御書研鑚の集い 御書研鑽資料
観心本尊抄 31 如来の謙識を明かす
第30章 如来の謙識を明かす
【問うて曰く、仏の記文〔きもん〕は云何〔いかん〕。】
それでは質問しますが、仏の未来記の文章にはどのように書いてあるのでしょうか。
【答へて曰く】
それに答えると、薬王品には
【「後五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と。】
「後の五百歳、末法の初めに全世界に広宣流布する」と説かれています。
【天台大師記して云はく「後五百歳遠く】
天台大師は「後の五百歳、末法の初めにおいて
【妙道に沾〔うるお〕はん」と。】
妙法の大道に潤うであろう」と予言されています。
【妙楽記して云はく「末法の初め冥利〔みょうり〕無きにあらず」と。】
妙楽大師は「末法の初めに優れた利益が現れないと言う事はない」と記述しており、
【伝教大師云はく「正像稍〔やや〕過ぎ已〔お〕はって】
伝教大師は「正像二千年が過ぎ終わって
【末法太〔はなは〕だ近きに有り」等云云。】
末法がすぐそこに近づいている」と言っています。
【「末法太だ近きに有り」の釈は、】
ここで伝教大師が末法がすぐそこに近づいていると言ったのは、
【我が時は正時〔しょうじ〕に非ずと云ふ意なり。】
自らの時代が法華経の正しい流布の時代ではないという意味なのです。
【伝教大師日本にして末法の始めを記して云はく】
伝教大師は、また日本に出現し、末法の初めをこのように記述しています。
【「代〔よ〕を語れば像の終はり末の初め、】
「時代を語れば、像法時代の終わり、末法の初めであり、
【地を尋ぬれば唐の東・羯〔かつ〕の西、】
その土地は、中国の東、カムチャッカ半島の西であり、
【人〔ひと〕を原〔たず〕ぬれば則ち五濁〔ごじょく〕の生〔しょう〕・】
その時代の人間はと言うと五濁が盛んで、
【闘諍〔とうじょう〕の時なり。】
まさに闘諍堅固の時代である。
【経に云はく、猶多怨嫉〔ゆたおんしつ〕】
法華経法師品には、如来の現在ですらなお怨嫉が多い、
【況滅度後〔きょうめつどご〕と。】
いわんや滅度の後は、さらに怨嫉が強く盛んになるであろうと説かれています。
【此の言〔ことば〕良〔まこと〕に以〔ゆえ〕有るなり」と。】
この言葉は、実に深い理由のある事である」と言われているのです。
【此の釈に「闘諍の時」云云、】
伝教大師の解釈文に闘諍の時と言うのは、
【今の自界叛逆〔ほんぎゃく〕・西海侵逼〔しんぴつ〕の二難を指すなり。】
今の自界叛逆、西海侵逼の二難を指すのです。
【此の時地涌千界出現して、】
この予言が的中した時に、地涌千界の大菩薩が世に出現して、
【本門の釈尊を脇士と為〔な〕す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。】
本門の釈尊を脇士となす、全世界、第一の本尊がこの国に建立されるのです。
【月支〔がっし〕・震旦〔しんだん〕に末〔いま〕だ此の本尊有〔ましま〕さず。】
インドにも中国にも未だ出現する事がなかった前代未聞の御本尊なのです。
【日本国の上宮〔じょうぐう〕、四天王寺を建立すれども】
日本では、聖徳太子が四天王寺を建立したけれども、
【末だ時来たらざれば、】
未だ大御本尊を建立される時ではなかったから、
【阿弥陀・他方を以て本尊と為す。】
他方の仏たる阿弥陀仏を本尊としました。
【聖武天皇、東大寺を建立す、華厳経の教主なり、】
聖武天皇は、東大寺を建てましたが、その本尊は華厳経の教主であって、
【未だ法華経の実義を顕はさず。】
いまだ法華経の実義を顕わしていないのです。
【伝教大師粗〔ほぼ〕法華経の実義を顕示〔けんじ〕す。】
伝教大師は、ほぼ法華経の実義を顕わし示めしたけれども、
【然〔しか〕りと雖〔いえど〕も時未だ来たらざるの故に、】
未だ未法の時ではないので、
【東方の鵞王〔がおう〕を建立して本門の四菩薩を顕はさず。】
東方の薬師如来を本尊とし、法華経本門の四菩薩を顕わさなかったのです。
【所詮地涌千界の為に此を譲り与へたまふ故なり。】
ようするに、地涌千界にこれを譲り与えられたからなのです。
【此の菩薩仏勅〔ぶっちょく〕を蒙〔こうむ〕りて近く大地の下に在〔あ〕り。】
この地涌の大菩薩は、仏勅によってすぐ近くの大地の下に居られるのです。
【正像に未だ出現せず、】
しかし、それも正像二千年には、未だ出現せず、
【末法にも又出で来たりたまはずば】
末法に入っても未だ出て来ないならば、
【大妄語〔だいもうご〕の大士なり。】
これは釈迦牟尼仏は嘘つきであると言うべきでしょう。
【三仏の未来記も】
そうであるならば、それを予言したはずの三仏の未来記も
【亦〔また〕泡沫〔ほうまつ〕に同じ。此を以て之を惟ふに、】
水の泡と同じように消え去ってしまうのでしょうか。これをもって考えてみるに、
【正像に無き大地震・】
正像には、未だかつてなかった大地震、
【大彗星〔すいせい〕等出来す。】
大彗星などが最近になって次々に出て来ています。
【此等は金翅鳥〔こんじちょう〕・修羅・竜神等の動変に非ず、】
これらは、金翅鳥、修羅、竜神などの起こす、わずかな変調ではなく、
【偏に四大菩薩を出現せしむべき先兆〔せんちょう〕なるか。】
ひとえに四大菩薩の出現する前兆なのでしょう。
【天台の云はく「雨の猛〔たけ〕きを見て竜の大なるを知り、】
天台大師は「雨が激しい事を見て雨雲が大きい事を知り、
【花の盛んなるを見て池の深きを知る」等云云。】
蓮華が大きく咲くのを見て、その池が深い事を知る」と言っています。
【妙楽の云はく「智人は起を知り】
妙楽大師は、「智人は、将来起こるべき事を知り、
【蛇〔じゃ〕は自ら蛇を識〔し〕る」等云云。】
蛇は、自ら蛇の通る道を知る」と言っています。
【天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は】
天が晴れれば、地はおのずから明かとなるように、法華経を識る上行菩薩は、
【世法を得〔う〕べきか。】
世法もおのずから明らかとなり、自界叛逆、西海侵逼がわかるのです。