹謗の者を指すなり。】
そして「然れども病者に於いて」と言うのは、滅後の法華経誹謗の者を指すのです。
【「今留在此」とは「此の好〔よ〕き色香ある味〔あじ〕に於て】
「今、留めてここに置く」とは、
【美〔うま〕からずと謂〔おも〕ふ」の者を指すなり。】
「この美味しい良薬を不味いと思う」と言う正法誹謗の者を指すのです。
【地涌千界正像に出〔い〕でざるは、】
地涌千界の大菩薩が正像二千年に出現しなかったのは、
【正法一千年の間は小乗・権大乗なり、】
正法一千年の間は小乗教、権大乗教の時代であって
【機時共に之無し。】
三大秘法の流布される時代ではなかったからなのです。
【四依の大士小権を以て縁と為して】
この時代の四依の菩薩達は、大乗教や権教を縁として、
【在世の下種之を脱〔だっ〕せしむ。】
釈迦在世に下種によって、その仏種で解脱出来たのです。
【謗〔ぼう〕多〔おお〕くして熟益〔じゅくやく〕を破るべき故に之を説かず、】
たとえば釈迦牟尼仏が華厳、阿含、方等、般若と四十余年にわたって
【例せば在世の前四味の機根の如し。】
教化してきた衆生と同じなのです。
【像法の中末に観音・薬王、】
像法次代の中頃から末へかけては、観音菩薩は南岳大師、薬王菩薩は
【南岳・天台等と示現〔じげん〕し出現して、】
南岳大師、天台大師と出現して、
【迹門を以て面〔おもて〕と為し本門を以て裏〔うら〕と為して、】
迹門を面とし、本門を裏となして、
【百界千如、一念三千其の義を尽くせり。】
百界千如、一念三千の法門を説きその意義を説き尽くしました。
【但理具〔りぐ〕を論じて】
しかしこれは、ただ理論的に仏界を具する事を論じたものであって
【事行〔じぎょう〕の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、】
事行の南無妙法蓮華経の五字ならびに本門の本尊については
【未だ広く之を行ぜず。】
未だ広くこれを行ずることはなかったのです。
【所詮〔しょせん〕円機〔えんき〕有って】
それは、衆生の機根は、少しは整っていたけれども、
【円時〔えんじ〕無き故なり。】
未だ事行の南無妙法蓮華経が弘通される時代ではなかったからなのです。
【今末法の初め、小を以て大を打ち権を以て実を破し、】
今、末法の初めとなって小乗をもって大乗を打ち、権教をもって実教を破り、
【東西共に之を失〔しっ〕し天地□倒〔てんちてんどう〕せり。】
東と西の意味さえ失って、天地が顛倒する大混乱の時代となりました。
【迹化の四依は隠〔かく〕れて現前〔げんぜん〕せず、】
像法時代に正法を弘めた四依の菩薩は、すでに隠れて現われず、
【諸天其〔そ〕の国を棄〔す〕て之を守護せず。】
諸天善神は、謗法の国を捨て去って守護せず、
【此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、】
この時にあたって地涌の菩薩が初めて世に出現し、
【但〔ただ〕妙法蓮華経の五字を以て幼稚〔ようち〕に服せしむ。】
ただ妙法蓮華経の五字をもって良薬として幼稚の衆生に服せしめるのです。
【「謗に因〔よ〕って悪に堕つは、】
妙楽大師が言った「法謗によって六悪道に堕ち、
【必ず因って益を得〔う〕」とは是なり。】
必ずそれによって大利益を得る」とはこの事なのです。
【我が弟子之を惟〔おも〕へ、】
我が弟子達は、このことをよく考えて、
【地涌千界は教主釈尊の初発心〔しょほっしん〕の弟子なり。】
地涌千界は教主釈尊の五百塵点劫からの弟子であることを知るべきなのです。
【寂滅道場にも来たらず双林〔そうりん〕】
それなのに釈尊の最初の説法である寂滅道場の華厳経の時も居ず、
【最後にも訪〔とぶら〕はず、不孝の失〔とが〕之〔これ〕有り。】
また最後の説法である涅槃経の時も来て居ず、これは不孝の者と言うべきです。
【迹門の十四品にも来たらず】
法華経においても迹門の十四品には居ず、
【本門の六品には座を立ち、】
また本門に入っても薬王品第二十三以後の六品には座を立って、
【但八品の間に】
釈尊五十年の説法中、法華経本門涌出品から嘱累品までの八品の間だけ
【来還〔らいげん〕せり。是くの如き高貴〔こうき〕の大菩薩、】
居るにすぎないのです。このような位が高い大菩薩が、
【三仏に約束して之を受持す。】
釈迦、多宝、分身の三仏に約束して、これを譲り与えられ受持しているのです。
【末法の初めに出でたまはざるべきか。】
どうして、このような大菩薩が末法の初めに出現しない事があるでしょうか。
【当〔まさ〕に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は】
まさに知るべきです。この四菩薩は、折伏を現じる時には、
【賢王〔けんのう〕と成〔な〕って愚王〔ぐおう〕を誡責〔かいしゃく〕し、】
賢王と成って愚王を攻め、
【摂受〔しょうじゅ〕を行ずる時は僧と成って正法を弘持〔ぐじ〕す。】
摂受を行ずる時には、聖僧と成って正法を護持するのです。