日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


観心本尊抄 15 教主の難問


第14章 教主の難問

【但し会〔え〕し難き所は上の教主釈尊等の大難なり。】
しかし、この矛盾を理解しがたい事は、教主釈尊にとって大きな難題なのです。

【此の事を仏遮会〔しゃえ〕して云はく「已今当説、】
法師品には「今まで説いた爾前経、今、説く法華経、今から説く涅槃経において、

【最為難信難解」と。】
この法華経は最も難信難解である」と言われ、

【次〔つぎ〕下〔しも〕の】
次の法華経、宝塔品において諸経は易信易解、法華経は難信難解と

【六難九易是なり。】
六難九易の比喩を以って示しているのがこれなのです。

【天台大師云はく「二門悉〔ことごと〕く】
天台大師も法華文句において「法華経の迹門に二乗作仏十界互具を説き、

【昔と反すれば信じ難く解し難し。】
本門に久遠実成を説くが、その二門ともに信じ難く、理解しがたい。

【鋒〔ほこさき〕に当たるの難事なり」と。】
戦場で剣の刃に弓矢が当たるほどに難しい事である」と書かれています。

【章安大師の云はく「仏此を将〔もっ〕て大事と為〔な〕す、】
章安大師は「仏は、この法華経を出世の本懐として説かれているのですから、

【何ぞ解し易きことを得〔う〕べけんや」と。】
どうして理解しやすいと言う事があるのか」と言われています。

【伝教大師云はく「此の法華経は最も是〔こ〕れ難信難解なり、】
日本の伝教大師は「この法華経は最も難信難解である。

【随自意の故に」等】
なぜなら仏の悟りをそのまま説く随自意の教えであるからである」と

【云云。夫〔それ〕仏より滅後一千八百余年に至るまで、】
言われています。釈尊滅後一千八百余年の間に

【三国に経歴〔きょうりゃく〕して】
インド、中国、日本の三国において、

【但〔ただ〕三人のみ有りて始めて此の正法を覚知せり。】
わずかに三人だけがこの正法を理解したに過ぎないのです。

【所謂月支〔がっし〕の釈尊、真旦〔しんだん〕の智者大師、日域の伝教】
それはインドの釈尊と中国の天台智者大師と日本の伝教大師の三人であり、

【此の三人は内典の聖人なり。】
この三人は、実に仏教において聖人と呼ぶべきなのです。

【問うて曰く、竜樹・天親等は如何。】
それでは質問しますが、竜樹や天親などはどうなのでしょうか。

【答へて曰く、此等の聖人は知って】
それに答えるとすると、これらの聖人は、心の中では知っていましたが、

【之〔これ〕を言はざる仁なり。或は迹門の一分之〔これ〕を宣べて】
外には現わさなかった人達なのです。法華経迹門の一部分の教義は、述べましたが、

【本門と観心とを云はず、】
法華経本門と観心については、まったく説き顕す事はありませんでした。

【或は機有って】
この時代では、一念三千を理解出来る衆生はあっても

【時無きか、】
未だ説くべき時代ではなかったのか、

【或は機と時と共に之無きか。】
また、そういう機会でも時期でもなかったのでしょう。

【天台・伝教已後は之を知る者多々なり、】
しかしながら、天台、伝教以後は、一念三千を知る者が多くいて、

【二聖の智を用ゆるが故なり。】
すべて天台大師、伝教大師の優れた智慧によってそれを理解出来たのです。

【所謂三論の嘉祥〔かじょう〕、南三北七〔なんさんほくしち〕の百余人、】
いわゆる三論の嘉祥、南三北七の百余人の僧、

【華厳宗の法蔵〔ほうぞう〕・清涼〔しょうりょう〕等、】
華厳宗の法蔵、清涼。

【法相宗の玄奘三蔵〔げんじょうさんぞう〕・慈恩〔じおん〕大師等、】
法相宗の玄奘三蔵、慈恩大師。

【真言宗の善無畏〔ぜんむい〕三蔵・金剛智〔こんごうち〕三蔵・】
真言宗の善無畏三蔵、金剛智三蔵、

【不空〔ふくう〕三蔵等、律宗の道宣〔どうせん〕等初めには反逆を存し、】
不空三蔵。律宗の道宣など、はじめは、これに反逆したものの、

【後には一向に帰伏〔きぶく〕せしなり。】
最終的には、ことごとく天台に従わざるを得なかったのです。


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