御書研鑚の集い 御書研鑽資料
報恩抄 30 真言を破折
第29章 真言を破折
【されば此の真言・禅宗・念仏等やうやくかうなり来たる程に、】
そうであればこそ、真言、禅宗、念仏などが盛んになると、
【人王第八十二代尊成〔たかひら〕隠岐〔おき〕の法王、】
八二代天皇の時代に、後鳥羽上皇が、
【権大夫〔ごんのたいふ〕殿を失はんと年ごろはげませ給ひけるゆへに、】
右京権〔うきょうごん〕の大夫である北条義時殿を滅ぼそうと画策したのです。
【国主なればなにとなくとも師子王の兎〔うさぎ〕を伏するがごとく、】
もちろん国主である天皇であれば、ライオンがウサギを捕るように、
【鷹〔たか〕の雉〔きじ〕を取るやうにこそあるべかりし上、】
また、鷹がキジを捕るように簡単な事であろうと思われたのです。
【叡山〔えいざん〕・東寺〔とうじ〕・園城〔おんじょう〕・】
しかも、比叡山、東寺、園城寺、
【奈良七大寺・天照大神・正八幡・山王〔さんのう〕・】
さらに奈良の七大寺や天照大神、正八幡大菩薩、日吉〔ひえ〕神社、
【加茂〔かも〕・春日〔かすが〕等に数年が間、】
加茂神社、春日大社などに数年の間、北条討伐の調伏を命じ、
【或は調伏〔じょうぶく〕、或は神に申させ給ひしに、】
あるいは神社に祈祷をさせたのですが、
【二日三日だにもさゝ〔支〕へかねて、佐渡国・阿波〔あわ〕国・】
たった二、三日も持たずに負けてしまい、順徳上皇は佐渡へ、土御門上皇は阿波へ、
【隱岐〔おき〕国等にながし失〔う〕せて終〔つい〕にかくれさせ給ひぬ。】
後鳥羽上皇は隱岐へ、そろって流罪となり、そこで消え失せてしまったのです。
【調伏の上首御室〔おむろ〕は、但東寺をかへらるゝのみならず、】
調伏の責任者であった第十一代道助法親王は、東寺を追われるだけではなく、
【眼のごとくあひ〔愛〕せさせ給ひし】
眼に入れても痛くないほど可愛がっていた、
【第一の天童勢多伽〔せいたか〕が頸〔くび〕切られたりしかば、】
第一の天童、勢多伽は、斬首され、
【調伏のしるし還着於本人〔げんじゃくおほんにん〕のゆへとこそ見へて候へ。】
調伏の結果は、自分自身に還って来たと言う事がわかるのです。
【これは】
しかし、これらは、真言、禅宗、念仏の本当の恐ろしさからすれば、
【わづかの事なり。此の後定んで日本の国臣万民一人もなく、】
わずかな事なのです。この後、日本の国民、万民は、一人も漏れなく、
【乾草〔かれくさ〕を積みて火を放つがごとく、】
乾草をうず高く積んで火に放つように、
【大山のくづれて谷をうむるがごとく、】
大山が崩れて谷が埋まっていますように、
【我が国他国にせめらるゝ事出来すべし。】
日本が他国に侵略されると云う大惨事が起こるのです。