日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 17 慈覚・智証を破折す


第16章 慈覚・智証を破折す

【されば慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子、】
もともと、慈覚と智証の二人は、伝教大師、義真の弟子であり、

【漢土にわたりては又天台・真言の明師に値〔あ〕ひて有りしかども、】
ともに中国に渡って天台、真言を学んでいるにもかかわらず、

【二宗の勝劣は思ひ定めざりけるか。】
天台と真言の二宗派の優劣については、理解が及ばずに、

【或は真言はすぐれ、或は法華すぐれ、】
ある時は、真言が優れていると言い、ある時は、法華経が優れていると言い、

【或は理同】
また、ある時は、理論は同じだけれども、

【事勝等云云。】
事実の上では真言が優れているなどと言っているのです。

【宣旨を申し下すには、二宗の勝劣を論ぜん人は、】
そして、天皇がこのように決めているのに未だに二宗派の優劣を論ずる者は、

【違勅の者といましめられたり。】
天皇の命令にそむく者であると言う始末なのです。

【此等は皆自語相違といゐぬべし。】
これらは、すべて自語相違であって

【他宗の人はよも用いじと見へて候。】
他宗派の者から見れば、まったく信用出来ない理解不能な話なのです。

【但し二宗の斉等とは、先師伝教大師の御義と、】
さらに、この二宗派が共に正しいと言う事は、師である伝教大師の考えであり、

【宣旨に引き載せられたり。】
これは、天皇の命令に依ると慈覚と智証が、みんなに言っているのですが、

【抑〔そもそも〕伝教大師何〔いず〕れの書にかゝれて候ぞや、】
そもそも、それが伝教大師の考えであると、どの文書に書かれているのでしょうか。

【此の事よくよく尋ぬべし。慈覚・智証と日蓮とが、】
この事は、よくよく調べてみなければなりません。この慈覚、智証に対して日蓮が

【伝教大師の御事を不審申すは、】
この伝教大師の考えについて疑問を呈〔てい〕する事は、

【親に値〔あ〕ふての年あらそひ、日天に値ひ奉りての】
子と親の年齢をどちらが多いのかを言い争い、どちらが太陽を

【目くらべにては候へども、】
長く目で見つめる事が出来るのかを争うような馬鹿げた事ではあるけれども、

【慈覚・智証の御かたふど〔方人〕をせさせ給はん人々は、】
やはり、慈覚、智証の言い分を通す人々は、明らかなる証拠を見せ、

【分明なる証文をかまへさせ給ふべし。詮ずるところは信をとらんがためなり。】
それが十分に信用に足る事と証明すべきなのです。

【玄奘〔げんじょう〕三蔵は月氏の婆沙論〔ばしゃろん〕を見たりし人ぞかし。】
玄奘三蔵は、インドの婆沙論を実際に読んで、それを翻訳した人なのに、

【天竺〔てんじく〕にわたらざりし】
インドに行った事がない事で自分の弟子である

【宝法師〔ほうほっし〕にせめられにき。】
宝法師に、ほんとうに読んだのかと疑われました。

【法護三蔵は印度の法華経をば見たれども、】
法護三蔵は、インドで法華経を見て、それを正法華経として翻訳したけれども、

【嘱累〔ぞくるい〕の先後をば漢土の人み〔見〕ねども、】
それには嘱累品が最後で後はなく、

【誤りといゐしぞかし。】
それで鳩摩羅什三蔵の翻訳した妙法蓮華経を中国の人々は間違いだと言いました。

【設ひ慈覚の伝教大師に値ひ奉りて習ひ伝へたりとも、】
たとえ慈覚が伝教大師に会って、それを学び伝えたとしても、

【智証大師は義真和尚に口決〔くけつ〕せりといふとも、】
また、いくら智証大師が義真和尚にそれを教えたと言っても、

【伝教・義真の正文に相違せば、】
伝教大師や義真の書いた文章と違っていれば、

【あに不審を加へざらん。】
それは、まったく信用出来ないでしょう。

【伝教大師の依憑集〔えひょうしゅう〕と申す文〔ふみ〕は】
伝教大師の著〔あらわ〕した依憑集と言う文章は、

【大師第一の祕書なり。彼の書の序に云はく「新来の真言家は】
伝教大師の第一の重要な文書であり、この書物の序分には「新しく来た真言師は、

【則ち筆授の相承を泯〔ほろ〕ぼし、】
真言よりも天台が優れているとした大日経疏に書いてある内容を無視して、

【旧到〔くとう〕の華厳家は則ち影響〔ようごう〕の】
旧来の華厳宗は、天台が極めて優れているので、その影響を受け、

【軌範を隠し、】
それを模範〔もはん〕とした事実を隠して、

【沈空の三論宗は】
円融三諦を知らずに空理に執着した三論宗の嘉祥は、

【弾呵〔だんか〕の屈恥〔くっち〕を忘れて】
天台宗の十七歳の法盛に、それを論破された屈辱を忘れ、

【称心〔しょうしん〕の酔ひを覆〔おお〕ふ。】
さらに称心に住んでいた章安大師の講義に感激した事をひた隠し、

【著有〔じゃくう〕の法相は】
万法唯識、境無心有、五性各別を説く法相宗は、

【濮陽〔ぼくよう〕の帰依を非〔なみ〕し、】
濮陽に住んでいた法相宗の智周が天台宗に帰依した事実を否定し、

【青竜の判経を】
法相宗の青竜寺の良□〔せき〕が仁王経の解釈をする時に、

【払〔はら〕ふ等。】
従来の法相宗の教義に従わずに天台宗の経論に頼った事を忘れているのである。

【乃至、謹んで依憑集一巻を著〔あら〕はして同我の後哲〔こうてつ〕に贈る。】
この事実を、謹んでこの依憑集一巻に著し、私と同じく天台宗を学ぶ者に贈る。

【其〔それ〕時〔とき〕興〔おこ〕ること、日本第五十二葉〔よう〕】
これが起こったのは、日本国の第52代の

【弘仁の七丙申〔ひのえさる〕の歳なり」云云。】
弘仁7年に執筆」と書かれているのです。

【次下〔つぎしも〕の正宗に云はく「天竺の名僧、大唐〔だいとう〕天台の】
その次の本文には「インドの名僧が言うのには中国の天台大師の

【教迹最も邪正を簡〔えら〕ぶに堪〔た〕へたりと聞いて、】
教相判釈が最も正邪を決するには優れていると伝え聞いて、

【渇仰〔かつごう〕して訪問す」云云。】
それを是非、学びたいと思って訪問した」と書いてあります。

【次下に云はく「豈中国に法を失って】
またその次には「仏法の中心の国であるはずのインドでは、その仏法が失われて、

【之を四維〔しい〕に求むるに非ずや。】
その仏法を四方の国々である中国に求めなければならない。

【而も此の方に識〔し〕ること有る者少なし。】
しかも、この事を知る中国の人々は、少ないのです。

【魯人〔ろひと〕の如きのみ」等云云。】
まるで魯の国の人が自分の国の孔子を知らないようなものである」と書いています。

【此の書は法相・三論・華厳・真言の四宗を】
この依憑集と云う書物は、法相宗、三論宗、華厳宗、真言宗の四宗派を

【せめて候文なり。】
破折している文章なのです。

【天台・真言の二宗同一味ならば、】
もし、天台宗と真言宗の二宗派がどちらも正しいのであるならば、

【いかでかせめ候べき。】
どうして、このように破折する必要があるのでしょうか。

【而も不空〔ふくう〕三蔵等をば、】
しかも不空三蔵を、孔子の偉大さがわからなかった

【魯人のごとしなんどかゝれて候。】
無知な魯の国の人とまで書かれているのです。

【善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕・不空の真言宗いみじくば、】
善無畏、金剛智、不空三蔵の真言宗が優れているのなら、

【いかでか魯人と悪口〔あっく〕あるべき。】
どうして無知な魯の国の人と悪く言われる必要があるのでしょうか。

【又天竺の真言が天台宗に同じきも、】
また、インドの真言が、天台宗と同じか優れているのならば、

【又勝れたるならば、天竺の名僧いかでか不空にあつらへ、】
どうしてインドの名僧が不空三蔵に天台宗を調査させて、

【中国に正法なしとはいうべき。】
仏法の中心の国であるインドに正法がないなどと言うでしょうか。

【それはいかにもあれ、慈覚〔じかく〕・智証〔ちしょう〕の二人は、】
いずれにしても慈覚、智証の二人は、

【言〔ことば〕は伝教大師の御弟子とはなのらせ給へども、】
表面では、伝教大師の弟子と名乗ってはいますが、

【心は御弟子にあらず。】
その心は、まったく伝教大師の考えに従ってはいないのです。

【其の故は此の書に云はく「謹んで依憑集一巻を著〔あら〕はして、】
それは、この依憑集に「この依憑集一巻を謹んで著し、

【同我の後哲に贈る」等云云。】
私と同じく天台宗を学ぶ者に贈る」と書いてあるからなのです。

【同我の二字は、真言宗は天台宗に劣ると】
この私と同じくの文字は、真言宗は、天台宗に劣ると

【ならひてこそ同我にてはあるべけれ。我と申し下さるゝ宣旨に云はく】
学んでこそ私と同じくと言えるのです。慈覚大師に下〔くだ〕された天皇の文書には

【「専ら先師の義に違ひ偏執の心を成す」等云云。】
「もっぱら先師の考えに違背し間違った心をなす」と言われているのです。

【又云はく「凡〔およ〕そ厥〔その〕師資の道、】
また「およそ子弟の道と言うものは、

【一を欠けても不可なり」等云云。】
一つ欠けても成り立たない」とも言われているのです。

【此の宣旨のごとくならば、】
この天皇の文書が正しいのならば、

【慈覚・智証こそ専ら先師にそむく人にては候へ。】
慈覚や智証こそ、師である伝教大師に背く者と言えるのです。

【か〔斯〕うせ〔責〕め候もをそ〔恐〕れにては候へども、】
このように責める事は、まことに恐れ多い事ではあるけれども、

【此をせめずば大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じて、】
これを責めなければ大日経と法華経の優劣が間違って伝えられると思って

【いのちをまと〔的〕にかけてせめ候なり。】
命を懸けて法華経が優れていると大日経を責めているのです。

【此の二人の人々の、弘法大師の邪義を】
このように伝教大師に背いた慈覚、智証の二人が、弘法大師の邪義を

【せめ候わざりけるは最も道理にて候ひけるなり。】
責めなかったのは、まことに当然の事なのです。

【されば粮米〔ろうまい〕をつくし、】
そうであれば、多くの費用を使って、

【人をわづ〔煩〕らはかして、漢土へわたらせ給はんよりは、】
人々が苦労して、この二人が中国へ渡って留学するよりも、

【本師伝教大師の御義を】
自分の師である伝教大師の書かれた事を

【よくよくつ〔尽〕くさせ給ふべかりけるにや。】
比叡山で徹底して学ぶ事の方が重要であったのです。

【されば叡山の仏法は、但伝教大師・】
このように比叡山の仏法は、ただ伝教大師、

【義真和尚・円澄大師の三代計りにてやありけん。】
義真和尚、円澄大師の三代の時代までで、

【天台の座主すでに真言の座主にうつりぬ。】
その後の天台の座主は、みんな真言となってしまったのです。

【名と所領とは天台山、其の主は真言師なり。】
ただ名前と所領は、天台宗のものであり、その主は、真言師であり、

【されば慈覚大師・智証大師は、已今当の経文をやぶらせ給ふ人なり。】
慈覚、智証は、前代未聞の経文である法華経を破壊した者であり、

【已今当の経文をやぶらせ給へば、】
このような釈迦牟尼仏一代聖教の前代未聞の経文である法華経を破壊した者は、

【あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや。】
まさに釈迦、多宝、十方の諸仏の怨敵であるのです。

【弘法大師こそ第一の謗法の人とをも〔思〕うに、】
弘法大師こそが最大の謗法の者と思っていたのは、

【これはそれには】
これは間違いであって、慈覚、智証こそ、

【に〔似〕るべくもなき僻事〔ひがごと〕なり。】
それ以上の大僻見〔だいびゃっけん〕の者であるのです。

【其の故は、水火天地なる事は】
なぜかと言うと、水と火、天と地などは、

【僻事なれども人用ふる事なければ、】
まったく違うので、たとえ、これを同じであると主張する者がいても、

【其の僻事成ずる事なし。】
誰も信じずに何の問題もないのです。

【弘法大師の御義はあまり僻事なれば、】
弘法大師が主張している事は、あまり馬鹿げている事なので、

【弟子等も用ふる事なし。】
弘法の弟子でさえも誰も信じなかったのです。

【事相計〔ばか〕りは】
しかし、真言宗の祈祷などの行事で使う、

【其の門家なれども、】
印や真言などは、弘法大師の法義に乗っ取って行い、

【其の教相の法門は、弘法の義いゐにくきゆへに、】
その教義についての法門は、弘法の間違いに従う事が出来ずに、

【善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり。】
善無畏、金剛智、不空、慈覚、智証の言葉を用いているのです。

【慈覚・智証の義こそ、真言と天台とは理同なりなんど申せば、】
つまり、天台宗の慈覚、智証が、真言と天台とは理論は同じなどと言うから、

【皆人さもやとをもう。】
人々は、それを信じてしまったのです。

【か〔斯〕うをも〔思〕うゆへに事勝の印と真言とにつひて、】
このように人々が思った故に、

【天台宗の人々】
天台宗の人々さえ、行事に優れていると云う弘法大師の印と真言を用いて、

【画像〔えぞう〕木像の開眼〔かいげん〕の仏事をねらはんがために、】
画像、木像の開眼の仏事を行ったのです。

【日本一同に真言宗にを〔堕〕ちて、天台宗は一人もなきなり。】
こうやって日本国がすべて真言宗に堕ちて、天台宗は、誰一人いなくなったのです。

【例せば法師と尼と、黒きと青きとはまが〔紛〕ひぬべければ、】
これは、髪を剃った法師と尼とを、黒と紺のように、

【眼くらき人はあやまつぞかし。】
暗い場所では見分けがつかず間違ってしまうのと同じなのです。

【僧と男と、】
それでも髪を剃った僧と髪を伸ばした男は、

【白と赤とは目くらき人も迷はず、】
白と赤と同じでいくら暗い場所でも迷う事なく、

【いわ〔況〕うや眼あきらかなる者をや。】
明るい場所では、絶対に間違えない事と同じなのです。

【慈覚・智証の義は、法師と尼と、黒きと青きとがごとくなるゆへに、】
慈覚、智証の言い分は、法師と尼であり、黒と紺のようであるから、

【智人も迷ひ、愚人もあやまり候ひて、】
智慧が有る人も迷い、愚人は、なおさら間違って信じてしまうのです。

【此の四百余年が間は叡山〔えいざん〕・園城〔おんじょう〕・】
この四百余年の間に比叡山を筆頭に、園城寺、

【東寺・奈良・五畿・七道・】
東寺は、もちろん、奈良、近畿、七道の諸寺も、

【日本一州、皆謗法の者となりぬ。】
日本全国すべてが謗法の真言の者となったのです。


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