日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


観心本尊抄 16 所受の本尊の徳用


第15章 所受の本尊の徳用

【但し初めの大難を遮〔しゃ〕せば、無量義経に云はく】
さて話を先ほどの大きな難題に戻せば、無量義経には、このように説かれています。

【「譬〔たと〕へば国王と夫人〔ぶにん〕と新〔あら〕たに王子を生ぜん。】
「あるところで国王とその夫人の間にひとりの王子が生まれました。

【若〔も〕しは一日若しは二日若しは七日に至り、】
そして一日、二日そして七日と日が経ち、

【若しは一月若しは二月若しは七月に至り、】
また、ひと月ふた月そして七ケ月と経って、

【若しは一歳若しは二歳若しは七歳に至り、】
さらに王子は、一歳、二歳そして七歳となりました。

【復〔また〕国事を領理〔りょうり〕すること能〔あた〕はずと雖も、】
まだ、幼いので一国の政治を行う事は、出来ませんでしたが、

【已〔すで〕に臣民に宗敬〔そうきょう〕せられ】
それでも、すでに多くの人々から王子として敬われて、

【諸の大王の子を以〔もっ〕て伴侶と為〔せ〕ん。】
他国の王子からも認められるようになりました。

【王及び夫人の愛心偏〔ひとえ〕に重くして】
父である国王やその婦人も、この王子の成長を最重要なことと考えて、

【常に与〔く〕みし共〔とも〕に語らん。所以〔ゆえん〕は何〔いかん〕、】
常にこの王子の事を語り合ったのです。それは、なぜかと言うと、

【稚小〔ちしょう〕なるを以ての故にといはんが如く、】
未だ、この王子は幼く、国王自らが守らなければならなかったからなのです。

【善男子是〔こ〕の持経者も亦復〔またまた〕是くの如し。】
紳士諸君、この法華経を信じ持〔たも〕つ者も、またこれと同じなのです。

【諸仏の国王と是の経の夫人と和合して】
国王である仏とその婦人である法華経が

【共に是の菩薩の子〔みこ〕を生ず、】
一緒になって、この王子である菩薩が生れたのです。

【若〔も〕し菩薩是の経を聞くことを得て、若しは一句若しは一偈、】
もし、この菩薩が法華経を聞いて、この法華経の一句でも一偈でも、

【若しは一転若しは二転、若しは十若しは百、】
一人にでも、二人にでも、あるいは、十人にでも、百人にでも、

【若しは千若しは万、】
千人にであっても、万人にであっても、

【若しは億万恒河沙〔ごうがしゃ〕無量無数転せば、】
または、数えられないほどの多くの人々にでも、教えていけば、

【復真理の極〔ごく〕を体すること能〔あた〕はずと雖も、】
末だ真理の極地を身に体する事は、出来なくても、

【乃至已〔すで〕に一切の四衆八部に宗〔たっと〕み仰〔あお〕がれ、】
すでに、すべての仏教者から、尊ばれ、仰ぎ見られる

【諸の大菩薩を以て眷属と為〔せ〕ん、乃至常に諸仏に護念せられ】
大菩薩であって、常に仏に心をかけられる存在であり、

【慈愛偏〔ひとえ〕に覆〔おお〕はれん。】
慈愛をもってその成長を見守られる事でしょう。

【新学〔しんがく〕なるを以ての故に」等】
それは、この人がまだ仏法を学んで新しいからなのです」と

【云云。普賢経に云はく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵】
このように譬えられています。普賢経には「この大乗経典は、諸仏の宝の蔵であり、

【十方三世の諸仏の眼目〔げんもく〕なり、】
三世十方の諸仏の眼目であるのです。

【乃至三世の諸〔もろもろ〕の如来を出生する種〔たね〕なり、】
現在、過去、未来の三世の諸仏は、この大乗経典によって生まれたのです。

【乃至汝大乗を行じて】
あなたは、この大乗経典を修行して、

【仏種〔ぶっしゅ〕を断ぜざれ」等】
仏になる原因を失くしてしまわないようにしなければなりません」と

【云云。又云はく「此の方等経は是諸仏の眼〔まなこ〕なり、】
説かれています。また「この法華経は諸仏の眼目である。

【諸仏是〔これ〕に因〔よ〕って】
諸仏はこの法華経を原因として

【五眼〔ごげん〕を具することを得〔う〕、】
肉眼の上に天眼、慧眼、法眼、仏眼の五眼を具える事が出来たのです。

【仏の三種の身は方等より生ず、】
仏の報身、応身、法身の三身は、法華経により生れるのであり、

【是大法印にして涅槃海〔ねはんかい〕に印〔いん〕す。】
この法華経こそ、すべての根本の原因であり、生死の海を渡る道しるべなのです。

【此くの如き海中能〔よ〕く】
このように法華経によって生死の海の中でこそ、

【三種の仏の清浄の身を生ず。】
三身如来の清浄な身体が生じるのです。

【此の三種の身は人天〔にんでん〕の】
この報身、応身、法身の三種類の身体こそ、人界や天界の

【福田〔ふくでん〕なり」等云云。】
良質の田であるのです」と説かれています。

【夫〔それ〕以〔おもんみ〕れば、釈迦如来の一代、】
考えてみると、釈迦如来の一代の説法の中には、

【顕密・大小の二教、】
顕教もあり、密教もあり、さらに大乗教もあり、小乗教もあります。

【華厳・真言等の諸宗の依経、】
その中には、華厳宗、真言宗などの諸宗派の拠りどころとなる教えもあり、

【往〔ゆ〕いて之を勘〔かんが〕ふるに、】
これらを考えて見ると、

【或は十方台葉〔だいよう〕の毘盧遮那〔びるしゃな〕仏、】
有る時は、十方蓮華台の上の毘盧遮那仏を華厳経で説き、

【大集雲集〔だいしゅううんじゅう〕の諸仏如来、】
大集教には、諸仏如来が雲のように集まったと説き、

【般若染浄〔ぜんじょう〕の千仏示現〔じげん〕、】
般若経には、染浄の千仏が示し現れたと説き、

【大日・金剛頂等の千二百尊、】
大日経や金剛頂などの経には千二百余尊などを説いて、

【但其の近因近果〔ごんいんごんが〕を演説して】
ただ、その身近な原因と結果を説いているだけで、

【其の遠〔おん〕の因果を顕はさず、】
末だに久遠の本当の原因と結果を説き顕わしてはいません。

【速疾頓成〔そくしつとんじょう〕之〔これ〕を説けども】
その中で即身成仏である速疾頓上を説いているとは言っても、

【三・五の遠化〔おんけ〕を亡失〔もうしつ〕し、】
三千塵点劫、五百塵点劫の久遠の過去を忘れて、

【化導の始終〔しじゅう〕跡を削りて見えず。】
真実の成仏の原因となる修行は、まったくわからないのです。

【華厳経・大日経等は一往之を見るに】
華厳経、大日経などを見ると一見すると

【別円四蔵〔しぞう〕等に似たれども、】
天台の化法の四教の中の円教、別教に似て成仏が出来る教えのようであっても、

【再往之を勘ふれば】
結局は、蔵教、通教と同じであって、

【蔵通二教に同じて】
三界、六道を対象として説いた劣った法門であり、

【未だ別円にも及ばず。】
いまだ別教、円教には遠く及ばないのです。

【本有〔ほんぬ〕の三因之無し、】
もともと存在している三因仏性が説かれていないのに、

【何を以てか仏の種子を定めん。】
どうして成仏の原因をこれだと決定する事が出来るのでしょうか。

【而〔しか〕るに】
それにもかかわらず、

【新訳の訳者等漢土に来入するの日、】
玄奘以後の新訳の翻訳者達は、中国へ仏教の経典を持ってきて翻訳する時に、

【天台の一念三千の法門を見聞して、或は自らの所持の経々に添加し、】
天台の一念三千の法門を見聞して、自分の持ってきた経文に盗み入れて

【或は天竺〔てんじく〕より受持するの由之を称す。】
インドの経文の原本に一念三千の法門があると主張したのです。

【天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び、】
天台の学者は、他宗でも天台と同じように一念三千を説くのを喜び、

【或は遠きを貴びて近きを蔑〔あなず〕り、】
他宗派を尊び、自らの天台宗を蔑んで、

【或は旧〔く〕を捨てヽ新を取り、】
それなのに天台の説いた法門を捨てて、これらの新訳の教義を信じて、

【魔心〔ましん〕・愚心〔ぐしん〕出来す。】
魔の通力によって愚かな虚栄心が出来し、仏教を破壊したのです。

【然りと雖も詮ずる所は】
しかし、結局のところ、それらは仏になる為のほんとうの原因である

【一念三千の仏種に非ざれば、】
一念三千ではないので、

【有情〔うじょう〕の成仏・木画〔もくえ〕二像の本尊は】
有情の成仏も木像、画像の本尊もまったくの有名無実であって、

【有名無実〔うみょうむじつ〕なり。】
それになんの意味も利益もなかったのです。


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