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観心本尊抄 12 教主に約して問う
第11章 教主に約して問う
【問うて曰く、】
それでは質問します。
【教主釈尊は(此より堅固に之を秘す)】
教主釈尊は(これより本尊受持即観心にして堅固にこれを秘せよ)
【三惑〔さんなく〕已断〔いだん〕の仏なり、】
見思、塵沙、無明の三惑をすでに断じ尽くした仏であります。
【又十方世界の国主・】
また、教主釈尊は、十方世界の国主であり、
【一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり。】
菩薩、二乗、人界、天界、すべての衆生の主君なのです。
【行〔みゆき〕の時は梵天左に在り帝釈右に侍〔はべ〕り、】
歩まれる時は、大梵天王が左に帝釈天王が右に付き従い、
【四衆八部後〔しりえ〕に聳〔したが〕ひ金剛前〔さき〕に導き、】
四部衆、八部衆がその後に従い、金剛神は、前で導き、
【八万法蔵を演説して一切衆生を得脱〔とくだつ〕せしむ。】
八万法蔵といわれる一切経を説いて、すべての衆生を得脱させたのです。
【是くの如き仏陀〔ぶっだ〕何を以て】
このような仏が、どうして
【我等凡夫の己心〔こしん〕に住せしめんや。】
私達のような凡夫の心に居られるという事があるでしょうか。
【又迹門爾前の意〔こころ〕を以て之を論ずれば、】
また、法華経の迹門や爾前経などの意義をもってこれを論ずるならば、
【教主釈尊は始成〔しじょう〕正覚の仏なり。】
教主釈尊は、十九歳で出家し、三十歳で成道した仏なのです。
【過去の因行〔いんぎょう〕を尋ね求むれば、】
過去世にどのような修行をされたかと言えば、
【或は能施〔のうせ〕太子、或は儒童〔じゅどう〕菩薩、】
ある時は能施太子、ある時は儒童菩薩、
【或は尸毘〔しび〕王、或は薩□〔さった〕王子、】
ある時は尸毘王、ある時は薩□王子と生まれ、
【或は三祇〔さんぎ〕・百劫〔ひゃっこう〕、】
このような菩薩行を蔵教において三大阿僧祇百大劫の間、行じられたと説き、
【或は動踰塵劫〔どうゆじんこう〕、或は無量阿僧祇劫、】
通教では動喩塵劫、別教では無量阿僧祇劫の間、行じられたと説き、
【或は初発心時〔しょほっしんじ〕、】
円教では、初発心の時より、四十二位の菩薩行を行じて来たと説いています。
【或は三千塵点等の間、】
また、ある時は、三千塵点劫にわたる修行を説いているのです。
【七万五千・六千・七千等の仏を供養し、】
このような長時にわたり、七万五千、六千、七千の諸仏に供養し、
【劫を積み行満じて今の教主釈尊と成りたまふ。】
劫を積み、修行を満足して今の教主釈尊と成ったのです。
【是くの如き因位の諸行は】
このような仏になる為の原因となる多くの修行は、
【皆我等が己心所具の菩薩界の功徳か。】
すべて私達の己身に具えている菩薩界の功徳であると言うのでしょうか。
【果位を以て之を論ずれば】
また爾前迹門における仏として、これを論ずれば、
【教主釈尊は始成正覚の仏、】
教主釈尊は、過去世における原因によってインドに出現した仏である。
【四十余年の間四教の色身を示現〔じげん〕し、】
そして四十余年の間、蔵通別円の四教を説くごとにそれぞれに仏身を現して、
【爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利益したまふ。】
爾前経、法華迹門、涅槃経を説いて一切衆生を導いて来たのです。
【所謂〔いわゆる〕華蔵の時、十方台上の盧舎那〔るしゃな〕、】
華蔵経の時は、盧舎那仏、
【阿含経の三十四心、断結成道〔だんけつじょうどう〕の仏、】
阿含経の時は、三十四の智慧の心を持ち見思惑を断じた仏、
【方等・般若の千仏等、大日・】
方等、般若の時には、千仏等、大日経、
【金剛頂等の千二百余尊、】
金剛頂経の時には、胎蔵界の七百余尊、金剛界の五百余尊の仏を現し、
【並びに迹門宝塔品の】
法華経迹門において宝塔品第十一の時は、
【四土色身〔しどしきしん〕、】
同居、方便、実報、寂光の四土の仏身を現し、
【涅槃経の或は丈六〔じょうろく〕と見る、】
涅槃経の時には、丈六の仏と現れました。
【或は小身大身と現じ、或は盧舎那と見る、】
また、ある時は、小身、大身と現れ、ある時は、盧舎那報身と現れ、
【或は身虚空〔こくう〕に同じと見る。】
ある時は、その身が虚空と等しい法身仏と現れました。
【四種の身、乃至、八十御入滅には舎利〔しゃり〕を留〔とど〕めて】
このように四種類の身を現じたのです。そうして御年八十歳で入滅されても
【正像末を利益したまふ。】
正法、像法、末法にわたって、その骨をこの世に留められたのです。
【本門を以て之を疑はヾ、】
さらに法華経本門を以って考えれば、この事はまったく疑わしいのです。
【教主釈尊は五百塵点已前〔いぜん〕の仏なり、】
なぜなら教主釈尊は五百塵点劫以前に成仏しているからです。
【因位も又是くの如し。】
そうであれば、その原因でさえも、また五百塵点劫以前となるのではありませんか。
【其〔そ〕れより已来〔このかた〕十方世界に分身し、】
それ以来、娑婆世界と十方世界に分身の仏をつかわして、
【一代聖教を演説して塵数〔じんじゅ〕の衆生を教化〔きょうけ〕したまふ。】
一代聖教を説いて、大地微塵のような多くの衆生に仏教を教えて来たのです。
【本門の所化を以て迹門の所化に比校〔ひきょう〕すれば、】
本門の弟子である衆生と迹門の弟子である衆生を比較すれば、
【一渧〔いってい〕と大海と一塵〔いちじん〕と大山となり。】
一渧の水と大海の水を比べ、一塵と大山のような大きな相違があるでしょう。
【本門の一菩薩を迹門の十方世界の】
本門の地湧の菩薩と迹門の十方世界から来集した
【文殊・観音等に対向〔たいこう〕すれば、】
文殊、観音などの菩薩を比較するならば、
【猴猿〔こうえん〕を以て帝釈に比するに尚〔なお〕及ばず。】
猿と帝釈天よりもさらに大きな相違があるのです。
【其の外十方世界の断惑証果〔だんなくしょうか〕の】
その他にも、十方世界にあって見思惑を断じ尽くした
【二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王、】
二乗や、梵天、帝釈、日月、四天王、四輪王などの天界や、
【乃至無間大城の大火炎等、此等は皆我が一念の十界か、】
また無間地獄の大火炎などが、すべて自分の一念の十界にあるのでしょうか。
【己心の三千か、】
我が己身の三千世間であると言うのでしょうか。
【仏説たりと雖〔いえど〕も之〔これ〕を信ずべからず。】
たとえ仏説であると言っても、これを信ずる事が出来るでしょうか。