御書研鑚の集い 御書研鑽資料
報恩抄 20 日本に謗者のみ有り
第19章 日本に謗者のみ有り
【然るに日本国は叡山計りに、】
しかるに日本国では、比叡山に
【伝教大師の御時法華経の行者ましましけり。】
伝教大師がおられた時代にしか法華経の行者はいませんでした。
【義真〔ぎしん〕・円澄〔えんちょう〕は第一第二の座主なり。】
義真は、その比叡山の第一代の座主で、円澄は、第二代の座主なのですが、
【第一の義真計り伝教大師ににたり。】
義真は、伝教大師の弟子であったが、
【第二の円澄は半ばは伝教の御弟子、半ばは弘法の弟子なり。】
円澄は、なかば伝教の弟子で、なかば弘法の弟子なのです。
【第三の慈覚〔じかく〕大師は、始めは伝教大師の御弟子ににたり。】
第三代の慈覚大師になると始めは、伝教大師の弟子であったが、
【御年四十にて漢土にわたりてより、】
御年四十歳で中国に渡ってからは、
【名は伝教の御弟子、其の跡をばつ〔継〕がせ給へども、】
名前は、伝教の弟子としてその跡を継いだけれども、
【法門は全く御弟子にはあらず。】
法門は、全く弟子とは言えなかったのです。
【而れども円頓〔えんどん〕の戒計りは、又御弟子ににたり。】
しかし、まだ円頓戒ばかりは、伝教大師の弟子とも言えました。
【蝙蝠〔へんぷく〕鳥のごとし。】
このように、まるでその姿は、蝙蝠〔こうもり〕のようであったのです。
【鳥にもあらず、ねずみにもあらず、】
それは、蝙蝠〔こうもり〕が鳥でもなくネズミでもなく、
【梟鳥禽〔きょうちょうきん〕・】
まるで母を食らう梟〔ふくろう〕か
【破鏡獣〔はけいじゅう〕のごとし。】
父を噛んで殺すムジナのようであると云うわけなのです。
【法華経の父を食らひ、】
慈覚大師こそ法華経の師である伝教大師の功績を食らい、
【持者の母をか〔噛〕めるなり。】
その家来である伝教の弟子に噛みつく者なのです。
【日をい〔射〕るとゆめ〔夢〕にみ〔見〕しこれなり。】
太陽を射ると夢に見るとは、この事であり、
【されば死去の後は墓なくてやみぬ。】
そうであれば慈覚大師が死んだ後は、比叡山は、まことに無残な姿であったのです。
【智証〔ちしょう〕の門家園城寺〔おんじょうじ〕と慈覚の門家叡山と、】
その後は、智証の門家である園城寺と慈覚の門家である比叡山とが
【修羅と悪竜と合戦ひまなし。園城寺をやき叡山をやく。】
修羅と悪竜のように争いを繰り返し、園城寺を焼き、比叡山を焼いたのです。
【智証大師の本尊慈氏〔じし〕菩薩もやけぬ。】
智証大師の本尊である慈氏菩薩も焼けて、
【慈覚大師の本尊、大講堂もやけぬ。】
慈覚大師の本尊や大講堂も焼けてしまい、
【現身に無間地獄をかん〔感〕ぜり。】
その姿は、まるで無間地獄を現じたようでした。
【但中堂〔ちゅうどう〕計りのこれり。】
この間に唯一、伝教大師が建立された根本中堂だけが残ったのです。
【弘法大師も又跡なし。】
また、弘法大師も跡形もなかったのです。
【弘法大師の云はく「東大寺の受戒せざらん者をば】
弘法大師が「東大寺において真言密教の受戒をしない者は、
【東寺の長者とすべからず」等、御いましめの状あり。】
東寺の責任者とはしない」と言い残した書状があるのに、
【しかれども寛平〔かんぴょう〕の法王は】
第19代宇多天皇が位を譲って寛平法王となって
【仁和寺〔にんなじ〕を建立して東寺の法師をうつして、】
仁和寺を建立し、そこに東寺の真言師を移して、
【我が寺には叡山の円頓戒を持たざらん者をば住せしむべからずと、】
我が仁和寺には、比叡山の円頓戒を受持しない者以外は、住まわせないと
【宣旨〔せんじ〕分明〔ふんみょう〕なり。】
厳しい命令を出したのです。
【されば今の東寺の法師は、鑑真が弟子にもあらず、】
そうであれば、現在の東寺の真言師は、東大寺の鑑真の弟子でもなく、
【弘法の弟子にもあらず、戒は伝教の御弟子なり。】
真言密教の弘法の弟子でもなく、比叡山の円頓戒の伝教の弟子なのでしょうか。
【又伝教の御弟子にもあらず、伝教の法華経を破失す。】
いやいや、伝教の弟子でもなく、結局は、伝教大師の法華経を破壊しているのです。
【去ぬる承和二年三月廿一日に死去ありしかば、】
去る承和2年3月21日に弘法が死去すると、
【公家〔くげ〕より遺体をばほ〔葬〕らせ給ひ、】
公家により遺体を葬〔ほおむ〕ったが、
【其の後誑惑〔おうわく〕の弟子等集りて御入定と云云。】
その後、狂った弟子達が集まって生きていると言い出したのです。
【或はかみ〔髪〕をそりてまいらするぞといゐ、】
そして、あるいは、その遺体の髪を剃ったとか、
【或は三鈷〔さんこ〕をかんど〔漢土〕よりなげたりといゐ、】
あるいは、弘法が中国から投げた法具が日本の高野山にあったとか、
【或は日輪夜中に出でたりといゐ、】
あるいは、弘法が祈祷したら太陽が夜中に出たとか、
【或は現身に大日如来となり給ふといゐ、】
あるいは、弘法は、大日如来の化身であるとか、
【或は伝教大師に十八道ををし〔教〕えまいらせたりといゐて】
あるいは、弘法が伝教大師に密教の修行法を教えたのだとか、
【師の徳をあげて智慧にかへ、】
とにかく狂った弟子達は、弘法を持ち上げる嘘を考えついて、
【我が師の邪義を扶〔たす〕けて】
自分達の師である弘法の邪義を弘め、
【王臣を誑惑するなり。】
天皇やその家臣を騙して取り込もうと必死だったのです。
【又高野山に本寺・伝法院といゝし二つの寺あり。】
また、真言宗の高野山には、本寺と伝法院と言う二つの寺があり、
【本寺は弘法のたてたる大塔大日如来なり。】
本寺は、弘法の建てた大塔の大日如来を本尊としているのです。
【伝法院と申すは正覚房が立てし金剛界の大日なり。】
伝法院と言うのは、正覚房が建てた、金剛界の大日如来であり、
【此の本末の二寺昼夜に合戦あり。】
この本末の二寺が常日頃、争い合っているのです。
【例せば叡山・園城のごとし。】
それはまるで比叡山と園城寺の姿とまったく同じで、
【誑惑のつもりて日本に】
長年の間違いが積もりに積もって
【二つの禍〔わざわい〕の出現せるか。】
このような二つの災いとなって現れたのでしょうか。
【糞〔ふん〕を集めて栴檀〔せんだん〕となせども、】
いくら、糞を集めて香木であると言っても
【焼く時は但糞のか〔香〕なり。】
結局はただの糞の臭いしかせず、
【大妄語を集めて仏とがう〔号〕すれども、但無間大城なり。】
嘘を集めて仏法と名乗っても、所詮、行きつく先は無間地獄なのです。
【尼□〔にけん〕が塔は、】
外道の尼□塔は、数年の間は、
【数年が間利生〔りしょう〕広大〔こうだい〕なりしかども、】
利益も多く出ましたが、
【馬鳴〔めみょう〕菩薩の礼をうけて忽〔たちま〕ちにくづれぬ。】
馬鳴菩薩が礼拝をしたとたん、崩れてしまったのです。
【鬼弁〔きべん〕婆羅門〔ばらもん〕がとばり〔帷〕は、】
鬼弁婆羅門の教えを書いた旗は、
【多年人をたぼらかせしかども、】
長く人を騙してきたけれども、
【阿湿縛窶沙〔あすばくしゃ〕菩薩にせめられてやぶれぬ。】
馬鳴菩薩に簡単に破折されてしまったのです。
【□留〔くる〕外道〔げどう〕は石となって八百年、】
□留外道は、死ぬのを怖れて八百年の間、化石となったが、
【陳那〔ちんな〕菩薩にせめられて水となりぬ。】
陳那菩薩に仏法の文章を書かれると、それが粉々になってしまったのです。
【道士は漢土をたぼらかすこと数百年、摩騰〔まとう〕・竺蘭〔じくらん〕に】
道士は、数百年の間、中国の人々を騙して、中インドの摩騰迦、竺法蘭に
【せめられて仙経もやけぬ。】
破折されて道教に力がない事がばれてしまったのです。
【趙高〔ちょうこう〕が国をとりし、王莽〔おうもう〕が位をうばいしがごとく、】
趙高が国を盗み取り、王莽が王位を奪い取ったように、
【法華経の位をと〔奪〕て大日経の所領とせり。】
法華経の地位を奪って大日経の所領としたのです。
【法王すでに国に失せぬ、人王あに安穏ならんや。】
法華経が所領を失っているのに、人々の王が安穏でいられるでしょうか。