日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 23 国中の謗法を明かす


第22章 国中の謗法を明かす

【法滅尽経に云はく「吾般泥□〔はつないおん〕の後、】
法滅尽経には「釈迦牟尼仏が入滅した後に

【五逆濁世に、魔道興盛〔こうじょう〕し、】
五逆罪の者が数多くいる濁世に邪宗が興隆し、

【魔沙門〔しゃもん〕と作って吾が道を壊乱〔えらん〕せん。】
悪鬼魔人が僧侶となって仏法を破壊するのである、

【乃至悪人転〔うたた〕多く海中の沙〔いさご〕の如く、】
しかも悪人は、非常に多く、海の中の砂のようで、

【善者甚だ少なくして、若しは一、若しは二」云云。】
善者は、はなはだ少なくて、一人か二人である」と説かれているのです。

【涅槃経に云はく「是くの如き等の涅槃経典を信ずるものは、】
また涅槃経には「このような涅槃経典を信ずる者は、

【爪上〔そうじょう〕の土〔ど〕の如し。乃至是の経を信ぜざるものは、】
爪の上の土のように少なく、この経文を信じない者は、

【十方界の所有の地土の如し」等云云。】
見渡す限りの大地の土のようである」と説かれているのです。

【此の経文は予が肝に染みぬ。】
この経文は、日蓮の心に染みるものです。

【当世日本国には、我も法華経を信じたり信じたり、】
現在の日本には、私は、法華経を信じていると言う者は多く、

【諸人の語のごときんば、一人も謗法の者なし。】
誰一人、謗法の者などいないようですが、

【此の経文には、末法に謗法の者十方の地土、】
この経文には、末法に謗法の者は、

【正法の者爪上の土等云云。】
十方の大地の土、正法の者は、爪上の土と説かれているのです。

【経文と世間とは水火なり。世間の人の云はく、】
経文と現実は、まるで火と水のようであり、世間の人は、

【日本国には日蓮一人計り謗法の者等云云。】
日本には、日蓮だけが謗法の者であるように言っているのです。

【又経文には天地せり。】
しかし、経文には、謗法の者は大地と説かれており、

【法滅尽〔ほうめつじん〕経には善者は一・二人。】
法滅尽経には、善者は一人もしくは、二人と説かれているのです。

【涅槃経には信ずる者は爪上の土等云云。】
涅槃経には、信ずる者は、爪の上の土とあり、

【経文のごとくならば、日本国は但日蓮一人こそ】
この経文通りならば、日本では、ただ日蓮一人こそが、

【爪上の土、一・二人にては候へ。】
その爪の上の土であり、一人もしくは二人ではないでしょうか。

【経文をや用ふべき、世間をや用ふべき。】
経文を信じるべきでしょうか、世間の人々が言う事を信じるべきでしょうか。

【問うて云はく、涅槃経の文には、】
それでは、質問しますが、涅槃経の文では、

【涅槃経の行者は爪上の土等云云。】
涅槃経の行者は、爪の上の土とありますが、

【汝が義には法華経等云云、如何〔いかん〕。】
法華経には、それは書いてないのではないでしょうか。

【答へて云はく、涅槃経に云はく「法華の中の如し」等云云。】
それに答えると、涅槃経には「法華経にあるように」と説かれています。

【妙楽大師云はく「大経自ら法華を指〔さ〕して】
また、妙楽大師は「大経は、自〔みずか〕ら、法華経を指して

【極〔ごく〕と為〔な〕す」等云云。大経と申すは涅槃経なり。】
極説とする」と言われています。大経とは、大般涅槃経を言うのです。

【涅槃経には法華経を極と指して候なり。】
このように涅槃経は、法華経を極説と示しているのです。

【而〔しか〕るを涅槃宗の人の涅槃経を法華経に勝ると申せしは、】
よく涅槃宗の人が涅槃経を法華経より優れていると云うのは、

【主を所従といゐ下郎〔げろう〕を上郎〔じょうろう〕といゐし人なり。】
主人を執事と言い、部下を上司と言っているようなものなのです。

【涅槃経をよむと申すは、】
このように涅槃経を正しく読むと云うのは、

【法華経をよむを申すなり。】
法華経を真実であると読む人の事なのです。

【譬へば賢人は国主を重んずる者をば、】
例えば、その人が護っている国主を大事にしてくれれば、

【我をさ〔下〕ぐれども悦ぶなり。】
立派な人は、たとえ、その人自身が軽く見られても喜ぶものなのです。

【涅槃経は法華経を下げて我をほむる人をば、】
涅槃経は、法華経を涅槃経より下に観て、涅槃経を褒める人を、

【あなが〔強〕ちに敵とにく〔憎〕ませ給ふ。】
敵〔かたき〕として強く憎むものなのです。


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