日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 8 在世・正法時代の難


第7章 在世・正法時代の難

【問うて云はく、華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・】
それでは、華厳の澄観、三論宗の嘉祥、法相宗の慈恩、

【真言の善無畏、乃至弘法・慈覚・智証等を、仏の敵との〔宣〕給ふか。】
真言宗の善無畏、弘法、慈覚、智証を仏の敵であると言うのですか。

【答へて云はく、此大なる難なり。仏法に入りて第一の大事なり。】
それに答えれば、これは大いなる難問であり、仏法史上第一の大問題なのです。

【愚眼をも〔以〕て経文を見るには、法華経に勝れたる経ありといはん人は、】
どんな愚か者が経文を読んでも、法華経よりも優れた経文が有ると云う人は、

【設〔たと〕ひいかなる人なりとも謗法は免れじと見えて候。】
たとえどんな人であっても謗法は、まぬがれられないと書いてあるのです。

【而るを経文のごとく申すならば、】
もし、この経文の云う通りだとすれば、

【いかでか此の諸人仏敵たらざるべき。】
誰がこの仏敵であるかは、明らかではないでしょうか。

【若〔も〕し又をそ〔恐〕れをなして指し申さずば、】
もし、それを怖れて、それを言わなければ、

【一切経の勝劣空〔むな〕しかるべし。】
一切経の優劣などつけようもないのです。

【又此の人々を恐れて、末の人々を仏敵といはんとすれば、】
また、この人々を怖れて、その末端の信者達を仏敵として破折すれば、

【彼の宗々の末の人々の云はく、】
その宗派の人々は、このように言うのです。

【法華経に大日経をまさ〔勝〕りたりと申すは】
「法華経より大日経が優れていると云うのは、

【我私〔わたくし〕の計らひにはあらず、祖師の御義なり。】
ただ私が言っているのではなく、これは、宗祖の教えであります。

【戒行の持破、智慧の勝劣、身の上下はありとも、】
修行の進み方や智慧の優劣、身分の上下はあっても、

【所学の法門はたがふ事なしと申せば、彼の人々にとがなし。】
仏教の法門と云う意味では、同じであり、我々に罪などありません。」

【又日蓮此を知りながら人々を恐れて申さずば、】
日蓮がこれを知りながら人々を怖れて、この事を言わないでいれば、

【「寧〔むし〕ろ身命〔しんみょう〕を】
「たとえ身命を失うとも

【喪〔うしな〕ふとも教を匿〔かく〕さゞれ」の】
仏教を滅ぼしてはいけない」と云う

【仏陀の諫暁〔かんぎょう〕を用ひぬ者となりぬ。】
釈迦牟尼仏の誡〔いまし〕めの言葉を無にする者となってしまいます。

【いかんがせん、い〔言〕はんとすれば世間をそ〔恐〕ろし、】
どのようにすれば良いのでしょうか。言えば世間の敵となって怖ろしい結果になり、

【黙示〔もだ〕さんとすれば仏の諫曉のがれがたし。】
黙っていれば、仏の言葉を無にする事になってしまいます。

【進退此に谷〔きわ〕まれり。宜〔むべ〕なるかなや、法華経の文に云はく】
まさに進退がきわまってしまいました。ここで考えて見ると法華経の法師品には

【「而〔しか〕も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉〔おんしつ〕多し。】
「この経は、仏がいる現在においても、なお怨嫉が多く、

【況んや滅度の後をや」と。】
いわんや仏が滅した後には、さらに多い」とあり、

【又云はく「一切世間怨〔あだ〕多くして】
また法華経の安楽行品には「一切世間の恨〔うら〕みが多くして

【信じ難し」等云云。】
信じる事が難しい」と説かれているのです。

【釈迦仏を摩耶夫人〔まやふじん〕はら〔孕〕ませ給ひたりければ、】
釈迦牟尼仏を母親である摩耶夫人が懐妊した時には、

【第六天の魔王、摩耶夫人の御腹をとを〔通〕し見て、】
それを第六天の魔王がその摩耶夫人の身体を透かし見て、

【我等が大怨敵法華経と申す利剣をはらみたり。】
「我が大怨敵〔だいおんてき〕の法華経と云う利剣〔りけん〕を懐妊した。

【事の成ぜぬ先にいかにしてか失ふべき。】
これを何とかして、けっして無事に生ませてはならない」

【第六天の魔王、大医と変じて浄飯〔じょうぼん〕王宮に入り、】
そうして第六天の魔王は、医師に化けて浄飯王の宮殿に入り、

【御産安穏〔あんのん〕の】
妃〔きさき〕の前で安産になると云う

【良薬〔ろうやく〕を持ち候大医ありとのゝしりて、】
薬を取り出すと、私は、優れた医師であると名乗って騙し、

【大毒を后〔きさき〕にまいらせつ。】
毒役を摩耶夫人に与えたのです。

【初生〔しょしょう〕の時は石をふらし、乳に毒をまじへ、】
さらに釈迦牟尼仏が無事に生まれてからは、時には石を投げつけ、乳に毒を混ぜて、

【城を出でさせ給ひしかば黒き毒蛇と変じて道にふさがり、】
城の外では、黒い毒蛇となって道を塞〔ふさ〕ぎ、

【乃至提婆〔だいば〕・瞿伽梨〔くがり〕・波瑠璃王〔はるりおう〕・】
提婆達多や瞿伽梨、波瑠璃王、

【阿闍世王〔あじゃせおう〕等の悪人の身に入りて、】
阿闍世王の悪人の身に入って、

【或は大石をなげて仏の御身より血をいだし、】
大石を投げて怪我をさせて仏の身体から出血させ、

【或は釈子をころし、或は御弟子等を殺す。】
釈迦牟尼仏の同族の者たちを殺し、弟子たちを殺したのです。

【此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に】
これらの大きな難は、法華経を仏に

【説かせまいらせじとたば〔巧〕かり〔謀〕し、】
説かせないようにした謀〔はかりごと〕なのです。

【如来〔にょらい〕現在〔げんざい〕猶多怨嫉〔ゆたおんしつ〕の大難ぞかし。】
これらが、釈迦牟尼仏の在世の怨嫉による大難なのです。

【此等は遠き難なり。】
しかし、これらは、まだ、私達にとっては、縁遠くそれほどの難ではないのです。

【近き難には舎利弗〔しゃりほつ〕・目連〔もくれん〕・諸大菩薩等も】
近くにある大難とは、舎利弗、目連または、諸大菩薩などが未顕真実の

【四十余年が間は、法華経の大怨敵の内ぞかし。】
四十余年の間の経文を信ずる事で、これこそ法華経の大怨敵なのです。

【況滅度後〔きょうめつどご〕と申して、未来の世には】
そして況滅度後には、仏滅後の未来において、

【又此の大難よりもすぐれてをそ〔恐〕ろしき大難あるべしと、とかれて候。】
この大難よりもさらに大きな怖ろしい難があると説かれているのです。

【仏だにも忍びがたかりける大難をば】
このような仏であっても忍び難いほどの大難を

【凡夫はいかでか忍ぶべき。】
凡夫は、どうやって忍ぶ事が出来るのでしょうか。

【いわ〔況〕うや在世より大なる大難にてあるべかんなり。】
いわんや仏の在世よりも大きな大難なのです。

【いかなる大難か、提婆が長〔たけ〕三丈、広さ一丈六尺の大石、】
どのような大難かと言うと、提婆達多が長さ9m幅4mの大石を投げ、

【阿闍世王の酔象〔すいぞう〕には】
阿闍世王が酔った象を放って、

【す〔過〕ぐべきとはをも〔思〕へども、】
釈迦牟尼仏を殺そうとした事よりも、超える大難であるのですが、

【彼にもす〔過〕ぐるべく候なれば、】
しかし、これを超える大難があれば、

【小失なくとも大難に度々値〔あ〕ふ人をこそ、】
何の罪もなく、何度もこの大難に遭う人こそ、

【滅後の法華経の行者とはし〔知〕り候わめ。】
釈迦牟尼仏の滅後の法華経の行者と知る事が出来るのです。

【付法蔵の人々は四依の菩薩、】
仏滅後に付属を受け、法蔵を弘めていった人々は、

【仏の御使なり。】
仏法をたもった菩薩であり、仏の使いなのです。

【提婆菩薩は外道に殺され、】
この仏の使いである提婆菩薩は、外道に殺され、

【師子尊者は檀弥羅王〔だんみらおう〕に頭を刎ねられ、】
師子尊者は、檀弥羅王に首を刎ねられました。

【仏陀蜜多〔ぶっだみった〕・竜樹菩薩等は】
仏陀蜜多は十二年間、竜樹菩薩は、七年間、

【赤幡〔あかきはた〕を七年・十二年さしとをす。】
赤旗を目印にして、外道に議論を挑んだのです。

【馬鳴〔めみょう〕菩薩は金銭三億がかわりとなり、如意論師は】
馬鳴菩薩は、金三億銭で敵国に買われ、如意〔にょい〕論師は、

【をも〔思〕ひじ〔死〕にゝ死す。】
議論で百人の内の一人を納得させられない事を恥じて死にました。

【此等は正法一千年の内なり。】
これらは、釈迦滅後千年の正法時代の事です。


ページのトップへ戻る